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2010年10月29日金曜日

書評 『「気づきの瞑想」を生きる-タイで出家した日本人僧の物語-』(プラ・ユキ・ナラテボー、佼成出版社、2009)-タイの日本人仏教僧の精神のオディッセイと「気づきの瞑想」入門




タイの日本人仏教僧の精神のオディッセイと「気づきの瞑想」入門

 日本の大学を卒業後、タイの大学院に留学中に3ヶ月の予定で「短期出家」したまま、以後20有余年、還俗することなく「開発僧」として森で瞑想修行を続けている日本人テーラヴァーダ仏教僧の精神のオディセイ。そして、「気づき瞑想」をつうじた仏教入門である。

 現在の日本では、スリランカ出身のスマナサーラ長老によるウィパッサナー瞑想法がメインストリームとなっているが、テーラヴァーダ仏教(上座仏教)の瞑想法はスリランカのものに限定されるわけではない。同じく上座仏教であるミャンマーの仏教僧による瞑想法指導もある。

 ただ、タイの仏教僧、しかも日本人によるものはあまりないようだ。「気づきの瞑想法」もウィパッサナー瞑想法であるが、レベリング(・・カラダの動きのひとつひとつにコトバでラベルを貼る瞑想法のテクニック)を行わない、比較的新しいメソッドである。

 米国では「ダイナミック・メディテーション」、中国では「動中禅」といわれているそうだ。詳しくは直接、第3章「気づきの瞑想」をみていただきたいが、なによりも「気づき」と「観察」を重んじる点が、ブッダ本来のあり方なのである。

 本書の著者は1962年生まれの日本人男性、いわゆる "オウム世代" でもあり、現代日本人が抱える精神的な問題を肌身をつうじて熟知している。それだけに、著者の紹介するタイ仏教とその瞑想法は、日本人にココロとカラダにも響くものが大きいのではないだろうか。実際に著者のもとを訪れて、精神的なウツ状態を乗り越えた日本人のケースを読んでいると、そう実感される。

 第2章「タイのテーラワーダ仏教」に描かれた、森の修行僧の一日、朝起きてから、托鉢、食事も含めて行住坐臥すべてが瞑想修行であるという姿勢は、ある意味では、カタチから入ってココロを整えていく生活主観としての瞑想法といっていいかもしれない。日本人にとっても無理なく実践できるものであるといっていいだろう。「気づき」と「観察」によって「観る人」になることが重要なのだ。これがすべての出発点になる。

 仏教学者が書いたのではない、テーラヴァーダ仏教の実践者が書いた智慧に満ちた本。いわゆるスピリチュアルなどの安直な癒しではない、ほんとうの癒しを求めている、悩み、苦しすべての人にぜひ薦めたい本である。


<初出情報>

■bk1書評「タイの日本人仏教僧の精神のオディッセイと「気づきの瞑想」入門」投稿掲載(2010年10月29日)
■amazon書評「タイの日本人仏教僧の精神のオディッセイと「気づきの瞑想」入門」投稿掲載(2010年10月29日)

*再録にあたって加筆した。




目 次

プロローグ
第1章 出家の経緯と開発僧
第2章 タイのテーラワーダ仏教
第3章 気づきの瞑想
第4章 一期一会の出会い
第5章 「気づきの瞑想」を生きるキーワード
あとがき


著者プロフィール

プラユキ・ナラテボー(Phra Yuki Naradevo)

1962年生まれ。タイ・スカトー寺副住職。上智大学卒業後、タイのチュラーロンコン大学大学院に留学。研究テーマは農村開発におけるタイ僧侶の役割。1988年、瞑想指導者として有名なルアンポー・カムキアン師のもとで出家。以後、村人のために物心両面の幸せを目指す「開発僧」として活動する一方、日本とタイを結ぶ架け橋としても活躍。また、在日タイ人の支援活動にも携わっている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)





<書評への付記>

 本文中にも触れられているが、1962年生まれの著者は、オウム真理教(当時)の上祐某とは同い年である。上智大学の卒業。こう書いている私自身、実は1962年生まれであり、おなじ時代の空気を吸った人間として、著者の志向するところには大いに共感するものを感じている。

 バブルにまみれて生きてきた人間は、同時につよく精神性に惹かれていたこと、深い欲望世界のまっただなかにいたからこそ、深い精神性への志向が強いこと、この両者は逆説的に見えながら、実は合わせ鏡のような存在である。

 著者自身、アジア農村支援の NGO活動などにのめり込み、その意味では非常に欲望の強い人間なのではないかと思う。しかし、その NGO活動もそれ自体が、彼自身を苦しめるようになる。捕らわれすぎていたためだ。

 そして、人生をリセット(人生刷新)するために選んだのが「短期出家」であったということなのだ。

 タイでは、男子に生まれた以上、短期であれ出家することは、両親、とくに母親に対する孝養としてもっとも重んじられる徳行の一つである。なぜなら、上座仏教では女性は出家できないからだ。

 著者も、開発学を学ぶために留学した名門チュラロンコーン大学の指導教官に短期出家の件を切り出すと、自分も翌年短期出家するからと非常に喜ばれた、という。まさか、著者本人も指導教官も、そのまま還俗しないで修行を続けることになろうとは夢にも思わなかっただろうが。その後の指導教官の発言が記されていないのが残念だ。

 タイで出家して、手記を書いている日本人は少なくない。

 『タイの僧院にて』を書いた文化人類学者の青木保、『タイ仏教入門』などの著書をもつ元外交官で東南アジア学者の石井米雄といった、「短期出家」を行った体験記を書いている学者以外に、『タイでオモロイ坊主になってもうた』を書いた不動産業から足を洗って出家した元実業家などなど。ちなみにこの藤川チンナワンソ清弘は、現在も還俗することなく出家者を続けている。

 その意味では、本書の著者は、純粋に仏教の道を探求すべく修行し、かつ「開発僧」として活動しているという意味では異色の存在かもしれない。

 「開発僧」とは、1980年代からタイに登場してきた、実際の社会問題を解決するために、ブッダの教えに基づき、瞑想修行だけでなく、一般民衆のなかに入ってともに活動する仏教僧侶のことである。急激な経済成長がもたらす社会問題は、とくに都市部と地方との経済格差だけでなく、環境破壊という形でも顕在化している。「開発僧」の「開発」とは、「経済開発」という意味だけでなく、「人間開発」という意味を兼ねているのである。

 援助するという上から目線ではなく、民衆とともに森林保護や環境保全に取り組んでいるのが、「開発僧」なのである。

 こうした著者の立場は、上座仏教の研究者ではなく、あくまでも実践者としてのものである。著者の発言が実に貴重なものであるのはそこにある。


 著者が監修者になっている『「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方』(カンポン・トーンブンヌム、プラ・ユキ・ナラテボー=監訳、浦崎雅代訳、上田紀行=監修・序、佼成出版社、2007)も一緒に薦めたい。

 もともと体育教師であった1955年生まれのカンポンさんは、24歳の時、水泳の授業の飛び込みで誤って全身打撲の重傷を負い、全身麻痺の障害者となってしまった人。しかし、「気づきの瞑想法」に出会い、すべてをありのままに受け入れることができるようになってからは、苦しむことなく生きることができるようになったという。タイの「乙武君」(『五体不満足』の著者)とでもいうべき人である。

 『「気づきの瞑想」を生きる』にも登場するカンポンさん在家信者だが、同じスカトー寺にいるプラ・ユキ師を訪れる悩み深き日本人に、生きる勇気を与え続けている人でもある。

 「気づき」、そして「観察する」。苦しむ人から苦しみを「観る人」になる。これがすべての解決方法なのである。

 悩み、苦しすべての人にぜひ薦めたい本である。いわゆるスピリチュアルなどの安直な癒しではない、ほんとうの癒しを求めている人は、「気づき」と「観察」から、まず第一歩を始めるべきなのだ。たとえ、仏教者でなくても、瞑想法そのものは身につかないとしても。


<ブログ内関連記事>

書評 『目覚めよ仏教!-ダライ・ラマとの対話-』 (上田紀行、NHKブックス、2007. 文庫版 2010)
・・日本仏教へのアンチテーゼとなっているのは、上座仏教だけではない。大乗仏教のダライラマ法王もまたその一人である。

書評 『銃とジャスミン-アウンサンスーチー、7000日の戦い-』(ティエリー・ファリーズ、山口隆子/竹林 卓訳、ランダムハウス講談社、2008)
・・アウンサンスーチーさんはウィパッサナー瞑想法によって軟禁生活の20年間を乗り切った!

今年も参加した「ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2010」-アジアの上座仏教圏で仕事をする人は・・
・・「書評への付記」で紹介した、日本人が書いたタイ仏教修行体験記についても言及している

タイのあれこれ(4)-カオパンサー(雨安吾入り)
・・上座仏教の「短期出家」はこの雨安吾の三ヶ月間に行われる

タイのあれこれ (16) ワットはアミューズメントパーク
・・バンコク市内のお寺について

書評 『講義ライブ だから仏教は面白い!』(魚川祐司、講談社+α文庫、2015)-これが「仏教のデフォルト」だ!
・・ミャンマーのヤンゴンで瞑想実践と教理研究を行う「仏教研究者」による「初期仏教」入門

(2014年5月17日、2016年1月4日 情報追加)





(2012年7月3日発売の拙著です)








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