2016年8月25日木曜日

書評『韓流経営LINE』(NewsPicks取材班、扶桑社新書、2016)』-メッセンジャーアプリの LINE は 「ステルス戦法」によって日本市場を足がかりに国際化


 「LINE(ライン)は日本発のメッセンジャーアプリだ」みたいな言説があふれかえっているが、じっさいのところはどうなのか。

そんな疑問を感じていた、「週刊ダイヤモンド」出身の経済記者たちが徹底取材で解き明かしたのが。『韓流経営LINE』(NewsPicks取材班、扶桑社新書、2016)。面白い内容の本だ。

 親会社の「NAVERまとめ」で知られる NAVER(ネイバー社)は、「純韓国製」のIT企業。その100%子会社だったのが LINE(ライン)。現在は日米同時上場を実現したので、親会社の持ち株比率は80%に下がっているとはいえ(・・その出身比率の謎も本書のテーマの一つ)、それでも経営支配権が韓国サイドにあることには変わりない。

ではタイトルにある「韓流経営」とは何か?

韓国は1997年のIMFショックで経済がガタガタになり、その後、逆転を図るために、国家主導で一気にネット化を進めた国。IT化にかんしては日本より先行しているからこそ生まれてきたのが、NAVER や LINE のような技術志向の強い会社だ。

少子高齢化とはいえ、日本のようにまだ人口が1億人以上もいる市場とは違って、韓国は人口がすでに5千万人を切って市場規模の小さな国成長路線をとる以上、どうしても海外市場を視野に入れなければならないのは、韓国企業にとっては必然というか宿命だ。

そこで、文化的に近いと考えられる日本市場をあしがかりにして国際展開を進めようとしたのが、LINEというわけなのだ。2011年の「3・11」がキッカケになって普及が一気に進んだことは事実であるが、「純和製アプリ」ではないことも本書で明らかにされている。

韓国企業にとっては追い風であるはずだった「韓流ブーム」は、日本では一時期の流行のあと現在では消えてしまい、「嫌韓ムード」さえ強まるばかりの日本では、韓国企業であることを前面出したのではビジネス展開が難しい

ではどうするか? その答えが、「ステルス戦法」となったわけなのだ。著者たちは「ステルス」とは表現していないが、ある意味では日本人ユーザーを「純和製」といったイメージを前面に出すことで目くらましをしてきたわけであり、「ステルス戦法」といっても間違いではないだろう。

韓国企業のグローバル戦略(国際戦略)のケーススタディとして興味深い事例でもある。関心のある人には一読を勧めたい。





目 次

プロローグ 上場前夜、韓国人トップが語った言葉
第1章 LINEを司る謎に満ちた男
第2章 海の向こうにあるもう一つの本社
第3章 開発秘話の「真」と「偽」
第4章 LINEに流れるライブドアの遺伝子
第5章 上場をめぐる、東証の本音
エピローグ なぜLINEは日本から生まれなかったのか?
あとがき

著者プロフィール

NewsPicks取材班
経済情報に特化したニュース共有サービス「NewsPicks」は、ニュースに対する専門家や業界人らのコメントを読むことができる。2016年4月に企業や産業に焦点を当てたオリジナルコンテンツを制作する調査報道チームを新設。後藤直義、池田光史、森川潤の3人が立ち上げメンバーとなり、独自のテーマで取材執筆活動を展開している。


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書評 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(古田博司、WAC、2014)-フツーの日本人が感じている「実感」を韓国研究40年の著者が明快に裏付ける


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2016年8月23日火曜日

71年目の「原爆記念日」も「終戦記念日」も、ちょうど同時期に開催された「2016年リオ・オリンピック」での日本選手の活躍でトップニュースではなくなった

(2016年8月22日に関東地方を直撃した台風9号の渦巻き 東電サイトより)

南米ではじめて開催されたオリンピックである、リオ・オリンピックが2016年8月22日に無事終了した。

あっという間の17日間だった。オリンピックには特別な関心があるとはいえないとはいえ、毎朝、目が覚めてテレビをつけると日本選手によるメダル、メダルのラッシュ状態。リオ大会で日本が獲得したメダルは金12、銀8、銅21の計41個で、確定。前回ロンドン大会の38個を超えて史上最多になったのだそうだ。国威発揚とは違う意味で、日本人としては正直いってうれしいことは否定しない。

ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ(=一月の河)は日本からみれば、まさに地球の反対側。ブラジルには、わたしはまだいったことがないが、ロサンゼルスかフロリダを経由して20時間以上かかるフライトを考えると、尻込みしてしまうのも仕方あるまい。まだまだ先の楽しみ(?)に取っておくとしよう。

さて、オリンピックが開催されていたこの17日間、この時期はヒロシマ原爆投下の8月6日、ナガサキの8月9日、「終戦」記念日の8月15日がすっぽり収まってしまうのである。例年なら、まずトップニュースは判を押したように、この話題が連続して続くのが恒例であった。

わたしはいつも日本語のテレビニュースはNHKを視聴しているのだが、今年は例年とは違って、ほとんどの日がオリンピック関連ニュースがトップにくるだけでなく、時間的にも平気で20分以上を占めていたのだ。おいおい、ほかにニュースはないのかよ、とツッコミを入れたくなったのは、わたしだけではないはずだ。

もちろん、日本体操男子が団体が金、柔道で金、テニスの男子シングルズで96年ぶりにメダル、女子レスリングの個人で史上初の女子選手の4連続大会で金メダルなど、つぎつぎにオリンピック関連ニュースが続出すれば、当然といえば当然であったかもしれない。それはそれで、よろしいことだ。

さすがに「終戦」記念日は、トップニュースは数分であったが、式典関連であったが、どうも報道関係者だけでなく、日本全体が厳粛な気分よりも、躁状態を欲していたのではないか、という気がしてきたものである。

もっともオリンピック終了間際になってからは、同時に日本近海で台風が3つも同時に発生、北海道は台風が二回つづけて直撃、関東には台風9号が直撃し、関東と東北で大雨警報がでるなど、トップニュースは台風注意情報になっていた。さすがに自然災害のニュースは取り扱わないわけにはいかない。

昨日8月22日は、ちょうど閉会式であったが、出席したのは小池都知事。東京の顔が、日本の顔がM氏ではなくて良かったが、これはあとから知った情報だ。

NHKでは台風情報のため、オリンピック閉会式の中継は行われなかった。民放では、文字情報で台風情報を流しながら報道していたが。

キャスター出身でTVメディアへの露出が命である小池百合子氏にとっては、せっかくの着物姿なのに、当日のリオの雨模様が残念だったこともさることながら、LIVEで中継されなかったということは大いに誤算であったかもしれない。だが、すでに選挙戦も終わっているし、あまり実損はないのかな? 

さて、すでに「戦後72年」もたつと、いまさらという気持ちが人口構成上では必然の流れとなってくるのではないだろうか。72年前のことを鮮明に記憶している人は、年々減少していく。

ニュースバリューと、ニュースの緊急性と重要性について大いに考えさせられたのであった。来年2017年のちょうど同じ時期はどうなっているのだろうか?



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2016年8月13日土曜日

「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」(国立歴史民俗博物館)に行ってきた(2016年8月12日)-江戸時代後期(=19世紀前半)の日本をモノをつうじて捉える

(国立歴史民俗博物館にて)

「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」(国立歴史民俗博物館・千葉県佐倉市)に行ってきた(2016年8月12日)。

「ミュンヘン五大陸博物館」(旧ミュンヘン国立民族学博物館)所蔵のシーボルト収集の日本関連グッズが150年ぶりに里帰りしたのである。明治になってから大量に海外に流出した浮世絵などの日本絵画の「里帰り展」は多いが、日常生活で使用する工芸品や、美術品としてはそれほどのカチが高いわけでもない品々が展示されるのは、考えてみたら珍しいことかもしれない。

フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796~1866)は、オランダ東インド会社所属の医師として19世紀前半の江戸時代後期に来日した。来日したのは1823年、27歳の若さ(!)であった。長崎を拠点に高野長英など医学上の日本人弟子たちを養成、かれらをつうじて、じつに幅広く日本関連グッズを収集し、1828年の帰国に際してヨーロッパに持ち帰っている。

シーボルトは、その当時の日本人の生活関連や工芸品、植物や地図からなにからなにまで収集して日本学研究を行った植物学者であり博物学者でもある。日本人ならシーボルトの名を知らない人は、まずいないのではないだろうか。

(ドイツの切手に採用されたシーボルトの肖像画 wikipediaより)


■シーボルトの来日の背景と当時の欧州情勢

オランダは、1602年に設立された世界最古の株式会社「東インド会社」の拠点をバタフィア(・・現在のインドネシアの首都ジャカルタ)に構えていた。

17世紀はオランダの黄金期であり、欧州における貿易と情報流通の中心地であったが、西欧諸国のなかで日本貿易を独占していたオランダの黄金期は意外と短かった。急速に勃興してきた英国に覇権を奪われたからだ。

フランス革命の混乱のなか、1799年には東インド会社は解散、しかもフランス革命後のナポレオン戦争時代には、混乱に乗じてオランダはフランスに占領され、海外植民地のオランダ領東インドは英国に占領されている。

(国立歴史民俗博物館の展示より「江戸時代の対外関係」地図)

ナポレオン戦争後に回復した国際秩序のウィーン体制(1814年)のもと、英国とオランダの関係は回復し、オランダは共和制から王政に転換する。戦後混乱のなか財政危機に陥ったオランダ本国は、植民地であった東インドの過酷な収奪によって財政再建を図る

1823年にシーボルトが日本に派遣されたのは、まさにこの時期のことであった。オランダ本国政府は財政再建の一環として、オランダ領東インド政庁を介した対日貿易の再建を考えており、シーボルトは日本市場の市場調査がミッションとして与えられていたのである。だからこそ、カネに糸目をつけずに日本の物産を購入することが可能で、地図などの軍事情報の収集も精力的に行ったのであった。

伊能忠敬作成の日本全図をひそかに国外持ち出しを図ったことが露見し、国外追放になった。いわゆる「シーボルト事件」である。1828年のことだ。国外追放処分となったシーボルトは、さらなる日本への渡航を希望していたが入国禁止となっており、「開国」後の日蘭通商条約締結後の1858年まで再来日はできなかった。

「シーボルト事件」にかんしては、『文政十一年のスパイ合戦-検証・謎のシーボルト事件』(秦新二、文春文庫、1996)に詳しく書かれている。同書によれば、幕府自身も地図の一件は知りながらシーボルトを泳がせていたようだ。日本国内の政争も背景にあり、なかなか複雑な構図があったようだ。

ともあれ、シーボルトは地図そのものは持ち出せなかったものの(・・ただし密かに写しを作成し持ち帰っている)、それ以外の日本関連グッズは収集品として大量に持ち帰ることができたのであり、その収集品をもとに「日本博物館」」として展覧を実現したのである。

(国立歴史民俗博物館にて)

医師・博物学者として優秀であったからこそオランダ政府から絶大な信頼を受けていたシーボルトであったが、シーボルトが、オランダ人ではなくドイツ人であったことは意外と知られていないかもしれない。シーボルトの収集品がドイツのミュンヘンで保存されているのはそのためだ。

ドイツ南部のミュンヘンは、当時のバイエルン王国の首都。シーボルトが生まれたのはヴュルツブルクだが、1814年にはバイエルン王国領となっている。そういうわけで、シーボルトはバイエルン王とは関係もあり、展示品のなかには、かの有名なルートヴィヒ2世あての書簡もある。


■江戸時代後期(=19世紀前半)の日本をモノをつうじて捉える

まあ、そういったシーボルトのバックグラウンドはさておき、19世紀前半の日本を、そっくりそのままモノをつうじて知ることができる興味深い企画展になっている。

展示品のなかには、カツオの形をした木製の刺身皿もあり(・・下図参照 『目録』より)、魚の腹の部分がフタになっており、開け閉めできるのが面白い。これなど復刻したら現在でも商品になるのではないかな。とにかく日本人は、小さなモノにかんしてはバツグンの能力を発揮していることが、あらためて確認できる。

(上は弁当箱、下はフタを閉めた状態の刺身皿 『目録』より)

常設展示の江戸時代の展示室とあわせて見学すると、江戸時代の日本がいかにすぐれていたかが実感されることになるはずだ。今回の企画展は、その意味でもおおいに意義のあるものだといえよう。


PS なお、今回の企画展の目録は、『よみがえれ! シーボルトの日本博物館』として青幻社から市販もされている。会場だけでなく、amazonなどのネット書店での購入も可能。






<関連サイト>

「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」 特別サイト


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国立歴史民俗博物館は常設展示が面白い!-城下町佐倉を歩き回る ①

すでに5月にアジサイの花-梅雨の時期も近い
・・「シーボルトとお滝さんのエピソードが知られているように、アジサイのラテン語の学名にはオタクサが含まれることになった。」

書評 『オランダ風説書-「鎖国」日本に語られた「世界」-』(松方冬子、中公新書、2010)-本書の隠れたテーマは17世紀から19世紀までの「東南アジア」
・・「当時のオランダは、世界最古の株式会社といわれる「東インド会社」の拠点をバタフィア(・・現在のインドネシアの首都ジャカルタ)に構えていた。17世紀はオランダの黄金期であり、欧州における貿易と情報流通の中心地であったが、最盛期は意外と短く、覇権は英国に奪われる。」 

書評 『西欧の植民地喪失と日本-オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所-』(ルディ・カウスブルック、近藤紀子訳、草思社、1998)-オランダ人にとって東インド(=インドネシア)喪失とは何であったのか

9月になると紫色の実をつけるムラサキシキブの学名(Callicarpa japonica)はツンベルクの命名
・・「スウェーデン人のツンベルク(Carl Peter Thunberg 1743~1828)は、「分類学の父」であるカール・フォン・リンネ(1707~1778)の弟子。18世紀後半にオランダ東インド会社の商館に医師として来日することに成功し、日本滞在はわずか一年間であったが、精力的に日本の植物を調査した。日本では19世紀になってから来日したドイツ人のシーボルトの方が有名だが、学問世界、とくに分類学への貢献という点ではツンベルクはきわめて大きな存在である。」

(2017年10月14日 情報追加)




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2016年8月12日金曜日

ゴーヤ棚はすでに日本の夏の風物詩


真夏日が連続している日本だが、ゴーヤ棚をよく見かけるようになった。

日よけ目的と、実を収穫できる一石二鳥の実益から普及してきたものだが、すでに日本の夏の風物詩となりつつあるのだろうか。

東南アジアで普及しているゴーヤだが、日本ではまず沖縄野菜として登場した。いまでは内地でも広く栽培されている。関東では群馬県産が多い。もはや苦瓜と呼ばれることもほとんどなくなった。

かつてはヘチマやヒョウタンがその役割を果たしていたように思うのだが、ヘチマ棚やヒョウタン棚はあまり見かけなくなったような気もする。

ヘチマの大きな実は食べられないが、乾燥させてタネを除くと、カラダをゴシゴシ洗うブラシとして活用できるし、茎から採取したヘチマ水は美容液にもなる。小学生の頃、学校でそんな作業を手伝った記憶がある。

思うに、日よけ目的なら江戸時代以来の朝顔のほうがいいのではないかな。朝顔はもっぱら花を観賞するのが目的だが、8月いっぱいは花が咲き続けるだけでなく、そう簡単に夏枯れしない生命力がある。

朝顔に対して、写真のゴーヤ棚もうそうだが、ゴーヤは8月中旬ですでに葉っぱは黄ばんで枯れ始めている。これでは直射日光を完全には遮れないだろう。実も完熟すると、真っ黄色になって縮んでしまうしね。

真夏日がつづく日本列島。日本の8月の暑さは世界的に見ても過酷なものの一つだ。ゴーヤであれ、ヘチマであれ、朝顔であれ、植物のつくる緑陰はじつに心地よい。

俳句の季語として「ゴーヤ棚」が定着するのも、そう遠い将来のことではないだろう。



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2016年8月11日木曜日

真夏日のそこにあるのはセミの穴-足元を見よ!④ 


梅雨があけてからは暑い日が続いている。セミの鳴き声がまた暑さを倍加させる。

そんなときは足元を見よ!

なんでこんなに穴が開いているのだ? この穴は、セミが出てくるために開かれた穴だ。

だからこの穴のなかには何もない。抜け殻も地上にはないのがふつうだ。 だがよく探して欲しい。この写真のなかにセミの抜け殻、つまり空蝉(うつせみ)が転がっている。

こんな穴のなかでセミは幼虫として7年間(!)も生きて樹液を吸って生きてきたのかと思うと、なんだかとても不思議な気持ちになる。

(ブログ記事執筆後にあらたに発見したセミの穴)

さなぎの状態から地上にはい出て脱皮して成虫へとメタモルフォーシス(=変態: 形態を変えるという意味)してからは、わずか1週間程度で死んでしまう。7年間の地中生活と7日間の地上生活その対比は 2,500 対 1 である!

(2017年8月に撮影したセミの穴 筆者撮影)


セミにおいては幼虫時代が圧倒的に長い。どうしても成虫の状態でのみセミを捉えがちだが、ほんとうは幼虫時代のほうがほんとのセミなのではないか?

ただ繁殖のためにだけ、「生命をつなぐため」に地上にでてくるのだ。そのためのメタモルフォーシス(=変態)であり、わずか1週間のあいだに繁殖目的の決戦状態となる。

カゲロウほどの薄命ではないが、そもそもセミやトンボ、そしてバタフライもそうだが、幼虫時代の長い、変態する昆虫とはいったいどういう存在なのかと考えてしまう。

毎年思うのだが、こんな根源的な問いに答えるのはきわめて難しい。

あなたは答えられますか?








PS 「夏休みの宿題」に「セミの穴」の観察を!

「夏休みの宿題」にお悩みのお子様をお持ちの親御さん、「セミの抜け殻」は当たり前すぎますよ! 狙い目は「セミの穴」ですね。

「セミの穴」の内部をファイバースコープつかってCCDカメラで撮影したりしたら、それはもうすごい「夏休みの研究」となるはず。

もうすでに実行した人もいるかもしれませんが、「セミの穴」も千差万別ですから、やってみる価値はあるでしょう。

(2017年8月10日 記す)






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2016年8月9日火曜日

天皇陛下のお気持ちに応えることこそ日本国民の義務(2016年8月9日)

(おことばを述べられる天皇陛下 出所:宮内庁サイト)


本日(8月9日)ようやく「平成第二の玉音放送」を視聴することができた。「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」(ビデオ)(平成28年8月8日)

天皇陛下の肉声を耳にしつつ、お言葉の全文を目で追いながら、平成になってから二度目の玉音放送を傾聴させていただいた。

そこまで国民のことを深くお考えになられ、象徴天皇としての努めを果たしてこられたのか、と。しかも現在だけでなく、遠くまで見据えて。 まことにもって、かたじけない。それ以外に言葉はない。

日本国民であることのありがたさを感じるとともに、天皇陛下のお気持ちに応えることこそ日本国民の義務であると強く感じる次第であります。

それは「皇室典範」の改正であり、ひいては象徴天皇を規定した「日本国憲法」そのものに深く思いを巡らすことといって過言ではありません。

国民の大半が天皇陛下のお気持ちである「生前退位」に賛同している事実を重く受け取り、現政権は天皇陛下と日本国民の声に従わねばなりません。

それが「主権在民」が意味するものであるのです。






<関連サイト>

Message from His Majesty The Emperor (August 8, 2016) (video)
・・宮内庁のウェブサイトに英語版全文

世界最古の王室の長、天皇陛下の「お気持ち」に海外も強い関心(MAG NEWS 2016年8月9日)



<ブログ内関連記事>

トップに立つ人のコトバが、末端にいるすべてのメンバーに届くものになっていますか?
・・東日本大震災後に国民にむけてのメッセージとして放送された「平成の玉音放送」

書評 『自民党憲法改正草案にダメ出し食らわす!』(小林節+伊藤真、合同出版、2013)-「主権在民」という理念を無視した自民党憲法草案に断固NOを!
・・「(参考) 「天皇陛下お誕生日に際し(平成25年)」で、天皇陛下ご自身による憲法観が述べられている。 「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。」

「主権在民」!-日本国憲法発布から64年目にあたる本日(2011年5月3日)に思うこと

『日本会議の研究』(菅野完、扶桑社新書、2016)は、「いまこの国でひそかに進行していること」を「見える化」した必読の労作だ!
・・天皇退位論に強硬に反対する日本会議のイデオローグたちは、国民の大半と乖離した見解の持ち主である



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2016年8月6日土曜日

書評 『ルポ ニッポン絶望工場』(出井康博、講談社+α新書、2016)-日本人が見て見ぬふりをしようとしている外国人労働の実態


 『ルポ ニッポン絶望工場』(出井康博、講談社+α新書、2016)は今月の新刊。帯に書いてあるように「新聞・TVが報じない「現代の奴隷労働」をフィールドワークによる徹底的な取材で描いたものだ。

 「ブラックバイト」というコトバと実態はすでに日本人の多くが知るところになっており、マスコミでもネットでもやり玉に挙がるようになっているが、コンビニ弁当工場、新聞配達、宅配便仕分け、農業といった人手不足が深刻な現場における外国人労働者の実態については、あまり取り上げられることはない。

新聞やTV報道で取り上げられないのは理由がある。それは日本独自の制度である新聞配達(=宅配)が、いまや外国人「留学生」によって担われているからだ。いわゆる「奨学生」という制度である。自分の足下の話だけに、新聞社はもとより系列にあるTV局も積極的に取り上げないのだろうというのが著者の見解だ。

新聞配達は、夕刊制度のある都市部では早朝と夕方の2回の重労働だが、それでもまじめに勉強したい「留学生」は恵まれているという。夜勤に依存しなくて済むからだ。新聞配達以外では、夜勤のウェイトが高い。「留学生」は昼間は勉強というのがタテマエだからだ。

この本を読む必要があるのは、外国人労働者の多くを占めていた中国人が減少し、いまではベトナム人がそれにとって代わっているという実態を知ることにある。たしかに最近ベトナム人が増えているな、と感じているところだったので、本書の内容は大いに納得できるものだ。

その意味では、カバーの写真として使用されている写真はややミスリーディングだ。ホタテ加工場で働く中国人労働者は、日本人がイメージする外国人労働者なのだが、主役はいまでは中国人ではない。

2008年のリーマンショックで仕事が減少、さらに2011年の「3・11」の大地震と原発事故で中国人ワーカーの多くが帰国している。さらに、「円安」状況がつづくなか、日本円での給料支給では出身国の通貨に換算すると手取りが減ってしまう。日本で働くことは、相対的に魅力がなくなっているのだ。

現在の外国人労働者の中心はベトナム人である。経済発展に乗り遅れたベトナムから日本を目指す者は多い。その中心は「実習生」よりも「留学生」が多い。といっても、勉学が主目的というよりも、労働が目的来日する者が多い。ブローカーへの支払いのため、ともに多額の借金を追っている。

 「実習生」には3年という期限があり再入国できないので、失踪して不法就労する者が少なくないこと、さらには犯罪者予備軍になっていることなど、日本社会にとっては大きな問題だ。

これは「留学生」についても同様だ。 問題は、「実習生」や「留学生」という、タテマエの制度とは乖離した実態と、官僚機構によるピンハネ構造にある。「実習生」や「留学生」をカッコ書きで書いてきたのは、実態は実習生でも留学生でもないからだ。労働力不足だから外国人労働を導入するといえばいいものを、美辞麗句で糊塗するから問題が発生するのだ。まさに「裸の王様」である。

たとえ人手不足に苦しむ日本の雇用主がキチンとした処遇をしたとしても、送り出し国と受け入れ国(=日本)の双方で官僚機構がサヤを抜く構造になっているので、外国人労働者の手取りは極端に低い。手取りが少ないため、来日するためにした借金が返済できないのである。それは人権問題というよりも、端的にいってカネの問題であると著者は指摘している。

せっかくあこがれて日本に来たのに、実態とのギャップがあまりにも大きすぎるために、かえって日本が嫌いになって帰国している外国人労働者たちも少なくない。まことにもって残念なことであり、日本にとってはきわめて大きな損失だ。

現在は世界中で外国人労働者の奪い合い状況となっている。それは高度人材だけではない製造現場や介護など単純労働の現場では慢性的に労働力不足が続いている。日本の魅力がかつてに比べて大幅に減少している結果、そう遠くない将来には外国人労働者が集まらなくなる事態も予想されるのだ。これはじつに恐るべきことだ。日本人は認識を変えなくてはならない。

 「働き方改革」を政策課題として担当大臣まで設定する現政権だが、外国人労働についても考慮に入れなければならないのではないか? 労働問題は、日本人の正規と非正規だけではないのだ。外国人労働者がいなかれば社会全体がうまく回らない状況になっている状況を直視しなくてはならない。

 世の中の実態を知り、考えるために読むべき本である。





目 次

はじめに-復讐される日本
第1章 ベトナム人留学生という "現代の奴隷"
第2章 新聞・テレビが決して報じない「ブラック国家・日本」
第3章 日本への出稼ぎをやめた中国人
第4章 外国人介護士の受け入れが失敗した理由
第5章 日本を見捨てる日系ブラジル人
第6章 犯罪集団化する「奴隷」たちの逆襲
おわりに-英国のEU脱退と日本の移民問題

著者プロフィール

出井康博(いでい・やすひろ)
1965年、岡山県に生まれる。ジャーナリスト。早稲田大学政治経済学部卒業。英字紙「ニッケイ・ウイークリー」記者、米国黒人問題専門のシンクタンク「政治経済研究ジョイント・センター」(ワシントンDC)客員研究員を経て、フリー。 著書には『松下政経塾とは何か』(新潮新書)、『長寿大国の虚構 外国人介護士の現場を追う』(新潮社)、『黒人に最も愛され、FBIに最も恐れられた日本人』(講談社+α文庫)などがある。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<関連サイト>

もはや外国人の「ブラック労働」なしでは成り立たない新聞配達の過酷な現場 「奨学金留学制度」の功罪(出井康博、現代ビジネス、2016年8月26日)

外国人労働者が絶望する「ニッポンのブラック工場」の実態 安すぎる給料、過酷な労働条件…(出井康博、現代ビジネス、2016年8月25日)


(2016年8月27日 項目新設)


<ブログ内関連記事>

書評 『中国貧困絶望工場-「世界の工場」のカラクリ-』(アレクサンドラ・ハーニー、漆嶋 稔訳、日経BP社、2008)-中国がなぜ「世界の工場」となったか、そして今後どうなっていくかのヒントを得ることができる本

書評 『中国絶望工場の若者たち-「ポスト女工哀史」世代の夢と現実-』(福島香織、PHP研究所、2013)-「第二代農民工」の実態に迫るルポと考察

書評 『新・通訳捜査官-実録 北京語刑事 vs. 中国人犯罪者8年闘争-』(坂東忠信、経済界新書、2012)-学者や研究者、エリートたちが語る中国人とはかなり異なる「素の中国人」像

『ストロベリー・ロード 上下』(石川 好、早川書店、1988)を初めて読んでみた
・・外国人労働者としての日本人

書評 『仁義なき宅配-ヤマト vs 佐川 vs 日本郵便 vs アマゾン-』(小学館、2015)-宅配便の「送料無料」は持続可能なビジネスモデルか?

『移住・移民の世界地図』(ラッセル・キング、竹沢尚一郎・稲葉奈々子・高畑幸共訳、丸善出版、2011)で、グローバルな「人口移動」を空間的に把握する




(2012年7月3日発売の拙著です)







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