2023年2月5日日曜日

書評『現代に生きる大蔵永常 ー 農書にみる実践哲学』(三好信浩、農文協、2018)ーわが愛読書『広益国産考』の著者の生涯とその思想について知る

 

日本史の教科書にも登場する『広益国産考』の著者の生涯とその思想を考察した内容の本である。 

大蔵永常(1768~1861)は、江戸時代後期に生きたフリーランスの農業ジャーナリスト。その93年(!)に及ぶ生涯で、「農書」を中心に膨大な著作を書いている。 

農書は、現代でいえばビジネス書のようなものだ。農民でも読めるように、文章はやさしい和文で、挿絵がたくさん入ってる農業技術のハウツー本である。 

代表作といえるのが、最晩年に完成した『広益国産考』(1859年)で、いわば集大成ともいえる本だ。 

この本は岩波文庫に収録されていて、ずいぶん昔に入手しており。ときどき引っ張り出してきては読むのを楽しみにしてきた。なんといっても挿絵を見るのが楽しみなのだ。 

参考のために、岩波書店のサイトから書籍紹介文を引用しておこう。

『広益国産考』
江戸時代の三大農学者のひとり大蔵永常(1768頃‐?)の主著で,彼の農学大系がここに集成されている.この時期,商業資本の台頭により諸領主の財政は危機を深め,農民の疲弊窮乏も特に深刻なものとなった.本書で永常はその救済を産業振興,生産向上に求めて,彼自身の諸国行脚による見聞を基に,きわめて具体的懇切にその手段方法を述べている.

岩波文庫版がでた1946年時点では没年不明となっているが、『現代に生きる大蔵永常 』によれば、その後の調査で判明している。没年は1861年と幕末の激動期の江戸であった。


■大蔵永常の生涯と思想

天領であった日田(現在の大分県)に生まれた大蔵永常は、農民ではなかったが、蠟の原料となるハゼノキの商売にかかわっていた人。 

父親の反対で漢学を学ぶことはできなかったが、独学でさまざまなことを学び、まずは大坂で30年、その後は江戸に居を構え、全国各地を自分で足で歩いて、農業の実態を見聞して観察し、農民のための農業知識にかんする実用書を大量に書いたのである。 

瀬戸内海をはさんで日田と大坂は、意外と密接な関係にあったようで、日田からは咸宜園の広瀬淡窓、独創的な哲学者・三浦梅園、天文学者の麻田剛立、儒者で蘭学者の帆足万里などがでている。

(著者が大蔵永常と推定している画像。三河田原藩家老の渡辺崋山によるもの)


大蔵永常の問題意識の原点は、1783年と1787年の2回にわたる「天明飢饉」を日田で経験したことにあった。飢饉による農民の惨状を目撃しているのである。

だからこそ、農民が飢饉の際に苦しまないよう、農民の自主性を重んじたうえで、コメ以外の商品作物の栽培を奨励し、生産性向上のための肥料や農具の紹介、害虫駆除のための方法などを紹介してきた。男女協業も推奨している点は強調しておくべきだろう。

なんといっても挿絵が、江戸時代後期19世紀前半の農民の生活を描いていて味がある。原図を描いたのは永常自身であろうが、挿絵に描き上げたのは大坂を拠点にしていた浮世絵師の松川半山だという。木版画の挿絵を眺めているだけでも楽しい。

(ブドウ棚での収穫作業は現在とおなじ 『広益国産考』より)


重要なことは、商品作物の栽培を奨励しているだけでなく、加工から販売まで一貫した流れとして視野に入っていることである。利にさとい農民たちに、具体的に記述している点に特色がある。商品経済が進展する時代の農業が意識されているのだ。

(左は搾油方法、右は耕作と野菜の苗植え)

なんと、伏見人形まで取り上げられている。土を焼いてつくる土人形つくりを描いた挿絵は、内職しごとというか、まさに「家内制手工業」そのものだ。

(焼き上がった人形に彩色する夫婦)

大坂に居住していた時期には、蘭学者からオランダの農業技術にかんする知識を教えてもらっているらしい。おお、こんなところで蘭学者で「日本の電気学の祖」であった橋本宗吉(1763~1836)に遭遇するとは思わなかったな。 永常は農業機械の仲介を行っているが、高価なため売れなかったようだ。

また、永常の妻の縁戚は大塩平八郎(1793~1837)であり、永常と平八郎とは交友関係にあった。病妻と未婚の娘を抱えてのフリーランス生活は、なかなか厳しかったようで(・・現在のような出版しても「著作権」など、ないも同然の時代だ)、生活安定のため仕官したこともあるようだ。 

そのために有力者に著書の序を依頼していたのだろう。鯨油をつかったイネの害虫イナゴ駆除を解説した『除蝗録』(1826年)には、昌平黌の儒者・佐藤一斎が漢文の長い序文を寄せている。

佐藤一斎と漢文というのが効力があったのだろう。1835年には、一斎の弟子であった渡辺崋山の引きで66歳のとき三河田原藩に、その後は水野忠邦の引きで浜松藩で農業技術者として採用されている。だが、いずれも中途半端で終わってしまったようだ。前者は蛮社の獄で崋山が失脚、後者は老中失脚のためである。 

そんな大蔵永常であるが、なんと93歳まで生きていたのである。生活のためとはいえ、「生涯現役」を貫いた生涯であった。 


■大蔵永常の消費経済を前提にした「農民道」は現在に生きている

石田梅岩が「商人道」を説いた人であるなら、大蔵永常は「農民道」を説いた人だといえようか。 

大蔵永常と同郷の著者は、永常の実践哲学は、時代を超えて大分県で生まれた「一村一品」運動にもつながるものがあるとしている。 

「一村一品」運動はタイ王国にも移植され、「OTOP」( One Tanbon One Product)として定着し、ブランド化していることを考えれば、まさに21世紀の「現代に生きる」実践哲学といっても、言い過ぎではないだろう。 

わが愛読書の『広益国産考』の著者である大蔵永常の生涯とその思想をくわしく知ることができて、たいへん有益であった。 思想家として取り上げられることはないが、まさに生きた思想がそこにあるからだ。


画像をクリック!

 


目 次
序章 天領日田の精神風土 
第1章 旺盛な著作活動 
第2章 永常農書は何のために書かれたか 
第3章 農業技術をどう伝えるか 
第4章 農書から拡張するジャンル 
第5章 技術論と道徳論の乖離をどうみるか 
第6章 広益国産考の近代性 第7
章 現代に生きる大蔵永常の精神 
終章 「農業商賈」としての大蔵永常 
あとがき 
付録 日本農業全集に収録された大蔵永常の農書一覧 
人名索引

著者プロフィール
三好信浩(みよし・のぶひろ)
1932年、大分県日田市生まれ。広島大学大学院教育学研究科博士課程修了。教育学博士。広島大学教授、比治山大学学長などを経て、両大学の名誉教授。著書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<ブログ内関連記事>




・・大原幽学は農業改革家。世界ではじめて農業協同組合をつくった人

・・農業改革者の二宮尊徳も成田山で21日間の断食修行を行い開眼


(2023年2月13日 情報追加)


(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end