2010年1月27日水曜日

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)ー 25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・

    

(ドイツで発行されたレオ・ベックの切手 wikipediaより)

以前にブログに書いたことだが、私は大学時代に歴史学を専攻し、西洋中世史の分野で卒業論文を執筆して卒業した。いまから25年前のことである。

 卒論のタイトルは、『中世フランスにおけるユダヤ人の経済生活』。この論文では、ユダヤ人信用業者、ひらたくいえば金貸しの実態について扱ったものだ。

 1985年当時は日本語でずばりこの問題を扱った単行本も論文もなく、えらく苦労させられたが、たまたまフランスの社会経済史の専門学術誌「アナール」(Annales. Histoire, Sciences Sociales・・いわゆる「アナール派」である)に格好な論文が掲載されていたのを発見し、このフランス語の論文をもとに、卒業論文をまとめあげたのであった。13世紀南フランスの事例をもとにしたものである。

 400字詰め原稿用紙で250枚という長編になってしまい、一冊に製本できず、二分冊となったしまった。卒業論分はすべて製本して図書館に保存される決まりになっている大学なので、いまでも図書館に架蔵されているはずである(・・確かめたことはない)。



 なぜ卒論でユダヤ人をテーマに取り上げたのか? 

 基本的に阿部謹也ゼミナール(阿部ゼミ)では、卒論のテーマは何でもよい、とされており、選択の自由が完全に学生に任されている点が非常に魅力的であった反面、自分で考えて、最終的に結論を出さなくてはならないというのは、実に厳しい要求であったような気もする。

 われらが恩師であった阿部謹也教授は、「そのテーマを選ばなければ生きていけないテーマを選ぶことです」と、さらにその先生であった上原専禄教授からいわれたという。このアネクドートはわれわれも口頭で聴かされたものであるが、『自分のなかに歴史をよむ』(阿部謹也、ちくまプリマーブックス、1988)という名著にも書かれているので、よく知られていることだろう。現在は、ちくま文庫からも出ている(2007年)。この本には、上原専禄ゼミで哲学者の三木清について書いた学生の話もでてくる。活字になっていない面白い話は他にもあるので、また機会があれば書いてみたいと思う。

 しかし阿部先生ならずとも、「そのテーマを選ばなければ生きていけない」なんてテーマがあるはずはない。一年間考えに考えた末、私は「ユダヤ人」をテーマに取り上げることにした。中世西洋史のゼミナールなので、せっかくなので中世ヨーロッパにこだわることにした。

 卒論指導に際して、何冊か先生の蔵書を貸していただいたが、コピーをとって夏休みに辞書を片手に読んでみた。そのうちの一冊が L.K. Little, Religious Poverty and the Profit Economy in Medieval Europe というタイトルのハードカバーであった。

 ところどころに先生自身がした、鉛筆による線引きと書き込みが多数なされており、「あ~、学者というのはこういう風に本を読むのか~」という感想をもった。ある意味では、大学院生でもないのに実地教育を受けたような気もする。

 その本は、タイトルを日本語にすると、『中世ヨーロッパにおける清貧と営利経済』とでもなるのだろうか。卒論執筆には、Chapter 3. The Jews in Christian Europe(キリスト教ヨーロッパにおけるユダヤ人) と Chapter 10. Scholastic social thought(スコラ派の社会思想)が役にたった。同書のペーパーバック版は現在でも入手可能のロングセラーである。


 なぜ卒論でユダヤ人をテーマに取り上げたのか?  

 理由はいくつかある。間違いなくあったのは、ユダヤ人がヨーロッパのキリスト教世界のなかではつねに「少数派」(マイノリティ)であった、という事実への共感とでもいったものである。

 私自身は日本人としては多数派に属するはずであるが、なぜかある時期から周囲に馴染めず、つねに違和感を感じている、というタイプの人間となっていた。高校時代くらいからだろうか。

 その当時はうまく表現できなかったが、その後に阿部謹也先生による「世間論がでて、昔から日本にも同じような思いを抱いて、周囲からスタンスを取ることによって精神の安定を得てきた人たちがいるのだ、と知った。

 大学時代から、読んでいた折口信夫(国文学者・民俗学者)の文庫版全集に収録されていた、若き日の「日記」に、こういう一節をみつけて非常に同感を覚えていた。「・・・また、同化せられざる悲しみを覚えに行くに過ぎないのだらう。」

 いま手元にないので確認できないのだが、折口が同じ日記のなかで「ちょうずんぴーぷる」なんて表現をひらがなで書いているのも興味深い。Chosen People とはユダヤ人についてしばしばいわれる「選民」のことである。

 キリスト教への違和感が、マイノリティであるユダヤ人への共感を感じたのは不思議ではない。ユダヤ人の歴史に決めてからも、さらにテーマを絞り込むのに時間がかかった。迫害を逃れてスペインのコルドバからモロッコ経由で移動し、最終的にエジプトのカイロに落ち着いたマイモニデス(=モゼス・ベン・マイモン)について書こうかなどとも考えた。

 最終的に、中世フランスにおけるユダヤ人の経済生活としたのは、就職活動にも有利になるかもしれない、などという不埒(ふらち)なものがあったことも否定しない。この話題をしたとき、銀行の就職面接では受けが悪くなかったのは事実である。結局、銀行そのものには就職しなかったが、これは結果としては良かった。人間万事塞翁が馬、である。

 同時期に受講した「華僑問題特別講義」も、大いにインスパイアしてくれたものである。自らが台湾・客家(はっか)出身である、立教大学の戴国煇(たい・くおふぇい)教授のこの授業は、東洋のユダヤ人とすらいわれた「客家」の立場からの講義は、私としては大いに得るものがあった。後に東南アジアのタイに深く関わった際にも大いに役立ったことはいうまでもない。



 さて、資料収集にあたって大いに役だったのが、たまたま見つけた、『増補 ユダヤ人論考-日本における論議の追跡-』(宮沢正典、新泉社、1982)という本だった。

 1877年(明治10年)から1981年(昭和56年)まで、日本で出版されたユダヤ関連文献を、すべて網羅した資料編がことのほか有用で、のちにさらなる増補版もでている。定価2,500円もする高い本だったが、実に価値の高い本だ。

 この資料編をみていて気がついたのは、1935年(昭和10年)から1943年(昭和18年)にかけて、満鉄調査部(南満洲鉄道調査部)からユダヤ問題関連の調査資料が大量に発行されていた事実であった。

 『タルムード研究資料』(昭和18年)、アルトゥール・ルッピンの『猶太人社会の研究』(昭和14年)など多数あり、大学図書館で図書カードを繰っては探しだし、片っ端から借り出してみた。その多くが、満鉄から東京商科大学(当時)に直接寄贈されたもので、いずれも「マル秘」か「取扱注意」の赤い印が押されていた。
 

 そんななかの一冊が、『猶太教』 (南満州鉄道株式会社・調査部特別調査班、大連、昭和18年3月)である。「猶太」と書いて「ユダヤ」と読む。

 大学図書館にあったのか、それとも国会図書館で借りてみたのか正確な記憶がないのだが、最初の部分を読んでみて、非常に共感を覚えてコピーを取った。

 その後、当時普及の始まったワープロに打ち込んだみた。フロッピーディスクはすでにないが、先日資料を整理していたら、クリアファイルに挟まったプリントアウトがでてきた。

 あらためて、ここに転載しておきたい。なぜユダヤ人で卒論を書いたのか、その答えの一つになるからだ。


 『猶太教』は、「第一部 ユダヤ教概説」(B.D.コーホン) 「第二部 ユダヤ教の本質」(レオ・ベック)の二篇を合本したものであり、引用は後者の「第1章 ユダヤ教の性格 第1節・統一と発展」(P.102-103)から抜き書きしたものである。

 これはむしろ当然の結果であった。何となればユダヤ人を取囲む現実は、疑う余なき程明白に物語った。冷酷な現実によって打ち建てられ、それに新しき迫害や圧迫の一つが環を加えた長き証しの連鎖からは、それと同じ数の打ち消し難い結論が生まれ来る。

 しかもそれらの結論は、ユダヤ教の指向に反するごとくでさえあった。とにかく、古(いにし)えの預言者たちによって約束されたものと、それぞれの新時代が肯定せんとしたとこのものとの間に生じた矛盾は強き緊張を生み、それがユダヤ人をして、ただ自らの殻の中に引龍ることを許さなかった。

 踏みひしがれた人や喧嘩に負けた犬は、自然自らを頼りとするに至る。さもなくば滅亡あるのみであろう。しかし、彼が世界の真中に立っている限り、自分自身をのみ知り、かつ眺めるために、閉込められた自己自身の観念にのみ生きるは不可能である。これができるのは権威の嗣子(しし)にのみ許された特権である。

 更にユダヤ人は常に少数者であった。少数者はとかく思索に耽りがちであるが、これが彼等の不運が与えた賜物(たまもの)である。彼等は闘争と思索とによってしばしば真理の認識を新にさせられた。

 その意識は支配者やこれを囲繞(いにょう)する多数者にとっては、権力や社会的成功によって容易に確証せられるところのものである。

 多数者の確信は所有の重みを有するが、少数者の確信は探求してやまぬ溌剌(はつらつ)たる精力を有する。この内的活動はユダヤ教の内に浸み渡った。それ自体で完成し、満足している世界の平静さはユダヤ教には見られないところのものである。

 自己を信ずるという事は、ユダヤ教にとっては当然のこととして約束せられたのではなく、実に絶えず繰り返されたる要求として、またすべての望みをかけた目標として存在した。

 而(しか)して外的生活が極限されればされる程、人生の義務に関するの確信がいよいよ熱心に求められ獲得されねばならなかった。

(* 太字の強調、漢字の読みは引用者が行ったもの。OCRで読み取った原稿はバグつぶしに意外と時間がかかる・・・)



 『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック)の原本は、Leo Baeck, 》Das Wesen des Judentums《, 1936. だが、この本が満洲国の大連で昭和18年(1943年)3月に出版されたとき、著者であるレオ・ベックはすでに強制収容所の一つであるテレージエンシュタットに送られていたのだった! 1943年1月(!)、70歳のときであった。 

 この事実は、今回あらためてレオ・ベック(Leo Beack)について調べてみて初めて知ったことである。まさかそんなことがあろうとは、さすがに満鉄調査部関係者も知らなかっただろうし、1984年に卒業論文を書いていた当時の私も、とくに考えてもいなかった。

 これは、『二十世紀のユダヤ思想家』(サイモン・ベック編、鵜沼秀夫訳、ミルトス、1996)「第5章レオ・ベック」(執筆ヘンリー・ウォルター・ブラン)に詳細が書かれており、はじめて知ることができた。なお同書は、米国のユダヤ人向けの本で1963年に出版されている。


 この本によれば、しかもレオ・ベックは強制収容所のテレージエンシュタットを生きのびたのである!

 『二十世紀のユダヤ思想家』によって、レオ・ベックの生涯を簡単に振り返っておこう。なお、レオ・ベックの肖像写真は同書カバーの左下にある(写真参照)。

 1873年ドイツ北部のプロイセン王国ポーゼン州のリサに代々ラビ(ユダヤ教律法学者)の家系に生まれた。本人も社会人人生をラビとして過ごした人である。

 代表的著作である『ユダヤ教の本質』は初版が1905年にでており、ドイツだけでなく英語に翻訳されて、ユダヤ人のあいだでは広く読まれたという。ベルリンのラビに任命され、偉大な学者との評判を得る。

 第一次大戦ではドイツ軍の従軍ラビに任命され、ドイツ敗戦までその任にあった。戦後は、ベルリンのラビに戻り、カイザーリンク伯の「叡智学園」に招かれ、ユダヤ教についての講義も行っている。


 ナチズムの台頭する時代にあって、1935年のニュルンベルク法施行に際しては、ナチスを恐れずに批判し、特別の祈祷文をつくって全ドイツのユダヤ人コミュニティで、新年祭の礼拝式に説教壇から読み上げさせている。このため、たびたびゲシュタポから召喚され、何度も拘引されている。

  周囲から亡命を何度勧められても断ったという。「ユダヤ人と一緒に留まって彼らの苦しみを和らげることがラビとしての道徳的義務であると考える」といっていたという。

 しかしついに、1943年1月、70歳前に強制収容所のテレージエンシュタットに移送される。ユダヤ人の扱いが人間的であると示すためのショーケースの役割を担わされたのである。

 ドイツ敗戦により、2年後の1945年に解放されたベックは、ユダヤ教の中心はドイツから米国に移ったという考えのもと、米国への招致に応じ客員教授として講義をもち、80歳のときには市民権を得ていた英国に移住、1956年に83歳で英国で没した。

 思想・教説・行動が完全に一致し、外部の圧力に対しては不死身であった、と評されている。日本的にいえば、陽明学で言う「知行合一」の人だった、ということができようか。

*****


 最後に、レオ・ベックの考えていた「ユダヤ教の本質」について、『二十世紀のユダヤ思想家』の担当執筆者による要約を紹介しておく。
 
 ベックにとってユダヤ教の本質とは、正義と愛をとおして悪から人類を贖う(あがなう)ようにとの神の命令(戒め)である。・・(中略)・・ユダヤ教は個人の宗教よりも民族と共同体の宗教、即ち「律法のまわりの垣」として捉えられると考えた。・・(中略)・・
 ベックの見解では、ユダヤ教をキリスト教から区別する基本的な原理は教理がないことである。(P.188-189)


 「ユダヤ教は民族と共同体の宗教」であり、「ユダヤ教には教理がない」という指摘は実に重要である。

 民族宗教で教理がない、といえば基本的には日本の神道(しんとう)と同じではないか。

 さらに、「ユダヤ教の独自性」については、私が書き抜きを作っていなかった箇所について、『二十世紀のユダヤ思想家』からレオ・ベック自身による文章を孫引きしておく。英訳からの重訳のようだが。

 ユダヤ教に主要な形式は、体系よりもむしろ方法を生み出す哲学、探求の宗教哲学のそれであった。原理は常に結果よりも重要であった。表現の様式には常に寛大であり無頓着ですらある。中心にあるべきものはその理念であった。・・(中略)・・教理という支柱をもたないことがユダヤ教の性格そのもののなかにあり、それはまたその歴史的発展の本質的な結果でもある。・・(中略)・・それは絶えず思考する労働を義務づけられた宗教であった。(P.189 )(*太字ゴチックは引用者=さとう)


 もうひとつ執筆者が書いていることで、日本人からみて面白い指摘があるので引用しておく。

 近代の聖書批判を論破するにあたって、ベックが強調した他の重要な要素はユダヤ人の宗教の独創性である。関わりをもった外国文明の多くの異なった要素を吸収するユダヤ人の天与の才は、しばしば創造性の欠如の証拠として引き合いに出されてきた。しかし厳密にユダヤ教の伝統を見るならば、正にその逆である。ユダヤ教はこれらの外国の影響をそれ自身の伝統の中に取り入れ、それらに全くユダヤ的な性格を与えた。あらゆる概念はユダヤ人特定の言葉に改鋳(かいちゅう)され、完全にそれらの言葉に適応し改鋳できる理念だけが、永続するユダヤ的遺産の一部となった。(P.189) (*太字ゴチックは引用者=さとう)


 ユダヤ人が「創造性の欠如」? いやしかしその逆である、と。

 どうだろう、文中の「ユダヤ」をすべて「日本」に置き換えることが可能ではないだろうか。面白いと思うのは私だけだろうか。

 やはりユダヤ人と日本人は、かなり大きな共通性をもっているのである。

 相違点は、徹底性の度合いだけかもしれない。この点については、昨日書いた、本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)を参考にしてほしい。

 ユダヤ人と日本人は、「律法」に対する態度を軸にしてみれば、対極の位置にあるといってよい。ユダヤ人は「律法」に過度にこだわり、日本人は「律法」についてはあまりにも無意識な態度に終始してきた。だから合わせ鏡のような存在なのである。

 ユダヤ教でも、神道でも、神の像はつくられないあくまでも不可視の存在である。


 なお、国策会社であった南満洲鉄道株式会社の調査部(いわゆる満鉄調査部)が、なぜユダヤ関係の報告書を翻訳ふくめて大連(満洲国)で多数出版しているのか、この理由についてはまた機会をあらためて、後日書いてみることとしたい。

 あまりにも面白い話なのだが、このためには「満鉄」そのものと「フグ計画」(Fugu Planについて知っておく必要がある。

 キーパーソンの一人は、小辻節三(=小辻誠祐 a.k.a. Abaraham S. Kotsuji)である。


*****


PS この記事を書いてから3年以上たってようやく課題の一つに決着をつけた。小辻節三(こつじ・せつぞう)については、書評 『命のビザを繋いだ男-小辻節三とユダヤ難民-』(山田純大、NHK出版、2013)-忘れられた日本人がいまここに蘇える という記事を2013年4月に執筆しブログにアップしたのでご参照いただきたい。(2013年11月22日 記す)

PS2 読みやすくするために改行を増やした。またレオ・ベックの肖像画をあらたに記事の冒頭に挿入した。(2013年12月19日 記す)

PS3 『猶太教』 (南満州鉄道株式会社・調査部特別調査班、大連、昭和18年3月)は、すでに著作権が切れているので、ネットから国会図書館デジタルアーカイブで読むことができるhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041150 

B・D・コーホンの『猶太教概説』(Beryl D. Cohon, Introduction to Judaism)レオ・ベックの『猶太教の本質』(Leo Baeck, Das Wesen des Judentums)の二書を合本して翻訳したと例言にある。翻訳は外部に委嘱したとある。例言には記されていないが、翻訳に携わったのが小辻節三であることは言うまでもない。(2018年7月28日 記す)



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