「EU離脱」問題で世界中の話題の焦点になっている英国。これを機会に積ん読だった本を読んでみることにした。『ふしぎなイギリス』(笠原敏彦、講談社現代新書、2015)である。
民主主義の本家本元でありながら、立憲君主制を維持し続けてきた英国。たしかに英国は「ふしぎな国」だ。この本は、英国王室の動向をにらみつつ、外部環境変化のなかでしたたかに生き抜いてきた英国について、王室、政治、経済、社会という切り口から丸ごと捉えようとした意欲的な内容の一冊だ。
著者は、毎日新聞の記者(現在は編集委員)。特派員として英国に2回、トータル8年間駐在して、英国社会をつぶさに観察を行ってきた人。第一回目の英国駐在のあとには米国にも特派員として駐在しており、英国と米国について、比較しながら複眼的にみる視点がありがたい。
そもそも英国がEUに参加したのは1973年、慢性的な「イギリス病」に苦しんでいた頃だ。その後、1979年に就任した「鉄の女」サッチャーによる新自由主義的改革、いわゆる「サッチャー改革」で英国は息を吹き返した。現代英国は、その延長線上にある。
労働党政権でありながら中道路線を選択し、保守党のサッチャー改革路線を継承したのがブレア首相。ブレア時代の「近代化」の功罪の詳細、そしてその反動ともいうべきなのが、2008年の「リーマンショック」後に緊縮財政を実行してきた、現在の保守党のキャメロン首相の政策。
2016年6月23日に実施された、 「EU離脱」の是非を問う国民投票で「EU離脱」が結論と出される前に出版された本だが、この本を読むと、国民投票に至る事情を理解することができる。スコットランド独立騒動で揺れる「連合王国」という国のかたち、イラク戦争参戦による財政的疲弊、中東欧諸国のEU加盟後の移民の増大などである。
個人的にとくに興味深いのが「第5章 アングロ・サクソン流の終焉」。アングロサクソンとしてひとくくりにされがちで、しかも「特別な関係」とされてきた英米関係だが、著者によれば、国際社会のなかで生き残りをかけた英国がつくりあげたイメージというのが真相に近いようだ。
だが、イラク戦争への参戦後は、英国内で米国との関係見直しが行われているだけでなく、米国にとっても欧州における英国の価値が低下傾向にある。もはや、かつてのような「特別の関係」ではないのだ。英国は、すでに米国と欧州の「橋渡し役」は果たせなくなりつつあったのである。「EU離脱」は、さらに拍車をかけることになるだろう。
そもそも成文憲法をもたない慣習法の連合王国(UK:United Kingdom)と、成文憲法で連邦制という「国のかたち」を明確にしている米国(US:United States)は、政治的には根本的に異なる存在であることを、あらためて考えてみる必要があろう。
地政学的に見てユーラシア大陸の両端に位置する「島国」の英国と日本。歴史的個性については似て非なるものがあるとはいえ、グローバリゼーションを主導することによって、もろにその影響を受けている英国社会は、先行事例としてはひじょうに気になる存在だ。国民投票による「EU離脱」選択後も、それは変わらない。
新書本にしては350ページと、けっこうなボリュームがあるが、最初から最後まで読ませる内容となっている。帰国後に、構想1年、執筆に2年かけて完成したという。現代英国について知るにはお薦めの一冊だ。
目 次
序文
第1章 ロイヤル・ウェディングの記号論
現代の錬金術
ダイアナの DNA が変える王室
ファイネスト・アワー(歴史への誇り)
第2章 柔らかい立憲君主制
政権交代というドラマ
回避された憲政の危機
揺れる伝統の2大政党制
議会と王権
第3章 女王と政治家 サッチャーの軌跡
階級が違う2人の女性指導者
フォークランド・スピリット
自信を取り戻せ
大英帝国が生んだ「鉄の女」
女王が示した不仲説への暗黙の答え
第4章 階級社会とブレア近代化路線
打破すべき「古いイギリス」
ニュー・ミレニアム
キツネ狩り禁止に見る階級社会の現状
世襲貴族議員の断末魔
ブレアと王室
第5章 アングロ・サクソン流の終焉
アングロ・サクソンの盟友
ホワイトハウス最後の夜
ブレアはなぜ嫌われたか
アメリカを利用した世界戦略
イラク戦争が変質させた英米関係
イギリス、アメリカ、そして世界
第6章 イギリス経済の復元力
「開かれた経済」という理念
産業革命はなぜイギリスで起きたか
イギリス病の発病と克服
モノ作り大国への回帰と金融部門の優位性
外国人投資家に選ばれる理由
第7章 スコットランド独立騒動が示した連合王国の限界
つぎはぎを重ねた統治構造
揺れるナショナル・アイデンティティ
連合王国の歴史的経緯
独立は得か損かのそろばん勘定
消えない独立の火種
試練にさらされる「国家の形」
第8章 激動期の連合王国
ロンドニスタン・テロリストを生む土壌
デジタル時代暴動
漂流する国家像
イギリスはEUを離脱するのか?
第9章 ソフトパワー大国への脱皮
成熟のロンドン五輪
労働者階級の血を引くプリンス誕生
王位継承に布石を打つチャールズ皇太子
キープ・カーム・アンド・キャリー・オン
あとがき ロンドンから見た日本
著者プロフィール
笠原敏彦(かさはら・としひこ)
毎日新聞編集編成局編集委員。1985年3月東京外国語大学卒。同年4月毎日新聞社入社 徳島支局、大阪本社特別報道部勤務。95年4月外信部配属 97年10月~02年9月ロンドン特派員。ブレア政権の政治・外交、ダイアナ後の英王室、北アイルランド和平など英国情勢のほか、遊軍記者としてアフガン戦争、コソボ紛争などを現地で長期取材。2002年10月 外信部副部長。04年米国務省のIVプログラム(研修)参加。05年4月~08年3月ワシントン特派員 。ブッシュ政権の外交を担当。大統領の外遊先約20カ国に同行。主な課題はイラク戦争、北朝鮮核問題など。2008年大統領選前半も取材。08年4月外信部副部長。2009年4月~2012年3月 欧州総局長(ロンドン)として欧州7支局を統括。12年4月~外信部編集委員。2013年4月~編集編成局編集委員(オピニオンG統括) (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
<関連サイト>
近代合理主義を育んだイギリス人が、世襲の君主制を支持しつづけるのはなぜか?(本書の著者・笠原敏彦へのインタビュー記事)(現代ビジネス、2015年6月4日)
イラク戦争を検証し続けるイギリスと、一顧だにしない日本-その「外交力」の致命的な差 日本が噛み締めるべき「教訓」(笠原敏彦、現代ビジネス、2016年7月21日)
・・「イギリスは「検証の国」だ。その背景には、今ある社会を、現在と過去と未来をつなぐ存在とみなす叡智があるように思う。将来世代に対し記録と教訓を引き継ぐ意思が社会のDNAとなっているということである。・・中略・・ 検証報告書からは多くの教訓を引き出すことが可能である。しかし、その最大のメッセージは英米同盟についてのものであり、報告書は「我々の利益と判断がことなるとき、無条件の(対米)支援は必要ない」と結論付けている。」
【ゼロからわかる】イギリス国民はなぜ「EU離脱」を決めたのか 露わになるグローバル化の「歪み」(笠原敏彦、現代ビジネス、2017年1月8日)
(2016年7月21日、2017年3月18日 情報追加)
書評 『大英帝国という経験 (興亡の世界史 ⑯)』(井野瀬久美惠、講談社、2007)-知的刺激に満ちた、読ませる「大英帝国史」である
・・本書には、スコットランド併合と北部アイルランド併合の歴史も詳述されている。連合王国(United Kingdom)とは、イングランドによる周辺王国の併合の結果生まれたものだ。歴史的経緯を考えれば解体もあり得る話だとわかる
書評 『大英帝国衰亡史』(中西輝政、PHP文庫、2004 初版単行本 1997)-「下り坂の衰退過程」にある日本をどうマネジメントしていくか「考えるヒント」を与えてくれる本
・・「英国に対する挑戦者としてヨーロッパ大陸から急速に勃興し英国を脅かす存在となったドイツが、何かしら日本に対して挑戦者として急速に勃興してきた中国を想起させるものがあるのだ。 歴史の教訓として、英国はドイツを意識しすぎるあまり、衰退を早めたことが本書では語られている」
映画 『マーガレット・サッチャー-鉄の女の涙-』(The Iron Lady Never Compromise)を見てきた
・・EUに懐疑的であったサッチャー首相
書評 『イギリス近代史講義』(川北 稔、講談社現代新書、2010)-「世界システム論」と「生活史」を融合した、日本人のための大英帝国「興亡史」
・・「サッチャー革命」による金融街シティの変貌が、ジェントルマン資本主義から新自由主義への完全な移行をもたらした・・(中略)・・ 現在のシティは、すでに白洲次郎が語っていたような金融界ではない」
「近代スポーツ」からみた英国と英連邦-スポーツを広い文脈のなかで捉えてみよう!
・・英国については、2012年にインターネット放送で、「近代スポーツ」からみたイギリスとイギリス連邦」というテーマで筆者(=佐藤けんいち)が語っているのでご参照いただきたい。
■情報活動をつうじてみる英国
書評 『紳士の国のインテリジェンス』(川成洋、集英社新書、2007)-英国の情報機関の創設から戦後までを人物中心に描いた好読み物
国際報道 アタマの引き出し
■英国社会
書評 『大英帝国の異端児たち(日経プレミアシリーズ)』(越智道雄、日本経済新聞出版社、2009)-文化多元主義の多民族国家・英国のダイナミズムのカギは何か?
・・英国の強みは移民がもたらす多様性にあるのだが、度が過ぎると捉えたのが「離脱」派なのであろう
『2010年中流階級消失』(田中勝博、講談社、1998) - 「2010年予測本」を2010年に検証する(その1)
・・「金融ビッグバン」後の英国で、英国の証券会社に日本人として勤務していた著者が体験し、つぶさに観察した実情を「鏡」にして、日本の行く末を考察した内容の本。英国の格差社会化は、日本に先行している
書評 『「イギリス社会」入門 -日本人に伝えたい本当の英国-』(コリン・ジョイス、森田浩之訳、NHK出版新書、2011)
書評 『ジェームズ・ボンド 仕事の流儀』(田窪寿保、講談社+α新書、2011)-英国流の "渋い" 中年ビジネスマンを目指してみる
日本語の本で知る英国の名門大学 "オックス・ブリッジ" (Ox-bridge)
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