(写真の左が著者のアビ・ヴァールブルク)
『蛇儀礼』 (アビ・ヴァールブルク、三島憲一訳、岩波文庫、2008)という本があります。岩波文庫で100ページ以内の講演記録に、ドイツ版の解説の翻訳と、翻訳者による解説がつけられた200ページ程度の本です。
講演内容ですので、語り口もやさしい日本語になっており、読むこと自体はさして難しくないでしょう。
著者のアビ・ヴァールブルク(1866~1929)は、北ドイツの国際都市ハンブルクに生まれ、そこで人生の大半を過ごしたユダヤ系ドイツ人の在野の美術史家。ヴァールブルク図書館という私設図書館を後世に残したことで知られています。この図書館は、ナチスから逃れてロンドンに移設することに成功しています。
第一次大戦のドイツの敗北による不安のなか、精神の病をえてスイスの精神病院に入院することを余儀なくされたのですが、病の回復期に病院長であったビンスヴァンガーに頼んで、1923年に病院内で実施させてもらった講演とのこと。病気回復の証拠として企画した講演なのでした。
内容は、みずから30年前に体験した北米での人類学的フィールドワークを回想しながら「蛇儀礼」について報告し、その意味を考えながら、自らがよって立つ西欧文明のなかに、古代的要素を見出すための手掛かりを得たことに触れたものです。
著者の問題意識は、講演の最初で著者自らが語っている次の文章に表現されているといっていいでしょう。
(・・生きた蛇の舞踊とは)ヨーロッパの異教的古代にも似たような現象があるので、それを瞥見することで、最後に次のような問いを立ててみたいと思います。それは、未開の異教の世界に始まり、古典古代の異教世界を経て近代的人間の世界に発展させていく変化を見る基準を、プエブロ=インディアンのなかでまだ生きているおうした異教的な世界観が、どの程度まで与えてくれるだろうか、という問題です。
西欧人が見たアメリカ原住民の蛇信仰の諸相が語られますが、蛇信仰はじつは世界共通のものだといっていいのです。西欧文明においては、キリスト教がそれを抑圧してきたのですが、それ以外の文明ではかならずしもそうではない。
西欧人でありながらユダヤ人であることに悩みつづけた著者は、ハンブルクの著名な銀行家ヴァールブルク家の長男に生まれながら家督相続を拒否し、さらにはユダヤ教からも遠ざかるのですが、いくら自分の意識のなかでユダヤ性を遠ざけても、自分を見る周囲の目にはユダヤ人でしかないという矛盾を感ぜずにはいられないのでした。こうした自己認識と他者認識のズレが繊細な精神をもつ著者を、最終的に精神の病に追い込んだようです。
ドイツ人という西欧人であるはずの自分のなかに棲むユダヤというオリエント性、それは「魔術からの解放」されたはずの近代人の「合理性」のなかにひそむ古代人の「非合理性」を発見せざるをえないことのキッカケになったのかもしれません。
近代西欧世界に生きてききたユダヤ人の宿命、これは強いられた開国によって近代化=西欧化の世界に生きることになった日本人と共通する問題かもしれません。
しかし、みずからの内なる古代性を発見するのに、日本人の場合は北米のインディアン(=ネイティブ・アメリカン)を見る必要はなかったといっていいでしょう。なぜなら、近代日本においてもそこらじゅうに古代日本が転がっているからです。これは21世紀の現在でも変わりません。
古代日本人の原始蛇信仰については、蛇は古代日本人にとって神であった!-独創的な民俗学者であった吉野裕子の名著 『蛇』 を読んでみよう をご参照いただきたく。
西欧人にとって、みずからの内なる古代性を認識するのは、容易ではなかったようですね。いや、いまでも知識人以外には困難なことかもしれません。
<附録> 銀行家ヴァールブルクをめぐるあれこれ
書評 『マネーの公理-スイスの銀行家に学ぶ儲けのルール-』(マックス・ギュンター、マックス・ギュンター、林 康史=監訳、石川由美子訳、日経BP社、2005) に書いた文章を再録しておこう。
S.G.ウォーバーグ証券は、英国の老舗マーチャントバンクであったが、スイス銀行に買収されて SBC ウォーバーグとなっていた。「金融ビッグバン」による「ウィンブルドン化」などという表現が一世を風靡していた頃の話である。
SBC ウォーバーグは、さらに長銀と合弁することにより、長銀SBCウォーバーグとなったが、のちに UBS 証券となってウォーバーグの名前も消えてしまった。UBS のサイト(日本語版)に、度重なる合併によって警世された UBS の歴史が掲載されている。
英語読みのウォーバーグ(Warburg)は、ドイツ語ではワールブルクである。ハンブルクのユダヤ系銀行家一族からは、有名な美術史家アビ・ワールブルクがでている。かの有名なワールブルク文庫を残した学者である。
ちなみに、晩年の白洲次郎が S.G.ウォーバーグ証券の「顧問」となっていたことは、『風の男 白洲次郎』(青柳次郎、新潮社、1997)に記されている。S.G.ウォーバーグ証券の創業者ジグムント・ウォーバーグとの個人的友情から引き受けたものらしい。ジャック・アタリが執筆した、S.G.ウォーバーグ証券の創業者ジグムント・ウォーバーグの伝記 Un homme d'influence, 1985 には、白洲次郎の名前が2回でている。白洲次郎が野村證券を紹介した、とある。
白洲次郎が亡くなったとき、S.G.ウォーバーグ社は「白洲ライブラリー」の名前で、ケンブリッジ大学に日本学関連の膨大な図書を寄贈した、という。
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