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2010年12月31日金曜日

石川啄木 『時代閉塞の現状』(1910)から100年たったいま、再び「閉塞状況」に陥ったままの日本に生きることとは・・・ 


 石川啄木の『時代閉塞の現状』は、1910年(明治43)年執筆された時評である。歌人や詩人として広く世に知られている石川啄木であるが、新聞記者を長くやってきたこともあり、評論を書くのも得意であったようだ。

 いまではその名称を知る人も少ないだろうが、かつて「プロレタリア短歌」なる文学ジャンルが存在した。石川啄木の短歌など、まさにその先駆者であるにふさわしい。 

 1910年(明治43)とは、「大逆事件」によって、翌年の裁判結果によって幸徳秋水以下24名が死刑になった、近代日本の分水嶺となるような大事件が発生した年であった。明治天皇暗殺を企ているというフレームアップ(=でっちあげ)によって、テロリストとされて死刑になった社会主義者たち。

 石川啄木は裁判記録を綿密に読み込み、この裁判がフレームアップであることを確信していたといわれる。

 まさに石川啄木が「時代閉塞」と言うように、100年前もまた閉塞感の強い時代の空気であったようだ。

 『時代閉塞の現状』には以下のような文章がある。長いがそのまま引用するので、目を通してみてほしい。100年前の1910年と、現在2010年とを比較しながら読んでみてほしい。引用は、日本ペンクラブ「電子文藝館」にアップされている旧字旧かなの原文から。

 時代閉塞の現状は啻(たゞ)にそれら個々の問題に止まらないのである。今日我々の父兄は 大体に於て一般学生の気風が着実になつたと言つて喜んでゐる。しかも其(その)着実とは単に今日の学生のすべてが其在学時代から奉職口の心配をしなければならなくなつたといふ事ではないか。さうしてさう着実になつてゐるに拘らず、毎年何百といふ官私大学卒業生が、其半分は職を得かねて下宿屋にごろごろしてゐるではないか。しかも彼らはまだまだ幸福な方である。・・(中略)・・
 我々青年を囲繞(ゐげう)する空気は、今やもう少しも流動しなくなつた。強権の勢力は普(あまね)く國内に行亘(いきわた)つてゐる。現代社会組織は其隅々まで発達してゐる。--さうして其発達が最早(もはや)完成に近い程度まで進んでゐる事は、其制度の有する欠陥の日一日明白になつてゐる事によつて知ることが出来る。戦争とか豊作とか飢饉とか、すべて或偶然の出来事の発生するでなければ振興する見込の無い一般経済界の状態は何を語るか ・・(後略)・・ (*太字ゴチックは引用者=さとう)

 もちろん100年前と現在では大きく異なる点は多いが、「時代閉塞」という一点にかんしていえば、先祖返りしてしまったかのような感も受けなくもない。


「時代閉塞」が書かれた1910年以降の100年間

 さてこの「時代閉塞」はいつまで続くのか?

 1910年以降の100年について簡単に振り返っておこう。


 1912年(明治45年)7月30日の明治天皇の崩御とともに明治時代が終わりを告げることになる。近代日本が採用した「一世一元の制」によって、天皇の代替わりがそのまま時代と一緒になったのだ。

 明治の人は、乃木大将の殉死に大きな衝撃を受け、夏目漱石は『こゝろ』を執筆したが、石川啄木自身は明治時代の終焉を見ることなく、1912年4月13日には 26歳で夭折している。夏目漱石も葬式には参列したという。

 時代は、短かかった「大正デモクラシーの時代」へと入って行く。

 1914年から1918年にかけてつづいた第一次世界大戦には、日本は連合国の一員として参戦したが、欧州からは遠い極東の日本は海軍を地中海に派遣したのみで交戦はせず、実際の戦闘は当時ドイツ領であった中国の青島(チンタオ)を占領するなど、漁夫の利を得る結果となった。

 経済界も、戦争で大もうけした戦争成金が大量に発生している。
 
 第一次世界大戦の末期には、ロシアで革命が起こり、ソ連が成立した(1917年)。この労農政権打破のための国際派遣軍に日本は大量に出兵し、「シベリア出兵」という忘れられた戦争に乗り出すが、財政への圧迫をのこしただけでほとんど得るものもなく撤兵するにいたる。

 しかし、一般国民にとっては比較的平和な時代であったといえよう。
 ただ、この大正時代は短く終わる。つかの間の「良き時代」(=ベルエポック la belle epoque)であった。

 1923年(大正12年)に発生した関東大震災は、帝都東京に壊滅的破壊をもたらし、経済も混乱するが、破壊は新しい創造を促すものであった。このとき、ハーバード大学に移っていた経済学者シュンペーターは、愛弟子の都留重人に「これは、創造的破壊(creative destruction)の好例だ」と言ったと、回想録のなかで書いている。

 1925年には病弱であった大正天皇が崩御し、摂政を務めていた若き昭和天皇が即位する。若き天皇に時代を先導する躍動する精神を感じた日本国民であったが、米国で始まった1929年の「大恐慌」(The Great Depression)は世界全体を巻き込み、日本には「昭和恐慌」として脆弱な経済に襲いかかった

 とくに東北地方の農村は疲弊し、都市のプロレタリアートも貧困層に転落。富裕層と貧困層の格差はさらに拡大、持てる者はさらに富み、持たざるものはさらに収奪されて疲弊していく。

 こういった「時代閉塞」状況をチカラで暴力的に打破しようという行動主義が出てくるのは当然といえば当然であった。「昭和維新」なるスローガンが叫ばれた、テロとクーデターの時代の幕開けである。

 1930年(昭和5年)には、時の首相・濱口雄幸が東京駅頭で狙撃され、一命を取り留めたものの翌年首相のまま死亡。
 1932年(昭和7年)の五・一五事件はクーデター未遂事件。同じく1932年の血盟団事件では、前大蔵大臣の井上準之助、財界の重鎮であった團琢磨(だんたくま)が射殺された。
 1936年(昭和11年)の二・二六事件というクーデターの失敗を契機に、時代はだんだんとファシズムの「統制社会」へと引きづられていくこととなる。 

 一方、経済界では重化学工業では空前の成長を実現、しかし日中戦争は泥沼化し「統制経済」が導入され、経済学者・野口悠紀夫のいう「1940年体制」が戦後に至るまで長く支配することになる。

 そしてついには、国民全体の熱狂的な歓呼のもとに大東亜戦争に突入した日本は、「大東亜共栄圏」なるスローガンを掲げてアジア解放戦争を鼓舞した一方、総力戦を指導するリーダーたちの致命的誤りと国力のなさゆえに最終的な破局を迎え、以後「敗戦国」として、国際的な地位を完全に回復できないまま現在に至る。

 奇跡的ともいわれた戦後復興によって、一時的には経済的に世界第2位まで登り詰めたが、すでに衰退過程に入って20年になる。


石川啄木の『時代閉塞の現状』から100年たった日本

 いやな雰囲気のこの時代、石川啄木の『時代閉塞の現状』から100年たった日本は、いったいどういう方向に向かおうとしているのか。

 1910年当時の日本の人口は約5千万人弱、現在の半分程度しかなかった人口はその後の100年で2.2倍になったことは驚くべきことだ。右肩上がりで増え続けた日本の人口はすでにピークをうって、現在すでに人口減少トレンドにある。

 人口爆発とは正反対の人口縮小にある現在、100年前と同じ動きをすることはさすがにないだろう。

 しかし「時代閉塞」状況をいかに打破するか。チカラで打破するという誘惑にとらわれないことを願いたい・・・。実力は別の形で発揮すべきなのだ。




PS このブログ記事以後の感想(2014年1月26日)

2010年12月31日にアップしブログ記事である。その翌年の2011年の3月11日に「3-11」の大災害と人災が発生した以前のことである。

それからまる3年たったが、昨年2013年には、いっけんすると「時代閉塞状況」は解消されたかのような陶酔感(ユーフォリア)を感じた人も少なくないと思う。いわゆるアベノミクスによるデフレ経済の解消にともなう好況感がそれである。

だが、その経済の好況感も増税や、国際情勢のきな臭い動きによってかき消されつつある。「閉塞感」は解消されるどころか、クチにはださないものの多くの人が感じているのではないか?

これで日本が変わるのではないかという期待も抱いた「3-11」後の社会変化であったが、時代を覆う「空気」はさらに重いものになりつつある。わかりやすい解決策が、かえって問題を悪化させる要因となっているということか。われわれは過去に何度も経験してきたのではなかったのか・・・

石川啄木が103年前に書いた『時代閉塞の現状』は、いまでも「現状」であることはやめていない、そんな気分にもなるのである。

読みやすくするために改行を増やし、小見出しを加えたが、誤字を修正した以外は本文には手を入れていない。また<ブログ内関連記事>を追加した。





<ブログ内関連記事>

『足尾から来た女』(2014年1月)のようなドラマは、今後も NHK で製作可能なのだろうか?
・・詩人としての石川啄木の詩作のテーマは・・

冬の日の氷雨のなか、東京のど真ん中を走る馬車を見た
・・田中正造の直訴状(1901年)

書評 『成金炎上-昭和恐慌は警告する-』(山岡 淳一郎、日経BP社、2009)-1920年代の政治経済史を「同時代史」として体感する

書評 『震災復興の先に待ちうけているもの-平成・大正の大震災と政治家の暴走-』(山岡 淳一郎、2012)-東日本大震災後の日本が「いつか来た道」をたどることのないようよう

書評 『原発と権力-戦後から辿る支配者の系譜-』(山岡淳一郎、ちくま新書、2011)-「敗戦国日本」の政治経済史が手に取るように見えてくる

書評 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子、朝日出版社、2009)-「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い!

『王道楽土の戦争』(吉田司、NHKブックス、2005)二部作で、「戦前・戦中」と「戦後」を連続したものと捉える
・・「富国強兵」と「高度成長」

書評 『国家債務危機-ソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか?-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2011)-公的債務問題による欧州金融危機は対岸の火事ではない!

書評 『警告-目覚めよ!日本 (大前研一通信特別保存版 Part Ⅴ)』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2011)-"いま、そこにある危機" にどう対処していくべきか考えるために

(2014年1月26日 情報として追加)





(2012年7月3日発売の拙著です)









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