米国人が書いた記事や論説など英語で書かれた文章は、ビジネス関係を中心に毎日のように目を通しており、いわば当たり前の日常になってしまっている。 といっても、米国そのものについての関心は、それほど高いわけでもない。
ところが、MBAを取得して米国から帰国して、もうすぐ30年(!)になろうとしている。そんなことに気づいたこともあって、関心がふたたび米国に向かっている今日この頃だ。何年に1回かそういう状態が訪れる。
『文士たちのアメリカ留学 1953~1963』(斎藤禎、書籍工房早山、2018)という本の存在を知った。読み始めたら、これがじつに面白い。思わず熱中して読んでしまった。ことし2月のことだ。(*)
(*)この文章は2022年2月に執筆したもの。ブログにアップするにあたって加筆修正している。
日米戦争の敗戦から8年目の1953年(昭和28年)。その年から始まったのが、ロックフェラー財団によるプロジェクトだった。日本の文学者を一人ずつ選んで米国に招き、1年間の米国体験をしてもらうのである。を取り上げている。渡航費用から滞在費まですべて財団もちの丸抱えであった。
10年間にわたって行われたこのプロジェクトに選ばれて米国体験したのは、順番に、福田恆存、大岡昇平、石井桃子、中村光夫、阿川弘之、小島信夫、庄野潤三、有吉佐和子、安岡章太郎、江藤淳、である。この人たちのすべてが、それまで米国には一度も行ったことがなかったらしい。
著者の斎藤氏は、文藝春秋社で常務取締役まで務めた人で、最大の関心は文芸評論家の江藤淳にあったようだ。新進気鋭の文芸評論家で30歳だった江藤淳にとって、米国体験とはいかなるもの意味をもったものだったのか多面的に考察している。
もちろん、ロックフェラー財団の目的は、米国を中心とした占領軍による占領政策が終了後の主権回復後の日本で、日本の国内世論を米国よりに誘導したいという米国の国策に沿ったものであり、現在でいえば「ソフトパワー戦略」の一環であった。
米国を体験した文学者たちのすべてが、日本帰国後に財団の意図に沿った表現活動をしたわけではないが、体験記なり、なんらかのまとまった形の作品を残している人も多い。そんな作品を読んでみたいという気にさせられる。
そして、米国に送りこむ文学者をセレクトし推薦する役割を一手に引き受けていたのがチャールズ・ファーズ博士という日本学者と、日本側協力者の坂西志保であった。
坂西志保は、いまから約100年前に単身渡米して米国の大学を卒業し、さらに博士号を取得して、日本国籍をもちながらも国家公務員として米国議会図書館で東洋部長を務めた人。日米開戦と同時にFBIに拘束され、その半年後に「日米交換船」で帰国している。戦前は日本文学の英語訳を行い、戦後は米国事情の日本紹介の本を大量に出している。そんな女性がいたのである。
戦前と戦後の日米関係をつなぐ存在あった坂西志保(さかにし・しほ)という人に関心を抱いて調べているなかで、この本の存在も知った次第だ。この人の名前を知ったのは、ずいぶん昔のことだが、あらためて関心がかき立てられている。
幕末以来の日本人が米国でなにを体験し、いかなる認識をもつようになったのか、さらに深く知りたい。
目 次第1章 文士にとって留学は、夢のまた夢第2章 「文士留学の仕掛け人」坂西志保と、チャールズ・B.ファーズ第3章 阿川弘之は「原爆小説」を書いたから、アメリカに招かれたのか第4章 大岡昇平、安岡章太郎は、アメリカで、ことに南部で何を見たのか第5章 江藤淳、英語と格闘す第6章 庄野潤三と名作『ガンビア滞在記』の誕生第7章 有吉佐和子は、アメリカ人社会では間違いなく「NOBODY」だった第8章 小島信夫は、なぜ、単身でアメリカに行ったか?第9章 アメリカから帰った福田恆存は、「文化人」の「平和論」を果敢に攻撃した第10章 改めて考える。ロックフェラー財団による文士のアメリカ留学とは何だったのかあとがき 「亜インテリとアメリカについて」参考文献
著者プロフィール斎藤禎(さいとう・ただし)元編集者。早稲田スポーツOB倶楽部顧問。昭和18年(1943)満洲三江省に生れる。昭和42年(1967)早大一文卒。同年、文藝春秋入社。常務取締役等を経て、平成19年(2007)日本経済新聞出版社入社。代表取締役会長等を経て、平成24年(2012)同社を退社(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)。
<関連サイト>
・・現在では忘れられた存在となっている坂西志保(1896-1976)については、この英文記事がもっとも詳しい。ただし掲載されている写真は坂西志保ではない。似たような米国帰りだが反日だったがマッカーシズムで米国追放となった評論家・石垣綾子であろう。wikipedia日本版の記述には間違いが多々ある
<ブログ内関連記事>
■留学生の米国体験
書評 『アメリカ「知日派」の起源-明治の留学生交流譚-』(塩崎智、平凡社選書、2001)-幕末・明治・アメリカと「三生」を経た日本人アメリカ留学生たちとボストン上流階級との交流
アンクル・サムはニューヨーク州トロイの人であった-トロイよいとこ一度はおいで! ・・ニューヨーク州トロイにあるRPIは1824年創立のアメリカ最古の工科大学。この町にあるトロイ・アカデミーにて目賀田種太郎(・・専修大学の創設者の一人)などの日本人留学生が勉強していたという
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■留学生ではない一般人の米国体験
■1950年代日本の知的風景
・・同時代の日本の知的風景。日本ペンクラブの外国人会員であった米国人エドワード・サイデンステッカーの違和感。ソ連の影響力が強かったからこそ、米国はロックフェラー財団のプログラムで文化工作を行ったのである。この点を抑えておくべきだ。
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