先日(2022年8月24日)、惜しまれながら亡くなった稲盛和夫氏の『稲盛和夫の哲学』(PHP、2001)を読む。この本は買ったまま読んでなかった。 副題は「人は何のために生きるのか」。誕生と死のあいだに存在する、限りある人生。
「人生いかに生くべきか」という問いは、古くて新しいテーマである。この地球上に人間が存在する限り、繰り返し問い返されていくであろう。
この本は、稲盛氏が70歳の時点の思索をまとめたもの。借り物ではない、自分のアタマとカラダを使って考えに考え抜いた思索が平易なことばで語られている。
内容的には、けっして難しくない。さらっと読めてしまう内容だ。だが、分かりやすいがゆえに、違和感を抱く人も少なくないだろう。限りなくスピリチュアル寄りだからだ。
だが、人生それなりに生きいていると、稲盛氏の説く内容に納得する人も少なくないのではないだろうか。すくなくともわたしは、稲盛氏の考えに賛同を感じている。
肉体の死は終わりではない。魂あるいは意識体として生き続ける。輪廻転生によってふたたび誰かの人生を通じて、魂は完成に向けて磨かれていく。
そう日頃から考えていた稲盛和夫氏にとって、肉体の死は、あらたな旅立ちなのである。死後もなお大きな影響力を持ち続けていくことであろう。
生と死について考えることこそ、哲学の始まりである。人生哲学もまた哲学である。というより、それが本来の哲学のあるべき姿なのだ。
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