2021年12月24日金曜日

歴史学の立場から「新選組」を捉え直す ー 子母澤寛の新選組ものを読み、そのうえで『歴史のなかの新選組』(宮地正人、岩波現代文庫、2017)を読む

 
ここのところ、事のついでで幕末維新関連の本をつづけて読んでいるが、どうしても「官軍」サイドばかり読んでいると、逆サイドからのものも読みたくなってくる。 

「勝てば官軍」というフレーズで表現される「薩長史観」とは距離をとりたくなるのも、けっして不思議なことではない。 といっても、べつに「判官贔屓」というわけでもない。日本人らしいバランス感覚のなせるわざかもしれない。あれから150年もたっている現在、双方ともに「恩讐の彼方に」にしてノーサイドとしたいものだが・・ 

「官軍」の逆サイドといえば、その代表格はなんといっても「新選組」であろう。「勤王攘夷」という点にかんしては、いわゆる「勤王派」も「佐幕派」も違いはないが、目指すべき国家像の違いと忠義のありかたが立ち位置の違いをうみだしたわけだ。 

新選組についてまったく聞いたこともないという日本人はまずいないだろう。だが、元禄時代の赤穂浪士の討ち入りと同様、どこまでが歴史的事実で、どこからがフィクションか判然としないのが新選組である。ドラマに登場する新選組は、かなり主観的な脚色が入っていると見たほうがいい。 主人公たちに仮託したい思いが反映しているからだ。


というわけで、『歴史のなかの新選組』(宮地正人、岩波現代文庫、2017 初版2004)という本を読むことにした。新選組をあくまでも歴史学の手法によって虚実をよりわける作業を行った歴史書だ。 

「前置き」にはこうある。「本書は新選組にかんする通史ではない。芹沢鴨暗殺、池田屋事件、三条大橋制札事件、油小路の決闘から流山での壊滅までの詳細は、子母沢寛の名著『新選組始末記』をはじめ、おびただしい類書に譲る・・」。

では、まずそちらを読んでおかなくてはなるまいということで、子母沢寛の『新選組始末記』(初版1928年)『新選組遺聞』(初版1929年)の2冊を先に読んでおくことにした。   


「新選組三部作」の最初の2冊で、いずれも中公文庫。これまた40年近くまえに購入しながら読んでなかった。いい機会なので通読することにした。

元新聞記者の作家が古老の聞き書きをもとにまとめたものだ。現代風にカタカナで表現すれば、オーラルヒストリーによるナラティブということになろう(と書いてみて、意味のないカタカナ表現だなと思ってみたりもする)。 

『新選組始末記』は、京都での新選組誕生の経緯から、流山で捕縛され板橋で処刑された近藤勇の最期と、戊辰戦争に参加し函館の五稜郭で戦死した土方歳三の最期までを扱っている。 

聞き書きというものは、話し手の主観にもとづいたものであり、しかも聞き手の主観のまじるので、どこまで史実そのものかは判然としないが、さすがにその場に居合わせた古老の証言など迫真性がある。記憶は捏造されるというのは脳科学の常識だが、トラウマ的な記憶は、かならずしもそうとは言い切れまい。 

新選組内部の粛清シーンや、新選組が激闘した事件などは、スプラッターものといっていいほど描写がリアルである。首が飛び、血しぶきが・・、返り血がネバネバとまとわりつき、気がついたら左手の親指の肉片がそぎ落ちていた、夏暑い京都では死体がすぐに異臭を放ち…など、五感のすべてに訴えかける描写の数々。おそらくドラマで再現するのもはばかられるような状況が活字化されている(*日露戦争に従軍した陸軍士官出身の作家が書いた『肉弾』を想起させるものがある。明治時代は、現在とは違ってへんな隠蔽などない、リアルに忠実な作品が多い)。

もちろん、そういったシーンだけでなく、近藤勇や土方歳三、そして沖田総司らの素顔をうかがわせるエピソードは読んでいてほほえましくもなり、じつに気持ちいい。著者の子母澤寛の近藤勇びいきの理由もわかるような気がする。 近藤勇の声は、高かったようだ。

『新選組遺聞』は、『新選組始末記』と一部重複するものもあるが、基本的に異なる証言を集めたもので、この2冊をあわせて読むと、史実に限りなく近い新選組のイメージをつかむことができる内容になっている。

さすが、原典ともいうべき古典的著作なのだなと感心する。 


■歴史学の立場から検証した新選組

さて、そのうえで『歴史のなかの新選組』(宮地正人)を読んだわけだが、さすがに子母澤寛の名著を前提にして読むと、読んでいて大いに納得するものが多い新選組を、幕末維新の流動的で複雑な歴史的コンテクストのなかに位置づけることで、見えてくるものがあるからだ。 

とくに印象的なのは、著者のいう「有志的結合」(一般的には「同志的結合」)である新選組のリーダーとしての近藤勇の力量が、ただ剣客としての腕だけにあっただけでなかったことが納得された点だ。 

「勤王攘夷」と「尽忠報国」という理念に忠実で、かつその時点時点の政治情勢の的確な読みと判断力の深さ、鋭さにもあったのだ。この本に引用されている近藤勇による数々の「建白書」の原文を読むと、その感を強くするのである。 

「終章 結論」の文章がじつにいい。思わず引用したくなるものがある。 

幕末維新期には、誰一人として将来を見通せた人物はいなかった。それほど時代に課された課題は大きく、自己が位置した現状はみじめだったのである。長期的な見通しの立たないまま、少なくとも現状はいかなることがあっても打破しなければならない、座して死を待つより前進あるのみとの決意と自負心が彼らを激しく突き動かした・・(P.213) 

そのひとつが、山岡鉄舟と清河八郎がかかわった「浪士組」から京都で分離して生まれた「新選組」であり、このほか数多くの「有志的結合」に参加した志士たちが担い、あるものは勝利し、その多くは非命にも斃れていったのであった。勝者による歴史だけが歴史なのではない。 

「座して死を待つより前進あるのみ」ではないか! 


  

目 次
現代文庫版にあたって
前置き
幕末京都市街図
序章 問題の所在
第1章 幕末の政治過程をどう見るか
第2章 一会桑政権と近藤勇
第3章 有志集団としての浪士組・新選組
第4章 八月一八日事件以前の壬生浪士組の特徴
第5章 新選組の性格の多重化
第6章 超法規的武装集団化
第7章 他の諸集団との対立・抗争
第8章 「死さざれば脱隊するを得ず」
第9章 組織矛盾とその展開
第10章 史実と虚構の区別と判別
第11章 新撰組研究の史料論
終章 結論
補章 その後の新撰組研究
浪士組・新徴組隊士出身地一覧表
新選組略年表
あとがき
時代の扉を開く鍵-現代文庫版あとがきにかえて
人名索引

著者プロフィール
宮地正人(みやち・まさと)
1944年生まれ。東京大学史料編纂所教授、国立歴史民俗博物館館長を経て、東京大学名誉教授。専攻は日本近現代史。著書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものなど)


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