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今年も一年間ありがとうございました。
本日をもって、寅年が終わります。
寅年生まれの年男のわたくし、次の年男は12年後、そのときはすでに「アラカン」か・・・
いよいよ終わりを意識して、「最後のミッション」実行の「前段階」に入ります。「最後のミッション」についてはまだここには書きませんが(・・というかまだ固まっていない)、生きているあいだにかならず実行したいことであります。
日本から トラネコ三匹一同が、トラに代わってご挨拶します。
来年はウサギ年、ホップ・ステップ・そしてジャーンプの三段跳びで「大飛躍の年」。選手交代ですね。
今後もよろしくお願いいたします。
2010年12月31日金曜日
石川啄木『時代閉塞の現状』(1910)から100年たったいま、再び「閉塞状況」に陥ったままの日本に生きることとは・・・
石川啄木の『時代閉塞の現状』は、1910年(明治43)年執筆された時評である。歌人や詩人として広く世に知られている石川啄木であるが、新聞記者を長くやってきたこともあり、評論を書くのも得意であったようだ。
いまではその名称を知る人も少ないだろうが、かつて「プロレタリア短歌」なる文学ジャンルが存在した。石川啄木の短歌など、まさにその先駆者であるにふさわしい。
1910年(明治43)とは、「大逆事件」によって、翌年の裁判結果によって幸徳秋水以下24名が死刑になった、近代日本の分水嶺となるような大事件が発生した年であった。明治天皇暗殺を企ているというフレームアップ(=でっちあげ)によって、テロリストとされて死刑になった社会主義者たち。
石川啄木は裁判記録を綿密に読み込み、この裁判がフレームアップであることを確信していたといわれる。
まさに石川啄木が「時代閉塞」と言うように、100年前もまた閉塞感の強い時代の空気であったようだ。
『時代閉塞の現状』には以下のような文章がある。長いがそのまま引用するので、目を通してみてほしい。100年前の1910年と、現在2010年とを比較しながら読んでみてほしい。引用は、日本ペンクラブ「電子文藝館」にアップされている旧字旧かなの原文から。
時代閉塞の現状は啻(たゞ)にそれら個々の問題に止まらないのである。今日我々の父兄は 大体に於て一般学生の気風が着実になつたと言つて喜んでゐる。しかも其(その)着実とは単に今日の学生のすべてが其在学時代から奉職口の心配をしなければならなくなつたといふ事ではないか。さうしてさう着実になつてゐるに拘らず、毎年何百といふ官私大学卒業生が、其半分は職を得かねて下宿屋にごろごろしてゐるではないか。しかも彼らはまだまだ幸福な方である。・・(中略)・・
我々青年を囲繞(ゐげう)する空気は、今やもう少しも流動しなくなつた。強権の勢力は普(あまね)く國内に行亘(いきわた)つてゐる。現代社会組織は其隅々まで発達してゐる。--さうして其発達が最早(もはや)完成に近い程度まで進んでゐる事は、其制度の有する欠陥の日一日明白になつてゐる事によつて知ることが出来る。戦争とか豊作とか飢饉とか、すべて或偶然の出来事の発生するでなければ振興する見込の無い一般経済界の状態は何を語るか ・・(後略)・・ (*太字ゴチックは引用者=さとう)
もちろん100年前と現在では大きく異なる点は多いが、「時代閉塞」という一点にかんしていえば、先祖返りしてしまったかのような感も受けなくもない。
■「時代閉塞」が書かれた1910年以降の100年間
さてこの「時代閉塞」はいつまで続くのか?
1910年以降の100年について簡単に振り返っておこう。
1912年(明治45年)7月30日の明治天皇の崩御とともに明治時代が終わりを告げることになる。近代日本が採用した「一世一元の制」によって、天皇の代替わりがそのまま時代と一緒になったのだ。
明治の人は、乃木大将の殉死に大きな衝撃を受け、夏目漱石は『こゝろ』を執筆したが、石川啄木自身は明治時代の終焉を見ることなく、1912年4月13日には 26歳で夭折している。夏目漱石も葬式には参列したという。
時代は、短かかった「大正デモクラシーの時代」へと入って行く。
1914年から1918年にかけてつづいた第一次世界大戦には、日本は連合国の一員として参戦したが、欧州からは遠い極東の日本は海軍を地中海に派遣したのみで交戦はせず、実際の戦闘は当時ドイツ領であった中国の青島(チンタオ)を占領するなど、漁夫の利を得る結果となった。
経済界も、戦争で大もうけした戦争成金が大量に発生している。
第一次世界大戦の末期には、ロシアで革命が起こり、ソ連が成立した(1917年)。この労農政権打破のための国際派遣軍に日本は大量に出兵し、「シベリア出兵」という忘れられた戦争に乗り出すが、財政への圧迫をのこしただけでほとんど得るものもなく撤兵するにいたる。
しかし、一般国民にとっては比較的平和な時代であったといえよう。
ただ、この大正時代は短く終わる。つかの間の「良き時代」(=ベルエポック la belle epoque)であった。
1923年(大正12年)に発生した関東大震災は、帝都東京に壊滅的破壊をもたらし、経済も混乱するが、破壊は新しい創造を促すものであった。このとき、ハーバード大学に移っていた経済学者シュンペーターは、愛弟子の都留重人に「これは、創造的破壊(creative destruction)の好例だ」と言ったと、回想録のなかで書いている。
1925年には病弱であった大正天皇が崩御し、摂政を務めていた若き昭和天皇が即位する。若き天皇に時代を先導する躍動する精神を感じた日本国民であったが、米国で始まった1929年の「大恐慌」(The Great Depression)は世界全体を巻き込み、日本には「昭和恐慌」として脆弱な経済に襲いかかった。
とくに東北地方の農村は疲弊し、都市のプロレタリアートも貧困層に転落。富裕層と貧困層の格差はさらに拡大、持てる者はさらに富み、持たざるものはさらに収奪されて疲弊していく。
こういった「時代閉塞」状況をチカラで暴力的に打破しようという行動主義が出てくるのは当然といえば当然であった。「昭和維新」なるスローガンが叫ばれた、テロとクーデターの時代の幕開けである。
1930年(昭和5年)には、時の首相・濱口雄幸が東京駅頭で狙撃され、一命を取り留めたものの翌年首相のまま死亡。
1932年(昭和7年)の五・一五事件はクーデター未遂事件。同じく1932年の血盟団事件では、前大蔵大臣の井上準之助、財界の重鎮であった團琢磨(だんたくま)が射殺された。
1936年(昭和11年)の二・二六事件というクーデターの失敗を契機に、時代はだんだんとファシズムの「統制社会」へと引きづられていくこととなる。
一方、経済界では重化学工業では空前の成長を実現、しかし日中戦争は泥沼化し「統制経済」が導入され、経済学者・野口悠紀夫のいう「1940年体制」が戦後に至るまで長く支配することになる。
そしてついには、国民全体の熱狂的な歓呼のもとに大東亜戦争に突入した日本は、「大東亜共栄圏」なるスローガンを掲げてアジア解放戦争を鼓舞した一方、総力戦を指導するリーダーたちの致命的誤りと国力のなさゆえに最終的な破局を迎え、以後「敗戦国」として、国際的な地位を完全に回復できないまま現在に至る。
奇跡的ともいわれた戦後復興によって、一時的には経済的に世界第2位まで登り詰めたが、すでに衰退過程に入って20年になる。
■石川啄木の『時代閉塞の現状』から100年たった日本
いやな雰囲気のこの時代、石川啄木の『時代閉塞の現状』から100年たった日本は、いったいどういう方向に向かおうとしているのか。
1910年当時の日本の人口は約5千万人弱、現在の半分程度しかなかった人口はその後の100年で2.2倍になったことは驚くべきことだ。右肩上がりで増え続けた日本の人口はすでにピークをうって、現在すでに人口減少トレンドにある。
人口爆発とは正反対の人口縮小にある現在、100年前と同じ動きをすることはさすがにないだろう。
しかし「時代閉塞」状況をいかに打破するか。チカラで打破するという誘惑にとらわれないことを願いたい・・・。実力は別の形で発揮すべきなのだ。
PS このブログ記事以後の感想(2014年1月26日)
2010年12月31日にアップしブログ記事である。その翌年の2011年の3月11日に「3-11」の大災害と人災が発生した以前のことである。
それからまる3年たったが、昨年2013年には、いっけんすると「時代閉塞状況」は解消されたかのような陶酔感(ユーフォリア)を感じた人も少なくないと思う。いわゆるアベノミクスによるデフレ経済の解消にともなう好況感がそれである。
だが、その経済の好況感も増税や、国際情勢のきな臭い動きによってかき消されつつある。「閉塞感」は解消されるどころか、クチにはださないものの多くの人が感じているのではないか?
これで日本が変わるのではないかという期待も抱いた「3-11」後の社会変化であったが、時代を覆う「空気」はさらに重いものになりつつある。わかりやすい解決策が、かえって問題を悪化させる要因となっているということか。われわれは過去に何度も経験してきたのではなかったのか・・・
石川啄木が103年前に書いた『時代閉塞の現状』は、いまでも「現状」であることはやめていない、そんな気分にもなるのである。
読みやすくするために改行を増やし、小見出しを加えたが、誤字を修正した以外は本文には手を入れていない。また<ブログ内関連記事>を追加した。
<ブログ内関連記事>
『足尾から来た女』(2014年1月)のようなドラマは、今後も NHK で製作可能なのだろうか?
・・詩人としての石川啄木の詩作のテーマは・・
冬の日の氷雨のなか、東京のど真ん中を走る馬車を見た
・・田中正造の直訴状(1901年)
書評 『成金炎上-昭和恐慌は警告する-』(山岡 淳一郎、日経BP社、2009)-1920年代の政治経済史を「同時代史」として体感する
書評 『震災復興の先に待ちうけているもの-平成・大正の大震災と政治家の暴走-』(山岡 淳一郎、2012)-東日本大震災後の日本が「いつか来た道」をたどることのないようよう
書評 『原発と権力-戦後から辿る支配者の系譜-』(山岡淳一郎、ちくま新書、2011)-「敗戦国日本」の政治経済史が手に取るように見えてくる
書評 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子、朝日出版社、2009)-「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い!
・・「富国強兵」と「高度成長」
書評 『国家債務危機-ソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか?-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2011)-公的債務問題による欧州金融危機は対岸の火事ではない!
書評 『警告-目覚めよ!日本 (大前研一通信特別保存版 Part Ⅴ)』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2011)-"いま、そこにある危機" にどう対処していくべきか考えるために
(2014年1月26日 情報として追加)
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end
2010年12月30日木曜日
いまあらためて「T型人間」、「Π(パイ)型人間」のすすめ-浅く幅広い知識に支えられた「専門プラスワン」という生き方で複眼的な視点をもつ
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私が20歳台の頃、「T型人間」になれ、いやもっと上を目指して「Π(パイ)型人間」になれ、あるいは「クシ型人間」になれなどといわれていたものである。
「T型人間」ってなに? 「Π(パイ)型人間」ってなに? はあ?、というとこだろう。先日、ある30歳台後半のマスコミ出身者にこの話をしたところぜんぜん知らないようだったので、現在ではもうあまり話題にならないのかもしれない。
とりあえず、まずはこの「T型人間」と「Π(パイ)型人間」について、簡単に説明を行っておこう。
■「I型人間」、「T型人間」、そして「Π(パイ)型人間」
まず「T型人間」とは何かというと、Tの字は分解すると、タテ串の「I」とヨコ串の「-」で構成されていることがわかる。タテ串の「I」が専門性だとすると、ヨコ串の「-」は専門以外のバックグラウンドを意味していると説明されていた。
つまり一言でいうと、狭い専門性しかもたない「I型人間」ではなく、「T型人間」という、浅くても幅広い知識をもった専門家になれということだ。この重要性については、このブログでは "try to know something about everything, everything about something" に学ぶべきこと で説明したとおりである。 「T型人間という表現は、少なくとも1980年代後半には、企業社会でよく使われていた。
次に「Π(パイ)型人間」とは何かというと、Π(パイ)はギリシア文字 π の大文字 Π である。小文字でも問題はないのだが、「T型」と対比するために大文字の Π を使って説明する。
「Π型」とは「T型」のタテ串が一本増えたものである。つまりヨコ串であらわされる幅広い知識をもつ専門家であることは共通だが、専門の軸がもう一本あるということを示している。つまり幅広いバックグラウンド知識をもった専門家だが、二つの専門性をもつということだ。
「クシ型」とは何かということだが、これは髪の毛をとかす櫛(くし)を櫛の歯が下にむくように置くと、一本のヨコ串にタテ串が複数ついているような形になる。つまり3つ以上の複数の専門をもっているということになる。
「I型」ではなく「T型」、さらには「Π型」を目指せというのは、いいかえれば「専門プラスワン」という生き方で、問題発見と問題解決に際して、重層化、複眼化を目指せということになる。
■学問の世界では二つ以上の専門分野をもつことをインターディシプリナリー(学際的)という
いまは亡き東南アジア政治の専門家・矢野暢教授は、地域研究を目指す研究者の卵に向かって、ある特定の地域の専門家ではこれからは通用しない、経済学なり政治学なりというディシプリン(学問の専門領域)をもったうえで、地域研究を行うスタイルでないと、研究者としてはやっていけないだろうと、1970年代(?)の著作ですでに述べていた。
具体的な組み合わせでいうと、言語学とモンゴル研究を専門にする田中克彦教授や、経済思想と民族学を専門にする住谷一彦教授などがその典型的な例にあたるだろう。
人文社会科学系統の学問の世界では、専門をはっきりさせろという声が強いようだが、あえて二つ以上の複数の専門領域をもつことで、実り豊かな成果を出してきた研究者は実際に多数存在する。
理工系でも、 島津製作所の田中耕一氏のように、大学時代の専攻は電気だが、会社に入ってから化学に転じ、化学分野でノーベル賞を受賞した研究者や、糸川英夫氏のように航空工学から宇宙工学を経て、組織工学を開拓したような人もいる。
総じて理工系の研究開発分野のほうが、「Π型人間」が多いような印象を受ける。現在のバイオテクノロジーのなかでも、とくに遺伝子工学(ジェネティック・エンジニアリング)は、物理学の生物学への応用から始まった学問である。このように二つ以上の専門分野から、あらたな研究分野が生まれることは理工系ではよくあることだ。
こういうことをさして、学問の世界では「インター・ディシプリナリー」という。日本語では学際的。inter-disciplinary つまりディシプリン(専門研究分野)をまたいだという意味である。
米国の大学では、意欲的な学生は大学院で「ダブル・メイジャー」を行う。ダブル・メイジャー(double major)とは、たとえば経営学と中国研究などの異なる専門分野の組み合わせで学位を同時に二つ取得する制度のことだ。地域研究の分野でいえば、東南アジア研究で有名なコーネル大学では、M.B.A.と地域研究の M.A.が同時に取得できるコースが設定されている。
ちなみに、私はといえば、大学時代はヨーロッパ中世史など専攻したが、現時点では経営学を主専攻とし、日本研究を副専攻としているようなものだろう。これは結果としてそうなっているというだけの話であって、最初から意図してそうなったわけではけっしてない。
■ビジネスの世界におけるインターディシプリナリーな「Π(パイ)型人間」
学問世界の話をしたが、ビジネスの世界でも二つ以上の専門をもつことから、新しい知見が生まれてくる。これは研究開発の世界と同じことだ。
たとえば、新卒で入社して最初の配属先が人事管理から出発して、その後はマーケティングに異動したり、営業の現場にでるケースもある。
大企業の場合は、人事異動の一環として、多くの職務を体験させながらジェネラリスト養成を行うことがこれまで多かったが、自らの意思で複数の専門分野を経験することも不可能ではない。これは戦略的なキャリア開発の観点から行うものである。
また、研究開発の世界に長くいた人が、マネジメントに転身するケースもある。研究者の能力に見切りをつける場合と、研究者としてのキャリアを活かして同時にマネジメント能力を身につけることで、ワンランク上に向かうのと二つのケースがある。
自分がもっとも得意とする専門以外に、異なる専門分野を開拓する。
理想は二つ以上の専門分野のハイブリッドを自分の身のなかで実現することだが、ハイブリッドまでいかなくても専門どうしのクロスオーバーのもたらす意味は非常に大きい。
重層的、複眼的な視点をもつことができるようになるからだ。
自分のなかに第一の専門とは異なる専門分野をもつことで、異なる切り口でモノをみる視点が、単なる足し算としてだけでなく、掛け算として、自分のなかに養われる。こっれは複眼的なものの見方といってもいい。これがクロスオーバーの意味である。
二つ以上の複数のものの見方を身につけていると、自分のなかで異なるものの見方がせめぎ合いをすることもある。これが複眼的というものだ。
しかもそれぞれの専門の背後には広大な地平が拡がっている。"try to know something about everything, everything about something" に学ぶべきこと にも書いたように、ある専門の背後には膨大な知識があり、別々の専門の背後にある、別々の背景知識がせめぎ合い、融合することで、さらに広くかつ深く、自分の「引き出し」世界が広大なものとなっていく。
「Π(パイ)型人間」を目指せということは、このように複数のものの見方を身につけることで、問題発見と問題解決に際して、無限の組み合わせを、自らのうちにもつことを意味しているのである。
<関連サイト>
ビル・ゲイツも勧める「エキスパート・ゼネラリスト」とは(Forbes日本版、2018年3月15日)
・・「エキスパート・ゼネラリストとは、“広く深く”考えるT型人材として、「より多くの異なる学問分野、産業、国やトピックなどの専門知識をマスターし収集する能力と、好奇心を持ち合わせる人物」・・むしろΠ型というべきかなと思うが。
<ブログ内関連記事>
書評 『知的複眼思考法-誰でも持っている創造力のスイッチ-』(苅谷剛彦、講談社+α文庫、2002 単行本初版 1996)
"try to know something about everything, everything about something" に学ぶべきこと
Two in One, Three in One ・・・ All in One ! -英語本は耳で聴くのが一石二鳥の勉強法
『近代の超克ー世紀末日本の「明日」を問う-』(矢野暢、光文社カッパサイエンス、1994)を読み直す-出版から20年後のいま、日本人は「近代」と「近代化」の意味をどこまで理解しているといえるのだろうか?
・・いまは亡き東南アジア政治の専門家・矢野暢教授の専門は、政治学×東南アジア
(2014年8月17日、12月13日 情報追加)
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私が20歳台の頃、「T型人間」になれ、いやもっと上を目指して「Π(パイ)型人間」になれ、あるいは「クシ型人間」になれなどといわれていたものである。
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とりあえず、まずはこの「T型人間」と「Π(パイ)型人間」について、簡単に説明を行っておこう。
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まず「T型人間」とは何かというと、Tの字は分解すると、タテ串の「I」とヨコ串の「-」で構成されていることがわかる。タテ串の「I」が専門性だとすると、ヨコ串の「-」は専門以外のバックグラウンドを意味していると説明されていた。
つまり一言でいうと、狭い専門性しかもたない「I型人間」ではなく、「T型人間」という、浅くても幅広い知識をもった専門家になれということだ。この重要性については、このブログでは "try to know something about everything, everything about something" に学ぶべきこと で説明したとおりである。 「T型人間という表現は、少なくとも1980年代後半には、企業社会でよく使われていた。
次に「Π(パイ)型人間」とは何かというと、Π(パイ)はギリシア文字 π の大文字 Π である。小文字でも問題はないのだが、「T型」と対比するために大文字の Π を使って説明する。
「Π型」とは「T型」のタテ串が一本増えたものである。つまりヨコ串であらわされる幅広い知識をもつ専門家であることは共通だが、専門の軸がもう一本あるということを示している。つまり幅広いバックグラウンド知識をもった専門家だが、二つの専門性をもつということだ。
「クシ型」とは何かということだが、これは髪の毛をとかす櫛(くし)を櫛の歯が下にむくように置くと、一本のヨコ串にタテ串が複数ついているような形になる。つまり3つ以上の複数の専門をもっているということになる。
「I型」ではなく「T型」、さらには「Π型」を目指せというのは、いいかえれば「専門プラスワン」という生き方で、問題発見と問題解決に際して、重層化、複眼化を目指せということになる。
■学問の世界では二つ以上の専門分野をもつことをインターディシプリナリー(学際的)という
いまは亡き東南アジア政治の専門家・矢野暢教授は、地域研究を目指す研究者の卵に向かって、ある特定の地域の専門家ではこれからは通用しない、経済学なり政治学なりというディシプリン(学問の専門領域)をもったうえで、地域研究を行うスタイルでないと、研究者としてはやっていけないだろうと、1970年代(?)の著作ですでに述べていた。
具体的な組み合わせでいうと、言語学とモンゴル研究を専門にする田中克彦教授や、経済思想と民族学を専門にする住谷一彦教授などがその典型的な例にあたるだろう。
人文社会科学系統の学問の世界では、専門をはっきりさせろという声が強いようだが、あえて二つ以上の複数の専門領域をもつことで、実り豊かな成果を出してきた研究者は実際に多数存在する。
理工系でも、 島津製作所の田中耕一氏のように、大学時代の専攻は電気だが、会社に入ってから化学に転じ、化学分野でノーベル賞を受賞した研究者や、糸川英夫氏のように航空工学から宇宙工学を経て、組織工学を開拓したような人もいる。
総じて理工系の研究開発分野のほうが、「Π型人間」が多いような印象を受ける。現在のバイオテクノロジーのなかでも、とくに遺伝子工学(ジェネティック・エンジニアリング)は、物理学の生物学への応用から始まった学問である。このように二つ以上の専門分野から、あらたな研究分野が生まれることは理工系ではよくあることだ。
こういうことをさして、学問の世界では「インター・ディシプリナリー」という。日本語では学際的。inter-disciplinary つまりディシプリン(専門研究分野)をまたいだという意味である。
米国の大学では、意欲的な学生は大学院で「ダブル・メイジャー」を行う。ダブル・メイジャー(double major)とは、たとえば経営学と中国研究などの異なる専門分野の組み合わせで学位を同時に二つ取得する制度のことだ。地域研究の分野でいえば、東南アジア研究で有名なコーネル大学では、M.B.A.と地域研究の M.A.が同時に取得できるコースが設定されている。
ちなみに、私はといえば、大学時代はヨーロッパ中世史など専攻したが、現時点では経営学を主専攻とし、日本研究を副専攻としているようなものだろう。これは結果としてそうなっているというだけの話であって、最初から意図してそうなったわけではけっしてない。
■ビジネスの世界におけるインターディシプリナリーな「Π(パイ)型人間」
学問世界の話をしたが、ビジネスの世界でも二つ以上の専門をもつことから、新しい知見が生まれてくる。これは研究開発の世界と同じことだ。
たとえば、新卒で入社して最初の配属先が人事管理から出発して、その後はマーケティングに異動したり、営業の現場にでるケースもある。
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また、研究開発の世界に長くいた人が、マネジメントに転身するケースもある。研究者の能力に見切りをつける場合と、研究者としてのキャリアを活かして同時にマネジメント能力を身につけることで、ワンランク上に向かうのと二つのケースがある。
自分がもっとも得意とする専門以外に、異なる専門分野を開拓する。
理想は二つ以上の専門分野のハイブリッドを自分の身のなかで実現することだが、ハイブリッドまでいかなくても専門どうしのクロスオーバーのもたらす意味は非常に大きい。
重層的、複眼的な視点をもつことができるようになるからだ。
自分のなかに第一の専門とは異なる専門分野をもつことで、異なる切り口でモノをみる視点が、単なる足し算としてだけでなく、掛け算として、自分のなかに養われる。こっれは複眼的なものの見方といってもいい。これがクロスオーバーの意味である。
二つ以上の複数のものの見方を身につけていると、自分のなかで異なるものの見方がせめぎ合いをすることもある。これが複眼的というものだ。
しかもそれぞれの専門の背後には広大な地平が拡がっている。"try to know something about everything, everything about something" に学ぶべきこと にも書いたように、ある専門の背後には膨大な知識があり、別々の専門の背後にある、別々の背景知識がせめぎ合い、融合することで、さらに広くかつ深く、自分の「引き出し」世界が広大なものとなっていく。
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禁無断転載!
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「ワークライフバランス」について正確に理解すべきこと。ワークはライフの対立概念ではない!?
(拙著 『アタマの引き出し』(2012年刊) P.68 より)
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「ワークライフバランス」というコトバがある。ワーク(仕事)とライフ(生活)のバランスのことである。英語の work-life balance をそのままカタカナにした表現だ。
日本ではいつ頃からいわれるようになったのだろうか、基本的に家庭をもつ女性社員が、仕事と家庭を両立させるためのマインドセットとその具体的な方法について、企業の社会的責任論(CSR)とからめて推進されてきたものである。
基本的に私は「ワークライフバランス」の趣旨には全面的に賛成である。女性だけでなく、男性も大いに意識して取り組むべきものだからだ。
ただ一つ気になっていることがある。ワーク(仕事)とライフ(生活)は対立概念なのか、ということだ。
「ワークライフバランス」をきわめて浅く理解している20歳台の若者が少なくないので現場では困っている(?)という話をよく聞くが、これは仕事と生活をまったく交わることのない別個の存在として捉え、キッチリと区別したいという、若者たちの思いの表れだろう。
私が20歳台の頃も、仕事とプライベートは厳密に区別したいという表明がよく聞かれたし、私自身も強くそう思っていた。
■ワーク・イズ・ライフ? ライフ・イズ・ワーク?
いちばん最初に就職した時、新人研修で講師の一人がこんなことを言っていた。「仕事を趣味にするくらいでないと、コンサルタントとしては成功しない」。その人は直接の上司にはならなかったが、隣の部の部長のコトバであった。
いきなり金融系コンサルティング会社に入ってしまった私は、リサーチ関係の仕事に就けるものだと思っていたのに、コンサル部門に配属された。正直なところ希望するところではなかったので、この発言を聞いて、「絶対にそうはなるまい」と心に堅く決意したものである。
「あくまでも仕事は仕事、ほんとうの自分は仕事にはない」などと。できれば大学院にもどりたいなどという気持ちが強くあったのもその理由の一つである。
20歳台は、なんとか仕事とプライベートを分けるべく努力して、一歩オフィスをでたら仕事のことはアタマから完全に消そうと努力していた。
しかし、仕事は猛烈に忙しく、寝る時間と食事をする時間を除けば、出張で移動中の時間も含めて、ほとんどが仕事漬けの生活になっていた。それでも「あくまでも仕事は仕事、ほんとうの自分は仕事にはない」という気持ちだけは持ち続けていた。
その当時はワークライフバランスなどというコトバはなく、仕事とプライベートは厳密に分けるという考えに立っていたのである。その当時、カフカの『城』という作品にえらく共感を覚えて読んだことを覚えている。「城」という不可解で理不尽なシステムに翻弄される主人公を描いた小説である。
だが働き出してから3年目に、いままでつながらなかった断片が一気につながるという、やや神秘的な体験をしてから仕事の意味が一気に見えるような気がしたことを明確に覚えている。これはすでに「三日・三月・三年」(みっか・みつき・さんねん)と題してブログに書いたことである。
その後数年を経て、あるときに明確に気がついたのだが、人間というものは、自分が従事している仕事によって、無意識のうちに大きな影響を受けているということである。
そのとき気がついたのは、仕事を離れたふだんの生活でも、職業特有のものの見方になったいることだ。
私の場合は、経営コンサルという仕事についていたこともあり、ものを見る見方がコンサルタントの目になっていることを感じた。世の中のすべてに対して現状を分析し、処方箋を書くというマインドセットができあがっていることに気がついたのであった。もちろん森羅万象ではなく、自分が疑問をもったことに対して、何かと「なぜ?」という疑問をもって見ている自分にである。「そんなことしてないで、こうすればいいのに・・・」といつも思っている。
同じ大学を卒業したのに、銀行に就職した人間は、見た目だけでなく人間の中身まで銀行員になってしまうこと、マスコミの就職した人間はいかにもマスコミ人になっていくことと同じであろう。これは銀行員やマスコミ以外でも、すべての職業に当てはまるのではないだろうか。いわゆる会社に染められるというやつである。
これは同じ会社であっても、営業と経理、製造と研究開発でも大きく異なるものである。ずっと経理畑にいた人間と営業一筋の人間とでは、同じ企業に長く勤めていても大きく異なるものだ。
これは社会人になって就職する前に、すでに出身大学によって色濃くカラーがでているものだ。むかしほど明確ではないというものの、やはり早稲田と慶應ではカラーが違うし、同じ大学でも文学部と工学部とではカラーが違う。
これは見えない文化によって人間が形作られていくことを示しており、ブルデュー流の社会学的に表現すれば"ハビトゥス"(habitus)が形成されるということでもある。クチグセという生活習慣が企業文化となっていることについては、書評 『叙情と闘争-辻井喬*堤清二回顧録-』(辻井 喬、中央公論新社、2009)に書いてある。
企業文化や職業文化といったものは、その企業や職業特有の文化を指したコトバだが、その企業のなかに生活して、その職業を長く続けているとその色に染まっていくものである。
つまるところ、いやがおうにかかわらず、仕事(ワーク)は人生(ライフ)のかなりの部分まで規定し、その人の人生(ライフ)から仕事(ワーク)を切り離せないものとしているということだ。程度の違いは個人によって異なるものの、たいていの人間にとって仕事のもつ意味はきわめて大きい。
■ワーク(仕事)は、けっしてライフ(生活)の対立概念ではない。ライフは仕事と生活と趣味の3つに区分すべき
「ワークライフバランス」を正確に理解するうえで重要なことは、ワーク(仕事)は、けっしてライフ(生活)の対立概念ではないということだ。
ライフ(人生)全体のなかに、ワーク(仕事)が含まれると考えるべきだろう。それほど仕事が人生に占める割合は物理的な時間だけでなく、意味も大きい。
しかし、ライフ・イズ・ワークであっても、ワーク・イズ・ライフであっても、それは過ぎたるは及ばざるがごとし、どう考えても正常な状態ではない。
家事をしない中高年男性の、単なる言い逃れであることも少なくない。
おそらく「ワークライフバランス」でいうライフとは、日本語では「私生活」という、プライベートライフと理解されることが多いのだろう。だから、私が20歳台であった30年前も、仕事とプライベートと区別したいという表明とまったく同じ理解が現在でもされている。
ライフには、私生活の領域である家族や家事、個人の趣味という領域など、仕事以外のさまざまな領域が含まれている。
私は、ワークライフバランスは3つに分解するのがよいと考えている。すなわち、ワーク(仕事)とプライベートライフ(私生活)と趣味(遊び)の3つである。
よくいわれることだが、テキパキと家事をこなす優秀な主婦は、実は仕事をやってもテキパキとこなす能力を身につけていることが多い。逆に仕事のできる女性は、家事もテキパキとこなす能力をもっている。これは生活が仕事に与える影響について語ったものだ。あるいは仕事と生活の相互作用である。
また趣味や遊びの時間に気がついたことが思わず仕事におけるブレイクスルーにつながることも多い。『プロジェクトX-挑戦者たち-』という NHKの番組で、オムロンの自動改札機の開発を取り上げた回があったが、主人公の開発担当者が開発に行き詰まっていたとき、息子を連れて出かけた釣りの場で、流れゆく木の葉をみて開発のヒントを思いついたというエピソードがでてくる。
これは趣味(遊び)が仕事に大きな影響を与えた好例だろう。
家事であれ、趣味であれ、そこで培って磨かれた方法論や気づきが、無意識のうちに別の場である仕事でも発揮されることがあるということだ。もちろん意識して応用することはなおさら良いことだ。
「ワークライフバランス」は、ワーク(仕事)とライフ(生活)を対立的に捉えるのではなく、仕事だけが人生の大部分を占めるのでは、ほんとうに意味のある人生を過ごしているとは言い難いということを示している。私はそのように受け取っている。
日本人、とくに中高年男性が、仕事を隠れ蓑にして家事をやらないのは実にもったいないのである。
朝から晩まで仕事に追われ、情報に追われる日々多忙なビジネスパーソンが意識的に仕事から実を話して「情報遮断」する。これは是が非でもやらなければならないことである。情報処理に慣れてしまった脳を休ませる必要があるからだ。そうでないとクリエイティブな思考ができなくなる。生活や趣味の時間はきわめて重要だ。
できる経営者に自分で料理をする人が少なくないと言われるのも、料理作りがマネジメントとよく似ているからだろう。
PS このブログ記事に書いた内容は、拙著 『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』(佐藤けんいち、こう書房、2012)に再編集して収録してある。 (2014年9月9日 記す)。
<ブログ内関連記事>
働くということは人生にとってどういう意味を もつのか?-『働きマン』 ①~④(安野モヨコ、講談社、2004~2007)
・・ここまで仕事にのめりこんで私生活も犠牲にしてしまうのは・・・
書評 『語学力ゼロで8カ国語翻訳できるナゾ-どんなビジネスもこの考え方ならうまくいく-』(水野麻子、講談社+α新書、2010)
・・主婦だからこそできる時間マネジメント
書評 『わたしはコンシェルジュ-けっして NO とは言えない職業-』(阿部 佳、講談社文庫、2010 単行本初版 2001)
・・できる主婦が仕事でもできることに言及
"try to know something about everything, everything about something" に学ぶべきこと
・・仕事以外の生活や趣味をもつ重要性について、別の側面から考えてみる
書評 『ネット・バカ-インターネットがわたしたちの脳にしていること-』(ニコラス・カー、篠儀直子訳、青土社、2010)
・・「情報遮断」の重要性について指摘しておいた
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2010年12月29日水曜日
"try to know something about everything, everything about something" に学ぶべきこと
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19世紀英国の思想家 J.S.ミル(John Stuart Mill)の名言に、"try to know something about everything, everything about something" というのがある。
文法的には中学生レベルの英語でも十分に理解できるが、いちおう何を言っているのかを考えてみよう。
前段の something about everything の文字通りの意味は「すべてについての何か」。つまり、「すべて」について広く浅くでいいから知ること、であろう。
後段の everything about something とは「何かについてのすべて」。つまり、ある特定の「何か」について狭くても深く知ること、であろう。
全体では、次のような意味になるだろう。
「すべての分野」について、たとえ素人レベルでもいいから常識的なことをある程度まで知っておいたうえで、「ある特定の分野」については、専門家として深掘りしてすべてを熟知すべく努力するべきだ、と。
さらに言えば、森羅万象についての幅広い「教養」のベースが前提にないと、専門家としての発言は 視野狭窄(きょうさく)で独りよがりなものになりがちだ、という戒めのコトバでもある。「教養」というよりも「知識」といったほうがいいかもしれない。
これは、現代に生きる職業人が、理想型として意識すべきことだと思われる。
■具体的な職業分野の仕事に則して考えてみると・・・
"something about everything"」 の "something"(何か)には、それぞれの人ごとに「特定の職業分野」や「特定の業務」が入って来ると考えてみよう。
たとえば、どこの会社でもいいのだが、あなたが人事部で採用を担当している、入社二年目のビジネスパーソンだと仮定してみよう。
仕事として採用実務に精通するようになってきたが、まだ人事管理という仕事の全体像が見えていない状態であある。現状では、日々の業務が精一杯で、自分のやっていることが全体のなかでどのような位置づけになるのか、まだよくわからない。
これでは、ただ単に仕事をこなしているだけではないかという疑問が浮かんでくる。
通常、人事の仕事でいえば、年間のカレンダーをこなしながら、人事管理の3R、すなわち Recruit(採用)から始まって、Retain(雇用)、そして Release(退職)という人事管理の一連の流れ全体を知ったうえで、人のマネジメント全般にかかわる事項について専門性を深めていくことになる。賃金システム、社会保障、社内の教育研修、その他もろもろの社内行事などを、実務をつうじて理解を深めていく。
このように仕事をこなしていくうちに、人事管理の全体像のなかで、自分が担当している仕事の意味が明確に把握され、幅広い視野のもとに専門的な取り組みができるようになるのである。
日本の会社では、平社員のときは係長の視点で、係長のときは課長の視点で、課長のときは部長の視点で仕事に取り組めとよく言われる。少なくとも私が平社員の頃はよく言われていた。
このアドバイスは、ワバランク上の一段高い職位から現在の自分の仕事を見ることで、広い視野のなかに自分の狭い仕事を位置づけること重要性を語っているのである。職位が上になればなるほど、広い視野が求められるから、自分の仕事への取り組み意識がワンランク上になるということだ。
これはある意味では「全体と部分」の関係でもある。仕事経験を積むにつれて、その仕事全体と自分が取り組んでいる部分との関係は、同じ仕事に従事していれば同心円構造に拡大していくという性質をもっていることを意味している。
経営トップである社長の立場とは、自社にかんする「すべて」について、広く浅くでも全方位で全体を知っていることである。
ある意味では自社のことについては細かい数字まで含めてすべてがアタマのなかに入っていることが重要で、これが社長にとっての "everything about something" の"something" に該当する。そのなかには、業界全体のことも入ってくる。
とはいえ、自社以外の幅広い世界、つまり日本経済やひいては世界情勢について、浅くても広い知識をもっていないと、経営判断を誤ることにもつながりかねない。
社長業が専門職である以上、自社と業界以外の事しか知らないのでは、視野狭窄(きょうさく)の誤りにもつながりかねない。
入社二年目の平社員から社長まで話が及んだが、ここまでは「自社内での自分の専門」に特化した仕事の取り組みについての話である。
■自分の専門以外との接点が、いやおうなく求められている時代である
実際問題、自分の専門については熟知しているが、専門以外のことはほとんど知らない、もしその必要が生じても、アタマが回らないといった事態に遭遇することは多いだろう。
自分で一から勉強するのは時間がないし手間もかかるので面倒だ、では他人に聞けばいいということになる。ノウハウではなくいわゆるノウフーというやつだが、この際に適切な質問ができないと、他者からうまく話を引き出すことができない。
また、自分のなかに相手の話を理解する基盤がないと、せっかく適切な話を聞き出せたとしても意味を持たないことになりかねない。
こういったときにものをいうのが、いわゆる「引き出し」の多さだろう。
専門外の人とかかわる際に、相手の専門分野について、ある程度の知識や情報をもっていれば、相手の言わんとすることが理解できるし、すべてが理解できなくても自分が知っている知識に引きつけて、ある程度まで類推することができる。類推した内容が正しいかどうかは、対話のなかで相手に確認してみれば即座にわかることだ。
営業マンは、浅く広く雑学を知っていることが大事だとよくいわれる。自分が扱う商品は深く、顧客についても深く。しかし、浅く広くいろんなことを知っていないと、顧客と雑談ができない。お客様のココロを開かないと、財布のクチも開かないというわけだ。
世の中が流動化するにつれて、自分の専門外や自社以外の専門家たちと仕事をする機会が増えてきている。いわゆるコラボレーション型の仕事である。
細分化された狭い専門に閉じこもっているということ、あるいは自社内に閉じこもっているということは、自分の専門内でしか、また自社特有のコトバでしか語れないということである。これではコラボレーション型の仕事は成り立たない。
他者や他社とのコミュニケーションでカギとなるのが、 something about everything というマインドセットである。
あらゆる分野について、たとえ断片的な知識や情報でももっていれば、それが他者との共通項となってコミュニケーションを行うことが可能になる。
共通項が増えれば増えるほど、コミュニケーションの中身が充実し、実りある対話が可能となっていく。
もちろん、一人の人間がすべてに通じることなどあり得ない。だからこそ、everything about everything ではなく、あくまでも something about everything なのである。
要は、自分の専門以外のことも知ろうとするマインドセットが重要なのだ。
■ワンランク上を目指すには必要なマイドセットとは
"something about everything" は一見するところ、英国的なアマチュアリズム精神のあらわれのようにも見えるが、いわゆる生半可なディレッタントの奨めを意味しているのではない。何か特定の分野については、その道の専門家であることを要しているからだ。
もちろん米国でも英国でも、自分の狭い専門分野に閉じこもって、よそで何が起ころうがいっさい関知しないという態度は仕事の場でよく観察されることである。人事考課と賃金体系がが職務(ジョブ)ベースで設計されている以上、それは合理的な態度であるといえる。
しかしそれでは、何か新しい取り組みを始めたりする際、あるいはワンランク上のレベルにいくことはなかなかなかできない。ワンランク上に行きたいと思っている人は、自らを高めるべく努力をしている。
「専門を極める」、「一芸に秀でる」という職業観も大事だが、同時に、浅くても広い視野を身につける努力をしながら仕事に取り組むことが、これからの日本人にはとくに重要になってくるのではないだろうか。
20歳台前半から後半にかけて、いちばん最初に仕事そのものを覚える期間中は、あまり脇目をしている心の余裕もないだろうが、仕事だけでなく、生活と趣味にもできる限り時間を割くべく意識的に努力したいものである。
家事を含めた生活は、いやがおうでもしなくてはならないものである。
社会人になって仕事を始める前までやっていた趣味は、可能なら続けるべきであるし、また仕事を始めてからあらたな趣味に取り組むのもいいことだ。
なぜなら、生活や趣味をつうじて、仕事からでは得られない「学び」を得ることができるからである。とくに趣味であれば、「好きこそものの上手なれ」であるから、いやな思いをすることなく、さまざまなことを無意識のうちに学ぶことができる。意識的になれば学びの要素はさらに大きい。
近年、ワークライフバランスというコトバで、仕事と生活をいかに両立させるかというテーマが企業社会でも市民権を得てきたが、これは女性だけでなく男性も十分に意識すべきことだ。20歳台の若者だけでなく、30歳台以上のビジネスパーソンもすべてこの意識をもつことが必要だ。
幅広い知識や情報は、仕事をつうじてだけでなく、意外なことに生活や趣味から難なく得られることも多い。今後は意識的に生活や趣味のもつ意味を深掘りしてみることも必要だろう。生活や趣味は「引き出し」を増やすための無限の宝庫である。すでに誰もがもっている宝である。宝の持ち腐れではもったいない。
勉強だけが視野を広げる手段ではない。仕事と生活と趣味をつうじて、"something about everything" を一つづつでも増やしていけばよいのである。
"try to know something about everything, everything about something" というコトバに学ぶべきものとは、そのようなものだと私は考えている。
<ブログ内関連記事>
世の中には「雑学」なんて存在しない!-「雑学」の重要性について逆説的に考えてみる (2013年3月3日 追加)
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2010年12月28日火曜日
動物は野生に近ければ近いほど本来は臆病である。「細心かつ大胆」であることが生き残るためのカギだ
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動物は野生に近ければ近いほど本来は臆病である。
数日前、建物の軒下で毛づくろいをしていたこのノラネコの写真を撮るために、そっと背後から近づいた。いざカメラを構えて撮影したそのとき、ノラネコと目があったとたん、このネコは猛ダッシュで逃げ去った。こいつは絶対に警戒を緩めないネコなのだ。
撮影は当然のことながらズームアップである。
ノラネコでも、人になついてエサを求めて人に媚びるようになると野性味が失われる。
ノラネコでも、絶対に人になつこうとしない、野性味を維持したネコがいる。人間が住む環境を離れてノラネコは生存できないのだが、・・
写真に写っているのは、後者の絶対に人になつこうとしないノラネコである。まずもって面構えが違う。
このノラネコは、私が彼のテリトリーに入ったことを感知したその瞬間、脱兎のごとく(・・ネコだから脱猫というべきだが、こういう表現はない)逃げ去って、10メートルほど先に立ち止まった。そしてこちらの一挙手一投足を監視している。遠くから身構えながら当方の動きをうかがっている。しかも、いつでも次のアクションに移れるような臨戦態勢で。
ノラネコは、けっしてじぶんより大きな動物である人間に立ち向かってくることはない。ノラネコは、自分より小さなネズミなどの小動物しか狙わないのだ。
野生動物ほど臆病で、慎重な行動をするものはない。
しかし一方で、これほど大胆な行動をする生き物もいない。獲物を狙うときの慎重なノラネコ、そして間合いを縮めて照準を定めたとたんに、一気に飛びかかる狩人であるノラネコ。
人間の行動をさして「細心かつ大胆」という形容詞があるが、人になつこうとしないノラネコの行動に同じである。
それはつまるところ、「生きのびるチカラ」の一つなのであろう。
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動物は野生に近ければ近いほど本来は臆病である。
数日前、建物の軒下で毛づくろいをしていたこのノラネコの写真を撮るために、そっと背後から近づいた。いざカメラを構えて撮影したそのとき、ノラネコと目があったとたん、このネコは猛ダッシュで逃げ去った。こいつは絶対に警戒を緩めないネコなのだ。
撮影は当然のことながらズームアップである。
ノラネコでも、人になついてエサを求めて人に媚びるようになると野性味が失われる。
ノラネコでも、絶対に人になつこうとしない、野性味を維持したネコがいる。人間が住む環境を離れてノラネコは生存できないのだが、・・
写真に写っているのは、後者の絶対に人になつこうとしないノラネコである。まずもって面構えが違う。
このノラネコは、私が彼のテリトリーに入ったことを感知したその瞬間、脱兎のごとく(・・ネコだから脱猫というべきだが、こういう表現はない)逃げ去って、10メートルほど先に立ち止まった。そしてこちらの一挙手一投足を監視している。遠くから身構えながら当方の動きをうかがっている。しかも、いつでも次のアクションに移れるような臨戦態勢で。
ノラネコは、けっしてじぶんより大きな動物である人間に立ち向かってくることはない。ノラネコは、自分より小さなネズミなどの小動物しか狙わないのだ。
野生動物ほど臆病で、慎重な行動をするものはない。
しかし一方で、これほど大胆な行動をする生き物もいない。獲物を狙うときの慎重なノラネコ、そして間合いを縮めて照準を定めたとたんに、一気に飛びかかる狩人であるノラネコ。
人間の行動をさして「細心かつ大胆」という形容詞があるが、人になつこうとしないノラネコの行動に同じである。
それはつまるところ、「生きのびるチカラ」の一つなのであろう。
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2010年12月27日月曜日
ファラデー『ロウソクの科学』の 「クリスマス講演」から150年、子どもが科学精神をもつことの重要性について考えてみる
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いまからちょうど150年前の本日、すなわち1860年12月27日から翌年1月8日までの全6回、「クリスマス講演」と題して行われた、英国の化学者マイケル・ファラデーが 69歳の年の『ロウソクの科学』。
これはその翌年、一冊の本としてまとめられ、それ以後、科学教育史上における名著として現在に至るまで読み継がれてきた。
今年2010年9月に、岩波文庫から『ロウソクの科学』の新訳が出版されたので、今回ここでとりあげたいと思う。
■新訳『ロウソクの科学』に目を通してみる
以前の岩波文庫の翻訳が、ドイツ語版からの重訳であったというのは、いくらなんでもひどい話だ。
原文は言うまでもなく英語である。原題は、Michael Faraday, A Course of Six Lectures on the Chemical History of a Candle, 1861 である。直訳すれば「ロウソクの化学史の六回の講演コース」。
新訳は全体的に非常にわかりやすい訳文になっており、これなら中学生でも読めるの文章になっているのではないかと思う。
燃焼のなんたるかについて、そのメカニズムにかんする知識をもっている、すでに大人である私から見れば、なんだかまどろっこしい説明であるような感じがしなくもないのだが、知識のない子どもに対して、燃焼や化学反応を実験をつうじて一から理解させるためには、このような形で順をおって、無理なくロジカルに説明していく手法が大切なことが理解される。
おそらく、文字で読むからそう感じるのであって、目の前で実験しながらお話を聞くのであれば、大人でも実に興味深く聞き入るレクチャーなのだと思う。
とはいえ、大人であっても、たとえばクリーンエネルギーである燃料電池(fuel cell)のメカニズムを知るためには、ファラデーが説明するように、水素と酸素を結合させる際に発生するエネルギーにかんする基本的な原理を知っておくことが不可欠である。これは水を電気分解すると、水素と酸素が得られることの反対にあたる。
ファラデーのレクチャーは、燃焼を論じて、二酸化炭素排出にかんして、人間と植物の問題にまで及ぶ。化学と電気をつうじて、科学的思考精神を大きく広げてくれる内容になっている。
■科学教育(≒理科教育)の重要性は、ただ単に実用知識の習得だけにあるのではない
ファラデーのように、科学をわかりやすく語る行為は、なによりも現在の日本で求められていることだと痛感している。日本でも米村でんじろう氏のような科学の伝道師が一人でも増えることを願うものである。
とくに実験をつうじて、目に見える形で科学のもつオドロキに触れることは、センス・オブ・ワンダー(sense of wonder)感覚を養ううえで実に重要だ。日本語には訳しにくいが、自然界の不思議を感じ取る感覚といったらいいのだろうか。
受験科目にないという理由で、理科から遠ざかっている子どもが少なくないようだが、これはおかしな話である。
ビジネスの世界では、何よりも「仮説-検証」感覚といったものが求められるのだが、これは日常生活をただ単に送っているのでは身につかない感覚である。仮説をもとに自分で実験を計画し、実験によってその仮説が正しいかどうかを検証する。
実験そのものは、あくまでも手技(てわざ)であり、自分のアタマで考え、自分の手を使って実験道具を組み立てて実験を行い、それをまた自分のアタマで判断して、結論を導いていくという一連のプロセスのなかで養われるものだ。
「仮説-検証」感覚は、勉強本を読んで一朝一夕に身につくマインドセットではない。きちんと中学生と高校生のときに理科を勉強して、知らず識らずのうちに身につくものだ。
訳者解説に引かれたコトバで、ファラデーは科学教育の目的について次のように言っている。
小学校や中学校レベルで感じたセンス・オブ・ワンダー感覚、たとえ自然科学を専攻しなくても、この感覚は大人になっても持ち続けたいものである。そしてこれが「仮説-検証」感覚の基礎となる。
でないと、日本人の将来は実に暗いといわざるを得ない。
■ロウソクをつうじたファラデーと日本との縁(ゆかり)
ところで、1860年12月27日に行われた第1講には、こういうフレーズがでてくる。(*太字ゴチックは引用者=さとう 以下同様)。
訳者注によれば、以下のものである。
「日本のロウソク」は最終日の第6講の冒頭にもでてくる。
日本とも見えない糸でつながっていたファラデー。発明王エジソンが電球のフィラメントに京都の竹を使用したというエピソードとあわせて、日本人として、その当時のメイド・イン・ジャパンの工芸品のレベルの高さを知るのは、なんだかうれしくなってくるエピソードではないか。
こんなことからファラデーに親しみを感じるのもいいことだろう。
ファラデーはもともと製本工から実験助手を経て、自らの意思のチカラでつかみとった幸運を活かしきり、独学で科学者として身を立てた人である。偉大な科学者である前に、手技(てわざ)の人であったのだ。職人のマインドを持ち続けた人であった。
ファラデーこそまさに「地頭のよい人」であったといえるだろう。
ファラデー『ロウソクの科学』の新訳にざっと目をとおして、こんなことを考えてみた。
<ブログ内関連記事>
Study nature, not books ! (ルイ・アガシー)
猛暑の夏の自然観察 (1) セミの生態 (2010年8月の記録)
猛暑の夏の自然観察 (2) ノラネコの生態 (2010年8月の記録)
猛暑の夏の自然観察 (3) 身近な生物を観察する動物行動学-ユクスキュルの「環世界」(Umwelt)
アリの巣をみる-自然観察がすべての出発点!
「理科のリテラシー」はサバイバルツール-まずは高校の「地学」からはじめよう!
「人間の本質は学びにある」-モンテッソーリ教育について考えてみる
朗報! 2014年度のノーベル物理学賞は青色発光ダイオード開発の中村博士ほか日本人3人に決定!(2014年10月7日)
・・「偉大な科学者である前に、手技(てわざ)の人であった」ファラデー。「職人のマインドを持ち続けた人であった」ファラデーと、製造装置をみずから手作りした中村修二博士には共通点がある
(2014年8月11日 項目新設)
(2015年1月5日 情報追加)
いまからちょうど150年前の本日、すなわち1860年12月27日から翌年1月8日までの全6回、「クリスマス講演」と題して行われた、英国の化学者マイケル・ファラデーが 69歳の年の『ロウソクの科学』。
これはその翌年、一冊の本としてまとめられ、それ以後、科学教育史上における名著として現在に至るまで読み継がれてきた。
今年2010年9月に、岩波文庫から『ロウソクの科学』の新訳が出版されたので、今回ここでとりあげたいと思う。
■新訳『ロウソクの科学』に目を通してみる
以前の岩波文庫の翻訳が、ドイツ語版からの重訳であったというのは、いくらなんでもひどい話だ。
原文は言うまでもなく英語である。原題は、Michael Faraday, A Course of Six Lectures on the Chemical History of a Candle, 1861 である。直訳すれば「ロウソクの化学史の六回の講演コース」。
新訳は全体的に非常にわかりやすい訳文になっており、これなら中学生でも読めるの文章になっているのではないかと思う。
燃焼のなんたるかについて、そのメカニズムにかんする知識をもっている、すでに大人である私から見れば、なんだかまどろっこしい説明であるような感じがしなくもないのだが、知識のない子どもに対して、燃焼や化学反応を実験をつうじて一から理解させるためには、このような形で順をおって、無理なくロジカルに説明していく手法が大切なことが理解される。
おそらく、文字で読むからそう感じるのであって、目の前で実験しながらお話を聞くのであれば、大人でも実に興味深く聞き入るレクチャーなのだと思う。
とはいえ、大人であっても、たとえばクリーンエネルギーである燃料電池(fuel cell)のメカニズムを知るためには、ファラデーが説明するように、水素と酸素を結合させる際に発生するエネルギーにかんする基本的な原理を知っておくことが不可欠である。これは水を電気分解すると、水素と酸素が得られることの反対にあたる。
ファラデーのレクチャーは、燃焼を論じて、二酸化炭素排出にかんして、人間と植物の問題にまで及ぶ。化学と電気をつうじて、科学的思考精神を大きく広げてくれる内容になっている。
■科学教育(≒理科教育)の重要性は、ただ単に実用知識の習得だけにあるのではない
ファラデーのように、科学をわかりやすく語る行為は、なによりも現在の日本で求められていることだと痛感している。日本でも米村でんじろう氏のような科学の伝道師が一人でも増えることを願うものである。
とくに実験をつうじて、目に見える形で科学のもつオドロキに触れることは、センス・オブ・ワンダー(sense of wonder)感覚を養ううえで実に重要だ。日本語には訳しにくいが、自然界の不思議を感じ取る感覚といったらいいのだろうか。
受験科目にないという理由で、理科から遠ざかっている子どもが少なくないようだが、これはおかしな話である。
ビジネスの世界では、何よりも「仮説-検証」感覚といったものが求められるのだが、これは日常生活をただ単に送っているのでは身につかない感覚である。仮説をもとに自分で実験を計画し、実験によってその仮説が正しいかどうかを検証する。
実験そのものは、あくまでも手技(てわざ)であり、自分のアタマで考え、自分の手を使って実験道具を組み立てて実験を行い、それをまた自分のアタマで判断して、結論を導いていくという一連のプロセスのなかで養われるものだ。
「仮説-検証」感覚は、勉強本を読んで一朝一夕に身につくマインドセットではない。きちんと中学生と高校生のときに理科を勉強して、知らず識らずのうちに身につくものだ。
訳者解説に引かれたコトバで、ファラデーは科学教育の目的について次のように言っている。
教育の目的は、心を訓練して、前提から結論を導き、虚偽を見いだし、不適切な一般化を正し、推論に際しての誤りが大きくなるのをくい止められるようにすることです。(P.227)
小学校や中学校レベルで感じたセンス・オブ・ワンダー感覚、たとえ自然科学を専攻しなくても、この感覚は大人になっても持ち続けたいものである。そしてこれが「仮説-検証」感覚の基礎となる。
でないと、日本人の将来は実に暗いといわざるを得ない。
■ロウソクをつうじたファラデーと日本との縁(ゆかり)
ところで、1860年12月27日に行われた第1講には、こういうフレーズがでてくる。(*太字ゴチックは引用者=さとう 以下同様)。
また、これは私たちが開国をうながした、はるか遠くの異国、日本からもたらされた物質です。これは一種のワックスで、親切な友達が送ってくださったものです。これもロウソク製造用の新しい材料ですね。(P.25)
訳者注によれば、以下のものである。
いわゆる「和ロウ」。ハゼノキやウルシなどのウルシ科の実を砕き、蒸し、しぼりとった固体脂肪を原料とした。脂肪、つまり脂肪酸のグリセリンエステルだが、パルミチン酸 CH3(CH2)14COOH が多く含まれている。(P.182)
「日本のロウソク」は最終日の第6講の冒頭にもでてくる。
光栄にもこの連続講演を聞きに来てくださったご婦人が、私にこの二本のロウソクをくださいました。重ね重ねのご親切に感謝します。このロウソクは日本から来たもので、おそらく前に申し上げた物質からできているのでしょう。・・(中略)・・このロウソクは驚くべき特性を備えています。すなわち中空の芯で、この見事な特性は、アルガンがランプに採用して価値を高めたものです。・・(中略)・・また、日本の鋳型ロウソクは、イギリス製の鋳型ロウソクに比べて、上の部分がより広い円錐形になっています。(P.151~152)
日本とも見えない糸でつながっていたファラデー。発明王エジソンが電球のフィラメントに京都の竹を使用したというエピソードとあわせて、日本人として、その当時のメイド・イン・ジャパンの工芸品のレベルの高さを知るのは、なんだかうれしくなってくるエピソードではないか。
こんなことからファラデーに親しみを感じるのもいいことだろう。
ファラデーはもともと製本工から実験助手を経て、自らの意思のチカラでつかみとった幸運を活かしきり、独学で科学者として身を立てた人である。偉大な科学者である前に、手技(てわざ)の人であったのだ。職人のマインドを持ち続けた人であった。
ファラデーこそまさに「地頭のよい人」であったといえるだろう。
ファラデー『ロウソクの科学』の新訳にざっと目をとおして、こんなことを考えてみた。
目 次
『ロウソクの科学』ができるまで-訳者前書きに代えて-
序文
第1講 ロウソク 炎とそのもと‐構造‐動きやすさ‐明るさ
第2講 ロウソク 炎の明るさ‐燃焼に必要な空気‐水の生成
第3講 生成物 燃焼によって生じる水‐水の性質‐化合物‐水素
第4講 ロウソクの中の水素‐燃えて水になる‐水の他の部分‐酸素
第5講 空気中の酸素‐大気の性質‐ロウソクからの他の生成物‐炭酸とその性質
第6講 炭素つまり木炭‐石炭ガス‐呼吸‐呼吸とロウソクの燃焼との類似‐結論
訳注
ファラデー 人と生涯
文献・資料
訳者後書き
著者プロフィール
マイケル・ファラデー(Michael Faraday)
1791年、ロンドンで鍛冶屋の三男として生まれる。両親とともにロンドンに移住、製本工から実験助手に志願して、独学で夢を叶えて科学者となり、1825年には英国王立研究所の研究所長となる。数々の科学上の特筆すべき業績を残しただけでなく、1826年から「少年少女のためのクリスマス講演」を開始、この講演は現在まで続くものとなった。1860年の『ロウソクの科学』講演の2年後の最後の講演後、研究所を引退、1867年に眠るような大往生を遂げた(訳者解説から作成)。
竹内敬人(たけうち・よしと)
1934年東京生まれ。1960年東京大学教養学部教養学科卒業。理学博士。東京大学名誉教授、神奈川大学名誉教授。専攻は有機化学、化学教育(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
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2010年12月26日日曜日
『ソビエト帝国の崩壊』の登場から30年、1991年のソ連崩壊から20年目の本日、この場を借りて今年逝去された小室直樹氏の死をあらためて悼む(2010年12月26日)
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本日(2010年12月26日)は、ソ連が崩壊してから20年目になる。ソ連が崩壊したのは、1991年12月25日だから正確にいうとまる 19年ということになる。
小室直樹の『ソビエト帝国の崩壊-瀕死のクマが世界であがく-』(光文社カッパビジネス、1980)という衝撃的な内容の本が出版されたのは、ソ連崩壊の11年前。出版されてから本年でなんと 30年になる。
高校二年のとき父親の蔵書だったものを、何度も何度も繰り返し読んだが、この本は現在の私を形成するうえで、きわめて大きな意味をもった本のなかでも、最重要な一冊といえる。
小室直樹氏は2010年9月4日に77歳でお亡くなりになっていたことは後から知った。まだまだ旺盛な知的腕力による活動を期待していたのだが。
今年は、梅棹忠夫氏など、知的世界の巨星がいくつも墜ちたが、小室直樹氏もまた、その諸著作が私の血肉になってきたこともあり、直接師事したことがないとはいえ、私にとっては残念でならない。
今回は、今年惜しくも亡くなった小室直樹の一般書デビュー作『ソビエト帝国の崩壊』を振り返りながら、ソ連邦崩壊について考えて見たいと思う。
『ソビエト帝国の崩壊』の出版当時は、ソ連が崩壊するなど荒唐無稽だとみなされていたが、実際に小室直樹の「予言」どおり、11年後の1991年には崩壊した。
本書は、その後出版された膨大な数の小室直樹の一般書のなかでも最高の一冊であると、私はいまでも思っている。
出版の前年、第二次石油ショックの原因となった「イラン・イスラーム革命」、その後のメッカのカーバ神殿占拠事件が起こった1979年の年末に始まった、ソ連のアフガニスタン侵攻作戦、これがよもやソ連の命取りになったとは、ソ連自身も考えもしなかったことだろう。
私はその頃いつも聞いていた FEN(米軍極東ネットワーク)のラジオニュースで聞いて驚いたことを覚えている。Soviet troops invaded Afghanistan. というのが、米軍放送のアナウンサーの第一声であった。米国はジミー・カーターが大統領であった時代である。
このアフガン侵攻が、ソ連にとっての泥沼のベトナム戦争となり、国力を疲弊しただけでなく国民全体のモラールダウンを招いていったことは、ソ連が崩壊してから明らかになった。
またこのアフガン戦争に、米国の支援を受けて参加したムジャヒディーンたちが、後にアルカーイダを形成し、米国自身に刃(やいば)を向くことになるとは米国自身も考えもしなかったことだろう。アフガンは米国にとって「第二のベトナム戦争」になりつつある。まさに「禍福はあざなえる縄のごとし」である。
『ソビエト帝国の崩壊』の内容については、ソ連に属していた各共和国のソ連邦からの離脱可能性が、ソ連憲法において法的に認められていること、天上の権力と地上の権力が皇帝に集中していた点において、ソ連がビザンツ帝国の末裔であることなど、その後の私のものの考え方の基本を作ってくれた本の一冊である。
実際に、ソ連が崩壊してしまってからは、書店の店頭から姿を消してしまって久しいが、できれば復刻して、社会科学における仮説に基づく予測を現実に起こった結果で検証するケーススタディーとして、大いに研究するべきだと思う。
ここまで大胆な予測(・・予言?)を的中させた学者、しかもアカデミズムのワクには納まりきらなかったホンモノの学者は、戦後日本ではあまり多くない。
世界的に見ても先駆的といえるだろう。フランスのソ連研究者エレーヌ・ダンコースのソ連崩壊ものよりも時期的には早かったのではないか。
『ソビエト帝国の崩壊』の初版カッパビジネス版の裏表紙には、山本七平の「推薦のことば」が掲載されていたと記憶しているが、たしか「これほど学問が好きで仕方がないという人は珍しい」といった趣旨のことが書かれていた。(* 確認したところ実際にそう記されていた)。
以後、私は山本七平による小室直樹の評価を基準に、世の全ての学者判断することとしている。そのテーマがほんとうに好きで好きで研究しているといった「学者バカ」はとくに大学には少ないと思う。
私が最初に就職した金融系コンサルファームはシンクタンク部門と一緒になっていたが、三度の飯よりも学問が好きというような人はほぼ皆無に近かったように思う。シンクタンク研究員というものも、しょせんサラリーマンに過ぎないようだ。
小室直樹はもともと数学を専攻していたが、経済学を森嶋通夫、政治学を丸山真男、経済史を大塚久雄、人類学を中根千枝、法社会学を川島武宜と、当代一流のホンモノの学者から一対一で教えを請い、そのすべてを自家薬籠中のものとした大学者である。
大学時代の前期課程時代、小平キャンパスに招かれて講演をした小室直樹を、私は見たことがある。「田中角栄を殺すな!」とテレビで絶叫して、テレビからは永久に干されたあとのことである。
そのときたしか、女性をめぐってスペイン人(?)と喧嘩して前歯を折ったことがあるとか言ってたようなことを、いま思い出した。事の真偽と私の記憶が正しいかどうかは、なんともいえないが。
このエピソードは、アジア人をバカにする不良英国人にたまりかねて、大英博物館のなかで殴った南方熊楠を思い出す。
『ソビエト帝国の崩壊』は、もともと生物学志向だった私が、大学で社会科学を専攻することにしたキッカケの一つといえるかもしれない。
小室直樹の本としては、このほか『危機の構造』(ダイヤモンド社、1982)をあげておきたい。この本もまた、社会科学とはなんぞやを知るための必読書であり、私の血肉となった本である。現状では、あまりにも古書価が高すぎるので、ぜひ復刻していただきたい。
在野の立場から、ホンモノの学問を探究して、一般国民向けに講じてやまなかった小室直樹氏。
いまこの場を借りて、あらためてご冥福を祈るとともに、長年にわたる感謝の意を表したいと思う。合掌。
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小室直樹については、これまで以下の文章で取り上げているので、該当箇所を再録しておこう。2010年現在でも、十分に通用する骨太の議論を、狭いアカデミズムの世界向けではなく、広く一般国民に向けて書いていただいたことは、日本人として心から深く感謝しなくてはならない。
書評 『日本教の社会学』(山本七平/小室直樹、ビジネス社、2016 単行本初版 1981)-「日本教」というキーワードで日本社会をあざやかに分析した濃密かつ濃厚で骨太な議論
・・1980年代の日本の論壇で大きな影響力をもった骨太の思想家・山本七平と知の超人・小室直樹の共同作業。1981年の著作が2016年にようやく復刊
最近ふたたび復活した世界的大数学者・岡潔(おか・きよし)を文庫本で読んで、数学について考えてみる
・・「具体的な処方箋としては、私は数学者から出発した小室直樹の本を読むべしと答えておこう。とくに『数学嫌いな人のための数学-数学原論-』(小室直樹、東洋経済新報社、2001)、痛快なタイトルの 『超常識の方法-頭のゴミを取れる数学発想の使い方-(知的サラリーマン・シリーズ)』(小室直樹、祥伝社NONブック、1981)。ともに新刊では入手できないのが問題だが。ほかにも「数学ブーム」のおかげでいろいろ本がでているので、自分にあったものを見つけたらいいと思う。私も、小室直樹と同様、幾何学的思考と数学的思考が、学問のすべての基礎だと信じて疑わない」
ひさびさに宋文洲さんの話をライブで聞いてきた!
・・「中国人の個人主義の本質を知りたければ、『小室直樹の中国原論』(小室直樹、徳間書房、1996)が必読書である。中国人の人間集団は、個人を中心に幇(パン)、情誼(チンイー)、関係(グワンシ)、知り合い(友人)という「同心円構造」の「多重世界」である。幇(パン)から順番に、関係の度合いが薄くなってゆく。幇の内側は絶対の世界、幇の外側は相対の世界。そして地縁を越えた血縁集団としての「宗族」(そうぞく)が存在する。この幇と宗族の二つが、中国人の人間関係を理解するカギである、と小室直樹は結論している。幇の外、宗族の外の人間は、中国人であってもソト側の人、日本人のいう外人といっても構わないような存在であるが、宗族でなくても情誼(チンイー)、関係(グワンシ)、知り合いとなれば、ウチ側の人間となる」
皇紀2670年の「紀元節」に、暦(カレンダー)について考えてみる
・・「元外交官の法学者・色摩力夫(しかま・りきを)がよく使っていた「出生の秘密」(status nascens)というライプニッツのコトバがあるように、その紀元に何をもってくるか、その紀元の本質が何であるか、によってその後の「歴史」はすべて決定されてくるのである。色摩力夫は自衛隊の「出生の秘密」が自衛隊という軍事組織の性格を規定している、という文脈でこのコトバを使用している。『国民のための戦争と平和の法-国連と PKO の問題点-』(小室直樹/色摩力夫、総合法令、1993)P.145 などを参照」
(2017年10月28日 情報追加)
P.S. この投稿で、ちょうど本年度 365本目となった。5日前倒しで「ほぼ毎日更新中!!」を達成できたことになる。これもまた、小さいながらも「目標達成」であり、「達成感」を感じている。
PS2 あらたに写真一枚を追加した。『ソビエト帝国の崩壊』のカバー表裏である。 (2014年2月4日)
PS3 小室直樹の全体像を描いた骨太の評伝『評伝 小室直樹 上下』(村上篤直、ミネルヴァ書房、2018)が出版されている。生前には一度も会うことがなかったが、フリークともいうべき弁護士が書いた評伝だ。まずこれを越える評伝が出ることは当分ないだろう。(2021年2月25日 記す)
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高校二年のとき父親の蔵書だったものを、何度も何度も繰り返し読んだが、この本は現在の私を形成するうえで、きわめて大きな意味をもった本のなかでも、最重要な一冊といえる。
小室直樹氏は2010年9月4日に77歳でお亡くなりになっていたことは後から知った。まだまだ旺盛な知的腕力による活動を期待していたのだが。
今年は、梅棹忠夫氏など、知的世界の巨星がいくつも墜ちたが、小室直樹氏もまた、その諸著作が私の血肉になってきたこともあり、直接師事したことがないとはいえ、私にとっては残念でならない。
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またこのアフガン戦争に、米国の支援を受けて参加したムジャヒディーンたちが、後にアルカーイダを形成し、米国自身に刃(やいば)を向くことになるとは米国自身も考えもしなかったことだろう。アフガンは米国にとって「第二のベトナム戦争」になりつつある。まさに「禍福はあざなえる縄のごとし」である。
『ソビエト帝国の崩壊』の内容については、ソ連に属していた各共和国のソ連邦からの離脱可能性が、ソ連憲法において法的に認められていること、天上の権力と地上の権力が皇帝に集中していた点において、ソ連がビザンツ帝国の末裔であることなど、その後の私のものの考え方の基本を作ってくれた本の一冊である。
実際に、ソ連が崩壊してしまってからは、書店の店頭から姿を消してしまって久しいが、できれば復刻して、社会科学における仮説に基づく予測を現実に起こった結果で検証するケーススタディーとして、大いに研究するべきだと思う。
ここまで大胆な予測(・・予言?)を的中させた学者、しかもアカデミズムのワクには納まりきらなかったホンモノの学者は、戦後日本ではあまり多くない。
世界的に見ても先駆的といえるだろう。フランスのソ連研究者エレーヌ・ダンコースのソ連崩壊ものよりも時期的には早かったのではないか。
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以後、私は山本七平による小室直樹の評価を基準に、世の全ての学者判断することとしている。そのテーマがほんとうに好きで好きで研究しているといった「学者バカ」はとくに大学には少ないと思う。
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小室直樹はもともと数学を専攻していたが、経済学を森嶋通夫、政治学を丸山真男、経済史を大塚久雄、人類学を中根千枝、法社会学を川島武宜と、当代一流のホンモノの学者から一対一で教えを請い、そのすべてを自家薬籠中のものとした大学者である。
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そのときたしか、女性をめぐってスペイン人(?)と喧嘩して前歯を折ったことがあるとか言ってたようなことを、いま思い出した。事の真偽と私の記憶が正しいかどうかは、なんともいえないが。
このエピソードは、アジア人をバカにする不良英国人にたまりかねて、大英博物館のなかで殴った南方熊楠を思い出す。
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・・ソ連でユダヤ系の数学者の家に生まれて、崩壊前のソ連から米国に家族と移住したセルゲイ・ブリンはグーグルの創業経営者の一人である
資本主義のオルタナティブ (3) -『完全なる証明-100万ドルを拒否した天才数学者-』(マーシャ・ガッセン、青木 薫訳、文藝春秋、2009) の主人公であるユダヤ系ロシア人数学者ペレリマン
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書評 『ソ連史』(松戸清裕、ちくま新書、2011)-ソ連崩壊から20年! なぜ実験国家ソ連は失敗したのか?
「チェルノブイリ原発事故」から 25年のきょう(2011年4月26日)、アンドレイ・タルコスフキー監督最後の作品 『サクリファイス』(1986)を回想する
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書評 『「シベリアに独立を!」-諸民族の祖国(パトリ)をとりもどす-』(田中克彦、岩波現代全書、2013)-ナショナリズムとパトリオティズムの違いに敏感になることが重要だ
・・小室直樹の指摘どおり「連邦」から離脱した旧ソ連諸国はソ連憲法のたまものであった
マンガ 『沈黙の艦隊』(かわぐちかいじ、講談社漫画文庫、1998) 全16巻 を一気読み
・・冷戦時代、日本の「仮想敵国」はソ連であった
『レッド・オクトーバーを追え!』のトム・クランシーが死去(2013年10月2日)-いまから21年前にMBAを取得したRPIの卒業スピーチはトム・クランシーだった
・・ソ連の原子力潜水艦を追え!
書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える
・・「反共」の立場からソ連崩壊と東欧革命に影響力を行使したバチカン
(2013年10月31日、2013年12月25日、2014年8月20日、2021年2月25日 情報追加)
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