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2021年6月23日水曜日

「國威宣揚」という石碑が日本各地に残っている ー 明治天皇による「億兆安撫国威宣揚の御宸翰」(慶応4年=明治元年)に由来する「近代日本」の出発点

 
「國威宣揚」という石碑が日本各地に残っている。

冒頭に掲げたのは、東京都江東区の深川一丁目児童遊園に堂々と屹立(きつりつ)している石碑だ。4年前にはじめて見たときは驚いたものだ。よりによって、なぜ児童公園にあるのか、と。

いまこの「國威宣揚」について書いているのは、まったく違う場所でおなじ文言が書かれた石碑を目撃したからだ。つい最近のことである。

JR総武線と武蔵野線、そして東京メトロと東葉高速鉄道のジャンクションである西船橋駅から、10分程度離れた京成電鉄の京成西船駅(旧駅名:葛飾駅)に向かう途中に、目に入ってきたのは「國威宣揚」という4文字が記された石碑だった。


気になったらすぐに写真を撮って記録することが大事。そのときはすこし急いでいたのだが、10歩歩いてから戻って即スマホで撮影。これは基本動作である。写真さえ撮っておけば、あとから記録から記憶が蘇るからだ。


文字がかすれているのでわかりにくいが、たしかに「國威宣揚」と書かれている。文字列の上には日の丸らしきものが刻まれているが、これは、たまたまそう見えるだけのことだろう。国旗掲揚の際に、ひもを通す穴であろう。


■大東亜戦争開始以前に建てられた「國威宣揚」の石碑

東京都江東区の深川一丁目児童遊園の「國威宣揚」についてもう少し見ておこう。


石碑の裏面には、かすれてよく見えないが、昭和12年(1937年)と書かれてあった。1941年に始まった大東亜戦争時代ではないが、日中戦争が始まり戦時色が強まり始めていた「戦前」に建てられたことがわかる。


これまで目撃したのは、東京都江東区と千葉県船橋市の2件だが、おそらく日本全国各地にこの石碑は現存しているのだろう。たしかに、ネット検索してみると、いろんな画像がでてくる

西船橋の春日神社のものは現在のところアップないようなのでここで取り上げることにした。なお、西船橋の春日神社にある石碑の裏面には「昭和15年1月1日建立」と刻まれていることを確認した。


昭和15年とは1940年、いや皇紀2600年である! そうか、それにあわせてあらためて「国威宣揚」が強調されたというわけか!(*この件は、2021年6月28日に追記)

オリンピックがらみで「国威発揚」という表現がよくつかわれるが、石碑には「国威発揚」ではなく「国威宣揚」とある。正確にはこれまで記述してきたように、正字体による「國威宣揚」である。


■「國威宣揚」とは何か?

「國威宣揚」が気になったのでネット検索しているうちに、「国威宣揚」の文字が「億兆安撫国威宣揚の御宸翰」に含まれていることがわかった。「おくちょうあんぶ こくいせんよう の ごしんかん」と読む。

「億兆安撫国威宣揚の御宸翰」というものが知ったのは今回がはじめてのことだ。いまのいままでまったく知らなかった。

Wikipediaに記述によれば、「億兆安撫国威宣揚の御宸翰(おくちょうあんぶこくいせんようのごしんかん)とは、明治元年3月14日(1868年4月6日)、「五箇条の御誓文」の宣言に際して明治天皇が臣下に賜ったことば」とある。詔勅(royal decree)である。

「御宸翰之御写」が早稲田大学図書館にあるようで、その画像がアップされている(*下記にその一部を拡大)。「國威宣揚」は、「國威を四方に宣布し・・」という文言から取られたようだ。


「億兆安撫国威宣布の御宸翰」の全文は、 国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができる。詔勅の要旨は以下のようなものだ。引き続き wikipedia から引用しておこう。

中世以来、表面には朝廷を尊んで、実は敬して遠ざけていたため、君主と臣下の間は遠く隔たってしまったが、それでは君臨の意味がない。このたび朝政を一新するにあたり、国民の中に一人でもそのところを得ないものがあれば、それはすべて私、天皇に責任があるのだから、骨を折り心を苦しめて善政をおこなおうと思う。お前たちはよくよくこの方針を理解し、私見を捨てて公義を取り、天皇を助けて、国家をまもり、皇祖皇宗の神霊を慰めよ。
 

「五箇条の御誓文」が天皇が皇祖神に対して誓ったものであるのに対して、これは臣下と国民に向けて出された声明である。

「億兆」とは国民全体のことであり、天皇は「天下億兆、一人も其処を得ざる時は、皆朕が罪なれば」と述べて政治への決意と責任感を示した。Wikipediaにはそう書かれている。

明治初年度の時点では、いまだ国民国家という概念も実体もなかったので「国民」という表現は適切ではないが、日本という国に暮らす「民」すべてに向けての声明であるという点は重要だ。

「五箇条の御誓文」についてはよく知られているが、「億兆安撫国威宣揚の御宸翰」についてはまったく知らなかった。はじめて知ったという驚きとともに、いかに知識が偏っているか痛切に感じる。

「國威」という概念は、すでに慶応4年(=明治元年)には存在していたのか、と。しかも、詔勅として臣民に下されていたのだと。

「國威宣揚」という文言は古くさい印象はぬぐえないし、いまさら「国威宣揚」や「国威発揚」でもないだろうという気持ちがある。正直なところ敬遠したい気持ちがなくもない。

だが、この文言が明治天皇によって改元前の慶応4年に出されていたことの意味を受け取らなければ、「近代日本」を知ることにならないと、あらためて深く感じている。


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<関連サイト>
「幼弱」の身で即位した天皇は、慶応4年3月14日に国家の基本綱領を、「五箇条の誓文」と「億兆安撫 国威宣揚の宸翰」で天下に告げ知らせました。この政治綱領は、新政府の方針を、新国家を統治する政治の主体者である天皇の想いとして説いたものです。 
とくに「国威宣揚の宸翰」は、冒頭で「朕幼弱を以て猝に大統を紹き爾来何を以て万国に対立し、列祖に事へ奉らんと朝夕恐懼に堪へさるなり」と語り、武家政権の下で「朝政衰てより」「表は朝廷を推尊して実は軽して是れを遠け億兆の父母として絶て赤子の情を知ること能はさる様計りなし、遂に億兆の君たるも唯名のみに成り果」た状況から説き起こし、最後に世界における日本の姿を提示しました。
日本は、世界が大きく開け、各国が雄飛している「世界の形勢にうとく旧習を固守し一新の効」をはからず、「九重に安居し一日の安きを偸み百年の憂を忘るるときは遂に各国の凌侮を受け」ている。この現状こそは、上は「列祖」を辱しめ、下は「億兆を苦し」めることとなったのだと。
そこで天皇は、親らが「四方を経営し汝億兆を安撫し遂には万里の波涛を拓開し国威を四方に宣布し天下を富岳の安きに置んことを」と、天皇の国日本の明日を言挙げしております。 この決意は、「今日ノ事、朕自身骨ヲ労シ、心志ヲ苦メ、艱難ノ先ニ立」つことで、「治蹟を勤メテコソ始テ天職ヲ奉ジテ億兆ノ君タル所ニ背カザルベシ」と負うべき天皇の強き政治的主体性による宣言です。
しかし天皇は、「今日朝廷の尊重は古へに倍せしが如くにて朝威は倍衰へ上下相離るゝこと霄壤の如し かゝる形勢にて何を以て天下に君臨せんや」と、高らかに「億兆安撫 国威宣揚」を問いかけたものの、おのれの統治に不安をいだいてもいた。まさに天皇の政治的主体性は、不安にさらされていただけに、文明国家としての法的枠組みを整備し、確乎たるものに造形されていかねばならなかったのです。


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PS あらたに「国威宣揚」を発見! 船橋市の道祖神社

2022年1月8日の初詣のため意富比神社(=船橋大神宮)を参拝したあと、「世界最小の東照宮」である船橋東照宮を参拝し、そのまま船橋駅方向に向かって歩いて行くと、道祖神社が目に入った。参拝を済ませたあと石造りの鳥居の外に出たところ、目に入ってきたのが「国威宣揚」の石碑だった(下記の写真参照)。犬も歩けば棒に当たる、いや「国威宣揚」の石碑が目に入る。意外なところに、まだまだありそうだ。(2022年1月8日 記す)



PS あらたに「国威宣揚」を発見!2 船橋市の神明神社

本日(2023年12月9日)、またあらたに「国威宣揚」を発見。船橋市飯山満(はざま)にある神明神社である。ここもまた隣がしんめい幼稚園であり、神社と幼稚園や児童公園との親和性が高いというべきか、なぜか「国威宣揚」が撤去されずに残っている。犬も歩けば棒に当たる。発見次第、また情報を追加していきたい。(2023年12月9日 記す)



PS またまた「国威宣揚」を発見!3 船橋市海神の「龍神社」(りゅうじんんしゃ)

本日(2024年1月5日)、初詣で船橋市海神の「龍神社」を訪れたが、なんとここにも「国威宣揚」があった! これまた「紀元二千六百年記念」である。ちかづいて石碑に刻まれた文字を見ていると、なんと鈴木貫太郎書とあるではないか! 「ポツダム宣言」を受諾したあの鈴木貫太郎首相である。どういうつながりがあったのか知らないが、なにごとも「現地・現物・現実」の「三現主義」が重要だなと、あらたに痛感した。(2024年1月5日 記す)





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