明治時代になってから漢語(=漢字熟語)が増大したという話は、比較的知られていることだろう。儒学で鍛えられ、漢字漢文に造詣の深い知識階層が、新時代を切り拓くために西洋の事物や概念を漢字熟語で表現したからだと。
どうせそんな内容の本だろうと思って、買ったまま読んでなかったのだが、そうこうしているうちに文庫化されてしまった。思うことがあって読んでみたら、そんな内容の本ではないことに気がついた。
「漢文」ではないのである。「漢文脈」なのである。漢字のみで表現された漢詩漢文は、あくまでも知識階層のものであったが、漢詩漢文を読み下した「訓読体」こそが重要なのだ。
言い換えれば「声に出して読む日本語」である。それは同時に「耳で聞く日本語」でもある。朗唱に適したリズミカルな文語体である。詩吟もまた、そのなかに含めることもできる。
漢詩漢文は武士を中心にした知識階層に限定されていたが、「訓読体」は江戸時代後期から知識階層の枠を越えて普及していった。
江戸時代後期の18世紀に始まるこの流れは、17世紀末の松平定信による「寛政の改革」に始まるものだ。朱子学を正学とした幕府の「昌平黌」(=昌平坂学問所)を頂点に、日本全国の「藩校」で始まった儒学を中心にしたエリート教育がベースになっている。
素読と会読、そして講読による教育が「近代日本」を作り出したのである。議論をつうじて鍛えられた論理的思考の訓練、詩文作成をつうじて鍛えられた漢詩漢文的世界を踏まえたレトリック。倒幕を目指した幕末の志士たちも、その流れから出てきたものだ。
「訓読体」が日本人の思考をどう規定していったのか。基本的な流れを整理すると以下のようになる。
実用を重視した明治時代以降の日本では「訓読体」(=文語体)が主流となり、より実用性を増すために言文一致を目指した口語体への流れとなっていく。戦後には、漢字語がカタカナ語にとって代えられていく。
「訓読体」は過渡期の産物であったのである。 訓読体は、頼山陽の『日本外史』から中村敬宇の『西国立志編』へ。文学に話を限定すれば(・・この「文学」ということばじたい、明治時代以前と以後では意味が変化している)、漢詩漢文世代の森鴎外から永井荷風、そして趣味的に漢詩漢文をたしなんだ谷崎潤一郎と芥川龍之介への流れとなる。
その原点は江戸時代後期の19世紀にあったのである。 漢詩漢文から見た日本近代化。「漢文脈」がもたらした「訓読体」という「もう一つのことばの世界」。
こういう観点から日本の近代を考えることは重要だ。その意味で、目を開かれる思いをする本であった。
目 次はじめに序章 漢文脈とは何か ― 文体と思考の二つの極第1章 漢文の読み書きはなぜ広まったのか ―『日本外史』と訓読の声第2章 国民の文体はいかに成立したのか ― 文明開化と訓読文第3章 文学の近代はいつ始まったのか ― 反政治としての恋愛第4章 小説家は懐かしき異国で何を見たのか ― 艶情と革命の地終章 漢文脈の地平 ― もう一つの日本語へ参考文献あとがき
著者プロフィール齋藤希史(さいとう・まれし)1963年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程中退(中国語学中国文学)。京都大学人文科学研究所助手、奈良女子大学文学部助教授、国文学研究資料館文献資料部助教授を経て、東京大学大学院総合文化研究科教授(比較文学比較文化)。著書に『漢文脈の近代―清末=明治の文学圏』(名古屋大学出版会、サントリー学芸賞)、『漢文スタイル』(羽鳥書店、やまなし文学賞)などがある。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
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