「原爆投下」(1945年8月6日)から8年目に製作された映画だ。原爆被害者を含め、広島市民が8万8千500人以上(!)も手弁当で参加しているという。
原作は『原爆の子 広島の少年少女のうったえ』(長田新編、岩波書店、1951)。原爆を体験した子供たちの作文を収録したものだ。1990年には岩波文庫から文庫化されている。
再上映されていることがネットニュースで取り上げられているので、この機会に視聴してみることにした。
(広島出身の月丘夢路と子どもたち Wikipediaより)
一瞬の閃光がすべてを変えてしまったのだ。原爆投下のビフォア&アフターのすさまじい違い。直接の被害者たちだけでなく、バラバラになってしまった家族、何年もたってから発症する白血病をはじめとする原爆症。そして復興へと立ち上がる市民たち・・・
ドラマ性を極力排して、徹底的にリアリズムにこだわったという(・・ただし、さすがに寸止めで、ケロイド状の火傷などは映像化されていない)。CGなんてまったくなかった時代の作品である。
この映画に登場する日本人も、2020年代の日本人ではない。いまの俳優にやらせても再現はむりだろう。生活習慣がまったく変化してしまっているからだ。
視聴していて驚いたのは、原爆投下から8年目の学校の教室のシーンで取り上げられる『僕らはごめんだ 東西ドイツの青年からの手紙』(篠原瑛 訳編、光文社、1952)という本と、急性白血病を発症した少女の病床で読み上げられた一節だ。あるドイツの青年の発言である。
(画面をスクショ)
「20何万かの非武装の、しかも何の罪もない日本人が、あっさりと新兵器のモルモット実験に使われてしまった・・・」「つまりそれは、日本人が有色人種だからということにほかならない・・・」(*はじまりから8分頃のシーン)
「有色人種だから原爆が使用された」。そう思ったのは日本人だけではなかったのだ。ドイツの青年がそのような発言をしていたとは・・・
ドイツに使用されなかったのは、原爆開発がドイツ降伏までに間に合わなかったからだが、なぜ日本に対して使用されたのか、現在にいたるまで定説となるような確たる答えはない。 明らかなのは、トルーマン大統領が原爆投下を最終決断したという事実である。これは否定しようがない法的責任である。
Wikipediaの記述によれば、この一節が「反米的」だという理由で問題化され、東宝や大映など大手5社が配給を拒否したという。いわく付きの映画なのだ。
すでに1952年には「サンフランシスコ講和条約」が発効し、日本は独立を回復していたにかからわず、GHQによる検閲が当たり前だった時代のマインドセットが消えていなかったのだろう。
「反米ナショナリズム」が燃え上がったのは、1960年の「安保闘争」の年である。1953年時点では、まだそこまで至っていない。
全体的なトーンはとくに反米的だというわけではない。とはいえ、1950年からはじまった朝鮮戦争が影を落としている。この映画を製作した日教組は、1951年に「教え子を戦場に送るな」というスローガンを打ち出していた。
当時の日本人は、ふたたび戦争に巻き込まれるのではないかと不安を抱いていたことも確かなことだ。一方では、朝鮮戦争の特需で復興が早まったことも事実ではある。このアンビバレントな状況は映画にも描かれている。
この映画は、なによりも原爆被害の悲惨さを映像として残したい、伝えたいという思いで一貫している。
カラー化されたこのバージョンを見ていると、瀬戸内海がほんとに美しい。原爆投下さえなければ、戦時下とはいえ平和な日常が維持されていたのだと思うと、なんともいえない気持ちになってくる。
本日8月6日は、広島に原爆が投下されてから80年。そして、8月9日は長崎に原爆投下されたから80年。
いまはただ鎮魂を祈って手を合わせるのみ。合掌
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