2011年9月14日水曜日

書評 『タイに渡った鑑識捜査官-妻がくれた第二の人生-』(戸島国雄、並木書房、2011)-「鑑識36年」の著者がタイで体験したマッチョで無茶な生き様


タイ警察で鑑識実務を実地指導してきた「鑑識36年」の著者によるマッチョで無茶な生き様をつづった貴重なドキュメント

 単身でタイ社会に飛び込んで、カラダを張ってタイ警察で鑑識実務を実地指導してきた「鑑識36年のベテラン」の著者による、マッチョで無茶な生き様をつづったドキュメントである。

 あくまでも「現場」に徹底的にこだわりつづけた著者のエピソードが満載、内容も盛りだくさんで、単行本三冊分以上にも相当する。読んで面白い、じつに貴重なレポートである。

 最愛の妻を病気で亡くし、茫然自失の日々を送っていた54歳の日本警察の鑑識捜査官は、JICA(国際協力機構)が募集していたタイ国派遣事業に応募し合格する。新天地の仕事で気分一新しようと思い立った著者は、二年間の任期の新しい仕事にとりかかるのだが、これが最初から「想定外」のことばかりで、読んでいるこちらがハラハラしてくるほどだ。

 現地での仕事は、基本的に数ヶ月に一回の鑑識セミナーの実施のみ。しかしそれに飽き足りない著者は、一大決心のもと現場に飛び込んで肌身をつうじてタイの現状を把握することからはじめる。「上から目線」の教えてやるではなく、「現場」に飛び込んで現地の鑑識捜査官たちとともに汗を流すことが必要だと悟ったからだ。

 本書で語られているのは先駆者の苦労の数々というべきだが、それにしても、著者が現場で指導するまでのタイ警察の実態には驚かされることばかりだ。著者がタイに飛び込んだ1995年当時は、警察の鑑識などあってないようだと言っても言い過ぎではなかったのだ。タイ人特有の「マイペンライ」意識のいいかげんさと同時に、プロ意識も濃厚なタイ警察の警察官たちの素顔も面白い。

 著者みずからが「現場」に飛び込んでかかわったエピソードのひとつひとつはとてもハンパなものじゃない。数多くの殺人事件、運河でのバラバラ遺体発見、スラム街での火事、バンコクにいる日本の暴力団との命がけの渡り合い、タクシン首相時代の「麻薬撲滅作戦」、クーデター、プーケットを襲った2004年の「インド洋大津波」での膨大な遺体の鑑識作業などなど。まさに、日本人鑑識捜査官によるタイ王国事件簿とでもいったらいいような内容だ。灼熱の国タイは事件においても原色の世界なのだ。

 観光ガイドにはけっして書かれることのないタイとタイ人のほんとうの姿を知りたい人、鑑識捜査官の仕事の実際について知りたい人、タイ人を部下にもっている人、南部のリゾート地に大被害をもたらした2004年のインド洋大津波の被災地の現場がどんな状態であったかを知りたい人にはぜひ薦めたい一冊である。

 ただし、挿入された写真にはボカシが入れてあるが、文章にはボカシはいっさいない。心臓の弱い人は読まない方がいいかもしれないと付け加えておこう。


<初出情報>

■bk1書評「タイ警察で鑑識実務を実地指導してきた「鑑識36年」の著者によるマッチョな無茶な生き様をつづった貴重なドキュメント」投稿掲載(2011年9月13日)
■amazon書評「タイ警察で鑑識実務を実地指導してきた「鑑識36年」の著者による貴重なドキュメント」(2011年9月13日)





目 次

序 消えた「微笑み」

第一部 鑑識技術に国境はない
 タイ赴任初日の大失態
 謎の言葉「マイペンライ」
 日本人の腎臓を狙った怪事件?
 日本とタイの鑑識の壁
 事件現場につきものの「葬儀団」
 タイに受け入れられた日本の鑑識技術
 やっとタイの食べ物が合ってきた?
 やさしい笑顔
 タイ警察の有名人「トチャイ将軍」
 「日本のヤクザなら撃ち殺せ」
 いまどきの日本の若者
 行方不明になった日本の大学生
 タクシー強盗に間違われる?

第二部 眠らない街バンコク
 チャイナタウンの殺人事件
 運河に漂流する肉片
 蜂に襲われた警官
 タイの麻薬撲滅作戦
 部下がくれた黄金のお守り
 チャオプラヤー川の船舶火災
 長い長いタイの葬式
 邦人殺害事件
 軍事クーデター勃発
 年越しの大火災
 五つ星ホテルの盗難

第三部 悪夢のインド洋大津波
 被災地への出動命令
 「これから何をすればよいのか?」
 津波発生三日目、指紋採取を開始
 刑務所行きを覚悟の「指紋採取」
 スピードアップした指紋採取
 やっと交代できる……
 被災地で迎えた六四歳の誕生日
 初めて出会った日本人ジャーナリスト
 ついに感染症の危険
 足りない棺桶
 日本の鑑識チームと合流
 久しぶりの入浴
 霊がさまよう村
 ボランティアを知らないボランテイア
 世界の歴史に残る仕事をやり遂げた
 長い夜
 事件は続く……

終わりに
著者略歴


著者プロフィール

戸島国雄(とじま・くにお)

1941年1月1日生まれ。1960年自衛隊に入隊、第一空挺団に所属。1965年警視庁巡査。1970年警視庁刑事部鑑識課現場写真係。三島由紀夫割腹事件、三菱重工爆破事件、ホテル・ニュージャパン火災、日航123便墜落事故、オウム真理教関連事件などを担当。警視総監賞部長賞等107回受賞。1995年、JICA(国際協力機構)の専門官として、タイ内務省警察局科学捜査部に派遣され、犯罪捜査および現場鑑識の指導にあたる。1998年帰国。警視庁似顔絵捜査官が設立され、犯人手配用の似顔絵専門捜査官001号の任命証を警視総監より受理。2001年警視庁を定年退職。2002年3月 JICA のシニアボランティアとしてふたたびタイに渡る。警察大佐を拝命。2004年12月、スマトラ島沖地震による大津波発生の直後から被災地に入り、遺体の身元確認に従事。2011年7月帰国。『似顔絵捜査官001号(仮題)』の出版も予定(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 副題には「妻がくれた第二の人生」とあるが、感傷じみた記述はいっさいない、ハードボイルドな男の第二の人生の記録というべき内容だ。

 出版社の並木書房は、軍関係や警察関連書が中心の出版社だが、その趣味をまったくもたない人には、タイ関連の本でこれほど良書がでたことを失念してしまう可能性があると思い取り上げた。というより、中身はめちゃくちゃ面白い。

 書評にも書いたが、「観光ガイドにはけっして書かれることのないタイとタイ人のほんとうの姿を知りたい人、タイ人を部下にもっている人」には、ぜひ薦めたい

 専門が何であれ、日本人とタイ人は、同じアジア人仏教徒といっても相違点もかなり多い。この状況を肌身をつうじて体感してきたからこそ語ることのできる内容が満載なのだ。

 とくに興味深いのは、このブログでも何回か書いているが、死体にたいする日本人とタイ人の感覚の大きな違いである。日本人は死体と遺体を完全に区別しているが、タイ人の死体感覚は、ある意味ではキリスト教の欧米人に近いものもある。タイの上座仏教徒は、火葬後はハイを川に流すか山に蒔くかして墓をつくらないのだ。

 「微笑みの国」タイの仏教徒なら、人を殺すハズなどないだろうなんて思う常識は捨てたほうがいい。いとも簡単に人が殺されるのがタイ社会である。なんせ人口比で日本の 7倍も殺人事件が発生するタイである。これは銃器が自由売買されているという事情も大きい。この点にかんしては、日本よりも米国社会に近い上座仏教のは自力救済の世界である。

 しかも、血だらけの死体の写真がタイ語のタブロイド紙には平然と掲載される。死体とか血に対する感覚がどうも日本人とは違うのだ。いや、ある意味では平安時代末期までの日本に近いのかもしれない。

 本書にも、鑑識のために遺体安置所に入るシーンが何回かでてくるが、著者は魚市場のように無造作に死体が積まれていると、光景を描写している。読んでいるだけで、視覚と嗅覚を中心に五感を刺激される内容だ。

 本書には、日本人がらみでも表沙汰にならない事件が多数紹介されている。現地紙にはでても日本では報道されない事件や、もみ消される事件も少なくないのだ。その意味でも「バンコク事件簿」として目を通しておくことを奨めたい。

 鑑識捜査官の観点から、タイが日本よりもすぐれているのは、タイ国民は15歳になったら全員が指紋を登録しなければならないという制度の存在だ。おかげで、2004年のインド洋大津波で 10名の部下を率いて最初に被災地に入り3カ月間にわたって従事した遺体の身元確認では、これが大いにものをいう結果となったのだ。
 
 バンコクに駐在する日本人ビジネスパーソンたちのように、安全な日本人居住区に住むわけではなく、しかも運転手つきのクルマが提供されるようなご身分ではない。

 著者は、職場ではみずからエアコンのない大部屋で積極的に部下たちと接触し、部下とともに現地食を食べ、実地でタイ語を覚えていくという日々を送っていた。

 完全にタイ社会のなかにどっぷりと溶け込んだ生活が、技術移転を成功に導いただけでなく、肌感覚あふれるタイ社会の内部レポートに結実したといいっていいだろう。



<関連サイト>

【著者に聞きたい】戸島国雄さん『タイに渡った鑑識捜査官』(産経新聞、2011年9月4日)


<ブログ内関連記事>

書評 『地獄へようこそ-タイ刑務所/2700日の恐怖-』(コリン・マーティン、一木久生訳、作品社、2008)-無実の罪で投獄された白人ビジネスマンが手記につづるタイの刑務所の恐るべき実態 (2014年1月18日 追加)

書評 『地雷処理という仕事-カンボジアの村の復興記-』(高山良二、ちくまプリマー新書、2010)
・・あくまでも「現場」に徹底的にこだわりつづける著者と同じマインドをもった、元自衛官によるボランティアの記録

鎮魂!「日航機墜落事故」から26年 (2011年8月12日)-関連本三冊であらためて振り返る
・・遺体鑑識の現場についての報告が『墜落遺体-御巣高山の日航機123便-』(飯塚訓、講談社+α文庫、2001 単行本初版 1998)にある。戸島氏は御巣高山での鑑識作業にもかかわっている

タイのあれこれ (23) DVDで視聴可能なタイの映画-① ムエタイもの、② バイオレンス・アクションもの
・・タイ映画に多いバイオエンス・アクションものは絵空事ではない。その背景をしるためにも本書は必読だ

書評 『三陸海岸大津波』 (吉村 昭、文春文庫、2004、 単行本初版 1970年)

書評 『津波てんでんこ-近代日本の津波史-』(山下文男、新日本出版社、2008)







(2012年7月3日発売の拙著です)








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