2023年11月6日月曜日

書評『宗教と過激思想 ー 現代の信仰と社会に何が起きているか』(藤原聖子、中公新書、2021)ー 社会的公正の実現を主張する人たちが切迫感にかられて暴力やテロに訴える背景にあるものとは

 


思わず手に取りたくなるタイトルである。「宗教」と「過激思想」と、2つのことばが「と」で挟まれている。だが、ほんとうは「宗教」は「過激思想」であると、「は」で挟んだほうがいいかもしれない。

そもそも、どんな宗教であれ、社会から受け入れられ、成熟化して「穏健化」するまでは「過激」である。自己主張のかたまりであるからこそ、新興宗教に限らず、どんな宗教でも他の宗教との違いをことさら強調する。設立最初は「過激」にならざるをえないはずだ。

とはいえ、暴力的で「過激」に見える宗教が目立つのはなぜか。とくに2000年代に入ってから「過激」さが際立っているのがイスラーム主義者のテロや暴力行為。前近代では「異端」とされていた宗教思想は、現代では「過激」な宗教思想となっている。英語では religious extremism という。

著者は、過激な言動の背後にある「思想」に注目している。暴力やテロなどの過激な行動を起こす「人物」は、それぞれに個別の動機や背景があるが、外部からその真意をうかがい知ることはむずかしい

それに対して、ことばで表現された「思想」は分析の対象として適切だ。しかも、比較分析が可能となるし、その分析から傾向を導きだすことができる。


■事例研究の対象としての「世界宗教」

著者は、結論ありきのアプローチではなく、事例を分析しながら現代の過激な宗教思想の「共通性」をあぶりだそうと試みている。

まずは、「世界宗教」あるいは「普遍宗教」とされている世界の三大宗教について、イスラム系過激思想、キリスト教系過激思想、仏教系過激思想から事例をとりあげている。

イスラム系過激思想からは、20世紀エジプトのイスラーム思想家サイード・クトゥブ米国の黒人解放指導者マルカムXが対比されているが、この2人がイスラーム主義者であり、かつ同時代人であったという指摘に、はっとささられる。

宗教が先にありきか、民族主義が先にありきか。これがかれらの相違点だ。マルカムXは、暴力を肯定していたわけではない。そこが、アルカーイダやISISの源流とされるクトゥブとの違いだ。

キリスト教系過激思想からは、白人でありながら黒人解放のため暴力も辞さず、「テロリストの父」とよばれる19世紀のジョン・ブラウン、中絶反対のためテロも暴力も辞さない米国の「プロ・ライフ」の福音派のキリスト教徒たち。

そして、仏教系過激思想からは、日本で「一人一殺」を実行した井上日召、暴力の向かう先が他者ではなく自分に対してであるが、焼身による抵抗運動をおこなうチベットの僧侶たちがとりあげられる。

暴力も辞さない過激な宗教思想は、けっして「一神教」特有のものではないことが明らかになる。一神教か一神教多神教かという、通俗的な二分法では見えてこないものがあるのだ。


■「民族宗教」と暴力化する「ナショナリズム」
 
過激な宗教思想は、世界宗教だけではない。

むしろ「民族宗教」こそ、かえって見えやすい形で「ナショナリズム」とむすびつきやすいみずからが属する集団の「アイデンティティを、他者を否定するかたちで明確化するのである。

自民族至上主義他民族排斥主義を主張する過激な宗教思想。「ナショナリズム」を近代に生まれた代替宗教と考えれば、これらの過激な思想は、ナショナリズムの極北といえるものであろうか。

取り上げられているのは、イスラエルとインド、そして日本の民族宗教である。ユダヤ教は「一神教」、ヒンドゥー教と神道は一般に「多神教」と分類されているが、むしろ「民族宗教」という側面に注目すべきである。本質的な差違は、一神教か否かという点には存在しない。

米国生まれでイスラエルに移住した正統派ユダヤ教のラビのメイル・カハネは、その暗殺後も、カハネ主義としてテロ組織認定されながらも、イスラエルでは熱烈な支持者がいる。選民思想の極地ともいうべき極端な思想である。


ヒンドゥー至上主義を唱える政党 BJP が、現在のモディ政権の出身母体であることは、比較的よく知られていることだ。隣国パキスタンやインド国内のイスラーム主義者によるテロや暴力からの脅威を批判し、それに対抗するための過激な言動を実際の政策に反映させている。

このインドの状況は、現在のイスラエルとよく似ているのではないか。

ムスリムとの共存を説いた「インド独立の父」ガンディーはヒンドゥー教徒であったが、過激なヒンドゥー至上主義者の青年によって暗殺されている。近年のインドでは、ガンディー暗殺犯を英雄として礼賛するインド人が増えているという情報もある。

インドとイスラエルは期間に違いがあるとはいえ、ともに英国の統治下から「独立」したことも共通している。この件は本書とは直接関係はないが、その他にも共通点が少なからずあることに気がつかされた。

神道系過激思想からは、安藤昌益が取り上げられているのは意外であった。

現在のイスラエルやインドの状況を想起させるような、戦前の「国体思想」につながる本居宣長や平田篤胤の思想ではなく、いっけん平和思想に見える安藤昌益の思想の過激性に注目している。

東洋系の宗教に共通するテーマだが、「梵我一如」や「天人合一」と表現される宗教思想のもつ正負両面に注目する必要がある。

ポジティブな側面とは「人類みなきょうだい」という人類愛の思想、ネガティブな側面とは「天に代わって悪を撃つ」ことが許されるという思想である。後者はテロを正当化することにつながりやすい。

宗教が説く人類愛と、不公正を糺すためにテロに訴える宗教思想は、じつは同根なのである。



■なぜ過激な宗教思想は暴力やテロと結びつきやすいのか

著者は、事例研究から過激な宗教思想の共通点を抽出している。著者が整理した4項目を、さらにわたしなりに書き直しておこう。


1. 「公正」な社会を求めていること。たんなる幸福ではなく、社会的な公正が実現されていないことを批判し、「不公正を糺す」ための行動が必要だとする
2. 問題解決に「いまでなければいつ?」という「切迫性」を感じていること
3. 西洋近代が生み出した民主主義、リベラリズム、社会主義、宗教性のないナショナリズムでは社会的公正は実現しないとし、問題解決を宗教そのものに求める
4. 自分が信じる宗教が、社会的公正実現の唯一のあり方だとみなし、そこに敵の存在を前提にした否定的な形での「アイデンティティ」を見いだす。「世界宗教」の場合は、国境を越えたネットワークを志向し、「民族宗教」の場合は国境線で明確にウチとソトを区分する道を選ぶ


「公正」とは英語でいえばジャスティス(Justice)のことだ。「公正な」(just)な社会の実現こそがカギである。経済格差が拡大し、平等とはほど遠いという不公正自分が割を食っているという不公平感。いずれも近代社会であるからこそ、生まれてくる感情である。

社会的公正を実現しなくてはならない。だが、民主主義的なプロセスなどまどろっこしい。「切迫感」を感じるからこそ、直接的な行動、つまり暴力やテロに訴える。短絡的にそう思いがちがちなのである。そして、その行動の背景には、過激な宗教思想があることが多い。

ただし、革命のような体制変革ではなく、あくまでもテロの段階にとどまる。パフォーマンス的なのである。

この本を読んでいると、明解に整理された結論がむりなく導きだされるのを感じて、ある種の心地よさを感じる。だが、はたしてだから読者であるわれわれは、いったいどうすべきなのかという疑問も生まれてくる。

おそらく、このような本を読む人は、過激な宗教が背景にある暴力やテロ事件が多発する理由を知りたいと思う人が大半であって、実際に過激な宗教思想を抱いていて、社会的公正の実現のためにテロを起こそうなどという人はいないだろう。

とはいえ、ネットに横行する陰謀論が引き金になっているケースは増大しつつある。トランプ主義者たちによる米国の連邦議会襲撃事件の引き金になったのも、ディープステート(DS)などのオカルト的な陰謀論であった。いとも簡単に陰謀論に絡め取られてしまう危ない状況。

本書が出版されたのは2021年5月、その翌年の2022年7月には、「安倍元首相銃撃事件」が発生している。

暗殺者の行動に、宗教的な背景が直接的に影響を与えているかどうかは別にして(・・井上日召の場合も、後付け的性格が濃厚だと著者が指摘している)、日本では「テロの伝統」があることを忘れてはならない。

本書ではサタニズム(悪魔主義)について簡単に触れられているが、過激な宗教思想だけでなく、オカルト的な陰謀論の影響についても、考察を深める必要がある。

著者の表現をつかえば、「思想内在的過激性」についての自覚が必要なのである。






目 次 
はじめに 「イスラム過激思想」という造語への疑問 
序章 宗教・過激に関わるいくつかの言葉 
第1章 「アンチ西洋」ではくくれない ― イスラム系過激思想 
第2章 「弱き者のため」のエネルギーはどこから ― キリスト教系過激思想 
第3章 善悪二元論ではないのに ― 仏教系過激思想 
第4章 ナショナリズムと鶏卵関係か ― ユダヤ教・ヒンドゥー教・神道系過激思想 
第5章 過激派と異端はどう違うか 
終章 宗教的過激思想とは何か 
おわりに 「宗教的過激思想」が照らし出すもの 
あとがき
参考文献

著者プロフィール
藤原聖子(ふじわら・さとこ)
1963年東京生まれ。1986年東京大学文学部卒業、2001年シカゴ大学大学院博士課程修了(Ph.D)。東京大学大学院人文社会系研究科准教授などを経て、2017年から同教授。著書 には、『現代アメリカ宗教地図』(平凡社新書、2009)、 『教科書の中の宗教―この奇妙な実態』(岩波新書、2011)、 『ポスト多文化主義教育が描く宗教 イギリス<共同体の結束>政策の功罪』(岩波書店、2017)など多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものにWikipedia情報を付加)



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