これは面白い! これほど面白い本はひさびさに読んだ、という気にさせてくれる本だ。この『未完のファシズム ー「持たざる国」日本の運命』という本は。
最初から最後まで一気に読みたくなるほど巧みなストーリー構成、意表を突く視点に話題の数々。しかし、読みながらなんともいえない暗澹(あんたん)とした気持ちにもさせられる、そんな本である。
「未完のファシズム」なんていうと、日本ファシズムは未完成のまま現在に至っている、といったニュアンスなのかという印象を抱かないでもない。だが、著者が意味するところはそこにはない。日本では有史以来、国民が一丸となって事に臨んだことなどない、という歴史的事実を冷静に示した表現なのである。ファシズムとは、もともとイタリア語で束(たば)を意味するコトバからきている。
「軍国主義の時代」や「ファシズムの時代」とされてきた「戦争期日本」には、じつはファシズムは成立していなかった(!)のである。「ファシズム」というには、それはあまりにも「未完成」なものであった。明治憲法下の日本には、ファシズムを成立させる条件がなかったのだ。
明治憲法下においては、「独裁者」とされた東條英機首相(陸軍大将)ですら、戦争指導の実効性をあげるためには首相以外の複数の大臣を兼務するしか策がなかったのであり、「独裁者」というには程遠いのがその実態であった。同時代のヒトラーやムッソリーニ、あるいはスターリンといった「独裁者」たちとはまったく異なるのである。
「未完のファシズム」とはそういう意味でもある。
■陸軍軍人たちの「思想」
本書は、陸軍軍人という軍事官僚たちの「思想」を読み説いた本である。
軍事機密にかかわる軍人の思想は、なかなかまとまった形で文字として記されることはない。軍人は軍事官僚であるから、文官と同様、基本的にそのマインドセットは前例主義である。
なかには「世界最終戦論」という形でみずからの特異な思想を語った石原莞爾のような軍人もいるが、あくまでも例外的存在だ。
本書には、小畑敏四郎中将と中柴末純少将(なかしば・すえずみ)という陸軍軍人の思想を大きく取り上げられている。
小畑敏四郎という名前は、東條英機首相退陣後に表舞台にでてくるので目にすることがあっても、中柴末純という軍人とその思想については、本書を読むまでまったく知らなかった。
中柴末純という軍人思想家の軍歴と、その思想が導かれた道筋をたどり、その思想がもたらした結果を知ると、ほんとうに驚かざるをえないのである。
軍人とくに将校クラス以上は、技術エリートとして本来は科学精神にもとづいて合理的思考を行う存在である。中柴末純もまた数学的思考をベースにした工兵出身の将校であり、日露戦争にも出征している。
そんな合理主義の塊のような軍人が、なぜ極度の精神主義を振り回し自滅の道に突き進む先導役となったのか? この問いと、それに対する解答が本書を貫くテーマである。
■日本の陸軍軍人たちが第一次世界大戦から受けた衝撃
ことし2014年は、第一次世界大戦が勃発してからちょうど100年。日本でもさまざまな形で取り上げられることになるだろう。
だが、一般の日本人の認識においては、あくまでも「第二次」世界大戦の前哨戦としての「第一次」世界大戦というイメージが変わることはないのではないだろうか。
だが、一般の日本人の認識においては、あくまでも「第二次」世界大戦の前哨戦としての「第一次」世界大戦というイメージが変わることはないのではないだろうか。
日本からみたら、遠い欧州が主戦場となった「第一次世界大戦」は、一部の軍人が戦死した以外は、国民が巻き込まれて犠牲になることながったため、どうしても印象が希薄となりがちなのである。それだけでなく、すべて「先の大戦」を基準にものを考えてしまいがちである。「先の大戦」は、戦死者310万人(うち民間人90万人!)という、日本と日本人にとっては、あまりにも悲惨で壊滅的な戦いであったからだ。
国力のすべてをかけて日露戦争を戦った日本は、戦争目的を限定していたため、かろうじて講和条約にもちこみ、からくも敗戦を免れたというのが真相である。合理的思考を旨とする軍人なら、この事実は当然のことながら理解していたのである。
ここまでは『坂の上の雲』などの「国民文学」をつじて司馬遼太郎が流布させた「常識」でありけっして間違っているわけではない。だが、ここから先は、司馬遼太郎は「明治の先人たちに比べて昭和の軍人は・・・」といった嘆き節になってしまう。
著者はこの見解に異議を唱えている。それが本書全体に流れる主旋律である。
じつは軍人たちは、第一次世界大戦にきわめて大きな衝撃を受けていたのである! この点を全面的に取り上げたことが本書の最大の成果だろう。日本人の認識を一変させる可能性もあるからだ。
「世界大戦」が「総力戦」であり、そのたった10年前(!)の日露戦争がその「総力戦」のはじまりであったことは、同時代人の世界中の軍人にとっては常識であった。もちろん、日本の軍人も例外ではなかった。いやむしろ、当事者として日露戦争を体験していた日本の軍人にとっては、20世紀の戦争が一国の科学力と生産力を総動員した「総力戦」となることは十二分に理解できることだったのである。だからこそ陸軍は、第一次世界大戦を徹底的に研究し、膨大な研究成果を蓄積したのである。
当時ドイツ領であった青島(チンタオ)攻略作戦は、日本陸軍がかかわった数少ない実戦の一つあるが、勝敗を決したのは日露戦争のときのような肉弾戦ではない。大砲の火力によってドイツ軍を圧倒したのであるという著者の指摘もじつに新鮮である。つまり、日本陸軍は日露戦争の経験から大いに学び、軍事面においては「近代戦」を徹底させたのである。
だが、火力に依存した戦争を長期にわたって継続する能力が不可能なことが、財政という国力からみて明らかなことは、合理的思考を旨とする軍人には十分に理解できたのであった。
悲しいかな、それが「持たざる国」の限界であった。「持たざる国」として、国際社会において「持てる国」と対峙しなくてはならない新興国・日本。
この意味を肌身をつうじて理解していた日露戦争後の日本軍人にとって、4年間という長期にわた継続した「総力戦」、言いかえれば国力のすべてを動員した「消耗戦」であった第一次世界大戦の衝撃がいかに大きなものであったか、イマジネーションを働かせれば現在の日本人にも理解できないことではない。
■「持たざる国」日本という認識ゆえに・・
では「持たざる国」日本は、いかなる道を歩むべきであったのか? 道は二つあった。
一つ目の道は、財政負担の観点から国民を疲弊させず、あくまでも身の丈にあった範囲で勝てる見込みのある戦いしかしないという保守的な現状維持志向。陸軍内部では「皇道派」と呼ばれていた軍人たちの思考である。直接の関係はないが、経済ジャーナリスト石橋湛山が主張した「小国主義」にも通じるものがある。
もう一つの道は、「持てる国」に対抗するために、自らが「持てる国」を目指し、そのためは無理にでも背伸びして国力を増強させる未来志向。陸軍内部では「統制派」と呼ばれていた軍人たちの思考である。「大国主義」である。特異な宗教的ビジョンを発想の根底においていた思想派軍人・石原莞爾は、軍事大国建設のための経済基盤を満洲に求めて満洲事変の主導者となる。
いずれも合理的な選択である。ちなみにここに引き合いにだした石橋湛山も石原莞爾も、ともに日蓮信仰の持ち主であったが、その方向性は真逆であった。
ワシントン条約における海軍軍縮に憤慨したことに端的にあらわれていたように、国民の多くは日本が「小国」であることを受け入れようとしなかった。閉塞感のつよまる社会では「内にこもる選択」よりも「外に打って出る選択」が好まれるということだろう。
関東軍による満洲事変とその後の満洲国建設が国民に支持された理由も、閉塞感の打破が期待されたからだろう。過去にこだわるよりも、未来に賭ける志向。戦前においては右派こそ「革新」の担い手であった。
失敗に終わったクーデターであった二・二六事件の結果、陸軍内部では現状維持派の「皇道派」がパージされ、拡大路線の「統制派」が陸軍中枢を握ることになった。その結果、なし崩し的に戦争へとなだれこんでいくことになる。
大東亜戦争に踏み切ったのは「ABCD包囲網」によって追い詰められたという側面もあるが、拡大路線に必要な資源とエネルギーを求めて南進したことが英米を中心に警戒を招いたことは否定できない。みずから播いたタネであったのだ。
「持たざる国」日本の軍人は、当然のことながら日米の国力と軍事力の大きな格差を数字で認識していた。だが、戦争に踏み切った以上、「持たざる国」日本には「有形」の資産は人間しかいない。この有形の資産をフル稼働させるために「無形」の精神力が強調されることになる。合理的思考をつきつめたがゆえに、活路は非合理的な神懸かりにしか求めることしかできなかった理由はここにあったのだ。
「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」という『戦陣訓』は、「撃ちてし止まん」という敢闘精神は死に物狂いの万歳突撃を生み出し、そしてついには合理的な観点からはまったく意味のない総攻撃による全滅を、「玉砕」というレトリカルな美辞麗句で飾って称賛するまでにいたる。
一度はじまった戦争は自動機械のように自ら止めることがでず、一般市民を大量に巻き込んで犠牲にすることで、「総力戦」としての戦争は壊滅的打撃を受けた結果ようやく終わることになる。
この代償がいかに巨大なものであったかは、あえて語るまでもないことだ。
■「逆説(アイロニー)の日本近現代史」
本書は、むしろ「逆説(アイロニー)の日本近現代史」とでもしたほうがよかったかもしれない。
合理的思考をつきつめたがゆえに、活路は非合理的な神懸かりにしか求めることしかできなかったという逆説。合理信仰が非合理主義を生み出したのはフランス革命であったが、「反対物の一致」というフレーズも想起する。
「持たざる国」日本は、あまりにもムリにムリを重ね、破綻すべくして破綻したのである。目標を設定して成長していくこと自体に問題はない。だが、身の丈を無視してたあまりにも無茶な拡大は、大きな禍根をもたらす危険も抱えている。
この教訓を日本人は個人としても、また国民全体としても共有しなくてはならないのだが・・・・
ぜひ読むことを薦めたい。読めば必ずや認識が変わることは間違いない力作である。
目 次
はじめに
第1章 日本人にとって第一次世界大戦とは何だったのか
第2章 物量戦としての青島戦役-日本陸軍の1914年体験
第3章 参謀本部の冷静な『観察』
第4章 タンネンベルク信仰の誕生
第5章 「持たざる国」の身の丈に合った戦争-小畑敏四郎の殲滅戦思想
第6章 「持たざる国」を「持てる国」にする計画-石原莞爾の世界最終戦論
第7章 未完のファシズム-明治憲法に阻まれる総力戦体制
第8章 「持たざる国」が「持てる国」に勝つ方法-中柴末純の日本的総力戦思想
第9章 月経・創意・原爆-「持たざる国」の最期
主要参考文献
あとがき
著者プロフィール
片山杜秀(かたやま・もりひで)
1963年生まれ。思想史研究者、音楽評論家。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。慶應義塾大学法学部准教授。著書に『音盤考現学』、『音盤博物誌』(ともにアルテスパブリッシング、この2冊で吉田秀和賞、サントリー学芸賞を受賞)、『近代日本の右翼思想』などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに情報追加)。
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(項目新設 2023年1月19日)
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「小国」スイスは「小国」日本のモデルとなりうるか?-スイスについて考えるために
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書評 『田中角栄 封じられた資源戦略-石油、ウラン、そしてアメリカとの闘い-』(山岡淳一郎、草思社、2009)-「エネルギー自主独立路線」を貫こうとして敗れた田中角栄の闘い
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(2014年7月22日、8月7日 情報追加)
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