2021年10月9日土曜日

書評『尊皇攘夷 ー 水戸学の400年』(片山杜秀、新潮選書、2021)ー 幕末と明治維新をより深く理解するためだけでなく、日本と日本人について考えるための1冊

 
『尊皇攘夷-水戸学の400年』(片山杜秀、新潮選書、2021)を数日前に読了。これまたボリューム感に満ちた分厚い本で、読み通すのに2日かかった。 

ことし出た本で、読みたくて買ったもののまだ読んでなかった本を読んでいるが、これもその1冊。読みごたえあり。 

幕末の変革のスローガンとなった「尊皇攘夷」の4文字だが、これはもともとあった「尊皇」に、19世紀以降の時代の急激な変化への対応として浮上してきた「攘夷」が合体してできあがったものだ。いずれも水戸という土地が生み出した特異な思想が、全国レベルにまで拡散することで、大きなうねりとなった。 

はじまりは水戸藩主の徳川光圀。黄門様の光圀。御三家のひとつ水戸藩は、副将軍としての位置づけ。兄をさしおいて藩主になった経緯への違和感。 

こういったもろもろの状況が、光圀の長幼の序を重んじる儒教への思いを篤くするとになり、天皇あっての将軍家という枠組みの強調することで「尊皇思想」が生まれてくる。明の遺臣であった亡命者の儒者・朱舜水を受け入れて、水戸藩による『大日本史』編纂プロジェクトへとつながっていく。 

水戸という土地は、太平洋沿岸にある。しかも、北方の守りを期待されていたのが水戸藩だ。この地理的特性が、19世紀以降には外敵侵攻への危機感へとつながっていく。英米の捕鯨船が日本近海にまで出現するようになったからだ。 1824年には、大津浜に英国の水夫たちが食料をもとめて上陸している。それ以前から、沖合での日本人漁師たちとの接触があったらしい。

水戸藩で生まれた特異な思想である「尊皇」と「攘夷」が合体した「尊皇攘夷」。この4文字熟語のスローガンが、いかに日本の近現代史を規定するものとなったかについては、あらためて語るまでもない。 だが、その思想の形成プロセスと発展プロセス、そして終焉にいたる経緯を詳細にみていくことは、じつは日本とはなにかについて考えることでもあることが実感されることになる。 

藩主の個性ということでいえば、「義公」とよばれた光圀、「烈公」とよばれた斉昭に代表されるものであり、斉昭の息子の慶喜の3人が中心になるが、主人公は、副題にあるように「水戸学」そのものだといっていいだろう。明の遺臣で光圀が向かい入れた儒者の朱舜水、藤田幽谷、『新論』の会沢正志斎、そして幽谷の息子の藤田東湖といった名だたる思想家たち。 

この「尊皇攘夷」という思想が、幕末には多くの人を動かし、走らせ、暴走させることになる。呪縛力の強いこの思想は、もはや制御不能となる。水戸藩を超えて日本全体へと拡がり、多くの「志士」たちを誕生させる。

その一方では、この思想の暴走への嫌悪感と反発も水戸藩の内部に生じさせる。攘夷思想の実行のために大砲製造に着手したことによる財政悪化、大砲の材料となる梵鐘を徴発するために明治維新の際の「廃仏毀釈」の先駆けとなった仏教弾圧。烈公斉昭と結びついた「下士」たちに対して、ないがしろにされかねない「上士」たちの反発。

こうした状況が水戸藩の藩論を二分し、最終的には「天狗党の乱」と、その反対派とのあいだの激しい内ゲバ、そして内戦によって多くの有能な人材が殺されることになり、結果として水戸藩は自壊していくことになる。 

先手を打って、「大政奉還」によって事態を収拾しようとしたのは最後の将軍慶喜だが、この背景には水戸藩ならではの「尊皇思想」があったことは強調しておくべきだろう。 

もちろん、これで事態は収拾することなく、戊辰戦争へとつながっていったわけだが、その時点では水戸藩はすでに自壊していた。このため、明治維新後には新政府においては、旧水戸藩士の活躍の余地はきわめて小さなものとなった。 

ことし2020年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公は渋沢栄一であるが、言うまでもなく渋沢は一橋慶喜の家臣として、水戸藩の状況に大きく巻き込まれていた。そんな状況で、殺されることなく生き延びたことの幸運と処世術が、渋沢の後半生を生み出したことも強調すべきであろう。 

「水戸学の400年」とは、なかなか含蓄深い。水戸学は水戸藩という特殊な立ち位置から生まれ、発展し、そして終焉を迎えた「尊皇(+攘夷)」思想だが、けっして明治維新によって終わったわけではないからだ。 

大東亜戦争の戦中前夜から大きな盛り上がりをみせ、1945年の敗戦とともに消えたが、水戸藩にも縁のある三島由紀夫という生身の人間をつうじて1970年を頂点に再浮上する。三島由紀夫の影響力は、いまだに消え去ることはない。 すでに自決から50年を過ぎているが、三島文学が読み継がれる限り、今後も消えることはあるまい。

つまり、現在に至るまで、意識しようがしまいが、なんらかの形で日本人の思考を規定しているのである。その意味でも、「尊皇攘夷」は避けて通れないのである。 

幕末と明治維新をより深く理解するためだけでなく、日本と日本人について考えるための1冊として、ボリューム感があるが読みごたえのあるこの本を奨めたい。 





目 次
第1章 水戸の東は太平洋 
第2章 東アジアの中の水戸学 
第3章 尊皇の理念と変容 
第4章 攘夷の情念と方法 
第5章 尊皇攘夷の本音と建前 
第6章 天狗大乱 
第7章 「最後の将軍」とともに滅びぬ 
エピローグ 三島由紀夫の切腹 
あとがき 
主要参考文献

著者プロフィール
片山杜秀(かたやま・もりひで)
1963年仙台市生まれ。政治思想史研究者、音楽評論家。慶應義塾大学法学部教授。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。『音盤考現学』および『音盤博物誌』で吉田秀和賞、サントリー学芸賞を受賞。『未完のファシズム』で司馬遼太郎賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


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