ちょっと前のことだが、必要があって『イスラーム思想史』(中公文庫、1991)を30年ぶりに手に取って読んだ。といっても、全部ではなく一部ではあるが。
著者は、世界的なイスラーム学者で、日本を代表する哲学者であった井筒俊彦(1914~1993没)。ことし2023年は、早くも没後30年ということになる。
代表作は『意識と本質』(岩波書店、1983)。この本は岩波文庫に収録されてロングセラーとなっている。井筒氏の本は、真に理解できているかどうかは別にして、リアルタイムで単行本を購入し、ほぼすべて読んできた。
『イスラーム思想史』の初版は1975年だが、もともとは1941年に刊行されたものが原本。すでに80年以上前になるわけだな。
この本の存在をはじめて知ったのは高校時代か、大学時代か忘れてしまったが、箱入りの単行本として岩波書店から出版されていた。いっこうに売れずに自宅から近い駅ビルの書店の棚の上方に鎮座していたのをいつも眺めていた。岩波書店の本は日本の書籍流通のなかでは例外的に「買取制」なので、そういう事態が発生するのだ。
井筒氏の生前に出版された中公文庫版には、「TAT TVAM ASI (汝はそれなり) バーヤジード・バスターミーにおけるペルソナ転換の思想」(1989年)という論文が巻末付録としてつけられていて、これがじつにすばらしい内容なのだ。 この一編を読めるだけでも中公文庫版の価値がある。
8世紀のイランに生きた、神秘主義スーフィーの思想家バーヤジード・バスターミーが、古代インドの「ウパニシャッド」の「梵我一如」に影響を受けていることを実証したのがその内容だ。
バーヤジード・バスターミーは、井筒氏の知られざる名著であった『神秘哲学 第2部 ― 神秘主義のギリシア哲学的展開』(人文書院、1978)の「第2章 プラトンの神秘哲学」にも登場する。そこでは、「ギリシア神秘思想の東洋的展開というべき回教神秘主義」のひとつとして紹介されている。この本も2019年に岩波から文庫化されて入手が容易になった。原本は1949年の出版である。
インドの「梵我一如」の思想は、「神人合一」と表現することも可能だ。東アジアの人間にはそれほど違和感のないこの思想も、アッラーという人格神を中心に据えた一神教のイスラームにとっては、きわめて危険なものとなる。 あえて説明するまでもあるまい。
バーヤジード・バスターミーは、いかにしてその危険を回避し得たのか、そのスリリングな思想ドラマが井筒氏によって手に取るように記述されているのだ。それにしても、はたして30年前にその議論をどこまで読めていたのかは、はなはだ疑問ではあるが・・・。
7世紀に誕生したイスラームは、その後、西から古代ギリシアの知的財産を存分に吸収して「文明」として確立された。それだけでなく、東からはインドの影響を受けているのだ。イランは東西文明の交差点、あるいは結節点のポジションにある。
日本人はインドというと、大乗仏教が中国を経由して日本に影響した側面だけを考えがちだが、そうではないことを知らなくてはならない。
そういえば、梅棹忠夫氏はインドは東洋でも西洋でもなく「中洋」であると主張していたな、と思い出す。 イランもまた「中東」というべきか、それとも「中洋」というべきか。そんなことを、あらためて考えてみる。
目 次第1部 イスラーム神学 ― Kalam第2部 イスラーム神秘主義(スーフィズム)― Tasawwuf第3部 スコラ哲学(Falsafah)― 東方イスラーム哲学の発展第4部 スコラ哲学(Falsafah)― 西方イスラーム哲学の発展後記人名索引TAT TVAM ASI (汝はそれなり)「TAT TVAM ASI (汝はそれなり) バーヤジード・バスターミーにおけるペルソナ転換の思想」
著者プロフィール井筒俊彦(いづつ・としひこ)1914年、東京に生まれる。1937年、慶応義塾大学文学部卒業。1968年まで慶応義塾大学文学部言語文化研究所教授。翌年、カナダ・モントリオールのマックギル大学イスラーム教授に就任、1972年、パリ Institut international de Philosophie 会員、その後、イラン王立哲学アカデミー教授を経て、慶応義塾大学名誉教授、日本学士院会員となる。文学博士、専攻は東洋哲学、言語哲学。1993年没。
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