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2011年8月12日金曜日

鎮魂!「日航機墜落事故」から26年 (2011年8月12日)-関連本三冊であらためて振り返る

    
 26年前の夏の日もまた、暑い夏の一日であった。8月は広島と長崎への原爆投下、御巣高山の日航機墜落事故、そして「終戦記念日」(・・正確には「敗戦」記念日とすべき)と、暑い日の記憶と密接に結びついた鎮魂の月日が続く。

 8月13日から15日までの「お盆」の時期に集中するこれら一連の「記念日」はまた、8月をして、日本人に生きていること、死ぬということ、この二つの側面をもつ人生について深く考えさせられる月にしている。
 
 「日航機墜落事故」は、大学を卒業して社会人になった年に発生した大事故である。それだけに記憶にも深く刻まれている。

 その当時、購読していた「TIME誌」の日本販売版(英語)の表紙は、陸上自衛隊のヘリコプターによって空中から引き揚げて救出されている、数少ない生き残りの少女を撮影した写真であった。

 航空機の墜落事故は、事故確率からいったら自動車事故よりも低いのだが、一瞬にして多数の乗客が死亡する衝撃の大きさからいって、事故には直接の関係をもたない人々にとっても、きわめて大きな衝撃を与えるものがある。

 事故とはつまりは人災である。直接の原因が飛行機そのものに起因するものであったとしても、人間が製造し、人間が整備し、人間が操縦する以上、すべての事故原因を機械の故障に帰してしまうことはできない。広い意味のヒューマンエラーの積み重なりであり、いわゆる「ハンイリッヒの法則」が働く世界である。

 『隠された証言-日航123便墜落事故-』(藤田日出男、新潮文庫、2006 単行本初版 2003)を読むと、発表された事故原因であった圧力隔壁破壊であったが、多くの専門家が首をかしげたという。

 文庫本裏表紙にはこう書かれている。

元日航機長の著者は、各種の資料を収集分析し、事故原因を追及する。そして、ついには内部告発者があらわれて、隠されていた証言が事故の真相と隠蔽の構図を浮き彫りにした。

 じっさいこの本を読むと、日航の墜落事故と日航機を製造した米国のボーイング社の関係が、福島第一原発の事故と原発を建設した米国の GE(ゼネラル・エレクトリック社)との関係を想起させるものがる。

 航空機製造は、敗戦国日本にとっては占領軍によって製造禁止となったため、航空機製造技術にライムラグが発生したのはまことにもって痛かった。この結果、日本の航空会社はボーイングを中心とした体制となってしまい、肝心要の部分がブラックボックスとなってしまった。

 結局のところ国産旅客機として成功したのは YS-11 だけであった。現在もほぼすべての旅客機はボーイングかエアバスおよびバンバルディエのみとなっている。ひさびさの国産旅客機である三菱重工の中型機も、ビジネス的には苦戦しているのが現状だ。

 原発がそもそも日本にとっては輸入技術であったことが、いまのいまに至るまで大きな問題を生み出していることは、「市民科学者」のはしりで、草創期の元原発技術者であった高木仁三郎氏が、何冊もの著書のなかで繰り返し述べていることである。とくに初期の GE製の原子炉については、日本側には設計図すら渡されていないという驚愕すべき事実が存在するのだ。・

 『隠された証言-日航123便墜落事故-』の文庫版あとがきには、日航機墜落事故は「一機だけでの事故としてはは世界最大の航空機事故である」とある。

 「隠された証言」とは何かについては、直接本文を読んでいただきたい。事故原因と刑事責任のふたつを完全に区分して調査すべきことは、おなじく外資のシンドラー製であったエレベーター事故のあと、ようやく日本でも軌道にのりはじめたこと。半歩前進というべきだろうか。

 なお、「御巣鷹山の墜落事故」については、「JAL123便墜落事故記録」がネット上にアップされている。 ●CVR全内容 ●ボイスレコーダ音声データ ●事故現場写真集 ●FLASH がその内容である。

 最後の ●Flash は、フライトレコーダーの音声とダッチロールを続ける日航機を地図上にプロットして追跡するものだが、あまりにも迫真に満ちているので、心臓が弱い人は閲覧は控えたほうが無難だろう。



 『墜落遺体-御巣鷹山の日航機123便-』(飯塚訓、講談社+α文庫、2001 単行本初版 1998)は、事件調査の立場から行われた警察による「遺体確認」の記録である。あわせて読んでおきたい本である。

 事故で亡くなったのは520人、しかし墜落事故による遺体はバラバラの断片になってしまったものも多い。

 大規模事故における危機管理、真夏の猛暑日の連続のなかでおこなわれた遺体収容作業と遺体確認作業のすさまじい日々、警察、医師、歯科医師、看護師のみなさんによる懸命の作業を陣頭指揮した群馬県警の「身元確認班長」による127日間の記録。

 そして、ボランティアのみなさんのバックアップにも筆が及ぶのは、「現場」でみずからが作業にあたりながら陣頭指揮をとった人ならではのものだろう。

 死ねば遺体はたんなるモノに過ぎないと割り切れる、宗教や死生観を別にする諸外国の人たちとは異なり、遺体にこだわる日本人にとっては、遺体確認の作業はきわめて重要なタスクである。このタスクを誠心誠意実行したみなさんの、不眠不休の命がけの努力にはほんとうに頭が下がる。

 「3-11」では、大津波の被害で2万人以上の死者がでているが、その多くは遺体すら収容されていない。浜辺に打ち上げられた遺体も膨大な数に及んだことも忘れてはならない。

 いずれ「3-11」における遺体収容と遺体確認の記録も出版されてくる日もくるだろうが、大規模事故の遺体収容と遺体確認の作業がいかに困難をきわめるものかを実感するためには必読といっていいだろう。

 すくなくとも、自衛隊員でも警察官でも、医者でも歯科医でも看護師でもない読者にとっては。



 『喪の途上にて-大事故遺族の悲哀の研究-』(野田正彰、岩波書店、1992)は、精神医学者が大規模事故で残された遺族と日本航空の対応をめぐる記録を書いたものである。

 坂本久などの有名人だけでなく、どんな遺族であれ、喪ったのはかけがえのない人たちである。

 事故死とは、病床で迎えるゆっくりとした確実な死ではなく、本人にっても残された遺族にとっても予期せざる突然の死である。

 しかも、犠牲者の大半が働き盛りであり、輝かしい未来をもった子どもたちである。予期せざる死とどう向き合い、残された遺族は新たな人生をどう生きていくのかについて、多くの証言をもとに書かれたものだ。

 被災者や遺族と事故を起こした主体とのかかわりは、「3-11」の原発事故でも再現されることとなろう。原発事故は大規模事故であり、しかも人災であったが、現時点では死傷者はきわめて少ない。

 これから、わたしも含めて放射能による緩慢な死が多くの日本人に訪れることになっていくのだろうが、見えない放射能被害は、日航機の墜落事故とはどう異なり、どう共通するのだろうか。野田正彰氏にはふたたびコミットしていただきたいものと思う。あるいは、もっと若い世代の精神医学者たちにも。


『隠された証言-日航123便墜落事故-』(藤田日出男、新潮文庫、2006 単行本初版 2003)

目 次

序章 内部告発者―3度目の接触
第1章 墜落現場
第2章 ドキュメント「日航123便墜落」
第3章 内部告発者―最初の接触
第4章 事故調査委員会
第5章 内部告発者―2度目の接触
第6章 あり得ない「隔壁破壊説」
第7章 急減圧は、やはりない
第8章 18年間の出会い
第9章 事故原因
終章 内部告発者との別れ


著者プロフィール

藤田日出男(ふじた・ひでお)


1934(昭和9)年生れ。1956年33月大阪府立大学農学部獣医学科卒業。1958年、運輸省航空大学校卒業。同年、日本航空入社。パイロットとして、コンベア880、ダグラスDC‐8 などに乗務。1944(平成6)年、同社を退社。航空安全活動歴は長く、1966年「航空安全推進連絡会議」設立に参加。1987年、英国クランフィールド工科大学で航空事故調査のマスタークラスに学ぶ。現在、「日本乗員組合連絡会議」事故対策委員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




『墜落遺体-御巣高山の日航機123便-』(飯塚訓、講談社+α文庫、2001 単行本初版 1998)

目 次

第1章 出動命令
第2章 大量遺体
第3章 最初の遺体確認
第4章 悲しみの体育館
第5章 看護婦たちの胸の内
第6章 指紋、歯が語る
第7章 身を粉にした医師の仕事ぶり
第8章 遺体の引き取り
第9章 過酷な任務
第10章 極限の日々
第11章 最後の最後まで

著者プロフィール

飯塚 訓(いいづか・さとし)


1937年、群馬県に生まれる。日本大学法学部を卒業。1960年、群馬県警察官として採用され、以後、警察本部課長、警察署長、警察学校長等を歴任。1985年、高崎署刑事官在職時に、日航機墜落事故が発生、身元確認班長に。1996年、退官(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




『喪の途上にて-大事故遺族の悲哀の研究-』(野田正彰、岩波書店、1992) 

第1章 日航機墜落後の遺族の仕事
第2章 「死の棘」を焼く
第3章 悲しみの時間学
第4章 豊穣の喪
第5章 子供と死別をわかちあう
第6章 癒しの皮膜
第7章 回心と生きる意味の再発見
第8章 家族の生死の第一人者
第9章 山守りたちの雛祭り
第10章 安全共同体への離陸
第11章 法律家の経済学―上海列車事故に見る
第12章 喪のビジネス


著者プロフィール

野田正彰(のだ・まさあき)


1944年、高知県生まれ。北海道大学医学部卒業。長浜赤十字病院精神科部長。神戸市外国語大学教授などを経て、2004年度より関西学院大学教授。専攻は比較文化精神医学。主な著書に『コンピュータ新人類の研究』(文藝春秋、1987、大宅壮一ノンフィクション賞)。『喪の途上にて』(岩波書店、1992、講談社ノンフィクション賞、本書)など。






<関連サイト>

日本航空123便墜落事故(wikipedia日本語版)

なぜこれほどの尊い命が失われてしまったか-検死医が目の当たりにした“津波遺体”のメッセージ 
高木徹也・杏林大学准教授のケース-(ダイヤモンドオンライン)

・・2011年3月11日の大津波の検死を行った報告 (2011年8月23日 追加)



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(2012年7月3日発売の拙著です)







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