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2009年8月1日土曜日

書評『緑の資本論』(中沢新一、ちくま学芸文庫、2009)ー イスラーム経済思想の宗教的バックグラウンドに見いだした『緑の資本論』




イスラーム経済思想の宗教的バックグラウンドに見いだした『緑の資本論』

 2001年のアルカーイダによる「9-11テロ」の衝撃から生まれたという本書が、単行本として出版されたのは2002年のことだった。

 キリスト教からチベット仏教へ脱出した中沢新一がなぜイスラームについて書くのか、『緑の資本論』というタイトルは、また例のごとく奇をてらったレトリックかと思い、手に取ることはなく時は過ぎ去っていた。

 しかし、それから7年、状況は一変した。

 2008年のリーマンショックで、資本主義の暴走と、歯止めがきかないままクラッシュした事態を目撃することとなったからだ。

 2009年、文庫版として再版されたのは、まことに時宜にかなった出版だといえる。ようやく本書、とくに中心となる「緑の資本論」をよむ環境が整ってきたのである。

 資本主義を暴走させないためには何をすべきなのか?

 『資本主義はなぜ自壊したのか』で、自らの言動を懺悔し、改悛するという経済学者・中谷巌のような道もあろう。

 しかし、そこから果たして何がまれるのか? せいぜいオルタナティブとしてブータンやキューバを礼賛し、ベーシック・インカムの導入を提言するのがせいぜいのところだろう。もちろん、それでも一歩前進ではある。

 その他宗教と比較して、「増殖への欲望」を抑制しない傾向のあるキリスト教が、もともと資本主義と親和性が高いことは知られてきた。キリスト教そのものがもつ構造に深く探りを入れないと、本当の問題はわからないのではないか?

 本書に収められた『緑の資本論』で中沢新一が試みたのは、この問いに対する回答の試みである。しかし、仏教の立場からの資本主義批判ではない。

 「自己増殖」への態度を比較検討の軸にして、同じくユダヤ教をルーツとして派生した2つの一神教、キリスト教とイスラームの比較から、資本主義が根源的に抱えている問題に迫る。

 明らかになったのは、キリスト教はそもそもの出発点から、一神教であるのにかかわらず「父と子と聖霊の三位一体」を内部構造として抱え込んだことにある。

 これが中世のスコラ哲学における諸議論を通じても、実体経済での「利子禁止」を抑止することを不可能とし、西欧社会における資本主義の発達を促進したメカニズムにほかならない。

 そして「三位一体」こそは、マルクスが『資本論』で資本主義を分析するために使用した方法でもあった。

 絶対他者である唯一神アッラー以外のいっさいを認めない徹底した一神教であるイスラームからみると、キリスト教が一神教からのとんでもない逸脱と映るのも当然だろう。イスラームの一元的世界観である「タウヒード」を視野に入れると、それがはっきりとみえてくる。このポイントにかんする中沢新一の説明はきわめて明晰だ。

 本書はポスト資本主義に対する見取り図そのものを示すものではないが、「資本主義にとっての他者」としてのイスラームを知ることの重要性を教えてくれる。

 そしてまた、いままさに生成、成長しつつあるイスラーム経済について、根本から理解するためにはきわめて有用な本であるともいえる。

 単行本が出版されてからの大きな変化は、「イスラーム金融」が世界の金融界で大きく浮上し、日本でも解説書が次々と何冊も出版されたことである。

 しかしながら、これらはほぼすべてが実務家による金融技術の解説書であって、宗教的、思想的意味について納得のいく説明は提供してくれない。

 「資本の自己増殖」を未然に防ぐ装置として、辣腕の商人であった預言者ムハンマド自身によってイスラームにビルトインされた「利子禁止思想」、この経済思想的な意味を考えることは「イスラーム金融」とは何かを考える上で必要であり、イスラームにとって経済とは何か、商行為とは何かを根本的に考える上で大いに参考になる。

 こういう観点から本書を読むことも可能である。

 「9-11以前」の中沢新一に見られた、持って回ったレトリック過剰な文体が大きく後退し、問題構造そのものに肉薄しようという気迫が感じられる文体に変化している。

 一気呵成に執筆したという気合いが伝わってくる本である。


■bk1書評「イスラーム経済思想の宗教的バックグラウンドに見いだした『緑の資本論』」投稿掲載(2009年7月30日)





<書評にかんする付記-「卒論」で取り扱ったテーマ>

 中沢新一が扱ったこのテーマは、かなりの部分、私自身が執筆した大学学部の「卒業論文」のテーマにかさなるものである。

 『中世フランスにおけるユダヤ人の経済生活』と題した卒論において、ユダヤ人信用業者について実態を詳しく検討するための前提として、ユダヤ教、キリスト教、イスラームの「利子禁止思想」のそれぞれについて調べて言及している。

 卒論執筆当時に使用した参考文献で、中沢新一が言及していないが、重要なものについて解説することで、中沢論文の補強をしておこう。


ユダヤ教の経済思想について

Baron, Salo.W. , A Social and Religious History of the Jews Vol.7, Columbia University Press, 1968


 上記文献は、ユダヤ人コミュニティ内で「利子禁止」を守るために、いかなる議論が全世界に離散したディアスポーラのユダヤ人の間でかわされたかを示している。

 最終的にでた結論は、土地所有を禁じられたユダヤ人が生きていくためには、金貸しをやることを避けられない、しかしユダヤ人共同体内部では利子は禁止、ユダヤ人以外からは利子をとってもよい、というものであった。ウチとソトでの経済倫理の使い分けである。

 余談だが、ユダヤ人ネットワークのあいだで回覧された「レスポンサ」は、インターネットによるメールの原型的思考と考えてよい。バチカンを頂点とする中央集権型組織の原型をつくったカトリック教会とはまさに対極にある、ネットワーク型組織の1つの原型である。


PS 卒論執筆当時は知らなかったが、ユダヤ史の S.W. バロンは、ほぼ独力で「ユダヤ史」という分野を確立した歴史家。そもそもユダヤ民族には「歴史」という観念が欠けていたので歴史学が発達しなかったのである。この点は、インド人と似ている面がある。 (2014年1月24日 追記)


キリスト教、とくに中世カトリックの経済思想について

Noonan, John T., The Scholastic Analysis of Usury, Harvard University Press, 1957
●上田辰之助、『古代及び中世経済学史』、日本評論社、1939
●上田辰之助、『聖トマス経済学-中世経済学史の一文献-』、刀江書房、1933


 高利(=ウスラ:usura)禁止が崩れていくことに関しては、経済思想家でクエーカー教徒であった上田辰之助の著作をぜひ参照してほしかったもの。戦後の日本はあまりこの分野に関心がなかったようで、まとまった文献が存在しない。

 日本の経済学の建設者的存在であった福田徳三は、すでに明治36年(1904年)の論文「トマス・ダキノの経済学説」において、中世スコラ哲学、なかでもトマス・アクィナスの利子禁止学説は、近代経済学なかでもウィーン学派のベーム・バヴェルクの議論とは構造的に同じで、議論の前提をひっくり返すと利子がなぜ発生するかの議論になることを指摘している。

 日本経済学の草創期の知的関心のありかを示しており興味深い。

 中沢新一の議論にやや欠けているのは、「時間」にかんする議論である。中世スコラ哲学では、時間は普遍的な存在なのでわたくししてはならない、というのが根拠の1つであった。

 現在、資本主義社会おいて利子が正当化されるのは、まさにその「時間」ゆえである。

 ラテン語起源の「利子」(Inter-est) とは、あいだに(inter)存在する(est)ものを意味するコトバである。この存在する者を正当化したものが利子であり、宗教的な足かせが解除されたとき、利子は大手をふって正当化され、「自己増殖」への道がつけられることになる。

 キリスト教世界で最終的に利子を完全に正当化したのは、宗教改革後のプロテスタント神学者、スイスの国際的商業都市ジュネーブのカルヴァンであった。これ以後、資本主義は Point-of-No-Return を超え、もはや逆戻りのできない道へと入り込むこととなる。


イスラームの経済思想について

マクシム・ロダンソン、山内昶訳、『イスラームと資本主義(岩波現代選書)』、岩波書店、1978 が、卒論執筆当時は日本語で読めるほぼ唯一の文献であった。


 同書によれば、利子(リバー)禁止回避のテクニックは、「ひろく流布していたので、中世の西欧人にも、アラビア語の名前のままで使用されたほどであった」(P.58)とある。

 ユダヤ教とキリスト教の経済思想については研究上の大きな進歩はないが、この20年でイスラームの経済思想の研究は飛躍的に進歩しているようだ。

 とくに、中沢新一も使用している、現代イラクのシーア派哲学者ムハンマド・バーキル=サドルの三部作、とくに経済思想に関する書籍が日本語に翻訳されたことは画期的だといえるだろう。


ムハンマド・バーキル=サドル、黒田壽郎訳、今村仁司解説、『イスラーム経済論』、未知谷、1993
ムハンマド・バーキル=サドル、黒田壽郎/岩井聡訳、今村仁司解説、『無利子銀行論』、未知谷、1994



中沢新一の「着眼点」の面白い点

 中沢新一の議論が面白いのは、資本主義をプロテスタンティズムと結びつけてきたこれまでの "陳腐な発想" から一歩踏み出して、キリスト教の構造そのものに深く迫っていることにある。それも信仰の観点ではなく、経済思想の観点から。この着眼点は素晴らしい。

 「父と子と聖霊の三位一体」、このうち「聖霊」とはギリシア語の「プネウマ」(pneuma)、キリスト教徒の評論家・山本七平が「空気」と呼んだものだ

 中沢新一の論文『緑の資本論』を読むに当たっては、「聖霊」は「空気」と読み替えると理解しやすいかもしれない。

 いや、"スピリット"(Spirit)といったほうがより適切か? ドイツ語ではガイスト(Geist)

 マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の「精神」』(Die protestantische Ethik und der 'Geist' des Kapitalismus)も、この「ガイスト」(Geist)を中沢新一的に「聖霊」と読み替えると、なにやら『プロ倫』の異なる側面が立ち上がってくるような気がする。 

 英語でいえば the Spirit of Capitalism、ドイツ語の原文だと der 'Geist' des Kapitalismus のことだが、念のためドイツ語の Geist を辞書で確認しておこう(Ref:『木村・相良 独和辞典(新訂版)』、博友社、1963)

①生命、生命力、活気、気息、息吹、生気、活気
②精神、心、霊魂
③智、智力、理知、才能、才気、判断力、思慮
④・・・精神の持ち主
⑤(時代・団体などに共通の)精神、気風、風潮
⑥霊、魂、亡霊、幽霊
⑦精霊、妖精、魔物、神
⑧根本思想(精神)、心髄、本質、精髄

  中沢新一は、プロテスタンティズムは「三位一体から精霊を解き放った」という表現をしているが、資本の無限増殖を加速させたメカニズムのさらなるアクセレレーターについての説明としては、レトリカルだが核心をついているというべきだろう。


イスラームは「商人による商人のための宗教」

 本書は非常に面白い議論を提出しているが、単行本も文庫版も、カバーデザインがあまり感心しない。

 もっとイスラームの商人的特性を前面に出して、モロッコのスーク(市場)などのほうがいいのではないか? 最後の預言者であるムハンマド自身が辣腕の商人であったのだから。

 おそらく第一論文「圧倒的な非対称」執筆の契機となった、テロリスト・アルカーイダのイメージなのだろうが、イスラームをアルカーイダで表象するのは大きな問題、さらなる曲解を招くだけである。徹底した一神教の非妥協的性格の極限、という意味ではそのとおりなのだが・・・

 東南アジアのイスラームを知っている私には、正直いって違和感が強い。


(以上)



PS 本文を読みやすくするために改行を増やした。全文を点検したうえでリンクをアップデートし、<ブログ内関連記事>の項目を追加した。 (2014年1月24日)



<関連サイト>

イスラーム式経営術:「ある時払いの催促無し」案外合理的なイスラーム式お金の貸し借り (中田 考、日経BPネット、2014年5月2日)
イスラーム式経営術:自分のお金は手持ち現金のみと考える (中田 考、日経BPネット、2014年5月15日)

(2014年5月21日 項目新設)



<ブログ内関連記事>

「一神教」の経済思想

「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む
・・書評 『緑の資本論』(中沢新一、ちくま学芸文庫、2009)とこの2つのブログ記事で、一神教の宗教思想と経済思想については、ほぼ書き尽くしたはず。島田裕己の問題点は「ユダヤ=キリスト教」という宗教学の用語を無造作に使用しているために、現実のユダヤ教とキリスト教の区別がついていないことにある

書評 『アメリカ精神の源-「神のもとにあるこの国」-』(ハロラン芙美子、中公新書、1998)-アメリカ人の精神の内部を探求したフィールドワークの記録
・・イスラームを除いたキリスト教とユダヤ教という「一神教」についてのアメリカにおけるフィールドワーク

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・

書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)-「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために
・・アルジェリア生まれのユダヤ系フランス人ジャック・アタリの「ユダヤ経済史」

マイケル・ムーアの最新作 『キャピタリズム』をみて、資本主義に対するカトリック教会の態度について考える

書評 『井筒俊彦-叡知の哲学-』(若松英輔、慶應義塾大学出版会、2011)-魂の哲学者・井筒俊彦の全体像に迫るはじめての本格的評伝
・・世界的なイスラーム思想研究の権威はまた日本が生みだした不世出の哲学者でもあり、若き日にはカトリック神秘思想に近づいていた人でもある

ユダヤ教の「コーシャー」について-イスラームの「ハラール」の最大の問題はアルコールが禁止であることだ
・・宗教による「食事規制」について、生活全般を律するユダヤ教とイスラームには共通点と相違点がある。共通点は家畜(pecus)としての羊。家畜は貨幣(pecunia)となる

タイのあれこれ (18) バンコクのムスリム
・・この記事では、タイ人ムスリムを中心に書いてある

バンコクのアラブ人街-メディカル・ツーリズムにかんする一視点

本日よりイスラーム世界ではラマダーン(断食月)入り
・・井筒俊彦訳の『コーラン』(クルアーン)についても言及。『ハディース』の詳細についても

「マレーシア・ハラール・マーケット投資セミナー」(JETRO主催、農水省後援)に参加

書評 『マネーの公理-スイスの銀行家に学ぶ儲けのルール-』(マックス・ギュンター、マックス・ギュンター、林 康史=監訳、石川由美子訳、日経BP社、2005) ・・聖職者カルヴァンを生んだスイスは金融の中心地のひとつになった


資本主義の「自壊」(?)と資本主義の「オルタナティブ」

『資本主義崩壊の首謀者たち』(広瀬 隆、集英社新書、2009)という本の活用法について

書評 『資本主義以後の世界-日本は「文明の転換」を主導できるか-』(中谷 巌、徳間書店、2012)-タイトル負けした残念な内容の本

「雷龍の国ブータンに学ぶ」に「学ぶ」こと-第3回 日経GSRシンポジウム「GSR と Social Business 企業が動けば、世界が変わる」に参加して

資本主義のオルタナティブ (1)-集団生活を前提にしたアーミッシュの「シンプルライフ」について
 
『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World』(足を知る経済)は資本主義のオルタナティブか?-資本主義のオルタナティブ (2)

資本主義のオルタナティブ (3) -『完全なる証明-100万ドルを拒否した天才数学者-』(マーシャ・ガッセン、青木 薫訳、文藝春秋、2009) の主人公であるユダヤ系ロシア人数学者ペレリマン

ETV 「日本人は何を考えてきたのか」 第8回「人間復興の経済学をめざして-河上肇と福田徳三」は見るべき価値のある番組


中沢新一関連

"粘菌" 生活-南方熊楠について読む-

書評 『アースダイバー』(中沢新一、講談社、2005)-東京という土地の歴史を縄文時代からの堆積として重層的に読み解く試み

書評 『日本の文脈』(内田樹/中沢新一、角川書店、2012)-「辺境日本」に生きる日本人が「3-11」後に生きる道とは?

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ
・・先行する宗教学者としての中沢新一と島田裕己批判の書でもある


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