教育人間学を専門にしている西平直氏の三部作を読了。出版順に『稽古の思想』(2019年)、『修養の思想』(2020年)、『養生の思想』(2021年)となる。いずれも出版社は春秋社。
最初に読んだのは『修養の思想』で、つづけて『養生の思想』を読んだ。昨年末のことだ。
まずは、『修養の思想』(2020年)。
「修養」という古めかしい響きのことばだが、明治時代以降に主流となった「修養」とは違う。江戸時代のさまざまな思想家や実践家が、「修行」や「養生」など、さまざまな形で表現しうようとした思想を、ひとつひとつ読みほどいていく。
つぎに、『養生の思想』(2021年)。
「養生」もまた、「修養」と同様に、江戸時代が生み出した豊かな思想の産物である。江戸時代前期の思想家・貝原益軒の『養生訓』は、現代でも読まれている名著である。
明治時代以降の近代医学の導入でことばも概念も消滅したかに見えた「養生」だが、ホリスティック医学や自然治癒力との関連で現代によみがえりつつある。
最後に『稽古の思想』(2019年)。「修養」と「養生」が「養う」という概念を共有しているのに対し、「稽古」には直接的な共通点はないように見える。だから、後回しにしていた。
この本は、先日読んだが、基本的に世阿弥の演技理論を中心に解読を行っている。
芸道や武道ではおなじみのことばであり概念であるが、分析的なアプローチで迫ってみるのも面白い。
「稽古」は、近代の教育制度からは抜け落ちているが、きわめて重要なものである。 だが、「学校外」の世界では現在なお生きている。
この三部作に一貫しているのは、「心身相関」よりも深い「心身一如」の考えである。「こころ」と「からだ」を不可分で一体のものとしてとらえる思考と実践。デカルトのような心身二元論の伝統をもたない日本人には、意識しなくても身についている(はずの)思考方法である。
とはいっても、現代日本人の多くの人にとっては、もはやなじみのあるものではないかもしれない。だが、かつて日本人が実践してきたことであり、意識はしていなくても日常生活のすみずみに浸透していることも、また確かなことだ。
「稽古」も「修養」も「養生」は、江戸時代までに日本人が考え実践してきた、豊かな蓄積である。これらについて考えることは、日本と日本人の再生について考えるためのヒントをくみ取ることができるかもしれない。
さまざまな「補助線」を引いて、ことばと概念をひとつひとつ解きほぐして近似値を求めていくような、著者のアプローチはまどろっこしく見えるが、記述そのものは平易であり、読んでいてなかなか面白いものがある。今後も折に触れ、読み返してみたい。
明治時代より江戸時代のほうが重要だ。 すでに「近代」が終わっている現在、つくづくそう思う。
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(2024年1月25日 情報追加)
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