2010年3月6日土曜日

「急がば回れ」ー スイスをよりよく知るためには、地理的条件を踏まえたうえで歴史を知ることが何よりも重要だ




スイスといえば、観光業や金融業だけではなく機械産業でもある、という連想が働くのは、私は以前に機械部品産業に身を置いた経験があるためだろう。

 現在では工作機械産業をはじめとした機械産業といえば、日本勢が圧倒的な市場支配をし、これに価格攻勢を強めて追い上げる台湾という構図があるが、こうしたアジア勢は機械+電子制御技術でのし上がってきたというのが、業界関係者の一致した見解である。

 機械を使う側からみれば、機械の性能にかんしては、やはりなんといってもスイス製やドイツ製に限る!というのはいまでもよく聞く話である。

 実際、北ドイツのハノーファーで毎年一回開催される、世界最大の機械関連の見本市「ハノーバー・メッセ」においては、ヨーロッパの機械産業の底力を見ることができるのである。写真は、スイス産業ブースのものである。
 

 スイスで機械といえば、まず何よりも機械時計をあげなくてはならないところだが、私自身に高級腕時計を収集する趣味はないので、この話題は簡単に済ませておくが、基本的にスイスのフランス語圏が、伝統的な時計産業の中心となる。

 理由は、歴史的にみてみなければならない。現在のスイスのフランス語圏ジュネーヴで始まった、神学者ジャン・カルヴァン(Jean Calvin)による「宗教改革運動」(1536~1564)は、フランスにも拡大していったのだが、その後激しい宗教戦争を巻き起こすことになる。最終的にフランス国王アンリ4世による「ナントの勅令」(1598)によって、はじめて個人の信仰が認められ、カトリックとプロテスタントの融和が図られることとなった。宗教戦争の渦中の1572年におきた「聖バルトルメの虐殺」(セント・バーソロミュー)については、イサベル・アジャーニ主演の『王妃マルゴ』の舞台背景である。

 プロテスタントのなかでも最も厳格なカルヴィニズムが、その後産業資本主義の原動力となっていったことは、マックス・ウェーバーの『プロテスタントの倫理と資本主義の精神』に詳しいが、彼らはフランスでは「ユグノー」と総称されていた。

 フランスから逃れてスイスの山中に避難していった彼らが持ち込んだのは、教会の聖器や十字架製作で培った金属加工技術であり、これが精密機械時計を選択する土台となったのである(1554年)。


 その後フランスでは、太陽王ルイ14世による「ナントの勅令廃止」(1685年)という天下の愚策により、産業資本主義の担い手であったユグノー(フランス人プロテスタント)は、難民としてスイスやドイツに大量に脱出、その後のドイツ語圏の産業振興に大いにチカラを発揮したことは、機械産業の歴史においては常識となってもいい歴史的事実だ。ドイツ語圏だけでなく、英国やオランダにも大量に受け入れられて、産業資本主義の基盤となっている。

 たとえば、プロイセン王国のフリードリヒ2世(大王)は、ユグノーを大量に誘致し、三十年戦争で疲弊した北ドイツの復興に大いに活用した。その痕跡は、ベルリンがドイツではもっともフランス的な都市であることに残っている。ベルリンの地名にはフランス語経由のものが多い。

 技術(テクノロジー)や技能(スキル)は人と一緒に移動する。技術と技能を身につけた難民の移動は、図らずも技術移転をもたらしたことになる。同様の事例は、1492年のスペインからのユダヤ人追放によって、金融業の知識をもったユダヤ人を大量に受け入れたオスマントルコ帝国が、ヴェネツィアを凌駕して地中海の覇者になったというものもある。中国によるチベット弾圧によって全世界に散らばったチベット難民によって、チベット仏教が西洋や米国に拡がったことも付け加えていいかもしれない。


 近年では「機械の時代」は終わった、いまは「生物の時代」だ、という声もよく耳にするところであるが、比喩的な意味はさておき、やはり何といっても機械は現代文明の基本中の基本であることはいうまでもない。いまこの文章を書いているPCも、ソフトウェア以外は機械そのものである。

 機械が何よりも近代ヨーロッパを中心に発達したことは、西欧文明そのものにかかわるものであり、このテーマは掘り下げれば非常に面白いのだが、とても書ききれないので、ここらへんでやめておこう。


 話をスイスに戻せば、機械時計を中心にした機械産業だけでなく、紡織産業における機械の発達武装中立を維持するための全方位的傭兵派兵政策がもたらした、送金ネットワーク構築と外貨蓄積を出発点とした金融業(プライベートバンク)傭兵たちが欧州各地で築き上げた海外貿易ネットワーク氷河の豊富な水力を利用した水力発電紙とエンピツだけあればできる保険業・・・と発展していったスイスの歴史は、現代産業を考える上できわめて面白い事例となっている。

 現代の巨大多国籍企業がなぜスイスに生まれたかを知るには、経営学者マイケル・ポーター国の競争優位 上下』(ダイヤモンド社、1992)のスイスの項を読めば参考になるだろう。


こういった歴史をしるためには、何よりも地理的条件を押さえたうえで、歴史をみるのが回り道のようにみえて実は手っ取り早い「急がば回れ」である。

 歴史を知るためには、物語 スイスの歴史-知恵ある孤高の小国-』(森田安一、中公新書、2000)が、スイスの通史としてはコンパクトにまとまっており、たいへん参考になる。

 何よりもスイスは連邦国家であり、キリスト教をベースにした連邦国家という意味においては、米国(=アメリカ合州国)の原型ともいえる。「武装中立」や「連邦制」などの抽象的な概念も、歴史のなかに位置づけて考えてみると、具体的に理解しやすくなる。

 また歴史を押さえた上で、現在のスイスについて知りたければ、ヨーロッパ読本 スイス』(森田安一/巽 共二編、河出書房新社、2007)が格好のガイドになる。
 こういった読書を踏まえたうえで、スイスが日本のモデルになるかどうか、じっくりと考えてみたいものである。


 スイスについては、トマス・マンの『魔の山』のダヴォスユング心理学のチューリヒレーニンのチューリヒ「アスコーナ・コロニー」ギリシア古典学専攻のニーチェをバーゼル 呼び寄せたヤーコプ・ブルックハルト国際連盟日本代表であった新渡戸稲造と柳田國男のジュネーヴ、阿部謹也の翻訳による『放浪学生プラッターの手記-スイスのルネサンス人-』のバーゼルなど、他に触れたいことは多々あるのだが、これらは機会があればまたということで。

 スイスは、バーゼルとベルン、チューリヒなどしかいったことのない私自身がスイスについて語るのは、あくまでも周辺から「群盲象をなでる」のみである。



<参考サイト>

swissinfo.ch 世界に発信 スイスのニュース
スイス外国企業誘致局



<ブログ内関連記事>

書評  『ブランド王国スイスの秘密』(磯山友幸、日経BP社、2006)
・・ビジネスパーソンにとっては「ブランド王国スイス」という捉え方が面白い

書評 『マネーの公理-スイスの銀行家に学ぶ儲けのルール-』(マックス・ギュンター、マックス・ギュンター、林 康史=監訳、石川由美子訳、日経BP社、2005)
・・「マネーの防衛」というのがスイス流の投機。セキュリティの観点から投資と投機を考える

書評 『民間防衛-あらゆる危険から身をまもる-』(スイス政府編、原書房編集部訳、原書房、1970、新装版1995、新装版2003)
・・スイスといえば、いまでは「国民皆兵」は日本人の常識になったことと思う。スイス人の家庭には、一家に一冊備え付けなのが、この本と銃器一式!

書評 『スイス探訪-したたかなスイス人のしなやかな生き方-』(國松孝次、角川文庫、2006 単行本初版 2003)
・・とはいえ、スイスも曲がり角にきていることが、スイス大使として赴任した國松元警視庁長官のやわらかな筆致で描かれている

1980年代に出版された、日本女性の手になる二冊の「スイス本」・・・犬養道子の『私のスイス』 と 八木あき子の 『二十世紀の迷信 理想国家スイス』・・・を振り返っておこう
・・現在から30年前はまだスイスは観光先としてしか認識されていなかったようだ。そういう現状認識への異議申し立ての内容でもある

ペスタロッチは52歳で「教育」という天命に目覚めた
・・「預言者故郷に容れられず」という格言があるが、理想主義者のペスタロッチの試みは、すくなくとも生前においては故国のスイスでは受け入れられなかった。」

「チューリヒ美術館展-印象派からシュルレアリスムまで-」(国立新美術館)にいってきた(2014年11月26日)-チューリヒ美術館は、もっている!

「フェルディナント・ホドラー展」(国立西洋美術館)にいってきた(2014年11月11日)-知られざる「スイスの国民画家」と「近代舞踊」の関係について知る

(2016年3月7日 情報追加)


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