すでに75年もたつのだ、「最後のクーデター」である二・二六事件から。
1936年(昭和11年)2月26日は雪の日であった。地球温暖化がはじまる以前の日本の二月は、ほんとうに寒かったのだ。本日の関東地方南部は、空気はやや肌寒いもの快晴。こんな天気の日から75年前を想像するのは、またさらに難しくなってきたようだ。
2月26日から29日にかけての4日間は、その後の日本の方向性を決定したエポック・メイキングな事件であった。この事件のあと、日本はカタストフィーに向けて、戦争の時代へと突入してゆく。
写真は「九段会館」。1936年当時は「軍人会館」と呼ばれていた。東京・九段に当時の建物がそのまま残っているが、二・二六事件において勅令により「戒厳令」が施行された際、戒厳司令部がここに置かれたことは知っておきたい。戒厳司令官は香椎浩平中将、戒厳参謀に命じられたのが石原完爾大佐である。
「尊皇討奸」のスローガンのもと、天皇の周辺の「君側の奸」を排除せんとして、高橋是清をはじめとする重臣たちを殺害した青年将校たち。昭和天皇が、「叛乱軍」による重臣暗殺の報に激怒され、朕が自ら兵を率いて鎮圧に当たるとまで主張されたことは、現在ではよく知られている事実となっている。
「やむにやまれぬ」という主観的な思いから立ち上がった青年将校たちであるが、しかし皇軍と称された「天皇の軍隊」を、本来の目的以外に使用したこと軍紀違反以外の何ものでもない。戦後は「国民の軍隊」となったが、戦前は天皇に絶対的忠誠を誓う「天皇の軍隊」であった。
軍隊というものは上意下達が命である。この指揮命令系統に忠実に従うことによって、はじめて軍隊組織が機能する。「叛乱軍の」兵士たちは、目的を何も知らされずに動員された。下士官や兵たちにとっては、上官の命令に従ったに過ぎないのである。
したがって、戒厳司令部が「帰順工作」を、下士官と兵に対して行ったのは当然であった。「下士官兵に告ぐ」のビラが配られ、アドバルーンが上げられた。その内容を写しておこう。
下士官兵に告ぐ
一、今からでも遅くないから原隊へ帰れ
二、抵抗する者は全部逆賊であるから射殺する
三、お前達の父母兄弟は国賊となるので皆泣いておるぞ
二月二十九日 戒厳司令部
復帰をうながすNHKラジオ放送も行われた。
兵に告ぐ
勅命が發せられたのである。
既に天皇陛下の御命令が發せられたのである。
お前達は上官の命令を正しいものと信じて絶對服從を
して、誠心誠意活動して來たのであろうが、
(お前達の上官のした行爲は間違ってゐたのである。・・この一文は削除)
既に勅命、天皇陛下の御命令によって
お前達は皆原隊に復歸せよと仰せられたのである。
此上お前達が飽くまでも抵抗したならば、それは
敕命に反抗することとなり逆賊とならなければならない。
正しいことをしてゐると信じてゐたのに、それが間違って
居ったと知ったならば、徒らに今迄の行がゝりや、義理
上からいつまでも反抗的態度をとって
天皇陛下にそむき奉り、逆賊としての汚名を
永久に受ける樣なことがあってはならない。
今からでも決して遲くはないから
直ちに抵抗をやめて軍旗の下に復歸する樣にせよ。
そうしたら今迄の罪も許されるのである。
お前達の父兄は勿論のこと、国民全体もそれを
心から祈ってゐるのである。
速かに現在の位置を棄てゝ歸って來い。
戒嚴司令官 香椎中將
(出典:「兵に告ぐ」のテキストは、wikisource 兵に告ぐ
また、ラジオの音声が YouTube にアップされている。2・26事件 復帰を促すラジオ放送
ちょうど10年前に、つれづれなるままに(2001年2月26日)と題して、私が書いた文章があるので再録しておこう。
つれづれなるままに(2001年2月26日)
二・二六事件から65年
本日は二・二六事件がおこってから65年目にあたります。昨年は『憂国』という小説を書いて、映画化し、主演した三島由紀夫が自決してから30年目にあたりました。
筆者は右翼ではありませんが(もちろん左翼でもありません)、二・二六事件には昔から多大な関心を抱いてきました。最初は、日本近代史上唯一のクーデータの、決起した青年将校たちへの浪漫主義的な共感から。
ところが、調べるといろいろな事実がわかってきます。クーデター実行のみに重点がおかれてクーデター後の構想を欠いていたこと。昭和天皇自らが鎮圧する意思を示したことの誤算。東北地方の飢饉について。決起した青年将校たちの多くが文学青年だったこと(軍隊は基本的に理工系で、社会科学的素養を欠いていた)。昭和維新という運動について。戦前の革新とは、反資本主義の国家主義者たちのことだったこと。陸軍という巨大組織の内部抗争(皇道派 vs 統制派)に利用されたこと。憲兵隊によって事件発生前から電話が盗聴されていたこと。一審のみ上告なしの非公開の軍法会議で銃殺刑が決まったこと。等々。
アジア太平洋戦争における作戦面での「日本軍の失敗」に関しては、研究書も出版されて注目されていますが、組織と人間の関係を考えるにあたって、二・二六事件が示す意味も依然として大きいものがあるのではないでしょうか。いきすぎた「能力主義」がもたらした下克上による組織内価値観の混乱、徹底した合理主義者(統制派)と情緒的日本主義者(皇道派)との意識レベルのギャップ、視野狭窄の指導層と指揮命令系統の混乱、等々。
きめつけや安易な教訓を引き出すつもりはありません。今年もまた2月26日を迎えたか、という感慨があるのみです(2月26日)。
この当時は「アジア太平洋戦争」というタームを私も使っていたが、現在では「大東亜戦争」という名称で統一することにしている。歴史的には後者のほうが正しいからだ。
この文章を書いてから10年。
この10年間の大きな変化といえば、いまこれを書いているブログ(=ウェブログ)もそうであるし、YouTube で視聴可能となった動画もそうである。
ここにもいくつか動画を一つ紹介しておきたい。
「青年日本の歌 昭和維新の歌」である。YouTube にアップされているので紹介しておこう。
作詞・作曲 三木卓(1930)。三木卓は五・一五事件の叛乱将校で海軍中尉。歌手は、アイ・ジョージ。なお、原詩は大川周明の「則天行地歌」と伝えられている。
歌詞を全文掲載する。悲憤慷慨を絵に描いたような歌詞である。 に詳しい解説があるが、土井晩翠と大川周明から盗用しているようだ。
古代中国は戦国時代の楚の政治家で詩人・屈源の故事に基づくものである。屈原は楚の国の前途に絶望して、石を抱いて泪羅(べきら)の淵に身を投げた。
昭和維新の歌
一 泪羅(べきら)の淵に波騒ぎ 巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ
混濁の世よに我立てば 義憤に燃て血潮湧く
二 権門上(かみ)に傲れども 国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども 社稷(しゃしょく)を思う心なし
三 ああ人栄え 国亡ろぶ 盲(めしい)たる民 世に躍おどる
治乱興亡夢に似て 世は一局の碁なりけり
四 昭和維新の春の空 正義に結ぶ丈夫(ますらお)が
胸裡(きょうり)百万兵足りて 散るや万朶(ばんだ)の桜花
五、古びし死骸(むくろ)乗り越えて 雲漂揺(ひょうよう)の身は一つ
国を憂いて立つからは 丈夫(ますらお)の歌なからめや
六 天の怒りか地の声か そもただならぬ響ひびきあり
民(たみ)永劫(えいごう)の眠りより 醒よ日本の朝ぼらけ
七 見よ九天(きゅうてん)の雲は垂れ 四海(しかい)の水は雄叫(おたけび)て
革新の機(とき)到ぬと 吹くや日本の夕嵐
八 あゝうらぶれし天地(あめつち)の 迷いの道を人はゆく
栄華を誇る塵の世に 誰が高楼(こうろう)の眺めぞや
九 功名何ぞ夢の跡 消えざるものはただ誠
人生意気に感じては 成否を誰かあげつらう
十 やめよ離騒(りそう)の一悲曲 悲歌慷慨(ひかこうがい)の日は去りぬ
われらが剣(つるぎ)今こそは 廓清(かくせい)の血に躍るかな
75年もたてば、二・二六事件は、もうほとんど完全に風化してしまっているかもしれない。しかし、この事件に寄せる日本的心情は、民族としての日本人の奥底にある DNAレベルのものであるので、いつまた噴き出すかわからない。
2006年のクーデター後、バンコクにいた私はタイ人の友人に対して「日本では、すでに70年もクーデターがないぞ!」と威張ってみたことがある。もちろん、タイにおいてはかつては、クーデターが政権交代の一手段として機能していたこともあり、日本とは性格が大きくことなるのだが。
10年後の2021年においても、二・二六事件が日本における「最後のクーデター」であることを願うばかりである。
P.S. 本日は桑田佳祐の誕生日でもある
本日は桑田佳祐の誕生日でもあったわけだ。NHK「復活!桑田佳祐ドキュメント~55歳の夜明け~」をみたが、とても病後とは思えない、しかも 55歳とは思えないパワフルぶり。しかも、歌はしみじみと聴かせるものがある。すばらしい。
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書評 『バンコク燃ゆ-タックシンと「タイ式」民主主義-』(柴田直治、めこん、2010)
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