本日、TOHOシネマズにて映画のはしご。話題のアメリカ映画を2本つづけて見てきた。
『ノマドランド』と『ミナリ』の2本だ。内容は大きく異なるが、2020年に製作された米国映画であり、米国社会の一断面を切り取った作品である。ともに人生を感じさせるドラマであった。
■「リーマンショック」(2008年)後に疲弊する米国社会の周縁
まずは、本日公開の『ノマドランド』(2020年、米国)。原題も Nomadland といたってシンプルだ。中高年ノマドのロードムービーといったらいいだろうか。
西部の砂漠地帯ネバダ州にある鉱山の閉鎖で企業城下町(company town)ごとなくなってしまい、すでに配偶者を病で先立たれていた主人公の中高年女性は、食も住居も失って放浪の旅にでる。
どうしても手放すことのできない思い出と、生活道具一式を積み込んだキャンピングカー(中型バン)で寝泊まりし、季節労働者として仕事を求め、一人ハンドルを握って走り続けるライフスタイルだ。
だが、個は孤にあらず。類は友を呼ぶ。仲間がいる。語り合う仲間がいる。助け合う仲間がいる。いつも一人で走っているが、集まる場所がある。「居場所」があるのだ。
社会の周縁で、喪失感を抱えて生きる中高年どうしの「つながり」がある。
出会いは一期一会だが、けっして Good by ! (さよなら)とは言わない関係。あいさつは See you down the road ! (また会おう)。出会いがあり、そして別れがある。 そしてまた再会もある。あくまでも個を前提に成り立っている世界だ。
だが、それは単なるライフスタイルを超えた、人生そのものなのだ。
自ら選んだと言うよりも、生き続けるために強いられたライフスタイルといっていいかもしれない。なによりも大事にするのが自由。人間として絶対に譲り渡さない矜持と尊厳。大自然とのふれあい。そんな生き方があるのだ。
人生は旅。旅に出る前に過ごしていたネバダ州エンパイアやアリゾナ州クォーツサイトに拡がる砂漠、岩山がそびえ立つサウスダコタ州のバッドランズ国立公園などを訪れる主人公。自然のなかで人間は大いに癒やされる。
「一所不住」の禅僧のような生き方には、映像詩というか哲学詩のようなものを感じる。
主人公を演じているのは女優だが、映画には実際のノマドたちも出演している過ごしていた。
作品のなかで詩が引用されるシーンがある。 Shall I compare thee to a Summer's day ? の一節で始まるものだ。作品中では言及はないが、シェイクスピアのソネットである。
このほか主人公が口ずさむのが「グリーン・スリーブス」であることなど、厳しい人生模様を描いているが、美しい響きのBGMもあいまって文学的香気の高い作品となっている。じつに印象深い映画である。
■まだ夢を見ることができたレーガン大統領時代(1980年代前半)
『ミナリ』(2020年、米国)は、韓国人の移民ファミリーを描いたヒューマン・ドラマ。韓国系米国人(コメリカン)2世の監督が、自分の幼少時代の経験をベースにした自伝的作品で、子どもの目線から描いた作品だ。
1980年代前半のレーガン大統領時代にアメリカンドリームを夢見て、米国に移民した韓国人たち。作品のなかでは説明はないが、ベトナム戦争への参戦と引き替えで実現した移民枠によるものだ。
そんな韓国人の一人が、農場を開いて農場主となる夢を抱き、移民先のカリフォルニアから、さらに南部のアーカンソー州へと移住し、トラーラーハウスに住むことになる。
ハングリー精神の持ち主で、夢追い人の若い父親。彼に振り回される妻と子ども2人の家族。夫婦間のわだかまりを解消するために本国から呼び寄せた祖母(ハルモニ)。南部のバイブルベルトの住人である白人たちとの交際。
崩壊寸前まで追い詰められた家族を再生させることになった出来事とは・・
原題の Minari とは、韓国語で「セリ」のことだという。雑草のようにどこでも生育できるセリは、移民家族のメタファーでもある。セリフは韓国語と英語。夫婦間は韓国語、子どもたちは英語を中心に、親との会話の一部は韓国語。そして韓国語しかできない祖母。
「移民がつくった国」である米国では、この韓国人ファミリーの物語も、「自分たちの物語」として見ることができるのだろう。だから、「アカデミー賞有力候補」ということなのだろう。だが、はたして一般的な日本人はどう見るのだろうか?
作品中に「ダウジング」が登場するのは興味深い。スピリチュアル要素の強い疑似科学的な手法だが、現在でも水脈を探すためにダウジングが使われているのだな、と。
■メインストリームではない米国社会を描いた映画
ただ、自分自身が中高年ということもあるだろうが、どうも最初に見た『ノマドランド』に強く共感を感じてしまった。だから、『ミナリ』がそれほどすごい作品であるかどうかは、自分としてはなんとも言えない。
この2本を両方とも見る人は、あまりいないかもしれない。だが、けっしてメインストリームではない米国社会の一断面を描いたものであることは共通している。ともに知られざる米国といっていいだろう。
2008年のリーマンショック以降の米国と、まだ夢を見ることのできる1980年代前半の違い、家族の喪失と家族の再生と大きな違いがあるのだが、共通しているテーマはある。ともに苦難を乗り越えるという点だ。
さらに選択の方向性は違うが、移動と定住というテーマは共通している。『ノマド』の主人公は移動を選び、定住を拒否する。『ミナリ』の家族は、これ以上の移動は選択せず、農場に定住する道を選択する。
どちらも、いわゆるハリウッド映画とはやや違ったテイストの映画であった。 だが、共通するものも多いのである。それは、米国社会を描いているからだ。
PS 2021年アカデミー賞の結果が発表
アカデミー賞は『ノマドランド』が作品賞と監督賞。『ミナリ』は助演女優賞。作品賞にかんしては『ミナリ』は善戦したが次点だった。作品賞にかんしては、『ノマドランド』推しの私の趣味と一致したようだ。(2021年4月26日 記す)。
<関連サイト>
・・映画を見終わったあとで振り返りと内省を促してくれる語り
・・映画『ノマドランド』は、この番組のテイストに近いものを感じる。つまりドキュメントタッチだということだ。この番組のエンディングに流れるシンガーソングライターの松崎ナオの「川べりの家」がいい
話題作『ノマドランド』の原作者が見た「痛々しいほどの孤独」(2021年3月27日、Newsweek日本版)
(2021年3月29日 情報追加)
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