『だまって座れば ー 観相師・水野南北一代』(神坂次郎、新潮社、1988)という歴史小説を読んだ。これはじつに面白い作品だった。最後まで楽しんで読むことができた。
作家の神坂次郎(こうさか・じろう)は、かつて『元禄御畳奉行の日記 ー 尾張藩士の見た浮世』(中公新書、1984)がベストセラーとなって、わたしもその昔読んでいる。このほか、『今日われ生きてありー知覧特別攻撃隊員たちの軌跡』(新潮社、1985)はかなり以前に文庫版で読んだ。
昨年2022年9月16日に95歳で亡くなっている。じつに多作の作家であった。
『だまって座れば ー 観相師・水野南北一代』は、人相判断を科学の域まで高めた「観相師」の一代記である。
南北というと『東海道四谷怪談』の鶴屋南北を想起するが、こちらは水野南北である。江戸時代後期に生きた同時代人だが、まったくの別人である。鶴屋南北は江戸の人、水野南北は大坂の人であった。
■人相判断を科学の域まで高めた「観相師」
水野南北(1760~1834)という人物のことは、『江戸時代の小食主義 ー 水野南北『修身録』を読み解く』(若井朝彦、花伝社、2018)という本で、はじめてその存在を知った。
運を呼び寄せ、長生きしたけりゃ、小食に徹すべしという内容だ。その通りに実行はできない内容ではあるが、その趣旨には大いに賛同している。
その水野南北は「観相師」であった。人相判断である。人相を見て運勢を判断するのが観相師。易者ではない。
学問を積んだ学者ではない。もともと極道として入牢経験もある人物であり、ストリート・スマートというべき人物であった。
死相が見えると指摘されたことにショックを受け、その指摘を行った乞食僧のもとで、人相判断の原理を3日かけて学んだあと、「万人観相」せよという師のアドバイスに従って人間観察の旅に出る。 過去の中国で書かれた専門書の知識ではなく、生きた現実世界のなかで直接自分の目で徹底的に観察せよ、ということだ。
大坂から江戸に出て、さらに石巻沖の金華山で仙人修行もしている。日々の生活は、南蛮渡来と称する秘薬の販売で立てていたという。
■フィールドワークで膨大なデータを収集し脳内データベース化
人相と運勢の関係について、問題意識をもって仮説検証するには、一定以上のデータを集める必要がある。水野南北は、どうやってそれを実行したのか、それが大いに興味をそそられるのである。
「万人観相」を肝に銘じて、10年近いフィールドワークにおいて膨大な数の男女の顔と人体をサンプルとして観察している。「万人」というが、おそらくサンプル数は1万人ではきかなかったのではないか?
本人はそんな概念など知りもしないだろうが、「帰納法」で人相と運勢の「相関関係」を発見、脳内データベースを瞬時に駆使して、限りなく100%に近い精度で運勢を言い当てることが可能になった人物である。
そのフィールドワークの内容がまたすごいのだ。まずは「髪結い」で3年過ごして人相と運勢の関係を徹底的に観察している。髪結いとは、現代でいえばヘアサロンのことである。お客との会話で情報を聞き出すのである。
人相が重要で、とくに眼が最重要だが、つねに見えている顔以外の要素も重要だと悟って、湯屋(=風呂屋)で三助となって、男女の人体と人相の関係をくまなく観察すること3年(ただし、女性については別途の手段も併用しているという)。さらに、死因と運勢の関係を研究するために葬儀場で3年過ごしているのだ。
その徹底ぶりには驚くばかりである。現代風にいえば、文化人類学で使用される「参与観察法」の手法そのものである。
とはいえ、メモなんて取らないのである。いや取れる現場環境ではなかろう。だから、すべてを脳内で反芻し、相関関係を見いだして脳内でデータベース化して記憶していくのだ。下手に学問なんかないから可能だったのかもしれない。
まさに経験科学であり、統計学の知識をもたない統計学者であったというべきだろう。裏世界にも熟知した、人間観察を極め尽くした人でもある。観相師として大成功し、全国各地から弟子が集まってきたという。
(『江戸時代の小食主義』より。神坂次郎の本によれば、本人もあまり人相がよくないことは自覚していたという)
もてる知識を弟子たちに直接教えただけでなく、出版によって惜しむことなく広く世間に公開している。素晴らしいではないか。 それだけ自信があったのだろうし、また世の中に広めたいという意識も強かったのだろう。
■水野南北の説いた「小食主義」
そんな水野南北が最終的にたどりついた極意が「食の一条」である。運勢を変えるためには、小食に徹すべしと思想のことだ。運勢とは、その人が生きてきた軌跡そのものであり、それは何を食べてきたかでもある。
その思想は、19世紀後半から20世紀初頭に活躍したルドルフ・シュタイナー(1861~1925)の思想を想起させるものがある。唯物論者フォイエルバッハの「人間は、食べるところのものである」を援用して、人間は肉体だけでなく、その精神も、その人がなにを食べてきたかで決まってくると説いている。
水野南北に戻れば、太陽の気の「天の相法」と「食の相法」が密接に関係していることに開眼したのが、伊勢における21日間の断食行の最終日であったという。
太陽神である内宮の天照大神(あまてらすおおみかみ)と食物の神である外宮の豊受大神(とようけおおかみ)。伊勢神宮ならではの開眼である。
話としてちょっと出来過ぎのような気がしなくもないが、水野南北本人がそう書いているのだから、そうなのだろう。
水野南北の観相は、運命をいい当たるだけでなく、凶相を逆転させ良い方向に転換させるアドバイスを行うものであったらしい。これまた素晴らしいではないか。人を脅かして弱みにつけ込むような輩とは、まったく違うのである。苦労人だけに、人情味のある人だったらしい。
そんな水野南北は、弟子たちには「水野」も名乗らせず、「南北」の文字を使うことも禁止していたという。「一代限り」としていたからだ。これまた素晴らしい。
ところが、女性を見る目がぜんぜんなっていなかったらしい。観相師で人相判断ができるのに、女性関係にはことごとく失敗している。これまた天の配剤というべきか、人間というのは面白い。
江戸時代の時代小説というと、「江戸」を舞台にしたものばっかりだが、この作品は主要な舞台が徳川幕府の直轄地であった「大坂」であり、セリフも大阪弁であるのがたいへん良い。もっとも、聞くのと違って、目で読む大阪弁はややわずらわしいのだが・・。
時代考証もかなりしっかりなされており、なによりも作家自身がこの水野南北という人物を好きであることが、じかに伝わってくる。もちろん、わたしもさらに水野南北に対する関心が深まることになった。
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