2015年2月28日土曜日

「国境なき記者団」による「報道の自由度2015」にみる日本の自由度の低さに思うこと-いやな「空気」が充満する状況は数値として現れる

(「報道の自由度2015」 国境なき記者団の公式ウェブサイトより)

「国境なき記者団」というものがある。「国境なき医師団」が世界的に有名だが、直接の関係はないものの、ともにフランスに本拠地を置く非政府組織(NGO)である。フランス語で Reporters Sans Frontières (RSF)、英語では Reporters Without Borders (RWB)という。

「国境なき記者団」は、報道の自由を擁護するためにつくられたジャーナリストによる団体である。表現の自由が民主主義の根本にあるのと同様、報道の自由もまた民主主義の根本になくてはならないのは、市民がみずからのアタマで考え行動するためには、考えるための材料がただしく提供されなくてはならないからだ。

先日のことだが、「国境なき記者団」が毎年発表している「報道の自由度(World Press Freedom Index)」の最新版(2015年版)が2015年2月12日にプレスリリースがあったことについての記事だが、その内容はじつに驚くべきものであった。

報道の自由にかんして、日本がなんと世界で61位(!)なのだという。しかも、60位が隣の韓国というのだから、さらに驚きが大きい。



「報道の自由度」は、国境なき記者団の公式ウェブサイトに掲載されている世界地図をみると、それは一目瞭然だ。

「真っ黒」に塗りつぶされている中国(180ヶ国中176位!)やベトナム(175位)といった、いまや世界でも希少な共産党による一党独裁国や、中東のサウジアラビア(164位)などが報道の自由にかんして最悪なのは当然として、「真っ赤」に塗りつぶされているロシア(152位)や北アフリカやアフリカ諸国の順位が低いのも当然と受け止められる。

真っ黄色に塗りつぶされているフランス(38位)や英国(34位)、オーストラリア(25位)、それにアメリカ(49位・・スペースの関係からここでは掲載していない)は、報道の自由の高い国々である。

だが、日本は先進国であるのにもかかわらず、報道の自由にかんしてはけっして高い国ではなくなっている。もちろんジャーナリストによる主観的評価であるから、あくまでも参考値として受け取るべきであろうが、それでも世界180ヶ国中61位というのは恥ずべき数値ではないだろうか。

ロシアや中国、さらには北朝鮮や韓国などを批判的なまなざしで見ている割に、批判する側の順位が世界180ヶ国中61位という現実をいったいどれだけ考えているのだろうか

近年の「嫌韓論」の高まりから、なにかと低く評価しがちな韓国だが、61位の日本よりも韓国は上位の60位になっている。61位の日本が60位の韓国を批判し嘲笑する。こういうのを「目くそ鼻くそを笑う」というべきだろう。順位が韓国より下回っていることを直視すべきである。 

「国境なき記者団」の調査は、そうでなくても批判的な精神の持ち主であるジャーナリストたちによる、あくまでも主観的なものであることを考慮に入れても、世界180ヶ国中で61位とはまことにもって残念な話である。

時系列でデータを見ていると、2010年には日本は11位であり、国際的にもきわめて高く評価されていたことを考えれば、さらに残念としかいいようがない。

報道の自由度が低いということは、報道されるべきことが報道されていないということである。なんとなくいやな「空気」が充満する状況が数値の低さとして現れているというべきだろう。

外からの視線に敏感なのが日本人であったはずである。とはいえ、自虐的になる必要はない。しかし、夜郎自大になってはいけない。言いたいことが言える、報道されるべきことが報道される、そんな国であってほしいものではないか!





<関連サイト>

アングル:安倍政権への批判後退か、メディアの自粛ムード強まる (ロイター、2015年2月25日)
・・自分が実行している政策に自信があるなら正々堂々とやるべきだ。そうでないならば、なにかやましいものでもあるのか???


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(2015年3月6日 情報追加)


 
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2015年2月26日木曜日

二・二六事件から79年(2015年2月26日)ー「格差問題」の観点から「いま」こそ振り返るべき青年将校たちの熱い思い

(丹生誠忠中尉の説明を聞く二・二六事件の反乱軍兵士 wikipediaより)

本日(2015年2月26日)は、二・二六事件から79年。関係者のなかで生存している者がほとんどいない現在、もはやテレビニュースでも取り上げられることがなくなって久しい。 
 
だが、格差問題が叫ばれる「いま」こそ、想起されるべき「事件」ではなかろうか。
  
1936年(昭和11年)当時、東北地方は冷害による不作と、朝鮮米流入による米価低下による経済的困窮状態のため、娘が身売りに出される(!)といった事態となり、そんな社会情勢に義憤を感じていた青年将校たちが、やむにやまれぬ気持ちから立ち上がったのである。
  
1936年当時は、2015年現在とは比べものにならないほど「格差問題」は酷かった。だからこそ、「格差問題」という観点から二・二六事件を振り返ってみる必要があるのではないかと思うのである。

もちろんクーデターや革命が望ましいものではない。青年将校たちにクーデター成功後の青写真があったわけでもない。基本的に軍事技術を扱う軍人は理工系であって、たとえ人文系の教養を備えていても、社会問題を解決するための社会学的素養を著しく欠いていたことは否定しようのない事実であった。

だが、「格差問題」を解決しなければこの国に未来はないという熱い思いがあったことに、おおいに共感を覚えるのである。

二・二六事件をおこした青年将校たちは、いわゆる「皇道派」であった。これと対比されるのが「統制派」であり、前者が国力の身の丈にあった「小国主義」をとるのに対し、後者は積極的な攻勢によって拡大路線を追求する「大国主義」であったというのは、右翼思想の研究者・片山杜秀氏である。

二・二六事件のクーデターが失敗に終わった結果、「統制派」が陸軍内の覇権を握ることになり、総力戦への道を突き進むこととなる。その結果は、あらためて言うまでもない。

だが、たいへん皮肉なことに戦争による国土と資産の徹底的破壊、戦後の財閥解体と農地改革によって富は平準化され、「格差問題」はいったん解消された。多大な犠牲を出したものの、敗戦によって国民みなが貧しくなった結果、猛烈なガンバリによる高度経済成長を可能としたのである。

「格差問題」を解消するために立ち上がった青年将校たちの思いは、かれらの意図するところとはまったく関係のない真逆の形で実現したことになる。

「禍福はあざなえる縄のごとし」という表現が日本語にはあるが、まことにもって「意図せざる結果」そのものだといえるかもしれない。

とはいえ、いまふたたび「格差問題」がテーマとなっているいまこそ、格差問題を解消したいという純粋な思いと動機をもった青年たちが存在したことは特記しておきたいのである。

その手段がクーデターや革命ではなく、べつの形であれば、なおよかったのであるが・・・。






<関連サイト>

青年日本の歌(昭和維新の歌)(YouTube)

映画「動乱」特報・劇場予告 (YouTube)
・・映画 『動乱』(1980年の日本映画)。2014年に亡くなった高倉健が主演






<ブログ内関連記事>

二・二六事件関連

78年前の本日、東京は雪だった。そしてその雪はよごれていた-「二・二六事件」から78年(2014年2月26日)

4年に一度の「オリンピック・イヤー」に雪が降る-76年前のこの日クーデターは鎮圧された(2012年2月29日)

二・二六事件から 75年 (2011年2月26日)


経済学の立場からみた「格差問題」

2015年1月から放送されたNHK・Eテレの「パリ白熱教室」は、「格差問題」という旬の話題の研究者であるピケティ教授の連続レクチャーシリーズ
・・二度の世界大戦が「富の平準化」をもたらしたという事実にピケティ教授は言及している。ヨーロッパはとくに第一次世界大戦が、さらに日本もヨーロッパも第二次世界大戦で

書評 『超・格差社会アメリカの真実』(小林由美、文春文庫、2009)-アメリカの本質を知りたいという人には、私はこの一冊をイチオシとして推薦したい


日本の「格差問題」と閉塞感

マンガ 『テロルの系譜-日本暗殺史-』(かわぐち かいじ、青弓社、1992)-日本近現代史をテロルという一点に絞って描き切った1970年台前半の傑作劇画

石川啄木 『時代閉塞の現状』(1910)から100年たったいま、再び「閉塞状況」に陥ったままの日本に生きることとは・・・ 
・・「われは知る、テロリストのかなしき心を-」(石川啄木)

書評 『成金炎上-昭和恐慌は警告する-』(山岡 淳一郎、日経BP社、2009)-1920年代の政治経済史を「同時代史」として体感する

書評 『国の死に方』(片山杜秀、新潮新書、2012)-「非常事態に弱い国」日本を関東大震災とその後に重ね合わせながら考える
・・「第11章 東北が叩きのめされた-国内外で捻れる産業政策」「 第12章 政党が国民の信任を失う-世界大恐慌と農業恐慌」を読むべし

書評 『未完のファシズム-「持たざる国」日本の運命-』(片山杜秀、新潮選書、2012)-陸軍軍人たちの合理的思考が行き着いた先の「逆説」とは


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2015年2月23日月曜日

2015年1月から放送されたNHK・Eテレの「パリ白熱教室」は、「格差問題」という旬の話題の研究者であるピケティ教授の連続レクチャーシリーズ




2015年1月から6回シリーズで放送された NHK・Eテレの「パリ白熱教室」は、「格差問題」で、いままさに「旬」のフランス人経済学者トマ・ピケティ教授によるものである。 
     
2013年に原著が出版されたピケティ教授の主著 『21世紀の資本』(Le Capital au XXIe siecle 英語版: Capital in the Twenty-First Century)は、アメリカで発生した「オキュパイ・ウォールストリート」(=ウォール街を占拠せよ)のデモにも大きな理論的影響を与えたという。富が上位1%に集中する状況への異議申し立てである。

『21世紀の資本』は、700ページを越える分厚いハードカバーでありながら、総計100万部を超える世界的な大ベストセラーになっているという。日本でも先日、英語版 Capital in the Twenty-First Century からの日本語訳版が出版されたが、増刷に次ぐ増刷でこれまたベストセラーだ。経済学の専門書を読む読者層がそんなに分厚いとは思えないが、それほど「格差問題」は世界だけでなく日本でも大きな問題だと認識されているわけだ。
   
ピケティ教授の来日にあわせて、さまざまなシンポジウムが開催された。わたしも事前にシンポジウムに申し込んだが、残念ながら抽選ではずれてしまった。

ピケティ教授自身によるレクチャーが、テレビで無料で見れるとは! こんな機会を見逃したらじつにもったいない。「パリ経済学校でのピケティ教授の人気講義を世界初の独占収録!」とNHKは宣伝している。まさに「渡りに船」である。どう考えても、大枚払って『21世紀の資本論』を購入してまで読む気はしないからだ。

700ページを越えるハードカバーの経済専門書など、大半の人にとっては積ん読状態だろうし(・・しかも分厚ければ積まなくても机上に立つだろう)、ほぼ間違いなく埃をかぶったまま放置され、いずれ古本屋行きになることは間違いない。そのあかつきには、新古本であっても大幅に値崩れすることは必定だ。



「パリ白熱教室」は正統派経済学者による講義

じつは、放送を見始めたのは第2回からだ。第1回を見逃したのは痛いが、第2回から最終回の第6回まで毎週視聴することにした。

その放送第1回は、2015年1月9日(金)であった。この日は、まさにそのパリでイスラーム過激派テロリストによる虐殺事件が発生した1月7日の直後ではないか! 

「週刊風刺新聞シャルリ・エブド襲撃事件」の背景にはさまざまなものがあるといわれているが、フランス社会で差別されてきた移民二世の経済格差問題もその一つであるとされている。社会からの疎外感、剥奪感などさまざまな形の不満や不安が、イスラーム過激主義に移民の若者たちを走らせているのである、と。

その意味でも、「パリ白熱教室」におけるピケティ教授のレクチャーは、まさに「旬のテーマ」である。

「パリ白熱教室」の全6回のレクチャーのタイトルは以下のとおりである。

第1回 「21世紀の資本論」-格差はこうして生まれる-(2015年1月9日)
第2回 「所得不平等の構図」-なぜ格差は拡大するのか-(2015年1月16日)
第3回 「不平等と教育格差」-なぜ所得格差は生まれるのか-(2015年1月23日)
第4回 「強まる資産集中」-所得データが語る格差の実態-(2015年1月30日)
第5回 「世襲型資本主義の復活」-19世紀の格差社会に逆もどり?-(2015年2月6日)
第6回 「これからの資本主義」-再分配システムをどうつくるか-(2015年2月13日)

基本的に、所得格差と資産格差の二つにわけて「格差問題」を考えることが重要だとピケティ教授は指摘ている。

格差問題解消のためには、資本に対する累進課税の重要性を提言したうえで、グローバルな富裕税について提案している。

わたし自身は、実現可能性の観点からみて、ピケティ教授の処方箋にはあまり賛成ではないが、分析そのものはじつに興味深いという感想をもった。なぜならピケティ教授は、膨大な税務統計を分析して、「格差問題」を歴史的に検証している正統派の経済学者である。

ピケティ教授の最大の功績は、世界の経済学者と連携して 300年分にわたる膨大な税務統計を収集し、その分析をもとに「格差の実際」と「格差形成のメカニズム」、そして「格差是正」の方法について明らかにしたことにある。この分析に15年かけたという。

ピケティ教授は、とくに奇をてらった発言をしているわけではないことが、この全6回のレクチャーでよくわかった。



二度の世界大戦が「富の平準化」をもたらしたという事実

この番組を試聴していてつよく印象を受けたのは、ヨーロッパにおいては、いかに第一次世界大戦による破壊が革命的変化をもたらしたかということだ。

第4回のレクチャー 「強まる資産集中-所得データが語る格差の実態-(2015年1月30日)放送」で使用された図表にそれがよく表現されている(下図参照)。


(第4回のレクチャー 「強まる資産集中」(2015年1月30日)放送より)


フランスと英国、ドイツの三カ国の「資産所得比率」の図表である。

第一次世界大戦(1914~1918年)では直接戦場とはなったフランスとドイツの「資産所得比率」の低下がいちじるしい。

敗戦国となったドイツだけでなく、戦勝国となったフランスも、戦争によって国土は荒廃し、多くの資産が破壊されたのである。その結果、第一世界大戦勃発までの100年間つづいていた「ベルエポック」(=美しい世紀)の時代の格差が大幅に解消したのであった。

ピケティ教授自身もレクチャーのなかで語っていたが、「富の再分配」の方法にかんしては、税以外の方法もあるのだ。戦争などで大規模に資産が破壊されることもそうである。

だから、第一次世界大戦でヨーロッパ諸国の資産集中度が低下したわけだし、さらに第二次世界大戦ではヨーロッパだけでなく、日本においても資産集中度が低下したわけである。それに対して、本土が戦場とならなかった英国や米国においては、累進税率を極度に上げた時期があるのはそのためなのだ、と。

米国はかつて太平洋戦争においてハワイが日本軍による攻撃の対象となったが、あくまでも局地的なものであり、本土全体が戦場となって荒廃したことは一度もない。

「9-11」において、米国ははじめて本土が攻撃の対象となったが、戦場とはならなかった。したがって破壊されたのはツインタワーとペンタゴンの一部で、都市全体が焼け野原になるといった壊滅打撃は被っていない。


(第4回のレクチャー 「強まる資産集中」(2015年1月30日)放送より)


「最上位1%の総所得のシェア」が、「アメリカ型」と「フランス型」に区分できるのはそのためである。

前者はアメリカを含んだ「アングロサクソン型」といっていいだろう。後者の「フランス型」には、日本も含まれるのはそのためだ。総力戦体制のもと、第二次世界大戦で徹底的に破戒されるまで、日本の格差社会ぶりがいかに酷いものであったか、不思議なことに忘れられがちである。

「格差問題を解消するための戦争」にかんしては、「「丸山眞男」をひっぱたきたい-31歳フリーター。希望は、戦争。」(2007年)という論文があったことを想起する。赤木智弘氏という評論家による論文である。この「終末論」待望論にもつながりかねない発想は、「格差社会」に苦しんでいる人にとっては希望(?)となるのかもしれない。

もちろん、赤木氏と同様にわたしも、戦争という形での「富の平準化」を望んでいるわけではない。戦争においては資産だけでなく、人命も失われるからだ。「破壊的創造」(creative destruction)などという表現は、安易にクチにしたくない。



グローバルに移動する資本への課税は難しいが不動産への課税は簡単

格差問題是正のためのピケティ教授の処方箋は、「資本に対する累進課税」と「グローバル富裕税」である。

ともにグローバル単位で減税競争が行われているなかでは、一国単位での実現可能性には疑問がつく理想論に聞こえないでもない。グローバル税務警察でも確立されればまだしも、実現可能性としては高くないのではないかという印象がある。地球外からの侵略でもない限り、地球単位で意見がまとまることは残念ながらなさそうだ。

「パリ白熱教室」のレクチャーのなかで、ピケティ教授は以下のような発言をしていた。

グローバルに資金移動する現状では資本課税はむずかしい。だが、不動産などの固定資産に対する課税はやりやすい。したがって、今後はどの国でも不動産への課税が強化されるであろう、と。

不動産は、文字通り動産ならざるものを指している。建物は解体すれば移動可能だが、土地は移動できない。だから国境を越えて逃げることもない。この発言には、なるほどそうだなと思わされた。不動産課税は、どの国でも今後強化される方向性であろう。



中産階級が崩壊しつつあることこそ大きな問題

格差問題にかんしては、超のつくスーパーリッチと貧困層の格差よりも、中産階級が崩壊していることこそが問題だととわたしは考える。

たとえ格差が救いようのないものであったとしても、大多数の人にとってスーパーリッチ層は縁のない存在だ。だが、中産階級が崩壊したことの悪影響はきわめて大きい。これは1980年代のレーガン政権時代のアメリカでまずはじまり、英国でも日本では現在も進行している事態である。

中産階級が崩壊し、貧困層が拡大したことにより、その結果として(!)、スーパーリッチ層と貧困層との格差が拡大しているわけだが、問題は貧困層の拡大であって、富裕層そのものが問題ではなかろう。中産階級の復活は困難な課題だとしても、いかに貧困層をなくし、最低限でも安定した生活を保障するセイフティネットの仕組みを確立することのほうが、課題ではあるまいか?

富裕層にかんしては高率の相続税が課されているので、「富の標準化」は日本では比較的確保されているといってよいだろう。タイのように相続税が存在しない国があることは意外と知られていないようだ。タイは、国会議員の大半が富裕層出身である以上、相続税の導入が困難なことは言うまでもない。タイとくらべてみても、日本は格差社会とは言い難い。

もちろん、ピケティ教授が指摘していたように、日本においても少子化によって資産が集中していく傾向にあることは間違いないだろう。一人っ子どうしが結婚すれば、双方の親の資産を継承することになるからだ。しかし、そこに待ち受けるのが日本の高い相続税であることはピケティ教授の視野にはないように思われた。

日本以外の先進国、とくにアングロサクソン諸国や発展途上国に比べれば、日本の「格差問題」は、まだ解決に残された時間はあると考えて良いのではあるまいか?

現時点の日本の問題は、むしろ正社員とアルバイトやパートなどの非正規社員とのあいだに存在する身分格差にもとづく所得格差であろう。非正規社員を正社員化するのか、正社員を非正規社員化するのか、方向性は真逆になるが、いずれか、あるいは双方とも今後の動きとなる。

そんなことを、NHK・Eテレの「パリ白熱教室」を視聴して考えた。



(注) トマ・ピケティ(Thomas Piketty)について
2006年に設立されたパリ経済学校(École d'économie de Paris, EEP)の創設の中心人物で、初代校長を務めた。現在は教授。専門分野は、経済的不平等、特に歴史比較の観点からの研究。
1971年フランス・パリ郊外のクリシー生まれ。16歳で公立高校を卒業後、フランスの高等教育機関の中でも最も入学が難しいノルマルシュップ(パリ高等師範学校)に入学。22歳で高等師範学校とロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで博士号を取得した。1993年フランス経済学会から年間最優秀論文賞を受賞。論文のテーマは「富の再配分」。2013年にフランスで出版された『21世紀の資本』は現在米欧やアジアなど世界15カ国で出版されいている。主要著書は、『フランスの20世紀における高所得(Les hauts revenus en France au XXe siècle)』(Grasset, 2001年)。『財政革命のために (Pour une révolution fiscale)』(カミーユ・ランデ、エマニュエル・サエズ共著, 2011年)。 (出典: 「パリ白熱教室」番組概要 
http://www.nhk.or.jp/hakunetsu/paris/about.html


ピケティの主著『21世紀の資本』 画像をクリック!



<関連サイト>

Thomas Piketty: New thoughts on capital in the twenty-first century (TED, Filmed June 2014 at TEDSalon Berlin 2014)
・・ピケティ自身がTEDに出演して自説を解説。フランス語なまりの英語が聴き取りにくいが、英語字幕あり

世界で大論争、大著『21世紀の資本論』で考える良い不平等と悪い不平等-フランス人経済学者トマ・ピケティ氏が起こした波紋 (澁谷 浩、日経ビジネスオンライン、2014年6月3日)
・・ピケティが行った長期所得分析を詳細に解説した論文。読み応えあり

Technical appendix of the book « Capital in the 21st century » Thomas Piketty Harvard University Press - March 2014 Figures and tables presented in the book (Pdf.)
・・ピケティの『21世紀の資本』に登場する図表へのリンク一覧

日本の格差:身分の保証された人vs貧しい人 (JBPRess、2015年2月19日 初出 The Economist)

第一次大戦後のフランス、イタリア、ドイツなど欧州大陸の各国は、勝者敗者ともども疲れ果てている表情しか感じ取れなかった。
フランスは4年にわたり戦いを続けて勝利を得たにもかかわらず、ノーベル平和賞をもらったノーマン・エンジェルがいったようにその勝利さえも「大いなる幻影」であったようだ。労働力は減り、生産力は破壊されて、フランスの北の方は、ちょうど戦後の東京の焼け野原のような状態で放置されていた。
ドイツでは、有名なインフレーションが極度に進行していた。ドイツに着いて、ホテルから日本にはがきを出そうとしたら切手代がなんと100万マルクもしたのには目をまるくした。
イタリアも大同小異であった。経済恐慌が社会危機によって複雑化していた。農村の疲弊に耐えかねた農民が都市に集まり、生活の保障のない労働者とともに、各工場をつぎつぎと占領した時期で、こんどのフランスの騒ぎの小型版とも思える有様であった。こうして勝ち負けをとわず、戦場になった国のみじめさをまのあたりに見たのであった。

“日本のピケティ”が見た日本の格差拡大 橘木俊詔・京都大学名誉教授に聞く(広野彩子、日経ビジネスオンライン、2015年3月2日)

『21世紀の資本』訳者解説--ピケティは何を語っているのか 山形浩生×飯田泰之(SYNODOS、2015年3月13日)
・・紀伊國屋ホールで行われた「ピケティ『21世紀の資本』刊行記念 山形浩生×飯田泰之トークショー 訳者解説プラス」(2015年1月10日)一部を文字におこしたもの。『21世紀の資本』翻訳者の山形浩生氏と所得分配をテーマに研究する経済学者・飯田泰之氏。この対談はおおいに読むべき内容がある

フランス人が繰り返しブームを起こす「格差論争」の正体-浜名優美・南山大学教授に聞く (広野 彩子、日経ビジネスオンライン、2015年4月20日)
・・ピケティ教授の「導きの光」の一人で、20世紀最大の歴史家フェルナン・ブローデルが40年前に仕掛けて、米国初でブームになった「フランス発格差論争」について。ブローデルの翻訳者である浜名教授は、「ブローデルの著書や論文を見ると、ピケティ教授が言っていることは、ブローデルが既に言っていたことばかりです」、と語る。「初期のアナール派が手掛けていた、一度消えかけた数量的・時系列的な歴史研究をピケティ教授が再び盛り上げることができた背景の一つとして、ブローデルの時代には分析したり集めたりするのが不可能だったデータが、現在はコンピュータの発達で扱えるようになったことがとても大きいだろうと思います。 その意味では、ピケティ教授の貢献は、アナール派による経済史の再現というより、歴史家ブローデルが追究していた問題意識を経済学者として引き継ぎ、進化させたといえるのかもしれません」

(2015年2月28日、3月6日、3月15日、4月20日 情報追加)


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・・「金融ビッグバン」後の英国で、英国の証券会社に日本人として勤務していた著者が体験し、つぶさに観察した実情を「鏡」にして、日本の行く末を考察

なぜいま2013年4月というこの時期に 『オズの魔法使い』 が話題になるのか?  ・・英国の「サッチャー革命」は英国の中産階級を崩壊させた

書評 『現代日本の転機-「自由」と「安定」のジレンマ-』(高原基彰、NHKブックス、2009)-冷静に現実をみつめるために必要な、社会学者が整理したこの30数年間の日本現代史


■所得分配の経済学

書評 『ゼロから学ぶ経済政策-日本を幸福にする経済政策のつくり方-』(飯田泰之、角川ONEテーマ21、2010)-「成長」「安定」「再分配」-「3つの政策」でわかりやすくまとめた経済政策入門書


ピケティ教授の「導きの光」とメンターたち

書評 『歴史入門』 (フェルナン・ブローデル、金塚貞文訳、中公文庫、2009)-「知の巨人」ブローデルが示した世界の読み方
・・20世紀を代表する歴史家フェルナン・ブローデル。アナール派の総帥として「数量史」「時系列史」の先鞭をつけた社会経済史家

書評 『アラブ革命はなぜ起きたか-デモグラフィーとデモクラシー-』(エマニュエル・トッド、石崎晴己訳、藤原書店、2011)-宗教でも文化でもなく「デモグラフィー(人口動態)で考えよ!
・・歴史人口学で世界をリードするエマニュエル・トッド

(2015年4月20日 情報追加)


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2015年2月21日土曜日

映画『アメリカン・スナイパー』(アメリカ、2014年)を見てきた-「遠い国」で行われた「つい最近の過去」の戦争にアメリカの「いま」を見る


映画『アメリカン・スナイパー』(アメリカ、2014年)を、日本公開の初日の初回に見てきた(2015年2月21日)。原題は American Sniper、日本語版もそのままカタカナに置き換えた、余計な装飾語のないシンプルなタイトルだ。
 
米軍によるフセイン政権打倒後に治安が極度に悪化したイラク。駐留米軍によるテロリスト掃討作戦を描いた戦争映画である。この映画もまた、米海軍特殊部隊のネイビー・シールズものである。
  
米軍史上最強のスナイパー(=狙撃手)として「レジェンド」と讃えられる主人公クリス・カイル。この映画は、クリス・カイルの自伝をもとに製作されたドキュメンタリータッチの戦争映画であり、主人公とその家族、そして友人たちとの関係を軸にしたヒューマンドラマである。
 
クリス・カイル(1974~2013)は、志願して入隊してから除隊までの6年間の合計4回イラクの任務で、公式記録で合計160人を射殺した実在のスナイパーであった。味方からは「レジェンド」(=伝説)と呼ばれて絶大な信頼を受け、敵からは「悪魔」と呼ばれて、その首には高額の懸賞金がかけられていた。
  
ハリウッド映画をほとんど見なくなったわたしだが、それでも戦争映画は見る。現在84歳のクリント・イーストウッド監督の最新作だが、見に行ってきたのはそれだけが理由ではない。良質なアメリカの戦争映画には、アメリカ社会が抱える問題が集約的に表現されるからだ。生死にかかわるテーマには、アメリカ人の心の奥底も垣間見ることになる。


映画の大半はイラクにおける市街戦

映画がはじまると響き渡るのは、繰り返される「アッラー・アクバル」の音声。「神は偉大なり」を意味するアラビア語によるアザーンである。

そう、映画の舞台はサッダーム・フセイン政権崩壊後のイラクである。映画のほとんどがイラクにおける激しい銃撃戦のシーンである。ラマディ、ファルージャ、サドルシティといった、かつて日本でもテレビ報道をつうじて聞き慣れた地名が舞台である。

秩序がほぼ完全に崩壊し、治安が極度に悪したイラク。米軍が戦うのは正規軍ではない。政権崩壊後に跋扈(ばっこ)するテロリストである。その中心にいるのは、イラクのアルカーイダの指導者であったザルカーウィ。アメリカはこの男を最大の標的としていた。


   
海軍特殊部隊隊員の主人公のミッションは、スナイパーとして海兵隊による索敵作戦の援護射撃を行うことにある。だが、安全地帯から敵を狙撃することに飽き足りない主人公は、海兵隊員たちと行動をともにすることを志願する。海兵隊は、絶対に仲間を見捨てないというモットーがあるが、海軍特殊部隊のシールズもまた同じである。

市街におけるゲリラとの戦いにおいては、私服姿の一般市民がじつはテロリストの協力者ということが少なくない。つまり戦闘員と非戦闘員の識別がきわめて困難なのだ。

子どもや女性もまた、自爆テロ要員として味方の米軍を狙っていつ攻撃をしかけてくるかわからない。非戦闘員の一般市民を殺害すれば罪はきわめて重い。しかし基本的に一般市民の協力をとりつけないと治安維持の任務は遂行できない。

狙撃するか否かは基本的に隊長の判断にもとづくが、ギリギリの場面においてはスナイパー自身の判断にゆだねられる。ストレスのきわめて高い過酷な戦場は血圧を上昇させ、タフで屈強の兵士ですら精神的に極度に疲弊させ、蝕んでいく。

戦場で死傷しなくても精神の病を患うものが続出する。心を病んだまま、トラウマを抱えたままの帰還兵が少なくないのはベトナム戦争のときと変わらない。主人公クリス・カイルの悲劇的な最期もまた、そのことと無縁ではない。

(米国版ポスター)

「遠い国」で行われた「つい最近の過去」の戦争

クリス・カイルはテキサスの生まれ。マッチョな価値観が支配的な保守的な南部の出身である。

子どもの頃からライフル射撃を仕込まれた主人公は、こういう教えをたたき込まれて育っている。

世の中には3つのタイプの人間しかいない。ヒツジ(sheep)と、ヒツジを襲うオオカミ(wolf)と、ヒツジを守る番犬(sheep dog)である。男の子は、ヒツジを守る番犬になれ、と。

きわめて単純明快で、かつキリスト教的な色彩のつよい価値観である。アメリカ南部は「バイブル・ベルト」と呼ばれている地域である。

敵と味方をわける単純明快な価値観は、主人公の行動規範となる。もちろん、女性や子どもを撃つことにためらいがなくはない。だが、みずからのうちに体言化された価値観にもとづいてミッションを遂行する。

だが、世の中すべての人がこの価値観を共有しているわけではない

戦場の現実を知ろうともしない一般市民の無理解。「内向き志向」のつよまる祖国アメリカへのいらだち。日本人にとってだけでなく、アメリカ人にとってすら、出征兵士やその家族や友人を除いては、日常生活とは関係の薄い「遠い国の戦争」でしかないのだという苦い事実。

スナイパーとしてのミッションを完璧に遂行できなかったという不完全燃焼感戦場で仲間たちを助けられなかったという悔恨の念。良き夫であり良き父であろうとするが、「心ここにあらず」と妻のいらだちを誘発してしまう。

使用された音楽はきわめて少なく、映画のかなりの場面でマシンガンの射撃音が響き渡る。音楽はエンドロールの直前で終わる。沈黙のなか流れるエンドロール。クレジットに並んだ人名を見ていると、墓碑銘を読んでいるような気がしてきた。

現在84歳のクリント・イーストウッド監督は、第二次世界大戦も、ベトナム戦争もみな同時代としてリアルタイム見てきた世代である。

クリント・イーストウッド監督には、日米が全面的に戦った太平洋戦争を日米双方の視点で描いた二部作がある。日本側の視点で描いた『硫黄島からの手紙』と、アメリカの少数民族の視点で描いた『父親たちの星条旗』である。いずれも良質な戦争映画である。

『アメリカン・スナイパー』はまた違った余韻が残る。「遠い過去」ではなく、「つい最近の過去」を描いたものだからでもあるだろう。戦争映画ではアメリカ史上最高の興行収入をあげたという。
 
アメリカ人にとってすら、当事者と関係者以外には「遠い国の戦争」であったイラク戦争アメリカの「いま」と、アメリカ人の心の奥底にあるものを知る上でも必見だと思う。





PS 『アメリカン・スナイパー』 は、2014年度の作品への第87回アカデミー賞で「音響編集賞」を受賞した。アカデミー音響編集賞(wikipedia)を参照。音楽をミニマムに、臨場感を出すための効果音の効果が最大限に引き出されたことが評価されたのだろう。(2015年2月26日 記す)



<関連サイト>

映画 『アメリカン・スナイパー』(日本版 公式サイト)

American Sniper - Official Trailer [HD] (オフィシャル・トレーラー)

「史上最強の狙撃手」、イラク帰還兵に射殺される (米テキサス)(AFP、 2013年2月4日)

「アメリカン・スナイパー」モデルを射殺した男が終身刑 (Reuters、2015年2月25日)
・・「米テキサス州の裁判所は24日、米海軍特殊部隊「ネイビー・シールズ」の元狙撃手、クリス・カイルさんを射殺したとして、エディー・レイ・ルース被告(27)に仮釈放なしの終身刑を言い渡した。

(2015年2月25日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

ネイビー・シールズもの

映画 『ローン・サバイバー』(2013年、アメリカ)を初日にみてきた(2014年3月21日)-戦争映画の歴史に、またあらたな名作が加わった
・・米海軍特殊部隊ネイビー・シールズが1962年に創設されて以来、最悪の惨事となった「レッド・ウィング作戦」(Operation Redwing)

映画 『ゼロ・ダーク・サーティ』をみてきた-アカデミー賞は残念ながら逃したが、実話に基づいたオリジナルなストーリーがすばらしい
・・パキスタン国土内に潜伏するウサーマ・ビン・ラディン殺害計画に動員されたのは米海軍特殊部隊SEALSであった!

映画 『キャプテン・フィリップス』(米国、2013)をみてきた-海賊問題は、「いま、そこにある危機」なのだ!
・・救出作戦を実行し成功したのは米海軍特殊部隊SEALS


イラク戦争とその後の情勢

書評 『イラク建国-「不可能な国家」の原点-』(阿部重夫、中公新書、2004)-「人工国家」イラクもまた大英帝国の「負の遺産」

本年度アカデミー賞6部門受賞作 『ハート・ロッカー』をみてきた-「現場の下士官と兵の視線」からみたイラク戦争

映画 『ルート・アイリッシュ』(2011年製作)を見てきた-近代世界の終焉と「傭兵」の復活について考える ② ・・これもイラク戦争もの

「イスラーム国」登場の意味について考えるために-2015年1月に出版された日本人の池内恵氏とイタリア人のナポリオーニ氏の著作を読む

書評 『イスラム国-テロリストが国家をつくる時-』(ロレッタ・ナポリオーニ、村井章子訳、文藝春秋、2015)-キーワードは「近代国家」志向と組織の「近代性」にある


戦闘員と非戦闘員が入り乱れる市街戦

書評 『松井石根と南京事件の真実』(早坂 隆、文春新書、2011)-「A級戦犯」として東京裁判で死刑を宣告された「悲劇の将軍」は、じつは帝国陸軍きっての中国通で日中友好論者だった
・・南京攻略作戦は日本軍にとっては戦闘員と非戦闘員の識別が困難な市街戦であった


戦場におけるチームワーク

映画 『加藤隼戦闘隊』(1944年)にみる現場リーダーとチームワーク、そして糸川英夫博士
・・「過ぎし幾多の 空中戦/銃弾うなる その中で/必ず勝つの 信念と/死なば共にと 団結の/心で握る 操縦桿」(主題歌より)


アメリカの保守主義

書評 『追跡・アメリカの思想家たち』(会田弘継、新潮選書、2008)-アメリカの知られざる「政治思想家」たち
・・会田弘継氏作成の「地域別に見たアメリカの思想傾向」の地図を参照


■クリント・イーストウッド監督作品

映画 『インビクタス / 負けざる者たち』(米国、2009)は、真のリーダーシップとは何かを教えてくれる味わい深い人間ドラマだ

(2015年6月14日 情報追加)


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2015年2月20日金曜日

『単一民族神話の起源 ー「日本人」の自画像の系譜』(小熊英二、新曜社、1995)は、「偏狭なナショナリズム」が勢いを増しつつあるこんな時代だからこそ読むべき本だ


『単一民族神話の起源-「日本人」の自画像の系譜-』(小熊英二、新曜社、1995)は、すでに出版されて20年になるが、「偏狭なナショナリズム」が勢いを増しつつあるこんな時代だからこそ読むべき本だ。

これからの日本は、移民受け入れも含めて人口減少問題に対処していかねばならないのだが、ヘイトスピーチに代表されるような、「単一民族神話」にもとづいた「偏狭なナショナリズム」がその動きを阻害しかねないことを、わたしはつよく懸念している。

わたしはこの本を東京駅前の八重洲ブックセンターの店頭でみかけて、高くて分厚いハードカバーだが買い求めてすぐに読んだ。1997年のことだ。その時点ですでに第5刷となっている。

小熊英二氏は、どちらかといえばリベラル派ということにカテゴライズされるのではないかと思うが、そういう分類じたいきわめて恣意的なものであることが、この本を読むとわかるようになるはずだ。

「革新」といえば、「戦後」は「革新政党」というフレーズにみられるように左翼だが、戦前は「革新官僚」や「革新将校」などのフレーズにみられるように、右翼こそ革新だったことが本書を読むとよくわかる。

「戦前」は外向きに開いていったナショナリズムの時代、「戦後」は内向きの閉じたナショナリズムの時代。植民地を抱えていた「戦前」は多民族国家が常識であったのに対し、植民地を失って縮小した「戦後」は単一民族国家が常識となったのである。

だから、「戦後」になってから日本共産党は民族独立を主張(!)したわけだし、その延長線上にあって、現在の喫緊(きっきん)の問題である尖閣諸島については、奇妙なことに自民党と同じスタンスに立っている。

敗戦によって日本は植民地をすべて失い縮小し、左右が反転したのであった。敗戦前の日本は「日本国」ではなく「大日本帝国」だったのである。植民地を保有する「帝国」だったのだ。だから、多民族によって構成される「帝国」は当時の常識だったわけだ。

「戦後」の状況だけをみて決めつけ的なレッテル張りをすることが、いかにナンセンスなことか。

「戦前」の保守政治家たちは、価値観多様化という現実を認めたがらない「偏狭な復古主義者」たちとは違うのである。現代の日本人の多くが思っている「戦前」と、実際の「戦前」はイコールではないのである。

そんな感想を抱いたのがこの大著である。本書の内容は、一言でいえば「脱神話化」がテーマである。「日本人は単一民族」という「戦後」の言説が、いかに「神話」に過ぎないかを実証したものだ。

そのための方法は歴史学と社会学のアプローチの融合であり、とにかく膨大な量の資料を収集し、予断を排して資料そのものに即して語らせるという手法をとっている。事実関係の分析と整理にかんしては圧倒されるの一言だ。

まさに「へえ!」の連続が、その時代の知識人たちの引用発言によってくつがえされるのだから、ある意味では反論のしようがない。「事実をもって事実を語らしめよ」というオーソドックスな歴史学の手法を思想史にもちこんだといえよう。

だからこそ、400ページを越える著書だが、できれば最初から最後まで読みとおすことによって、自分なりの感想をもつことが重要だろう。読み進めることが、さまざまな「発見」につながり、自分の「常識」が裏切られていくという得難い感覚を著者と共有することができるだろう。


 

目 次

序章
 問いの設定
 「単一民族神話」の定義
 社会学と歴史学
第一部 「開国」の思想 
 第1章 日本民族論の発生-モース・シーボルト・小野梓ほか
 第2章 内地雑居論争-田口卯吉・井上哲次郎
 第3章 国体論とキリスト教-穂積八束・加藤弘之・内村鑑三・高山樗牛ほか
 第4章 人類学者たち-坪井正五郎ほか
 第5章 日鮮同祖論-久米邦武・竹越与三郎・山路愛山・徳富蘇峰・大隈重信ほか
 第6章 日韓併合
第二部 「帝国」の思想 
 第7章 「差別解消」の歴史学-喜田貞吉
 第8章 国体論への再編成-国体論者の民族論
 第9章 民族自決と境界-鳥居龍三・北一輝・国定教科書ほか
 第10章 日本民族白人説-ギリシア起源説・ユダヤ起源説ほか
 第11章 「血の帰一」-高群逸枝
第三部 「島国」の思想 
 第12章 島国民俗学の誕生-柳田国男
 第13章 皇民化対優生学-朝鮮総督府・日本民族衛生協会・厚生研究所ほか
 第14章 記紀神話の蘇生-白鳥庫吉・津田左右吉
 第15章 「血」から「風土」へ-和辻哲郎
 第16章 帝国の崩壊-大川周明・津田裁判ほか
 第17章 神話の定着-象徴天皇制論・明石原人説ほか
結論
 社会学における同化主義と人種主義
 「日本人」概念について
 近接地域・同人種内の接触
 家族制度の反映
 保守系論者の単一民族論批判
 神話からの脱却

あとがき
索引


著者プロフィール

小熊英二(おぐま・えいじ)
1962年、東京生まれ。1987年、東京大学農学部卒業。出版社勤務を経て、1998年、東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程修了。現在、慶應義塾大学総合政策学部教授。著書は、『単一民族神話の起源』や『“日本人”の境界』『<民主>と<愛国>』など多数。



PS ヘビー級の重厚な著書をつぎつぎに出版する著者

修士論文が単行本化されるというのも珍しいが、この本の後に出た本もいずれも重量級(・・神の本としては文字通り重い!)のものばかり。書くほうもすごいが。読むヒトもすごいといえばすごい。

『「日本人」の境界-沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで-』(新曜社、1998)『<民主>と<愛国>-戦後日本のナショナリズムと公共性-』(新曜社、2002)は、いまだに読んでいない。『1968 <上> 若者たちの叛乱とその背景』(新曜社、2009)『1968<下>叛乱の終焉とその遺産』(新曜社、2009)となると、もはやとどまることのない。よく出版社も出版を決意したものだとすら思う。

『"癒し"のナショナリズム-草の根保守運動の実証研究-』(小熊英二・上野陽子、慶應義塾大学出版会、2003)は、まさに「つくる会」が話題であったときに読んだが、これもすぐれた研究。

『対話の回路-小熊英二対談集-』(小熊英二、新曜社、2005)が、『単一民族神話の起源-「日本人」の自画像の系譜-』にはじまる三部作(・・いずれもすごいボリュームだ)にまつわる話題で「対話」を行っている。読みでのある、中身の濃い対話集である。こんも対話集を読むと、方法論がよlく理解できる。

 『インド日記-牛とコンピュータの国から-』(小熊英二、新曜社、2000)については、このブログに書評を書いているのでご参照いただきたい。



<ブログ内関連記事>

『移住・移民の世界地図』(ラッセル・キング、竹沢尚一郎・稲葉奈々子・高畑幸共訳、丸善出版,2011)で、グローバルな「人口移動」を空間的に把握する


近代とナショナリズム

書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門
・・「第6章 民族独立行動隊、前へ!-革命のナショナリズム 小熊英二『<民主>と<愛国>』で取り上げられている


戦前の革新であった右派と戦後の革新であった左派、そしてその後

書評 『近代日本の右翼思想』(片山杜秀、講談社選書メチエ、2007)-「変革思想」としての「右翼思想」の変容とその終焉のストーリー

書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ

「ユートピア」は挫折する運命にある-「未来」に魅力なく、「過去」も美化できない時代を生きるということ


大日本帝国の範囲

書評 『民俗学・台湾・国際連盟-柳田國男と新渡戸稲造-』(佐谷眞木人、講談社選書メチエ、2015)-「民俗学」誕生の背景にあった柳田國男における新渡戸稲造の思想への共鳴と継承、そして発展的解消



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