「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ 恵みの居場所をつくる」(William Merrell Vories as an Architect)という展覧会に足を運んできた。巡回展(2009年4月4日~6月21日)で、東京では汐留のパナソニック電工(旧松下電工)本社のショールームに併設されたミュージアムで開催されている。
ヴォーリズの建築物は、かなりの数が日本各地に残されており、本拠地であった近江八幡、軽井沢以外にも、大阪では「大丸心斎橋店」、東京ではお茶の水の「山の上ホテル」、「明治学院大学の礼拝堂」などが残されている。ミッションスクール、教会堂、個人の洋風住宅なども数多い。
そもそも建築物はその場所に自分の足で行き、自部の目で見て、そして触ってみないと、さらにいえば、その中に住んだり、利用しないと本当にはその良さはわからないものだが、展覧会という形で写真パネルと解説文を読み、模型を見るだけでも意味のあることだろう。
今回の展覧会では、一般住宅が復元展示されており、実際に中に入る体験をすることができたのは幸いであった。また何よりも、ネット含め一般書店ではなかなか入手しにくい資料が何点か入手できたことは収穫である。展覧会とはいえ「現場」である。現場にいく意味は大きい。
■建築家ヴォリーズは、メンソレータム(現在はメンターム)の創業者でもあったキリスト教伝道者
もともとウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories:1880-1964)という人は、キリスト教伝道(=ミッション)を志し、琵琶湖東岸の近江八幡という地方都市に単身やってきたアメリカ青年であった。
コロラド大学在学中、建築家になる夢をかなえるために MIT(=Massachusetts Institute of Technology)に転学するはずだったのだが、トロントで開催された会議で、中国ミッションの困難と苦難に関する講演を聴いている最中、キリストの姿(=ビジョン)を幻視し、キリストから直接語りかけられたという劇的な回心を体験し、キリスト教の海外伝道という自らの使命(=ミッション)に目覚めた結果、建築家になる夢をあきらめ、後ろ盾もなく身一つで英語教師として日本に渡ったのである。自伝である『失敗者の自叙伝』にはそう書かれている(・・この自伝については後述)。
YMCA運動から出発したヴォーリズは宣教師ではなく、既存の教団という後ろ盾がなかったため、まったくの無一文から自力でキリスト教伝道とビジネスという二つの事業を始めたということが重要だ。
英語教師を解任されたことが建築設計監督の仕事を始めた直接のきっかけになっているが、その時役にたったのがアマチュアながら続けていた建築学へのかかわりであった。
そもそもがキリスト教伝道のための活動資金を作るための事業活動であり、知的作業である設計料は正当な報酬としていっさい値引きすることなく要求したという。
「信仰と商売の両立」を理念として掲げたヴォーリズならではである。日本人でも、内村鑑三が『後世への最大遺物』という講演で、ほぼ同じようなことを主張している。
家庭用の塗り薬メンソレータム(・・現在の商品名はメンターム)を中軸に大いに繁盛し、後に近江兄弟社となった事業は、税引き後利益の大半をもってさまざまな社会事業(学校、病院その他)の形で地域に還元していった。
儲けても本人はいっさい自ら所有はせず、ほぼすべて社会に還元していったという意味において、社会起業家(social entrepreneur)のさきがけといえるだろう。
とはいえ、創業者の精神がいつまで保てるかということは難しいところである。実際、ヴォーリズの死後、近江兄弟社は1974年、石油ショック後に一度倒産を経験、再建して今日に至るという痛い経験をしている。「信仰と商売」の両立は決して容易ではない。
ヴォーリズについて初めて知ったのは、荒俣宏の『開化異国助っ人奮戦記』(小学館ライブラリー、1993)であった。荒俣は、一章をヴォリーズに割いて紹介している。この本を読んで以来、自分にとってヴォーリズは気になる人物の一人となった。
■「信仰と商売の両立」の実践した起業家たち-精密測定機器メーカー・ミツトヨと仏教伝道事業
同じようなケースが、他にも日本にはないだろうかと思ってかなり前に調べてみたことがある。キリスト教ではピーナッツバターのソントン、仏教では精密計測機器のミツトヨなどがあることがわかった。
塗り薬のメンソレ(現在の商品名はメンターム)やピーナッツバターは一般消費財だから知らない人はいないだろうが、ミツトヨはノギスなど精密測定機器の老舗メーカーで、機械工業にいれば知らぬ人間はいない。
ミツトヨの創業者・沼田惠範(ぬまた・けいはん)は、もともと米国での仏教布教のため西本願寺から派遣された開教師であった。カリフォルニア大学バークレー校を卒業後にい日本に帰国、人を押しのけることはきらいだという仏教精神のもと、きわめて高い精度が求められるため開発が困難で、参入障壁が高かった精密測定機器という分野で起業したことがあいまって成功し、世界トップシェアを誇る事業に成長させた。
創業者は初心を貫くべく、戦後に仏教伝道協会を設立、『仏教聖典』各国語版を無償で配布している。よく出張する人であれば、ビジネスホテルの引出しに、『ギデオン協会の聖書』だけでなく、オレンジ色の表紙の『仏教聖典』が入っていることはよくご存じであろう。
しかしながらミツトヨも創業者の死後、企業倫理に反する行為で信用を失墜したことは記憶に新しい。
余談だが、芝公園の仏教伝道協会ビル二階にある「菩提樹は中国素菜料理(Chinese vegetarian)専門店」で、すべての素材にいっさい肉を使用せず形をつくりあげているのがすごい。もちろん味も良い。タイの華人系市民で熱心な人は、少なくとも年に一回は齊(ジェー)という形でベジタリアンライフを送る。この話についてはまた別途書く予定。
機械産業に従事するみなさん、以上の事実を知っていて毎日ノギス使って測定してるのかな? 「アタマの引き出し」のなかにいれておいてください。
■洋風一般建築とモノに込められたキリスト教精神-日本近代のライフスタイル変化と見えざるキリスト教
閑話休題、ヴォーリズに戻るが、彼は「洋風一般住宅」の設計も多数行っている。
彼はその著書の中で、食事スペースと寝室スペースだけでは住宅とはいえず、居間(リビングルーム)がないとだめだ、キリスト教精神に基づいた暮らしはそうした住宅で行われるべきだ、と考えていたことを記している。
このことから、建築設計もまた伝道の一手段であったことがわかる。とはいえ、教会堂やミッショスクールの校舎とは違って、一般住宅にはキリスト教はダイレクトには表現されてはいない。
これに関連して、かつて私は大学の卒業論文の序論で以下のように書いている。
モノに込められた精神、あるいは知らないうちに入り込んで背景となっている精神、心性といったものには(・・意識しない限り、あるいはたとえ意識していても)盲目同然である。したがって、われわれは知らないうちにキリスト教精神、特にプロテスタンティズムの中にどっぷりと浸かっていながらそれに気づかず、またそれを解読する手段も持ち合わせていない・・(以下略)・・
(出典:『中世フランスにおけるユダヤ人の経済生活』、拙稿、1985年3月)
つまり「生活様式の洋風化」とは、好むと好まざるにかかわらず、目に見えないアメリカ化、すなわち宗教なきプロテスタンティズム化なのである。
1990年から2年間、M.B.A>取得のために米国留学した際、日本から持参したマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(通称プロリン)は繰り返し再読してみたが、アメリカ資本主義がプロテスタンティズムとかなり親和性の高いことは、現地で強く実感したものである。
(教会建築に似た大阪の大丸心斎橋店もヴォーリズの作品 筆者撮影)
キリスト教が解禁されてから約125年、日本における仏教の衰退は生活習慣の洋風化を通じて、敗戦後は圧倒的なアメリカナイズ、とくに高度成長以降の前近代的要素の払拭を通じて、知らず知らずのうちに達成されたというべきであろう。ヴォーリズの洋風建築は先導役の一つとなったといえる。
消費社会化が急速に進展し、グローバル資本主義に完全に巻き込まれているタイでも同様の現象が観察できる。大都市である首都バンコクの中流階級以上の市民の間では、モノを通じてアメリカ風ライフスタイル(American Way of Life)が急速に普及しつつある。
実際、バンコクでは仏教に見切りをつけてキリスト教に改宗するタイ人も少なからずいることは、目に見える形での現れであろう。どうも資本主義≒物質主義≒アメリカ≒プロテスタンティズムの傾向は否定できないのではないか?実証するのは難しいが。
「仏教と資本主義は両立可能か?」という公開討論会が昨年(=2008年)バンコクで行われている。残念ながら両立不可能、という結論が無情にも出たのだが、この論点については、あらためてじっくり考えてみたい。
私自身はキリスト教の中でもプロテスタンティズムには正直言って親近感を感じないが、現代人として日本の大都市、とくに東京に生きるということは、無意識のうちにプロテスタンティズム的時空間の中で生きている、ということになっているわけなのだ。この流れが不可逆なものでないことを願うが、しかし後戻りはもはや不可能かもしれない。
もっとも、わたしも日本人仏教徒(・・ぜんぜん熱心ではないが)だからといって、畳の生活に戻りたいとは思わないのも正直なところだ。高度成長以前の「貧しくても幸せ」な時代にノスタルジーは感じても、実際にそういう生活を送りたいわけではない。
資本主義がもたらす過度の合理主義、そしてまた傲慢をいかに回避しうるか。問題設定はできても、最適解を見つけるのは難しい。
■『失敗者の自叙伝』というタイトルに込められた「成功者」の思いとは?
ヴォーリズは日本語で、『失敗者の自叙伝』(近江兄弟社、初版1970、第三版2000)という未完におわった自伝を書いている。今回の展覧会場で入手した本だが、「成功本」ばかりがあふれかえっている現在の日本ではきわめて珍しいタイトルだ。
客観的に見て成功者であるヴォーリズが、自らの生涯を「失敗者」と位置付けている。自分の死後10年後の近江兄弟社の倒産を予見していたわけではあるまいが、なんとも意味深長なネーミングである。
アメリカ人にもこのような「(神の前ではつねに)謙虚な姿勢」の人がいたこと、いや現在でもいることは知っておくべきであろう。
これは社会起業家としての、いやほんものの宗教者がもつ、本来的にきわめてすぐれた態度である。それがキリスト教であろうとなかろうと。
<参考文献>
『失敗者の自叙伝』(一柳米来留=メレル・ヴォーリズ、近江兄弟社、1970 2008年第三版)
『ヴォーリズ建築の100年-恵みの居場所をつくる-』(山形政明=監修、創元社、2008)
・・展覧回のカタログも兼ねている
『青い眼の近江商人 メレル・ヴォーリズ-「信仰と商売の両立の実践」を目指して-』(岩原 侑、文芸社、1997)
・・近江兄弟社の社長が書いたヴォーリズ伝
<関連サイト>
ヴォーリズ記念館(財団法人近江兄弟社)
・・財団法人近江兄弟社(メンタームの会社の財団)のウェブサイト
近江兄弟社メンターム
青い眼の近江商人ヴォリーズ
一粒社ヴォーリズ建築事務所ホームページ
・・ヴォーリズの建築事務所のウェブサイト
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
・・社団法人近江八幡観光物産協会のウェブサイト
株式会社 ミツトヨ : 精密測定機器の総合メーカー
・・「仏教伝道の支援を通じて人々の幸福に寄与する」が理念の会社
財団法人 仏教伝道協会
財団法人 仏教伝道協会 発願者 沼田惠範について
* 文意を明確にし、読みやすくするために、行替えを行うなどのほか、加筆修正を行って手を入れたほか、リンクの差し替えと大幅増補を行った(2011年5月18日)
<ブログ内関連記事>
■建築家関係
「日本近代建築の父アントニン・レーモンドを知っていますか-銀座の街並み・祈り-」にいってきた(2016年1月28日)-日本の教会建築と洋風建築に大きな影響を与えた知られざる建築家を知る
「ルイス・バラガン邸をたずねる」(ワタリウム美術館)
・・ピンクの色調が特徴のメキシコの建築家
『連戦連敗』(安藤忠雄、東京大学出版会、2001) は、2010年度の「文化勲章」を授与された世界的建築家が、かつて学生たちに向けて語った珠玉のコトバの集成としての一冊でもある
本の紹介 『建築家 安藤忠雄』(安藤忠雄、新潮社、2008)
・・いわずとしれた世界的建築家。ヴォーリズとは対照的に、饒舌な人である
「幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷 展」(INAXギャラリー)に立ち寄ってきた
■キリスト教の「回心」体験
アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)
・・アッシジのフランッチェスコも壊れた教会建物の再建をつうじて、自らの手で「建築家」としての仕事もそている
■社会起業家(ソーシャル・アントレプレナー)
グンゼ株式会社の創業者・波多野鶴吉について-キリスト教の理念によって創業したソーシャル・ビジネスがその原点にあった!
書評 『チェンジメーカー-社会起業家が世の中を変える-』(渡邊奈々、日本経済新聞社、2005)
・・シャーシャルビジネスの事例
書評 『ブルー・セーター-引き裂かれた世界をつなぐ起業家たちの物語-』(ジャクリーン・ノヴォグラッツ、北村陽子訳、英治出版、2010)
・・"Patient Capital" というソーシャルファンドについて
書評 『『薔薇族』編集長』(伊藤文学、幻冬舎アウトロー文庫、2006)-「意図せざる社会起業家」による「市場発見」と「市場創造」の回想録-
■資本家とフィランスロピー
内村鑑三の 『後世への最大遺物』(1894年)は、キリスト教の立場からする「実学」と「実践」の重要性を説いた名講演である
・・「この講演のなかでは、アメリカ的な慈善(=フィランソロピー)のためにカネを設けるということを美徳として評価もしていることに注目すべき」
■両立の難しさと葛藤を超えての創造
書評 『叙情と闘争-辻井喬*堤清二回顧録-』(辻井 喬、中央公論新社、2009)-経営者と詩人のあいだにある"職業と感性の同一性障害とでも指摘すべきズレ"
(2014年11月30日、2017年9月16日 情報追加)
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