2011年4月24日日曜日

大震災のあと余震がつづくいま 『方丈記』 を読むことの意味


 行く川のながれは絶えずして、しかも本(もと)の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし・・・

 鴨長明の『方丈記』、さすがにこの冒頭の数行をまったく聞いたこともないという人は少ないだろう。

 いまでも、高校の古文の授業では、『徒然草』や『伊勢物語』、『源氏物語』、『奥の細道』などとならんで、かならず暗誦をもとめられるはずだ。

 仏教的無常観と自然科学的観察が合致した、簡潔で味わい深い文章。日本人の精神を深いところで規定している、諦念(あきらめ)の精神やうつろいの美意識を端的に表現したものだろう。

 今回の「東北関東大震災」と「大津波」に際して、けっして騒ぎ立てることのない日本人の姿をみて、当初は外国人ジャーナリストたちは賞賛を惜しまなかった。「日本人はまるでストア派のようである」、と。

 ストア派とは、エピクテートスに代表されるギリシア後期ヘレニズム期の倫理哲学者たちのことだ。ストイック(stoic)というコトバの語源がそこにある。『自省録』をギリシア語で書いたローマ皇帝マルクス・アウレリウスもそこに含まれる。

 たしかに、喜怒哀楽を全面的に爆発させる韓国人や中国人とは、あきらかに異なるのが日本人の態度である。アイゴーやアイヤーと絶叫し泣き叫ぶ姿は、フツーの日本人からみるときわめて異様であり、エキゾチックですらある。この点は、日本人は果たしてアジア人か(?)という、大いに議論すべき重要なポイントだ

 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が書いた文章のなかにも、日本人のそうした心の持ち方や態度を描いた作品がいくつかある。「顔で笑って心で泣いて」は、いまの時代でも変わらず日本人を日本人たらしめているのかもしれない。けっして感情の温度が低いわけではない。それをさして「草食系」と呼びたければ呼べばいいだけの話だ。

 日本人のように、運命を運命そのものとし受け入れること(amor fati)、事実を事実として虚心坦懐に受け止めること、これはきわめて雄々しい態度ではないか。まさにストア派的である。

 とはいえ、極端なリゴリズム(=厳格主義)というガマンの精神も、いい面ばかりでないことは言うまでもない。明治初期の浄土真宗の僧侶で仏教学者であった清沢満之(まんし)は、将来を嘱望されていた学者であったが、エピクテートスを熟読し、厳格なストイックな生活を自らに強いた結果、肺結核を発病し、惜しいかな寿命を縮めている。明治時代の日本人にはストア派哲学を受け入れやすい土壌もあった。

 言挙げすべきことは言挙げする。さきほど、米TIME誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出された南相馬市長の桜井さんのように。日本人がこのように言い出したときは、ほんとうにガマンが決壊したときである。忍の一字でガマンにガマンを重ね、しかしもうそれ以上ガマンの限界を超えたときの日本人の怒りはすさまじい。

 怒るときには怒らねばならない。ダライラマも言われるように「慈悲の心をもって怒れ!」。それは私利私欲にもとづいた濁った怒りではなく、公憤という透明な怒りであるから。静かな怒りであるから。


虚心坦懐に『方丈記』の書き出しを味わってみる

 筆が大幅にそれてしまった。本題である『方丈記』に戻ろう。まずは、冒頭の一節を含む最初の文章をじっくりと味わってみましょう。私もこうやってじっくり読むのは高校時代以来のことです。

 行く川のながれは絶えずして、しかも本(もと)の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
 世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れてことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。
 所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに 生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。
 又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。

(出典)Japanese Text Initiative 所収の「方丈記」(Hojoki)。Japanese Text Initiative は、バージニア大学図書館エレクトロニック・テキスト・センターとピッツバーグ大学東アジア図書館が行っている共同事業。


 「知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る」、この文句は、ゴーギャンがタヒチで描いた有名な絵画作品を思い出す。「我々は何者か、我々はどこへいくのか」

 「あるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず」。その根底ににある「無常観」。常なるものは世の中にはない、瞬間瞬間に変化しているのであるという認識。

 「朝顔の露」という美しいメタファー(隠喩)は、仏教的認識の表現であるとともに、きわめて科学的な観察に基づく認識であるといってよい。

 そもそも仏教的認識は科学的認観察に基づくものだ。いわゆる鎌倉新仏教発生以前の、ありのままを見るという、ほんらいの仏教の精神態度がよくあらわれていると言っていいかもしれない。外部世界の観察をつうじて、同時に自分の心のなかを観察している。


いま『方丈記』を読む意味があるのは「おほなゐ」(大地震)と余震にかんする具体的な記述があるからだ

 さて、いまこそ『方丈記』を読む意味とは、大地震(おほなゐ)の記述があるからだ。全文を読んでもたいした分量ではないのだが、いまこの時点では、この箇所だけでも読んでおきたい。

 元暦2年(1185年)の大地震にかんする貴重な記述である。源平の騒乱の時代、このときの天皇は後鳥羽天皇であった。 3月24日(太陽暦4月25日)壇ノ浦の戦いに平氏一門が滅亡、幼子であった安徳天皇が母親に抱かれて入水している。

 また元暦二年のころ、おほなゐふること侍りき。そのさまよのつねならず。山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、なぎさこぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。いはむや都のほとりには、在々所々堂舍廟塔、一つとして全からず。或はくづれ、或はたふれたる間、塵灰立ちあがりて盛なる煙のごとし。地のふるひ家のやぶるゝ音、いかづちにことならず。家の中に居れば忽にうちひしげなむとす。はしり出づればまた地われさく。羽なければ空へもあがるべからず。龍ならねば雲にのぼらむこと難し。

 おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震なりけるとぞ覺え侍りし。その中に、あるものゝふのひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが、ついぢのおほひの下に小家をつくり、はかなげなるあとなしごとをして遊び侍りしが、俄にくづれうめられて、あとかたなくひらにうちひさがれて、二つの目など一寸ばかりうち出されたるを、父母かゝへて、聲もをしまずかなしみあひて侍りしこそあはれにかなしく見はべりしか。

 子のかなしみにはたけきものも恥を忘れけりと覺えて、いとほしくことわりかなとぞ見はべりし。かくおびたゞしくふることはしばしにて止みにしかども、そのなごりしばしば絶えず。よのつねにおどろくほどの地震、二三十度ふらぬ日はなし。十日廿日過ぎにしかば、やうやうまどほになりて、或は四五度、二三度、もしは一日まぜ、二三日に一度など、大かたそのなごり、三月ばかりや侍りけむ。四大種の中に、水火風はつねに害をなせど、大地に至りては殊なる變をなさず。むかし齊衡のころかとよ、おほなゐふりて、東大寺の佛のみぐし落ちなどして、いみじきことゞも侍りけれど、猶このたびにはしかずとぞ。すなはち人皆あぢきなきことを述べて、いさゝか心のにごりもうすらぐと見えしほどに、月日かさなり年越えしかば、後は言の葉にかけて、いひ出づる人だになし。

*出典は同上。太字ゴチックは引用者(=私)


 すさまじいばかりのディテール描写ではないか。現代語に直しながら、その描写を点検してみよう。

  ●「山が崩れて川を埋めた」・・崩落現象と山津波
  ●「海が傾いて陸を浸した」・・津波である。
  ●「土が避けて水がわき上がった」・・液状化現象だ。
  ●「大きな岩石が割れて谷に転げ落ち、渚を漕ぐ舟は波に漂い、道行く馬は足の踏み場に惑っている」・・すさまじい崩落現象と山津波が目に浮かぶ。
  ●「いわんや、都のほとりでは、至るところで、お寺のお堂や塔も一つとして破壊を免れたものはない。あるものは崩れ、あるものは倒れているが、塵や灰が立ち上がって煙のようだ」・・建物が崩壊して舞い上がる塵や灰
  ●「大地が揺れ動き、家屋が倒れる音は雷鳴そのものだ」・・すさまじいまでの轟音
  ●「家の中にいるとあっという間に押しつぶされかねない。外に走り出せば、地面がわれ裂ける」・・はげしい地割れ

 6歳か7歳の武士の子ども、遊んでいたら倒壊した建物に生き埋めになって両目だけがでている姿を声をあげてなき叫んでいる、あわれをもよおす描写もある。

 余震の程度がひどく、多い日には一日に20~30回、だんだん少なくなっていったが、余震が3ヶ月にわたったことが記されている。

 「3-11」に大震災が発生し、いまだ余震がつづく現在、『方丈記』のこの記述を読むと、リアリティがあることにあらためて、これはそのとおりだと感じさせらるのである。


『方丈記』と現代

 『方丈記』は、おほなゐ(大地震)の記述だけでなく、源平騒乱時代のほとんど末法の世ともいうべきで会った当時のみやこの記憶をつづったものだ。

 いまこの 2011年を「末法の世」とは思わないが、天変地異が大きな歴史的転換をもたらすのは、この国にかぎらず、世界中どこでもそうである。

 しかし、源平騒乱はこの大地震の年に終わっている。壇ノ浦で安徳天皇もろとも平家は入水し、源頼朝による鎌倉幕府へとつながってゆく。

 『方丈記』の舞台は、時代の大きな転換期にあった。「末法の世」もいつまでも続くわけでなく、あらたな秩序が形成され、新しい時代へとつながってゆく。このこともまたアタマのなかにいれておきたい。

 堀田善衛の『方丈記私記』(1971年)も高校時代に読んだ一冊だ。戦乱に明け暮れた末法の世の中を描いた方丈記を、戦争を中国大陸で体験した著者が現代の視点で読み解いた作品。『方丈記』以上に印象深い作品である。

 高校時代に読んだのは新潮文庫版であったが、現在ではちくま文庫から再刊されて入手可能である。

 あわせて、ぜひ読んで頂ければと思う。





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