美術展「ゴシック写本の小宇宙-内藤コレクション展 文字に棲まう絵、言葉を越えてゆく絵」(国立西洋美術館)に行ってきた(2019年12月20日)。国立西洋美術館に新たに加わった西洋中世美術のコレクションは必見だ。
現在、国立西洋美術館で開催されている企画展「ハプスブルク展-600年にわたる帝国コレクションの歴史」のついでに見てきたが、むしろこれを見るためにだけでも価値ある展示だといっていい。常設展の入場券で来場可能。新館2階の版画素描展示室にて。
羊皮紙(=パーチメント。この展示会では「獣皮紙」となっている)に手書きで制作され、カラフルな装飾が施された中世カトリックの聖書や祈禱書。手写本(hand manuscript)として書籍形式でして制作されたが、なんらかの理由でバラバラにされて流通している「零葉」(れいよう)のコレクションである。
(パンフレットより)
長年にわたって収集してきた医学者・内藤裕史氏の個人コレクションが、一括して国立西洋美術館に寄贈されたものだ。これだけまとまったものが、実物として日本国内で鑑賞できる機会はこれまでなかった。その意味だけでも貴重だが、それだけではない。本来の制作目的を離れても、美術品としての価値も高いのだ。
もともと大学学部時代に西洋中世史を専攻したこともあって、私自身はこのテーマには大いに関心があるが、そうでない人にとっても、紙が普及する以前の羊皮紙(獣皮紙)そのものを見る機会でもある。
(「ラテン語聖書零葉:ヨシュア記・本文第1章(イニシャルE/ヨシュアに語りかける父な神)、ロレーヌ地方、1310~20年頃、インク・金・彩色/獣皮紙」 筆者撮影 )
書籍の装飾の動植物が、文字のあいだに入り込んだりするのは、手書きならではのものだ。もちろん動物や魚や植物には、キリスト教的な意味もあるのだが、そういった背景をはずしても、ビジュアル的に美しい。13世紀以降のゴチック時代のものであるが、ロマネスク的な要素が入り込んでいるということか。日本人の感性にフィットしている。だから、勝手な推測だが、内藤氏も個人的に収集してきたのだろう。
今回はじめて知ったのは、通常のサイズのものだけではなく、ポケットサイズの書籍もあったことだ。文字も装飾も小さい。印刷ならまだしも、手書きでよくそんな小さな文字を書き込めたものだなと感心してしまう。
(パンフレットより)
個人コレクションを寄贈した内藤氏が、そのいきさつについて綴った「コレクションへの道のり」(2019年10月、国立西洋美術館)という会場内で配布されているパンフレットによれば、篤志家の資金援助も得てコレクションを充実した上で寄贈したのだという。詳しくは内藤氏の著書『ザ・コレクター :中世彩飾写本蒐集物語り』(新潮社、2017)に記されている。
もともと個人的な楽しんだあとはオークションで売却して老後の資金にあてる予定だったのだが、一括して寄贈することにしたのは、またバラバラになって散逸してしまうのがもったいないこと、国立西洋美術館の弱点を補うコレクションになると考えたからだという。
こういう志の高い個人コレクターのおかげで、日本国内で鑑賞できることになったことはまことにもって喜ばしい。この場を借りて感謝の気持ちを内藤裕史氏に伝えたいと思う。
(画像をクリック!)
PS 『内藤コレクション 写本 — いとも優雅なる中世の小宇宙』が国立西洋美術館で開催(2024年6月11日〜8月25日)
公式サイトに掲載されている展覧会の解説文は以下のとおり。
印刷技術のなかった中世ヨーロッパにおいて、写本は人々の信仰を支え、知の伝達を担う主要な媒体でした。羊や子牛などの動物の皮を薄く加工して作った紙に人の手でテキストを筆写し、膨大な時間と労力をかけて制作される写本は、ときに非常な贅沢品となりました。またなかには、華やかな彩飾が施され、一級の美術作品へと昇華を遂げている例もしばしば見られます。
当館では2015年度に、筑波大学・茨城県立医療大学名誉教授の内藤裕史氏より、写本零葉(本から切り離された一枚一枚の紙葉)を中心とするコレクションを一括でご寄贈いただきました。その後も2020年にかけて、内藤氏ご友人の長沼昭夫氏からも支援を賜りつつ、新たに26点の写本リーフを所蔵品に加えています。
当館では2019-20年度に三期にわたり開催した小企画展で、内藤コレクションを紹介してまいりました。しかし、コロナ禍のさなかでもあったため、それらは小規模なものにとどまったと言わざるを得ません。こうした事情をふまえて、改めて内藤コレクションの作品の大多数を一堂に展示し、皆様にご覧いただくべく企画されたのが本展です。また当館はコレクションの寄贈を受けて以来、国内外の専門家の協力を仰いで個々の作品の調査を進めてきました。本展はその成果をお披露目する機会ともなります。本展は、内藤コレクションを中心に、国内の大学図書館のご所蔵品若干数や、内藤氏がいまでも手元に残した1点を加えた約150点より構成され、聖書や詩編集、時祷書、聖歌集など中世に広く普及した写本の役割や装飾の特徴を見ていきます。書物の機能と結びつき、文字と絵が一体となった彩飾芸術の美、「中世の小宇宙」をご堪能いただければ幸いです。
(2024年7月30日 記す)
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