『働きマン』 ①~④(安野モヨコ、講談社、2004~2007)は、菅野美穂主演でテレビドラマ化もされたマンガだが(・・テレビドラマのほうは見ていない)、「働くということは人生にとってどういう意味をもつのか」という問いを考える人間には必読のマンガである。
おそらく講談社(?)がモデルと思われる大手出版社の週刊誌部門に配属されて、大学卒業以来ずっと同じ部門で働いている主人公・松方弘子は編集者として、モーレツな仕事を続けている。
女性だが、仕事に取りかかると「働きマン」モードになってしまう。「働きマン」とはこのマンガのタイトルそのものだが、いいかえれば「男モード」ということだろう。
仕事の内容がマスコミであれ何であれ、働くということは、どうしても「男モード」に入ってゆかざるをえない・・これは女性にとって幸せなのか、そうではないのか。
いや男性だって、仕事するときには「男モード」に入らざるをえないのはいうまでもない。男性が「男モード」に入るのは、必ずしも困難ではないが、これも程度問題だろう。
「男モード」とは、生物としての男というよりも、ジェンダーとしての男のことをさしている。
このマンガの舞台は大手出版社の一部門なので、おそらく中小の出版社とは共通する面もあるが、大きく異なる職場環境でもあるのだろう。
大手出版社の一部門で働く主人公は恵まれているのか、はたして恵まれていないのか。
読んでいて、自分の20歳台を思い出す。
私自身は、出版業界などマスコミで働きたいと大学時代に思ったこともあるが、その道は結局選ばなかった。「昭和時代」末期(=昭和60年=1985年)に始まった私の職業人生の第一歩は、金融系のコンサルティング会社からであったが、仕事ぶりはこのマンガの主人公にそっくりで、まさにモーレツな仕事世界に取り込まれてしまった。
結局、26歳で胃にポリープができていることが検査をはしごした結果判明した。入院はしなかったが、その直後に M.B.A. 留学のため米国にいったら、勉強はモーレツに厳しいが、いやな上司もつまらぬ同僚もいない天国のような世界、ポリープが悪化することなく現在まで生きているのは、そのおかげである。
このマンガの主人公は、仕事に取り組む際には「働きマン」モードに入るが、あくまでも男性ではなく女性である。
主人公が、30歳を前に疲弊し、消耗していくのを読むのは、読者としてもなんだか身につまされるのだ。
このマンガには、「ワークライフバランス」なんて、かけらも存在しない。
とはいえ、思うに 20歳台で仕事を覚える時期には「ワークライフバランス」なんて必要ないのではないか、という気もする。
しかし、カラダこわしてまで働く意味があるのか?
「いったい何のために働くのか」、「働くということは、人生にとってどういう意味をもつのか?」、そんなことを考えてしまうマンガである。
現在にいたるまで、⑤以降は中断したままとなっている。作者も疲弊して燃え尽きてしまったのだろうか・・・?
主人公は30歳までに編集長になるという密かな野望を胸にモーレツな日々を過ごしている。バーンアウトしてしまうまで働き続けるのは、夢が、目的があればこそなのだが・・・
夢が実現しなかったとき、あるいは思いどおりに夢が実現してしまったとき、人はそこから先の「働く意味」を、どこにどうやって見つけてゆくのだろうか?
夢が叶おうが叶うまいが、働かなければならないのが人間であるとすれば・・・
