イングランド南部の海岸にある地方都市ブライトンを舞台に、日本出身の母親(著者のこと)と労働者階級出身のアイリッシュ系英国人の配偶者のあいだに生まれた一人息子の成長物語。この本も、読み出すと最後まで読みたくなってしまう。
「イエローでホワイト」というのは言うまでもなく肌の色。「ブルー」というのは、すでに日本語にもなっているように憂鬱(ユーウツ)という意味。カトリック系の公立小学校(そんなのが英国にはあるのだ)を卒業して、中学に入学して、ノートに書きつけた息子の学校生活と家庭生活、地域生活が人間関係を中心に描かれる。
そこにあるのは「多様性」(ダイバーシティ)。だが、この「多様性」は、「みんなちがって、みんないい」といった類いのキレイ事の話ではない。
人種、民族、宗教、階級、LGBTQ。こういった見える化された違いと目に見えない違いが、複雑にからみあって多様性を生み出し、その多様性が差別感情を生み出し、さまざまな形の暴力も誘発する。
そんな状況のなかを生き抜いてきた著者にとっても、「地雷」を踏みかねないのが現在の英国の現実なのだ。そんなシーンがこの本には満載だ。
「他者に対するエンパシー」ということばと概念が、この本をつうじて有名になった。 「エンパシー」(empathy)は、同情を意味する「シンパシー」(sympathy)と似ているが、後者が感情の動きだけであるのに対して、前者は知的に認識して行動に移すことまで含まれている。
このエンパシーによって、複雑な多様性のある社会を生きてくことが、英語で「他人の靴をはく」(to put oneself in someone's shoes)と表現される。感じるだけでなく、行動に移すことが大事なのだ。 この表現も単行本をつうじて有名になったことは周知のとおり。
こういったメッセージは、すでになんども語られているので、これ以上は書く必要もないと思う。
だが、本というのはどういう読み方をしてもいいわけであって、自分にとっては「ブレクジット」(=EU離脱)後の英国の現在の空気がビンビンつたわってくる、そのライブ感に強く感じるものがあった。
「中流階級崩壊」という点において、新自由主義を推進したサッチャー後の英国の後追いをしている日本だが、不可逆的な流れとして、ますます多様性が当たり前となることは間違いない。
そんな日本社会で生きていくための「予行演習」として、この本を読むことが必要なのではないかと思う。脳内シミュレーションである。
繰り返すが、「多様性」はキレイ事で済まされることのない社会の現実(リアリティ)なのである。英国の状況は、他人事と考えないことだ。
PS 続編である『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』が2024年6月に文庫化された
・・マーガレット・サッチャーの死を祝う人たちが英国には多くいた
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