2021年12月8日水曜日

「米國及英國ニ對スル宣戰」から80年!(2021年12月8日)-「太平洋戦争」は「大東亜戦争」の一部であり「中華民国の重慶政府への米英の支援」が原因だという認識の再確認が必要だ

 国立公文書館のサイトにアップされている写真版 筆者が赤で傍線)


「太平洋戦争」がはじまってから80年「日米開戦」から80年。「ニイタカヤマノボレ一二〇八」と「トラ・トラ・トラ」で始まった真珠湾攻撃とその成功は、まさに米国との戦いであり、「太平洋戦争」であった。

だが、戦った相手は米国だけではない。英国とも戦ったのである日本人の認識のなかで、この重要な事項が欠落していることはきわめて大きな問題だ。

同時に開始されたのは「マレー上陸作戦」だ。時間的にいえば、こちらのほうが若干早い。マレー半島を植民地にし、シンガポールに巨大な要塞を築いていた大英帝国との戦いだ。その後、戦争の進展のなかオランダとの戦いになる。スマトラの原油を確保するため、インドネシアを植民地としていたオランダを排除することになる。
 
さらにいえば、中国大陸における中国国民党との戦いが4年にわたって続いていた。じつをいうと、この日中戦争こそ、米英との戦いの原因となったのである。


■「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」は虚心坦懐に読むべし

いわゆる「終戦の詔勅」は「玉音放送」として、昭和天皇自身の肉声による音源が残されており、現在でも再生可能である(・・録音したレコード盤の争奪が『日本のいちばん長い日』のテーマであることはよく知られているとおりだ)。

だが、「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」のほうは、音声が録音されていないので、あまり知られていないのが実態だろう。

1941年12月8日の「宣戦布告文書」を虚心坦懐に読んでみよう。正式には「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」という公文書だ。そこには、「朕玆ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宣ス」とある。「米国および英国に対して宣戦した」とある。日本は米国に対してのみ宣戦布告したのではない。米国と英国に対して宣戦布告したのである!


「米国及英国ニ対スル宣戦ノ件・御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日」は、国立公文書館に写真版4枚がある。以下、その原文をそのまま掲載しておこう。(*読みにくいので引用者=さとう の判断で行替えと太字ゴチック化を行ってある)。


米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書

天佑ヲ保有シ 萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ 昭ニ忠誠勇武ナル汝有眾ニ示ス
朕玆ニ 米國及英國ニ對シテ戰ヲ宣ス 朕カ陸海將兵ハ 全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ 朕カ百僚有司ハ 勵精職務ヲ奉行シ 朕カ眾庶ハ 各〻其ノ本分ヲ盡シ 億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ逹成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ
抑〻東亞ノ安定ヲ確保シ 以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ 丕顯ナル皇祖考 丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ 朕カ拳〻措カサル所 而シテ列國トノ交誼ヲ篤クシ 萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ 之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ 今ヤ不幸ニシテ 米英兩國ト釁端ヲ開クニ至ル 洵ニ已ムヲ得サルモノアリ 豈朕カ志ナラムヤ
中華民國政府 曩ニ帝國ノ眞意ヲ解セス 濫ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂シ 遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ 玆ニ四年有餘ヲ經タリ 
幸ニ國民政府更新スルアリ 帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提攜スルニ至レルモ 重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ 兄弟尙未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス 米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ 平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス 剩ヘ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ增强シテ我ニ挑戰シ 更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與ヘ 遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ 帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ 
朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ囘復セシメムトシ 隱忍久シキニ彌リタルモ 彼ハ毫モ交讓ノ精神ナク 徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ 此ノ間却ツテ益〻經濟上軍事上ノ脅威ヲ增大シ 以テ我ヲ屈從セシメムトス 
斯ノ如クニシテ推移セムカ 東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ歸シ 帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ 事旣ニ此ニ至ル 帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲 蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ 
皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ 朕ハ汝有眾ノ忠誠勇武ニ信倚シ 祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ 速ニ禍根ヲ芟除シテ 東亞永遠ノ平和ヲ確立シ 以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス

御名御璽
昭和十六年十二月八日
(以下略)


虚心坦懐に読めば、日本が米英アングロサクソンによって経済制裁され、経済的に追い詰めらたことが書かれている。この記述は、まさに歴史的事実であり、フランクリン・ローズヴェルト政権の妥協なき対日政策がいかに日本を追い詰めたかを示している。

つまり、米英との戦いは、アングロサクソンの中国利権を侵害したことから始まったといっても言い過ぎではない。

国立公文書館のサイトにアップされている写真版 筆者が赤で傍線)


日本が利権の範囲を満洲にとどめていたら、上海を中心とする英米アングロサクソンとの利権の「棲み分け」ができていたはずなのに、そうならなかった。その原因が日本にあったことは否定できない事実だ。

日本は上海から南京まで攻略したが、中国国民党をさらに長江上流域の重慶に撤退させ、徹底抗戦させることにしてしまった。その重慶政府を支援していたのが米英アングロサクソンなのだ。米国は「フライング・タイガー」などで航空支援・・・
 

■なぜ「大東亜戦争」と言うべきなのか

米英蘭と中国との戦いをあわせて「大東亜戦争」というのである。それが、開戦当時の認識であり、戦争当時の認識であった。敗戦時点でもその認識に変わりはない。

「太平洋戦争」なる呼称が拡がったのは、米国を中心とした連合軍による占領統治下の「洗脳工作」によるものであることは、現在では否定しようのない事実であることは明らかになっている。

もちろん、米国との戦いに限定すれば「太平洋戦争」でも間違っていない。戦争末期の主戦場となった米国の植民地フィリピン(当時)も太平洋にある。だが、繰り返しになるが、日本は米国とだけ戦ったのでないのだ。

近年の歴史学会では「アジア太平洋戦争」ということが多い。たしかに、地理的な範囲としてはそのとおりだ。説明的な表現である。だが、「大東亜戦争」という呼称があるのに、あえて「アジア太平洋戦争」と呼ぶのは不自然ではないか? 

そして大戦末期になってソ連との戦いも加わる。火事場泥棒としかいいようのないソ連の極悪非道ぶりについては、あえてここに書くまでもあるまい。いずれにぜよ、「終戦の詔勅」ではソ連を含めて「米英支蘇四國」となっているのである。

「終戦の詔勅」は、正確にいえば「大東亞戰爭終結ノ詔書」である。この事実もまた、「太平洋戦争」という呼称がただしくないことを示している。

「占領軍」とくに米国の工作で「太平洋戦争」という呼称が定着しているが、もういい加減に「洗脳」からみずからを解放するべきではないか?

「太平洋戦争」開始から80年となる本日(2021年12月8日)、あらためて主張したいのである。





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