2009年11月24日火曜日

タイのあれこれ (18) バンコクのムスリム



(スワンナプーム国際空港とバンコク市内の途中にある巨大モスク)

ドンムアン空港時代のタイしか知らない人にはわからないだろうが、新しい国際空港であるスワンナプーム空港から高速道路を使って市内に入ると、いやが応でも高速道路沿いに建設されている立派なモスクを複数目にすることになる。

 タイは仏教国ではなかったのか!? という観光客の固定観念にいきなり先制パンチを入れてくるのだ。

 新空港のスワンナプームとは、サンスクリット語で "黄金の土地" という意味らしい。プーミポン国王の命名である。しかし、この土地は湿地帯で、もともとムスリム農民が多数居住するエリアなのである。


タイの仏教は「国教」ではない

 タイは、人口は90数%以上が仏教徒で基本的に「仏教国」だが、仏教が憲法上の国教の地位を占めるわけではない。国王の要件が仏法の保護者でかつ仏教徒でなければならないと定められているのみである。

 ムスリムは人口の4~5%で仏教についで人口が多いが、マイノリティであることにはかわりない。統計数字については出典によって差異があるので、ざっくりしたものだと了承されたい。

 よく気をつけてみていれば、バンコク市内でもスカーフをかぶった女性や、口ひげをそって、あごひげを伸ばした男性を見るはずだ。彼らはマレーシア人やインドネシア人ではない。タイのムスリムである。

 The Muslims of Thailand(Michel Gilquin, Silkworm Books, 2002) という本によれば、タイのムスリムが、このような際だってムスリム的な外見を示すようになったのは、そんなに昔からのことではないらしい。国際的なムスリムとしての覚醒が促している行動のようである。

 タイ全体で740万人超、バンコクだけでも少なく見積もって60万人超のムスリムが居住しているらしい。


タイのムスリムの出自は三系統

 タイのムスリムには大きくわけて三系統ある。

 一番目はバンコクおよび古都アユタヤに在住する"タイ・ムスリム"、二番目はタイ南部に集中して居住する"タイ・マレー"である。

 『東方のイスラム』(風響社、1992)の著者である今永清二氏によれば、三番目として、タイではホーとよばれる、タイ北部のチェンラーイやチャンマイに居住する"雲南系の華人ムスリム"を入れるべきである、という(P.107)。以下、今永氏の記述にしたがって簡単に整理しておこう。

 一番目のタイ・ムスリムとは、いまから200年ほど前にタイ南部やマレー半島から、戦争捕虜や奴隷として、当時の都であったアユタヤに連れてこられたムスリムの末裔で、現在はバンコクとアユタヤを中心に暮らしている。基本的に多数派のスンニー派ムスリムである。

 二番目のタイ・マレーは、タイではもっとも人口の多い、マレー系のムスリムである。下の写真は、バンコク中央駅のフアランポン駅でタイ最南部のナラティワート方面に向かう列車を待つ乗客である。

(バンコク中央駅 南部行き列車の発着ホーム)

 タイ南部がもともとマレー系のパタニ王国であったことは比較的知られている事実で、現在もなお分離独立主義者によるテロ活動による犠牲者がでていることが、連日メディアで報道されている。もちろん、一部の過激な活動家を除けば、基本的には大半のムスリムは穏健派である。世界的な観光地プーケットの場合、島の人口の40%がなんとムスリムであることも、まず一般には知られていないだろう。スンニー派のなかのシャフィーイー派に属する。

 三番目の雲南系の華人ムスリム(ホー)とは、雲南省からビルマを経てインドに至るルートで交易活動に従事していた華人ムスリムが、タイの窓口であるチェンラーイやチェンマイに定住したものである。中国の動乱を避けてタイに逃れた人々も含まれるという。雲南系華人にはいろんなタイプが存在するのである。


「2006年クーデター」の首謀者のソンティ陸軍大将はムスリム

 前回2006年9月のクーデターを首謀した、ソンティ陸軍大将(当時)がムスリムであったことは、日本ではあまり知られていないようである。

 ソンティ大将はムスリムでは初めて、タイ王国陸軍の最高トップである陸軍総司令官になった。彼は、バンコクの初代イマームの末裔であるという記事を英文雑誌で読んだ記憶がある。彼は南部出身のタイ・マレーではない。また反タクシン派のメディア経営者ソンティとは別人物である(・・こちらは海南系華人)。

 暫定政権下で新憲法が起草された際、仏教団体が仏教を国教化せよという主張をかけげてデモをおこなったことがある。しかし、クーデター後の軍事政権の実質的なトップが、ムスリムのソンティ議長だったためかわからないが、きわめて理性的な判断を下したのは、偶然とはいえ幸いなことだったといえよう。タイには「仏教原理主義者」がいるので、これは実にやっかいな問題なのである。

 また、現在アセアンの事務総長を務めるスリン氏はタイ・マレーのムスリムで、タイ南部ナコンシータマラート出身の国会議員であり、タイ王国の外務大臣を歴任しているエリートである。彼はハーバード大学で博士号を取得している。

 マイノリティであっても実力次第でトップに、あるいはトップに近いポジションまで上り詰めることができるというのは、アユタヤ朝以来の人材登用策を彷彿させ、タイという国の面白い点の一つだと私には映る。

 タイは世界に開かれた貿易立国であったので、実力次第でさまざまな人材を受け入れており、タイのトップクラスにはアユタヤの宮廷に仕えたペルシア人シェイク・アフメドの子孫もいる。

 先に紹介した今永氏の記述によれば(P.119)、バンコクのチャオプラヤ川左岸のトンブリには、なんと17世紀にペルシア(現在のイラン)からきたシーア派(!)の末裔のコミュニティがあるということだ。アユタヤからバンコクに移り住んだらしい。現代イランで行われている祭儀よりも古風なものが保存されているという。シーア派はタイのムスリムの1%程度らしい。

 それはアーシュラーとよばれるもので、第三代イマームのフセインの死を悼む、シーア派特有の自傷行為をともなう練り歩きである。トンブリのものは、イランのように自らを鞭打つのではなく、頭頂部の髪の毛を剃って、ナイフで傷をつけて血を流しながら練り歩くという。

 このブログでも以前紹介した、プーケットのベジタリアン・フェスティバル並のすごさのようだ。機会があればぜひ見てみたいものだ。


バンコクにも60万人超のムスリムが居住

 冒頭でふれた新国際空港のスワンナプーム周辺だけでなく、観光スポットとしても有名なジム・トンプソン・ハウス(Jim Thompson House)と運河を挟んで対岸はムスリム居住地域であり、耳を澄ますとアザーンの声が聞こえてくる。ジム・トンプソンはムスリムの絹織物職人を使っていたたらしい。

(バンコク市内ディンデーン地区のモスク)

 写真はディンデーン地区にある日系のGMSジャスコの裏にあるモスクである。市内にも観光スポットにはなっていないだけで、かなりの数のモスクがあることは、地図を丹念に眺めていればわかる。2000年度の統計によれば、バンコク市だけで165あるという。そんなモスクのひとつを、路地裏を歩いて撮影してきた。

 ムスリムのタイ人は決して同化はしないが、すっかり日常のなかに溶け込んでおり、ムスリムのタイ人も仏教徒のタイ人も互いに問題なく共存共栄している。

 なお、タイでは日本食のスシがすでに定着し、タイ人によるスシのチェーン店までできているほどだが、実はスシは正式にハラール認定されており、安心して食べられる食事としてタイのムスリムにも受け入れられているのである。ハラールについてはこのブログでもすでに書いているので参照されたい。

(日本のスシは「ハラール認証」取得済み)

 タイのムスリムについて考えることは、固定観念や常識というものは疑ってみることが必要だ、といういい事例にもなるはずだ。


イスラーム世界への窓口としてのバンコク

 日本にいると気がつきにくいが、バンコクはある意味で、国際的な中継地点として、貿易金融だけでなく人の行き来も含めた、イスラーム世界への窓口としての機能も果たしているのである。

 イスラーム金融にかんしてはマレーシアが覇権をとろうと国家戦略レベルで取り組んでいるが、バンコクもまたイスラーム世界への窓口であることは知っておいたほうがいい。

 バンコクの繁華街ナーナー(Nana)には、イスラーム諸国の大使館やアラブ人街がある。

 このエリアに立地するバンコクでもっとも有名なバムルンラート病院(Bamrungrat Hospital)には、タイ政府も積極的にチカラを入れている「メディカル・ツーリズム」(medical tourism)で長期間逗留するアラブ人たちが非常に多い。メディカル・ツーリズムとは、観光と医療サービスをセットにしたパッケージツアーのことである。英語では health care vacation とも表現している。

(バンコクのアラブ人街には長期滞在者も多い)

 ちなみにこの病院にはアラビア語のほか、日本語の通訳も常駐しており、安心して治療を受けられる。私もこの病院で日本語通訳を介した医者とのやりとりを体験した。

 アラブ人は家族を引き連れて滞在しており、ブルカという黒いベールをかぶった女性が街中を闊歩して、露店で値切り交渉をしている光景を目にする。

 冒頭で触れた、新しい国際空港であるスワンナプーム空港から市内に入る高速道路沿いに立つ立派なモスクは、現在ではほぼ建設が完了した。

 資金難で一時期建設が中断されていたようであるが、リーマンショック前に空前の投資ブームにわいた中東マネーが流入した結果、ついに完成にいたったという話をきいている。

 バンコクに行かれる際は、高速道路をを走行中にしっかりと目を開いて、壮麗なモスクを目に焼き付けてほしいものだ。


 タイは仏教国であるが、そもそも日本の大乗仏教とは大きく異なる上座仏教(テーラヴァーダ)であり、しかも予想外に多いムスリム人口を抱えた国でもある。

 ある意味、日本人の常識をはるかに越えた多様性に満ちた国なのだ。

 そんなタイの、もうひとつ重要なマイノリティについては、次回取り上げる。 


・・「タイのムスリム」について一冊にまとまった数少ない本


・・最新の研究成果が反映されたこの本は参照すべき重要文献


・・ローカル路線バスでバンコク郊外のムスリム居住地帯にいける


PS 関連資料を追加しリンクも更新した(2013年12月5日 プミポン国王誕生日に記す)。よみやすさを増すために改行を増やし、あらたに小見出しを加えた。写真を大判にしキャプションも加えた (2014年2月2日)。


* タイのあれこれ(19)につづく。次回もタイのマイノリティ



<関連サイト>

Islam in Thailand (wikipedia 英語版) (2013年1月22日 追加)



<ブログ内関連記事>

バンコクのアラブ人街-メディカル・ツーリズムにかんする一視点・・この記事では、バンコクに長期滞在しているアラブ人について書いてある。

「第76回 GRIPSフォーラム」でタイの政治家スリン博士の話を聞いてきた(2013年4月15日)-前ASEAN事務総長による「日本待望論」

「マレーシア・ハラール・マーケット投資セミナー」(JETRO主催、農水省後援)に参加

日本のスシは 「ハラール」 である!-増大するムスリム(=イスラーム教徒)人口を考慮にいれる時代が来ている

書評 『マレーシア新時代-高所得国入り-(第2版)』(三木敏夫、創成社新書、2013)-「進む社会経済のイスラーム化」は必読

本日よりイスラーム世界ではラマダーン(断食月)入り
・・井筒俊彦訳の『コーラン』(クルアーン)についても言及。『ハディース』の詳細についても。

書評 『ハビビな人々-アジア、イスラムの「お金がなくても人生を楽しむ」方法-』(中山茂大、文藝春秋社、2010)

書評 『日本のムスリム社会』(桜井啓子、ちくま新書、2003)

書評 『緑の資本論』(中沢新一、ちくま学芸文庫、2009)-イスラーム経済思想の宗教的バックグラウンドに見いだした『緑の資本論』


「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)                   
     
(2014年2月2日 情報追加)






(2012年7月3日発売の拙著です)






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