(ドリップ式コーヒーを淹れたあとに残るコーヒー粉)
たまたまのことだが、特別の意図もなく岩波文庫から復刊された『東潜夫論』という本を拾い読みしていたら面白い記述にぶつかった。
『東潜夫論』(とうせんぷろん)は、江戸時代後期の19世紀の前半に生きた帆足万里(ほあし・ばんり)の著作。1844年頃の成立とされる。帆足万里は、豊後国(現在の大分県)の儒者で経世家だ。おなじく豊後国の三浦梅園、広瀬淡窓と並ぶ存在である。
『東潜夫論』については岩波書店のウェブサイトに解説が掲載されているので引用しておこう。
潜夫とは世に名を顕さない者の意.江戸時代後期の儒学者にして蘭学者の帆足万里(1778‐1852)が,後漢末の王符による潜夫論に触発されて,当時の弊政を批判した経世論.王室・覇府・諸侯の3編からなる.王室は文教を,幕府は武備を担当すべきであるとし,文教の振興と国防の充実を主張,さらに日本の将来のために南方経略策を唱えた.
とくに「南方経略策」にかんしては吉田松陰に影響を与えているようだ。英国と米国の捕鯨船がやたら近海に出現していることに危機感をつのらせ警告を発し、フィリピンを占領せよなどと物騒なことも書かれている。
そういった攘夷や南方進出論はさておき、面白い記述とは西洋の文物にかんするものだ。「コツヒイ」と「ビイル」なるものが取り上げられている。原文を引用しておこう。
西人、古(いにしへ)は「コツヒイ」と云ふ木の実を●り(いり)て、漉茶(こしちや)にして用いひ、又「ビイル」とて麦にて渋酸き酒の如きものを造て茶の代りとす。されど一たび茶を飲みては、是二者は味あしくて飲れずと蘭書にいへり。同書、日本茶の風味よきをほむ。(岩波文庫版 1992年第2刷、p.79)
「ビイル」は言うまでもなく「ビール」、「コツヒイ」とは「コーヒー」のことだとわかる。
「コーヒー」とは、「木の実を炒った漉茶(こしちゃ)」。木の実を焙煎して、それを粉末にして漉して飲み物とするという本質は、まさにその通り! うーん、まさにいいえて妙。
本人がじっさいにコーヒーを飲んだのかどうかはわからない。というよりも、オランダ語の本には、日本茶に比べたらコーヒーもビールもまずいと記しているだけなので、おそらく飲んだのではないのだろう。帆足万里はオランダ語を学び、西洋の科学を摂取している。
現在の日本人は、「コーヒー豆」となんの疑問もなくクチにするわけだが、コーヒー豆はほんとうは豆ではなく「コーヒーノキ」の種子のことだから、江戸時代の帆足万里のほうがただしいわけだ。そもそもコーヒーノキは、アカネ科コーヒーノキ属(コーヒー属、コフィア属)に属する植物の総称であり、マメ科の植物ではありません!
コーヒーは漉茶(こしちゃ)であるとは、だから本質的な表現というべきなのだ。
現代でも、お茶はかならずしも葉っぱによるだけではない。麦茶やカモミール茶など、さまざなまな種類の「お茶」がある。コーヒーも「お茶」と考えたほうが本質的かもしれない。
「ビールとは、麦からつくった酒で渋くて酸っぱい」というのも、その当時の人々の味覚を考えるうえで面白い。
本というものは、かならずしも目的をもって読まなくてもいい。思わぬ発見に遭遇することもあるということだ。
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