2月29日。この日にブログを書くのは、4年に一度しかできない。
閏年である。オリンピックイヤーである。夏にはロンドンでオリンピックがある。
とくにテーマがあるわけではないのだが、こういう機会を利用しない手はあるまい。なんせ、次回この日に書けるのは4年後である。これから何歳まで生きるのか、またいつまでブログを書くのかわからないが、きょうこの日を逃したら、もうつぎは4年後になってしまう。
けさは未明から雪。関東南部も雪だ。東京だけでなく、千葉県北西部も昼まで降り続けるという。
今年の2012年2月26日は雪ではなかったが、きょうのこの日が雪。
と書いてみて、ふと思うことがあって、1936年(昭和11年)を調べてみたら、なんとその年も閏年だった。
そうか、76年前の1936年2月26日、雪の降る東京で始まった二・二六事件は、4日目の2月29日に青年将校たちは自決するか投降してクーデターは鎮圧された。あまり考えてなかったが、二・二六事件は、2月26日に始まり、2月29日に終わったのだ。
そうか、あのときも閏年だったのだ。1936年は、ヒトラーのもとでベルリン・オリンピックが開催された年だったのだ。オリンピックイヤーだったのだ。
この日に雪が降らなければ、思い出して検索してみることもなかっただろう。76は4の倍数。すぐに連想しなかったのがうかつだったのか、それとも二・二六事件を忘れるな!という冥界からのメッセージか??
不思議なことだ。シンクロニシティだろうか。
「格差社会」がふたたび進展する現在の日本。
戦前はいまよりもっと荒々しい資本主義の時代だったから、現在よりも、はるかに貧富の差は大きかった。社会矛盾に怒りを覚え、解決を目指して立ち上がった青年将校たちの気持は忘れてはならない。
1936年もまた、東北の農村は疲弊しきっていたのだ。1929年の世界大恐慌の影響と大飢饉のため、東北では、娘が身売りされるなど悲惨な状況になっていたのだ。
士官学校をでて隊付き将校として着任した尉官たちが「現場」で実感したのは、兵士たちのふるさとである東北の農村の疲弊状況だったのだ。感受性豊かな20歳代前半の青年であれば、何も感じない、ものを考えないというはずがありえない。
基本的にエンジニアである陸軍軍人たちは社会科学の素養を欠いており、その情勢分析はかならずしもただしくなかったし、クーデターに訴えるというやり方も好ましいものではけっしてない。しかもクーデター後の見取り図もないままというきわめて稚拙なものであった。
だが、青年将校たちの熱い思いは忘れてはならないのだ。
<ブログ内検索>
二・二六事件から 75年 (2011年2月26日)
「精神の空洞化」をすでに予言していた三島由紀夫について、つれづれなる私の個人的な感想
Tweet
ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。
ご意見・ご感想・ご質問は ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。
end