2011年5月8日日曜日

「生誕100年 岡本太郎展」 最終日(2011年5月8日)に駆け込みでいってきた


 「生誕100年 岡本太郎展」に行ってきた。会期ギリギリの駆け込みである。1911年生まれの岡本太郎は、1996年に 86歳で没している。

 1970年の大阪万博で太陽の塔を見て以来出会ってから40年来の「20世紀少年」であるわたしは、ぜひいかねばと思いながらも、あれよあれよという間に最終日になってしまったのだった。

 じつは先月に一度いってみたのだが、そのときは「節電」のため16時閉鎖(!)で泣く泣く入場できないということがあったのだ。本筋とは違うが、そのときはバクハツしたのだったが(笑) 

 混雑しているという情報があったので、朝イチで10時にいったらもう長蛇の列。

 岡本太郎も、白洲次郎ではないが、「養女」となった岡本敏子さんの精力的な紹介のおかげで死後に「復活」して以来、15年たったいまでもまったく人気が衰えずに高止まりなのだなあと、あらためて実感した次第だ。


「生誕100年 岡本太郎展」の率直な感想

 「生誕100年」の回顧展ということなので、内容的には初期の作品から後期まで網羅的に集めた入門編といったオーソドックスなものだった。

 かつてTVで流されていた意外に作品をまったく見たことがない人にとっては、「何だこれは!」感があるだろうが、すでに岡本太郎ファンであれば、東京青山のアトリエ(現在は岡本太郎記念館)や神奈川県川崎市の岡本太郎美術館で展示物を目にしているので、意外感はあまりない。

 とくに、わたしのように、「子どもの精神」を持ち続けている「非常識な人間」にとっては(笑)。

 もちろん、太陽の塔にかんするパネル展示やフィルム、晩年のCM出演やタモリの番組のゲスト出演のフィルムなど、日本人むけの展示としては絶対にはずせないコーナーである。入門編の内容としては、評価できるものだろう。

 唯一、斬新な展示だったのは、最後の出口前の「目玉を描いた作品群」の展示。これでもか、これでもかと目玉描いた作品を一同に集めた展示は、テーマ性が強く面白かった。

 わたしにとっての収穫は、「縄文人」という彫刻をふたたび見ることができたことくらいか。茶釜のような形態の彫刻作品である。『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)の表紙に採用されている。

 グッズの販売についても、わたしには物足りなかった。どうせやるなら、「座れない椅子」のミニチュアとか、青山の岡本太郎記念館にある「等身大の岡本太郎人形」の複製ミニチュアなどがほしいのだが・・。これはいつみても「何だこれは!」感に充ち満ちている。

 結局、今回はマグネットを3枚買ったのみとした。そのうちの一枚はもちろん太陽の塔である。



岡本太郎にとっての「東北」、岡本太郎にとっての「原発事故の恐怖」をもっと打ち出せると、よりアクチュアルな展示となったであろう

 残念なのは、この企画展示が「3-11」以前のものであったということだ。

 「生誕100年 岡本太郎展」は、2011年3月8日に会期がはじまってすぐに、「大震災」と「大津波」という超巨大自然災害に見舞われただけでなく、原発事故という起こってはならない人災に見舞われた美術展となった。

 もしこの企画展が「3-11」以後のものであったなら、「東北」と「原発事故」(放射能恐怖)を全面に出したものにするべきだったろう、と強く思ったことだ。

 「東北」については、岡本太郎が「美としての縄文」の「発見者」であることは、今回の展示でも縄文土器の写真パネルが展示されていたことにも明らかである。

 その「縄文」の担い手は、東北であり沖縄であったことも、フィルムが上映されていたが、これをもっと全面に打ち出したらよかったのではないかと思うのだ。

 東北のなまはげ、鹿踊り(ししおどり)んど、岡本太郎が東北に寄せた並々ならぬ好奇心と思いは、『岡本太郎の東北』(飯沢耕太郎=監修、岡本太郎・岡本敏子、毎日新聞社、2002)という写真集にもまとめられているとおり。岡本太郎じしんが撮影した貴重な民俗学的写真が多数収録されているので、ぜひ手にとってほしい。

 また、ピカソと真っ正面から対峙しピカソを乗り越えようとした岡本太郎が、ピカソの「ゲルニカ」の向こうを張って、核戦争の恐怖というテーマを、絵画や壁画として表現してきたことも今回の展示ではキチンと取り上げられていたが、これももっと全面に打ち出したらよかったのではとも思うのだ。

 1970年の大阪万博では、全体のテーマであった「進歩と調和」という近代文明に対して、あえて「ノン!」を突きつけた岡本太郎のことだ。福島第一の「原発事故」を知ったとしたら、間違いなく発言したはずだろう。1986年に発生したチェルノブイリ原発事故も生前に知っていたことであるし。

 いまだ大きな規模で余震が続く、被災地の東北で美術展を行うことはムリであるにしても、岡本太郎記念館のある東京や岡本太郎美術館のある川崎以外で、「東北」と「原発事故」を全面にだした企画展は、いまからでも遅くない、ぜひ実現されるといいと思う。

 2011年のいまというアクチュアルな状況のなかで、岡本太郎なら「東北」についてどう発言するか、「核戦争」ではないが同じく放射能被害では共通する「原発事故」をどう表現するか、こういったことを見る人に考えさせる企画にすると、きわめて意味あるものとなるのではないだろうか。

 そして、またとない「東北応援」になるはずだ。






<関連サイト>

「生誕100年 岡本太郎展」


<岡本太郎に関するリンク集>

岡本太郎記念館(東京・青山)・・岡本太郎アトリエの保存・再現
川崎市岡本太郎美術館・・神奈川県川崎市にある本格的美術館
・太陽の塔(独立行政法人 日本万国博覧会記念機構


<ブログ内関連記事>

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・この本の表紙は「縄文人の彫刻」であある

書評 『ピカソ [ピカソ講義]』(岡本太郎/宗 左近、ちくま学芸文庫、2009 原著 1980)

本の紹介 『アトリエの巨匠に会いに行く-ダリ、ミロ、シャガール・・・』(南川三治郎、朝日新書、2009)

マンガ 『20世紀少年』(浦沢直樹、小学館、2000~2007) 全22巻を一気読み・・大阪万博の太陽の塔を見ることのできた少年たち、見ることのできなかった少年たち

「チェルノブイリ原発事故」から 25年のきょう(2011年4月26日)、アンドレイ・タルコスフキー監督最後の作品 『サクリファイス』(1986)を回想する

「メキシコ20世紀絵画展」(世田谷美術館)にいってみた
・・パブリック・アートとしてのメキシコの「壁画運動」。岡本太郎もその影響を大きく受けており実作もしている。メキシコで発見され里帰りした壁画は、2008年以降は渋谷駅に展示され、有るべき姿でよみがえった




(2012年7月3日発売の拙著です)







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