2011年2月11日金曜日

本日(2011年2月11日)は「イラン・イスラム革命」(1979年)から32年。そしてまた中東・北アフリカでは再び大激動が始まった





 本日は日本では「建国記念日」であるだけでなく、イランでは「イラン・イスラム革命」(1979年)から32年にあたる記念日である。 

 2月1日にホメイニ師がフランスからイランに帰国してから、「イスラム革命」成就の日までの10日間を、イランでは「夜明けの10日間」というらしい。

 世界的なイスラーム哲学研究者で哲学者であった井筒俊彦(1914~1993)は、ホメイニ師を乗せたエールフランス機とはすれ違いで、テヘラン空港から JAL による「最後の救出機」でイランを脱出したことを、『意味の深みへ-東洋哲学の水位-』(井筒俊彦、岩波書店、1985)の「あとがき」に記している。

 長くなるがそのまま引用させていただこう。井筒氏の文章は私はむかしから大好きで、この件にかんする箇所だけでも何度も何度も読んできた。革命当時のテヘランに居住していた当事者にしか書けない文章である。ほとんど散文詩のような響きをもつ文章だ。

 人生、いつ、どこで、どんなことが起こるかわからない。思いもかけない時、思いもかけなかったことが、しばしば、起こる。それにつれて、生涯のコースが、思いがけない方に走りだす。錯綜する因縁の糸の縺(もつ)れが、様々に方向を変えながら織りだしていく生のテクスト。それが、人生というものの真の姿なのではなかろうか。近頃、そんなことを、よく考えるようになった。

 現に、もし数年前、あの時点で、イランという国にホメイニー革命が起こらなかったら、私は、きっと、あのままテヘランで、今でも仕事を続けていただろうし、したがって『意識と本質』も本書も、書かれることは、おそらくなかったであろう。
 一九七九年の二月、革命の勃発で、私は帰国することを余儀なくされた。すでにその前の年の秋あたりから、事態は急速に緊迫の度を増していった。テヘラン市内の至るところで、殺気立った民衆による焼打ち、暴行、暗殺が、毎日のように起こった。テヘラン中心部の私達のアパートのすぐ窓下で、突然、機関銃のけたたましい音が、濃い夜の闇を劈(つんざ)いた。
 夜には、陰鬱(いんうつ)な雨がよく降った。どこか近くの建物の屋上で、突然、神を讃美する悲痛な叫びが響く。たちまち、四方八方の屋上から他の声がそれに唱和する。王政にたいする激越な挑戦だ。それを下から狙い撃ちする政府軍の兵士達。暗い夜空を見上げる私の心に、何とはなしに、運命という言葉が去来した。
 学問の世界が次第に遠のいていくそんな情勢の下で、だが、それは私自身のイラン関係の仕事が、丁度、脂の乗りきってきた時期でもあったのだ。イスラーム哲学の未刊のテクストの編纂・註解作業を中心として、イスラーム法学基礎論の非アリストテレス的言語行為理論、スーフィズムの形而上学的基礎付けなど、複数の企画が並行して進捗しつつあった。立派な協力者も、少からずまわりにいた。異常な緊張感のなかで、私たちは規則正しく会合し、熱心に研究を進めていた。それを全部放棄して、私は、心ならずも、イランを離れた。

 心ならずも・・・・。だが、考えてみれば、それが私の生涯の、運命が用意してくれた転機だったのかもしれない。イランでの仕事に興味は尽きなかった。しかし奇妙なことに、それを棄て去ることを悔む気特は少しも起こらなかった。それどころか、日航の救出機に腰を下ろした時、私はすでに次の新しい仕事を考えていたのだった。今度こそ、二十年ぶりで日本に落ちついて、これからは東洋哲学をめぐる自分の思想を、日本語で展開し、日本語で表現してみよう、という決心とも希望ともつかぬ憶いで、それはあった。
 テヘランからアテネに向う私達の飛行機は、その途中の空中で、アテネからテヘランに向うホメイニーの一向を乗せたフランス機とすれ違った。そんな噂だった。 (引用は P.301~302)

 井筒俊彦氏が65歳のときの体験をつづった文章である。井筒氏の英文の専門論文以外の文章を、日本語で書かれた著作として読むことができるのは、実にこの「イスラム革命」であったということにもなる。

 弟子の五十嵐一氏が書いた文章によれば、井筒氏は日本に帰国後、イランの革命政府からの度重なる招聘を固辞し続けたということだ。せっかくの転機である、すでに踏み出した新しい道を突き進む決意ができていたからであろう。

 その五十嵐氏は、その後、筑波大学のキャンパスで、何者かによって白昼に刺殺された。サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』を日本語訳したことによる犠牲者である。私はこの事実を滞在中のイタリアで Newsweek の記事によってたまたま知った。

 『意味の深みへ-東洋哲学の水位-』(井筒俊彦、岩波書店、1985)に収められた「シーア派イスラーム-シーア派的殉教者の由来とその演劇性-」は、この本に収録されたその他の論文とは趣が異なる講演録をもとにしたものだが、1984年時点ではもっとも深い理解を、きわめてわかりやすく解説したものだといっていいと思う。

 1979年は、イスラーム世界が日本人にとって、真の意味で急浮上した年である。とくに、高校二年生であった私と同じ世代の人間にとっては、人生のきわめて早い時期に遭遇した画期的な出来事であった。イラン研究者やイスラーム研究者の多くが、この事件に衝撃を受けて、その道に進んだ人たちが多いようだ。

 1979年2月の「イラン・イスラム革命」は、その年の4月にはイスラム共和国の成立につながり、革命の歴史のなかに新たなタイプが成立した。1789年のフランス革命に始まった「ブルジョア革命」1917年のロシア革命に始まった「社会主義革命」に続く、第三の革命モデルとしての「宗教革命」

 1979年の「イラン・イスラム革命」は、経済的には1973年の「石油ショック」に続いて発生した「第二次石油ショック」となり、その年にはサウジアラビアはメッカの「カアバ神殿占拠事件」、そして年末にソ連崩壊の引き金となった「アフガン侵攻」が発生したのであった。

 「カアバ神殿占拠事件」は修学旅行先の白黒テレビでみていたことを覚えている。ちょうどその頃、桑田佳祐の「勝手にシンドバッド」が流行っていた。A谷というクラスメートが余興で歌ったのだった。エピソード記憶によるイモヅル式連想である。

 「アフガン侵攻」は、FEN のラジオ・ニュースで知った。在日米軍のラジオ放送である。年末のことだった。まだ受験勉強は始めてなかったと思う。

 まさにこの1979年から、世界の大激動が始まったのである。

 そしてそれから32年後、チュニジアから始まった「民主革命」が燎原の火の如く拡がって、アラブ世界の盟主であるエジプトにも波及、一気に中近東の地政学状況が激動に見舞われている。

 2011年のチュニジアとエジプト、それにヨルダンなどの動きに、1979年の「イラン・イスラム革命」、そしてさらには1956年の「スエズ運河封鎖」など、歴史を振り返って考えることの意味を再確認したい。

 おそらく、2011年の中東・北アフリカに始まった大激動は、全世界に大きな影響を与えていくことになろう。多くの日本人は気がついているかどうかわからないが・・・






P.S.  ついにエジプト情勢が大きく動いた!(2011年2月12日 日本時間未明)

 「エジプ民主化革命」が成就した2011年2月11日(エジプト現地時間)は、奇しくも、32年前の1979年の「イラン・イスラム革命」成就の日と重なったことになる。
 この30年間は、1981年10月のサッダート大統領暗殺後のエジプトは、ムバラク体制の30年であった。「イラン・イスラム革命」後の32年は、ムバラク体制のエジプトとまったく重なる期間であった。
 とりあえずエジプト国軍が全権掌握。一件落着である。さて本番はこれからだ。

(2011年2月12日 付記)



<参考文献>

『同時代も歴史である-一九七九年問題-』(坪内祐三、文春新書、2006)
・・「1979年春、その時に「歴史」は動いていた」。私より4歳上の、1958年生まれの評論家の文章。歴史というものは、その渦中にいる者には捉えがたいもの。






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・・1979年のアフガン侵攻からソ連崩壊が始まった

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・・中東・北アフリカの大激動でもっとも大きな影響を受けることになるのがイスラエル。今後の動きは、イスラエルとエジプトの両国関係とイランが大きな意味をもつ

書評 『中東新秩序の形成-「アラブの春」を超えて-』(山内昌之、NHKブックス、2012)-チュニジアにはじまった「革命」の意味を中東世界のなかに位置づける
・・国際秩序撹乱者としてのイラン

(2014年2月2日 情報追加)


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