2021年10月15日金曜日

リドリ-・スコット監督の映画『最後の決闘裁判』(2021年、英米)を日米同時公開の初日(2021年10月15日)に見てきた。ひさびさの本格的な中世もの歴史ドラマは、たいへん見応えのある作品だ!

 

リドリ-・スコット監督の映画『最後の決闘裁判』(2021年、英米)を「日米同時公開の初日」(2021年10月15日)にTOHOシネマズで見てきた。ひさびさの本格的な中世もの歴史ドラマで、たいへん見応えのある作品であった。  

「真実」をめぐるテーマと、役者の演技力と重厚な映像があいまった重厚な作品である。最近の映画には珍しく、2時間を超える153分の長尺だが、最初から最後まで飽きの来ない緊密な構成で制作されている。 

1386年にパリで実際に行われた「決闘裁判」(duel: trial by combat)を題材として発見した監督の慧眼と、映画に仕立て上げた監督の力量には、まったきもって感嘆し脱帽する。

しかも、現代的なテーマ(とくに女性のあり方)を、時代ものという制約条件を越えないギリギリの範囲内で表現している点も、この映画を面白くしている点であるといえよう。なぜなら、歴史物とは、つねに舞台を過去に設定した現代劇であるからだ。 




「決闘裁判」とは、封建制時代の西欧で行われていた、決闘によって神の前で白黒をハッキリさせることを目的とした裁判のことだ。判断を神にゆだねた神判であり、かつ自力救済的性格が強かったものだ。だが、実質的にフランスではこの映画で取り上げられた「決闘裁判」が最後のものとなった。 

時代は、ペスト(黒死病)が猛威を振るったあとの寒冷期の14世紀フランス。舞台は、フランス北部のノルマンディー地方「封建制」の最盛期であり、中世のフランスの封建領主である騎士の主人公は、最前線で勇猛さを鳴らしていたが、財政問題には苦悩していた。 

騎士の不在中に、その妻がレイプされた事件から問題が始まった。犯人として疑われたのは、騎士(knight)とはもともと友人関係にあったが、出世で大きく差をつけられた従騎士(squire)。ライバルとなった従騎士に対する嫉妬と怒り、そういったネガティブ感情が爆発して、自分自身と家の名誉を護るため裁判に訴えることにする騎士。 




だが、確実な証拠がない以上、騎士、その妻、従騎士の三者の主観的見解には、おなじ「事実」にかんして語っていても、ぞれぞれズレがあるのは当然だ。「真実」は、いわゆる「藪の中」にあるわけだ。この映画は、その事情を三者のそれぞれ主体にした三部構成によって、うまく処理している。まったくおなじ映像が、異なる解釈を生み出す妙味である。
 



世俗の裁判所では公平な裁判が下される可能性が低いと感じた主人公の騎士は、「決闘裁判」によって神前で白黒つけることを欲し、その要望が国王によって認められる。そして、1386年12月29日、雪の舞う真冬のパリで決闘裁判が行われることになった。

冒頭とラストの「決闘裁判」のシーンは、手に汗握るものに仕上がっている。甲冑に身を固め、馬上で槍を抱えて突進・・・。すばらしい! 歴史エンターテインメントとして見るべき作品だ。 




■補足コメント1 -「決闘裁判」について

そのものズバリのタイトルの『決闘裁判-ヨーロッパ法精神の原風景』(山内進、講談社現代新書、2000)には、1386年の「ドゥ・カルーズ 対 ルグリ」の「決闘裁判」について2ページを割いて説明されている。  

この記述によれば、この「決闘裁判」が史実であったことが確認されるだけでなく、じっさいは「パリで行われた最後の決闘裁判」であったと限定すべきことがわかる。「フランスで行われた最後の決闘裁判」は1549年のものであった。ただし、最終段階で国王が仲介に入っため、1386年のものと違って、後者においては死者はでていない。 




このように「決闘裁判」は、フランスでは16世紀で完全に終わったが、イングランドでは続いたのであると山内氏は書いている。英米法における「当事者主義」は、この流れのなかにあるのだ、と。そしてまた、神が介在しない「決闘」は、「決闘裁判」が廃れたあとに生まれてきたものだ、と。 

「決闘裁判」は、「決闘」という形態の「裁判」だったのであり、法制史で扱うテーマであることは、『概説 西洋法制史』(勝田有恒/森征一/山内進編著、ミネルヴァ書房、2004)にも記述されている。  



■補足コメント2 -西洋中世史の「常識」について

「決闘裁判」じたいは史実にもとづいているとはいえ、セリフまわしや心理描写などは、もちろん創作であり演出がされているだろう。 「決闘裁判」のシーンの細部についても、言うまでもない。だが、「決闘裁判」の展開そのものは、史実そのままなのである。ネタバレになるので、ここには書かないが。 

大学学部時代にヨーロッパ中世史を専攻したわたしにとっては、たいへん面白い作品であった。細部に至るまで、綿密に時代考証が行われた作品だといえよう。 

セリフが英語なのは、それはそれでよい。フランス語で製作しても、視聴者が少なくなるため採算が取りにくいからだ。 使用されている英語には古風な表現もでてくるが、現代風のスラングが少ないので、比較的聞き取りやすいかもしれない。英語学習教材にはいいのではないか。

セリフにラテン語がそのままでてくるが、まったく字幕をつけてないのは問題じゃないかな? 

主人公のライバルとなった従騎士がラテン語を読みこなす設定になっているのは、もともと聖職者を目指していたからだと作品のなかで語られる。ラテン語の読み書きができるのは司祭や修道士などの聖職者に限定されていた時代だからだ。この映画には登場しないが、読み書きと計算ができた商人とユダヤ人は例外であった。 

そう、中世の騎士は、読み書きできなかったのである! 騎士は無学文盲だったというのが、西洋中世史の「常識」だ。この点に注意して映画をみるとよいだろう。日本でも同時代の中世武士は似たようなものだった。語の厳密な意味での封建制が存在したのは、西欧と日本だけである。

そのうえで、主人公の騎士が、戦争に参加した報奨として金貨を受け取るシーンがあるが、騎士が文書を読まないまま、文字ではなく記号で署名しているシーンに注目してみよう! 

騎士はパリからノルマンディーの領地まで、自分で金貨を運んでいるが、これは武装している騎士だからできたことだ追い剥ぎや強盗が当たり前のように存在し、 「自力救済」が当たり前だった中世では、現金の持ち運びはきわめて危険であり、商人は決済に際しては、修道院ネットワークによる「為替」を使用していたのである。 

全体的に暗くて重い映像となっているのは、そもそもあの時代には電気がなかったし(当たり前だが忘れがちなこと!)、地理的には濃霧の多いフランス北部であり、しかも「寒冷期」だったことが、うまく表現されている。 

主人公の妻がレイプされた事件が、「決闘裁判」に発展した原因となったわけだが、なぜ「十字軍」時代なのに、夫が不在期間中なのに「貞操帯」が使用されていないのだ? そんな疑問をもつ人もいることだろう。

「風俗史」に登場する貞操帯だが、じっさいは十字軍時代には使用されていなかったのが実態のようだ。実物として登場するのは、もっぱら16世紀以降のルネサンス時代以降らしい。 その点も、時代考証がきちんと行われている証拠となる。

などなど、中世史をやった人間には、この映画にコメントしたいことは山ほどあるが、ここらへんでやめておこう。

結論としては、現代的なテーマを表現しながら、時代考証は綿密かつ的確に行っている点がすばらしいのである。


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<関連サイト>

・・「最後の決闘裁判は1億ドル(約120億円)の製作費をかけて作り上げられましたが、興行収入はわずか2700万ドル(約30億円)と、興行的に振るわなかった」

(2021年11月25日 項目新設)


<ブログ内関連記事>

・・リドリー・スコット監督はSFものも得意。主演はおなじくマット・デイモン。過去も未来も「現在」から見たら「異世界」である!










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