2023年1月18日水曜日

書評『朱子学入門』(垣内景子、ミネルヴァ書房、2015)ー 日本人の思考を見えないとことろで支配している「朱子学」のさわりに触れる


「朱子学」といえば儒教(=儒学)の本流であり、東アジアにおいてきわめて大きな意味をもったことは、ある意味では教科書的な「常識」だといっていいだろう。 

では、あらためて「朱子学」とはなにか説明せよと言われても困ってしまう。知識としてなんとなく知ってはいても、きちんと向き合ってその中身を知ろうとはしていなかったからだ。 

そこで読むことにしたのが、『朱子学入門』(垣内景子、ミネルヴァ書房、2015)という本だ。著者は、朱子学とがっぷり四つに取り組んでいる大学の研究者。  

シンプルなタイトルのこの本は、大学の初年度向け学生を対象にした講義をもとに作成された本であるという。つまり講義用テキストである。前提知識をもたない受講者向けに、練りに練った構成で、かんでふくめるような説明がなされている。 

ここでわたしが教科書的な知識を羅列しても意味はないので、目次を紹介しておこう。 

はじめに 私たちは自由にものを考えているか 
第1章 仏教なんてぶっとばせ ― 朱子学の位置 
第2章 気のせいって何のせい? ― 朱子学の世界観 
第3章 理屈っぽいのが玉に瑕 ― 朱子学の世界認識 
第4章 たかが心、されど心 ― 朱子学の最優先課題 
第5章 まずは形から ― 朱子学の方法・その一「居敬」 
第6章 世界は一枚のジグソーパズル ― 朱子学の方法・その二「格物窮理」
第7章 ああ言えば、こう言う ― 朱熹と朱子学
第8章 心の外には何もない ― 朱子学と陽明学
第9章 朱子学を学ぶと人柄が悪くなる? ― 日本の朱子学
第10章 朱子は君子か? ― 朱熹の人物像
おわりに 世界の辺境で朱子学を問う

 「理」・「気」・「心」・「敬」・「格物」・「究理」といった朱子学のタームが、まさに朱子学らしく理路整然と説明されていくが、もちろん著者は現在に朱子学を普及させようなどと考えているわけではない。 

とはいえ、12世紀の南宋(・・中国南部の王朝)に、心の問題をめぐって禅仏教との対決から朱子(=朱熹)が登場して以来、19世紀まで「科挙」が行われてきた中国や朝鮮、越南(=ベトナム ) は言うまでもなく、18世紀末の江戸時代後期から19世紀の明治時代にかけて体制の学として大きな意味をもった日本を知るためには、朱子学のなんたるかを知ることは不可欠である。 

見えないところで働いている「朱子学的思考」について自覚的になることが必要なのである。19世紀以降、日本人の論理的思考を鍛えたのは朱子学なのである。大半の日本人にとっては格言でしかない孔子の「儒教」と、中興の祖である朱子の「新儒教」は区別しなくてはならない。 

この入門書は、朱子学とはなにかについて、日本人が陥りがちな間違いを正してくれる。陽明学の祖の王陽明自身、朱子学は攻撃したが、朱子そのものを批判していないという。朱子は、孔子と違って聖人ではないのである。 

人間としての朱子(=朱熹)と、その死後にクローズドな世界観として体系化された朱子学の違いについては、自覚的になることが必要だろう。カール・マルクスと、マルクス主義の違いと同様である。 

もちろん、この本を読んで朱子学がわかった、なんてことにはならないが、朱子学がどういうものか、そのさわりだけでも理解できる内容である。大学時代に、こんな講義を受講できたら良かったのにと思う。 

じっくりと読めば、現代の日本人が朱子学に抱いている固定観念を捨てるきっかけにはなるだろう。 


 


著者プロフィール
垣内景子(かきうち・けいこ)
1963年生まれ。1986年早稲田大学第一文学部哲学科東洋哲学専修卒業。1993年早稲田大学大学院文学研究科単位取得満期退学。現在、明治大学文学部教授。博士(文学)。著書に
『「心」と「理」をめぐる朱熹思想構造の研究』(汲古書院、2005)、『朱子語類』訳注(一部)など。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに情報を付加した)


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・・「尽忠報国」」をモットーとし、女真族の金に対する主戦派の岳飛(がくひ)和議派の秦檜(しんかい)の対立。主戦派であった朱熹の父は、秦檜からうとまれて左遷、以後隠遁している。朱子が活動したのはそんな時代の12世紀の南宋であった

・・正確にいえば、江戸時代後期の19世紀には科挙にならった「学問吟味」という試験制度が湯島聖堂のある昌平坂学問所で導入されているが、官吏登用の前提とはされていなかった。幕府においては武士が官吏だったからだ。そこが中国や朝鮮とはまったく異なっていた点である

・・朝鮮をよく知る文化人類学者・泉靖一による解説。日本にキリスト教が定着しない理由は、中国や朝鮮とは違って、朱子学が日本では社会化していないことがあげられている。「おそらくベトナムは日本に似ているでしょう。中国仏教が朱子学に塗りつぶされていないという点では、ベトナムをあげられようと思います」、と。


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