といっても天の邪鬼な私は、見開き一ページ目から雑誌を読むことはまずありません。とくに新装版以来、綴じ込み付録の増えた「クーリエ・ジャポン」、ビジネスマンである私はまず "Courrier bis" から読み始めるのが習慣となりました。
もうまもなく来月号があと一週間以内にでるという今頃になって、8月号を全部読み終えました(汗;
旬の素材を料理した「おまかせ」がたったの780円(!)、高級料亭では考えられないような低価格ですね。これで採算取れてるのでしょうかと、ちょっと心配になってしまいますが、とてもとても1時間では食べきれません。
でも世界中からかき集めてきた断片的な情報も、「おまかせ」という形で提供されて、まるごと一冊をぜんぶ読むと、いろいろなことが見えてくるのは面白い体験です。
もしかすると、編集長の意図を越えたものが読み取れるかもしれませんので、私なりの読みを今月もご紹介いたしましょう。
ではまず、今月号の特集から。
■ツイッター時代の「人間関係論」-人生を変える "つながる力"■
日本語だとまだまだ「ツイッター時代」といわなければならないのがつらいところですね。昨年、日本でも爆発したツイッター(Twitter)ブームですが、米国では「フェースブック」(Facebook)のほうが先行しています。SNSといえばフェースブックですから、米国の文脈でいえば、「フェースブック時代」というのが、記事の内容からみても適当なところなのですが・・・
日本でもこのところ急激な勢いでフェースブックが拡がり始めているので、いずれ近い将来に「クーリエ」でも「フェースブック」で特集組んでみてはいいかもしれません。
実は私も、「クーリエ 5・6月合併号」で「Future 1 未来を創る「新エクセレント・カンパニー」BEST50(Source:Fast Company)」でフェースブックが一位に選ばれたのを読んで、さっそく参加してみました。いまでは、フェースブック上の「お友達」が軽く1,000人を越えています。
同じSNSといても、「ツイッター」と「フェースブック」では大きな違いがあります。それは前者では可能な匿名性が、後者では読んで字のごとく「顔本」(フェース=ブック)であり、実名性がつよく求められることの違いでしょう。
今回の特集で取り上げられた、サイエインス・ライターのクライヴ・トンプソン(Clive Thompson)の手になる二つの文章が、実に読みでがあって勉強になりました。
読んでいて非常に知的で面白いと思って、出所を見てみると New York Times Magazine に掲載された文章であるとわかります。よくディテールまで注意して「クーリエ」を読むと、いろいろなことがわかってくるのが面白いですね。「クーリエ」読みながら、自分でもネットを使っていろいろ調べてみると、深い読みができます。
●「SNSで生まれた「弱い絆」が人間関係を "小さな町" に変える-ネット上での交流が広まるにつれ、人間関係は "本来の姿" に戻りつつある。」 ●「幸せも肥満も "感染" する! 人間関係で分かる、あなたの運命-あなたは知らぬ間に"友人の友人の友人" から影響を受けている?」前者については、先にも書きましたが、私自身もツイッターもブログもフェースブックもやっていますので、そのとおりだと実感しています。
クライブが指摘するように、SNSにかかわることで「自分自身を知る」というのは、まさに書くことによって自分を発見するという意味ですね。自分の内面を掘り下げ、自分を客観的に見て、心が穏やかになる。これだけ読めば「いいこと尽くしだな」といわれそうですが、私自身も自分の経験からいってそのとおりだと思います。
後者にについては、いわゆる「フレーミングハム実験」から得た知見を「弱い絆」から考察した文章ですが。これも実に知的に面白い。ここでいっっていることは、日本語でいえば「朱に交われば赤くなる」というコトワザそのものなのですが、こういった緻密で論理的な文章で読むと、内容について面白いと思うだけでなく、すごく得した気分になるからうれしいものです。
米国のサイエンス・ライターが書くもののクォリティの高さには、本当に感歎させられます。話題の内容を科学的な知見をもとに、一般人にもわかりやすく、かつ知的に面白く読ませる能力。なかなか真似できません。
こういう内容の特集の場合、ぜひ日本人の識者にコメントをつけてもらうといいのではないかと思います。
クライヴ・トンプソンの文章に引用されている、英語で情報発信している日本人社会学者・伊藤瑞子、あるいは直接は言及されていないが、社会学者マーク・グラノヴェッターの「弱い紐帯」(weak ties・・この特集でいっている「弱い絆」に同じ)を紹介している、日本の組織論の大家、神戸大学の金井壽宏教授など。
なぜなら、SNSはビジネス上の「個人の人脈拡大」という実利の点から言及されることが多いのですが、SNSが、既存の組織形態である企業組織における人間関係にどういう影響を及ぼしていくのか、知りたいと思っている人も、少なくないと思います。
組織内の人間関係という観点から、組織人事の専門研究者のコメントが欲しいからです。
自分で調べる人のために、キーワードには原語を併記しておいていただいたほうがいいかもしれません。
「今月のキーワード」にも取り上げられた、アンビエント・アウェアネス(ambient awareness:周囲の雰囲気や情報をとらえられる能力・状態、のこと)についてはいいとして、このほか社会的感染(social contagion)などしたいと思いました。
まさにこのコトバが、SNS時代のキーワードになるからです。
■Courrier bis から ① 「ユーロバブル崩壊」から「他山の石」として日本が得るべき教訓■
ビジネスマンである私が、まず読み始まるのが、先月から始まった新しい企画が Courrier bis です。
今月号では、いままさに旬な話題である「ユーロバブル崩壊」が取り上げられています。「クーリエ」では「ユーロバブル崩壊」という表現は使っていませんが、この問題はバブル崩壊にあると私はとらえています。
「混乱するユーロ経済を他山の石とせよ! 累積する公的債務に進まない財政改革……。欧州の陥った袋小路は、日本の未来図を予感させはしないのか?」、なかなか刺激的な見出しです。
この件については私なりに教訓を導き出してみたいと思います。
日本で行われた先の参議院選挙では、敗退した民主党の党首で首相が、当日の弁明会見で「ギリシア、ギリシア・・」と、何かの一つ覚えのように連呼していました。ああ、一国の首相であるこの人は、問題の本質が何もわかっていないのだなということが、全世界にさらされた一瞬でありました。
「クーリエ」今月号の連載で、ノーベル賞受賞の経済学者ポール・クルーグマンは「迫り来る"失われた10年"」のなかで、「米国はギリシアとは違う。むしろ我が国はますます日本に似てきている・・・」という発言をしています。
期せずして同じ号に掲載されたこの文章から、ロジカルに類推すれば「日本はギリシアではない」という結論が導き出されます。論理式ふうに表現すれば、米国≠ギリシア でかつ 米国≒日本、∴(ゆえに) 日本≠ギリシア という三段論法になりますね。
クルーグマンの趣旨は、日本の二の舞にならないために FED(連邦準備局)は思い切った財政出動をせよということですが、もちろん日本にとってはあまり名誉ある内容ではありません(苦笑)。
私が面白く思ったのは、ギリシアの隣国で歴史的に根深い対立関係にあるトルコ人の、ギリシア危機に対するホンネが紹介されていたことです。こういうことは、直接トルコ人に聞いても、外国人にはなかなかホンネはいわないものです。ああ、やっぱりそう思っているのだなとわかって安心(?)します。トルコの EU加盟の行方にも影響を与えるファクターとして無視できない重要情報です。
また、「ユーロから脱退してスイスと連帯すべし」というオランダ人の発言、これも面白いですね。
官僚主義で非効率なユーロ管理のメカニズムが今回の危機を招いた原因の一つであるとすれば、極端な意見にも聞こえますが、きわめて重要な教訓です。
スイスフランという強い通貨をもつスイスは、EUには加盟しましたが、ユーロ導入は国民投票で拒否しました。強い通貨にはメリットが大きいからです。
ユーロ安が製造業にとってはメリットになる、という議論はよく聞きますが、これに対しても必ずしもそうじゃないんだという論説が収録されており、「クーリエ」のバランス力には感心します。
「大幅なユーロ安は欧州企業にとってプラス材料か」では、ユーロ圏の外に輸出する企業にとっては、ユーロ安は有利になることがあろうとも、ユーロ圏のなかでビジネスが中心の企業にとては、ユーロ安のデメリットである原料高というネガティブ要因がもろにかぶってくるのだという指摘がされています。この意味は日本人も、よく考慮にいれておくべきでしょう。
日本でも「アジア共通通貨」創設論者が少ないのですが、中国元や韓国ウォンと共通通貨を創るのは、目先の経済利益だけをみた近視眼な発想であることが、今回の「ユーロバブル崩壊」で明らかになったのではないでしょうか。
スイスと同様、日本円という強い通貨の国であることを、日本人はメリットとして大いに享受すべきなのです。
これが私が「ユーロバブル崩壊」から得た教訓です。
■Courrier bis から ② 書評に取り上げられた『非才』とグーグル名誉会長の村上憲郎氏の英語勉強法の共通点■
今月号を買っていちばん最初に眼に飛び込んできたのが、グーグル名誉会長の村上憲郎氏の英語勉強法の記事である。「いま3年間、英語をぶっ倒れるくらいやりなさい」。
まったく趣旨には賛成です。それくらいやらなかったら、日本人にとっての外国語である英語が、しかもビジネスで使えるレベルまで上達するのは不可能なことは、ほんとうはみんなわかっていることなのです。しかし、若者におもねらず、本当のことをいってくれた村上さんには敬意を表します。
しかも、期せずして同じことをいっている本が書評に取り上げられているではないですか!
『非才-あなたの子どもを勝者にする成功の科学-』(マシュー・サイド、山形浩生/守岡桜訳、柏書房、2010)という本が、「才能神話を完全否定する新・努力論」というタイトルで紹介されています。
書評のなかで「努力原理主義」という表現も使われていますが、これはまさにグーグル名誉会長の村上憲郎氏といっていることは同じです。
あの剣の達人であった宮本武蔵も、「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とする」といっているように、上達のためには最低3年(≒1千日)は稽古に励め、さらには10年(≒1万日)の稽古が必要だと喝破しているのは、昔から一人前のスシ職人になるには10年かかるといわれてきたように、経験知に基づく真理なのでしょう。
これまた奇しくも、ノンフィクション作家の最相葉月氏と『非才』の翻訳者である山形浩生氏が、「人工合成ゲノム」と「人工DNA」とタイトルこそ違えど、同じ内容を取り上げているのは面白いですね。
とくに山形浩生が The Economist の記事についてのコメントで、「ある程度のビジネスマンが、流し読みでもこんな記事を読んで表層的にでもこうした研究の意義を理解できることには、大きな経済的な意味がある」といってることは、「クーリエ」にも期待したいものですね。
私も The Econmist は昨年まで購読してましたが、個人的に「事業仕分け」して購読を中止、ネット上にアップされた記事だけをピックアップして読んでいる現在ですが、やはり一冊の雑誌のカバーストーリーの意味を考えると、印刷媒体の雑誌のチカラは侮れないものだと思いました。
「クーリエ」も、さらに情報選択の感度をあげて、サイエンスを含めた中期的な問題への読者の目を開いてもらいものだと期待します。
■連載:「中国とインドを読み解くクロス連載 「龍」と「象」の比較学」■
先月号から始まった新特集は実に面白いですね。
今月号では、現代中国を語らせたら第一級のジャーナリスト富坂聰が中国の若者について、現代インドについて語らせたら第一級の中島岳志がインドの若者について紹介しています。からみた中国について、それぞれ執筆しています。
インドの若者については、高学歴エリートの価値観の変化について、中国については、いわば中国版のロスジェネについて語っている。
インドについては、もしかすると昭和30年代の日本(?)なんて感じもする。
一方、中国では一握りのエリートを除けば、就職にあぶれた多くの若者たちが「蟻族」として狭い部屋に密集して暮らし、不動産高騰で「蝸居」しか手に入らず、「車奴」や「房奴」といったローン地獄に苦しんでいるのが実態のようです。
富坂聰氏は、「日本では多くの人が、中国はこれから本格的に経済発展の富を享受する時代に入ると考えている。だが、中国ではこの若者世代こそが、負の遺産の継承者と位置づけられているのだ」という締めの文章を読むとき、なによりも「複眼的な視点」が重要なことを感じます。
■綴じ込み別冊という新企画のことなど■
今月号には、綴じ込みの別冊として、「マルコム・グラッドウェル 著 × 勝間和代 訳 ブローイング・アップ(吹っ飛び)の経済学」が「おまけ」としてついているのは、面白い試みですね。
『まぐれ』や『ブラック・スワン』で著名な、投資家で思想家のタレブについて書かれた文章は、まだ両方とも読んでいない私には、たいへん面白いものでした。
欧文の新聞では、よく日曜版に話題の新刊書の抜粋(excerpts)が掲載されることがありますが、単行本の抜き刷りのようなこの企画は面白いですね。
印刷媒体で実施した「フリー」といってよいでしょうか。
今後も、「クーリエ」には、新しいチャレンジを大いに期待したいものです。
<関連サイト>
・・・特集で選択された記事の執筆者のサイト
・・・「弱い紐帯」(弱い絆)についての先駆的研究を発表した社会学者
マーク・グラノヴェッターの「弱い紐帯」についての論文 The Strength of Weak Ties(英文)
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「ハーバード白熱教室」(NHK ETV)・・・自分のアタマでものを考えさせるための授業とは
・・・書評に取り上げられた『これからの「正義」について話をしよう』について