ここに掲示した写真は、バンコクのアラブ人街にあるエジプト料理店ネフェルティティである。
ネフェルティティは言うまでもなく古代エジプトの女王の名前。ネフェルティティの胸像は現在ベルリンの考古学博物館の目玉展示物だが、エジプトは返還請求をしているものの、ドイツ政府はこれに応じていない。今回の「エジプト民主化革命」の混乱に乗じた、博物館所蔵品の略奪が発生しており、なおさら返還請求に応じることはなくなったといえよう。
さて、エジプト料理についてだが、私はこの店でしかエジプト料理は食べたことはないのだが、コメ料理で量がものすごく多くて文字通り閉口したのであった。炊いたインディカ米のうえにヒツジ肉のマトンがのせられたもの。料理名は覚えていないが、半分も食べないうちに腹が受け付けなくなってしまった。
たしかにエジプトで3年前に、世界的な食料価格高騰を背景にしたコメ暴動が発生したことも理解できる。エジプト人にとってコメは主食の一つである。私は、その機会を最後にエジプト料理は食べていない。
同じアラブ世界といはいえ、レバノン料理は実にうまい。バンコクのアラブ人街のレストランで食べたレバノン料理はうまかった。だがビールなど酒類がいっさいないのが残念だった。ムスリムではなくても例外はないようだ。歓楽街のバンコクなのに・・・
日本でもムスリム人口が増えてきて、礼拝所であるモスクも増加傾向にあるといっても、タイ王国の首都バンコクのようなアラブ人街が形成されているわけではない。
「チュニジア民主化革命」、「エジプト民主化革命」が起爆力となって、アラブ人世界全域に拡大している民衆蜂起は、いま世界ではこの30年間ではなかったほど、中東アラブ諸国の存在が大きくクローズアップされている。
この機会に、バンコクのアラブ人街について、すこし違った視点から書いておきたいと思う。
■タイのメディカル・ツーリズムとバンコクのアラブ人街
バンコク中心部の繁華街ナーナーにアラブ人街がある。BTS(通称スカイトレイン)の高架をはさんで北側がアラブ人街、南側が白人が中心の繁華街と、きれいに棲み分けがなされている。
写真でみればわかるように、この地区全体がアラビア語だらけで、とてもバンコクにいるという感じがしない。これが面白いので、バンコクから引き揚げたあとも、私は好んでこの地区のホテルに宿泊することが多い。先にも書いたように、BTS のナーナー(Nana)駅に近いので交通の便がいいという理由もある。どのホテルもアラブ人ファミリーの長期滞在者で一杯である。
このアラブ人地区にはアラブ諸国だけでなく、インドやパキスタン、ウズベキスタン、イランなどいわゆるイスラーム圏全体のレストランがあってそれぞれの国の料理が食べられるだけでなく、さまざまな業態のサービス業が狭い地区に密集している。
すでに、タイのあれこれ (18) バンコクのムスリムという文章に書いているが、なによりもここにはバムルンラート病院という、タイのメディカル・ツーリズム(医療観光)の中心ともいうべき大病院がある。パキスタン大使館のすぐ近くに立地しているが、この病院には検査や治療のために長期滞在しているアラブ人が実に多い。
病院内ではアラビア語だけでなく日本語など数カ国語の通訳が常駐しており、タイ語も英語もできなくてもまったく不自由はない。診療中にも通訳は同席する。下の写真はバムルンラート病院の玄関である。
病院のなかで多いのは圧倒的にアラブ人たちである。これらのアラブ人たちは家族を同伴して長期滞在している。長期滞在のための各種サービスがこのアラブ人地区には密集して存在するので、安心して過ごすことができるわけだ。
下に掲載した写真は、民間の医療コーディネーター事務所である。アラビア語と英語のみで、タイ語の表記はない。
同じ東南アジアでは、マレーシアは首都クアラルンプールを中心にリゾート地には長期滞在のアラブ人観光客が多いが、マレーシアがイスラーム圏であることを考えればこれは不思議ではない。
バンコクの場合、タイ人のムスリムも少なからずいるとはいえ、基本的にタイは仏教国ではある。やはりなんといっても、バンコクが東西交通の要衝であることが大きいだろう。航空便の便数は国際的なハブ空港をもつバンコクのほうがはるかに多い。
日本でもメディカル・ツーリズムに本格的に取り組もうという方向性もあるようだが、長期滞在には家族同伴であることが常識であるアラブ人にとっては、医療水準の高さだけでなく、飲食を含めた各種アメニティの要素もはるかに大きいことを認識すべきだろう。
ビジネスで海外を飛び回っているようなビジネスマンはさておき、家族の大半は出身地に固有のアラブ料理しか食べないのが普通だからだ。ムスリムである以上、食事がハラール・コンプライアンスであるかどうかが厳しく問われるだけでなく、人間というものは食べ慣れたものにこだわる保守的な性格をもっている。
ロンドンやパリなどの欧州の国際都市を除けば、バンコクほど多種多様なアラブ諸国やイスラーム圏全体の料理を食べることのできる都市はそう多くない。その意味においては、メディカル・ツーリズムにおけるバンコクの優位性は当分ゆらぐことはないと思われる。医療水準が高いだけでなく、病院(=ホスピタル)を中核にしたホスピタリティ産業が、クラスター(=産業集積)として自然発生的に形成されているからだ。競争の激しいバンコクでは、ホテル価格も全体的に抑えられている。一年をとおして寒くないことも大きい。
メディカル・ツーリズムの事業開発に際しては、「点と線」の発想ではなく、「面」の発想が必要ではないだろうか。アラブ人街を作ってしまうくらいの本格的な取り組みと構想力が必要かもしれない。
医療関係者は、ナーナーの南側ではなく、バムルンラート病院を視察するついでに、北側のアラブ人街も一緒に歩き回ることを強くすすめたい。できればそのなかで数日滞在してみるといいと思う。
そのあとで、男性であれば日本人御用達のタニヤでくつろぐといいだろう。女性であればホテルのスパーでくつろぐといい。日本価格の半分以下で十二分にエステが堪能できるはず。
海外に出て異文化のまっただなかにいるとき、いかに慣れ親しんだ文化によって癒されるか、五感をつうじて実感されるはずだ。これは海外に出たアラブ人にとっても同じことである。イマジネーションをフルに発揮してほしい。
P.S. 今年(2011年)は年初から中東世界は「民主化革命」のまっただなかにあるので、アラブ人たちの出足が鈍っているとタイ政府は懸念しているという情報を聞いた。この状況がいつまで続くのかは現時点ではわからない(2011年2月27日 付記)。
<関連サイト>
タイ・バンコクの欧米型病院”経営”と日本の医療[橘玲の世界投資見聞録](Zai オンライン 2013年5月30日)
・・バンコクのサミティヴィエート病院についての取材記事。病室内の写真も掲載
タイでアラブを感じる-ナナ駅近くのアラブ人街を歩く (ティラキタ駱駝通信、2013年4月25日)
(2017年5月27日 情報追加)
<ブログ内関連記事>
タイのあれこれ (18) バンコクのムスリム
・・この記事では、タイ人ムスリムを中心に書いてある。
本日よりイスラーム世界ではラマダーン(断食月)入り
・・井筒俊彦訳の『コーラン』(クルアーン)についても言及。『ハディース』の詳細についても。
「マレーシア・ハラール・マーケット投資セミナー」(JETRO主催、農水省後援)に参加
書評 『ハビビな人々-アジア、イスラムの「お金がなくても人生を楽しむ」方法-』(中山茂大、文藝春秋社、2010)
書評 『日本のムスリム社会』(桜井啓子、ちくま新書、2003)
「ナマステ・インディア2010」(代々木公園)にいってきた & 東京ジャーミイ(="代々木上原のモスク")見学記
「イスラム横町」に行ってみた(2015年5月17日)-東京・新大久保でハラール・フードの世界を知る
(2016年1月24日 情報追加)
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