2021年12月31日金曜日

書評『維新史の再発掘 ー 相楽総三と埋もれた草莽たち』(高木俊輔、NHKブックス、1970)ー 草莽の志士たちを民衆史から再発掘する

 

先駆的な仕事であるが、いかんせん出版は1943年の初版であり、いまから約80年前の作品である。その後の研究成果を知りたくなるの自然というものだろう。 

いろいろ探索しているうちに、『維新史の再発掘-相楽総三と埋もれた草莽たち』(高木俊輔、NHKブックス、1970)という本があることを知った。たまたま民衆史の鹿野政直氏の『日本近代史の思想』(講談社学術文庫、1986)をひさびさにパラパラめくってて、本書のの存在を知った。鹿野政直氏は、本書の帯に推薦文を書いている(・・下記に掲載の写真)。

  
古書価も高くなっているが、なんとか安く入手したので、さっそく読んでみた。さすがに民衆史の研究者によるだけあって、よく調べてあり、しかも読ませる内容の本だった。 


■1970年前後には「民衆史」の時代

どうやらこの本がでた1970年の前から相楽総三がちょっとしたブームになっていたらしい。

時代背景は1968年の「明治百年」にあったようだ。ときの日本政府による「上からの明治百年」への反発と、おなじ1968年に始まって世界中に拡散した学生運動もその時代のことである。「革命前夜」のような熱気があったというべきだろうか。

「民衆史」は現在では人気は下火だが、この時代には熱心な取り組みがなされていたのである。 『夜明け前』と同様に、演劇のテーマとしても取り上げられたようだ。

あれこれ調べているうちに、1969年には『赤毛』というタイトルの映画が製作され公開されていることを知った。監督は岡本喜八、主演は三船敏郎。

(英語版のタイトルは "Red Lion"  wikipedia英語版より)

ストーリーは、「幕末・王政復古の世。江戸に進撃する官軍の先駆「赤報隊」。沢渡宿で圧制を敷く駒虎一家を倒し女郎たちを解放する。先頭に立ったのは沢渡宿出身の権三だった。さらには代官屋敷から年貢を取り返し百姓も解放して意気揚々だったが…。赤報隊と官軍の戦いを通じて、維新の裏にある犠牲と矛盾を捉えた問題作。」(wikipediaより引用)

相楽総三を田村高廣。相楽総三とその同志の肖像画なり写真は残されていないので(*)、映画でも演劇でも、主演を喰ってさえしまえわなければ誰が演じても問題はないというわけだろう。

(*)活動家やテロリストなどは当然だが、相楽総三とその同志もまた「地下活動」をしていたので、肖像画や写真が残されていないのは当然だと考えるべき。渋沢栄一の丁髷姿の写真は、幕臣となってフランス渡航前のものであり、近藤勇の写真もまた正式に幕臣になる前だが、浪士隊時代のものではなく、新選組隊長時代のものである。

ただし、赤毛の被り物は時代考証的には間違いのようだ。江戸の無血開城後の戊辰戦争以降に官軍によって使用されたのであって、それ以前にはあり得ない話なのである。劇的効果を狙った演出と受け止めるべきだ。


■『維新史の再発掘-相楽総三と埋もれた草莽たち』

さて、本題に戻るが、この本じたいが、すでに50年前のものだが、それでも先駆者である長谷川伸のものより研究は進んでいる。いくつか興味深く感じたことを記しておこう。 

まず、相楽総三(そう名乗ったのは「薩摩藩邸焼討事件」前の挑発開始から)が企画した攘夷派による「関東挙兵計画」(1863年)について。 

小島四郎(=相楽総三)らの慷慨組による「赤城山挙兵計画」と、渋沢栄一らの天朝組による「高崎城乗っ取りと横浜洋館焼き討ち計画」は計画倒れに終わったが、楠音次郎らの真忠組による九十九里におけるは決行された。ただし、真忠組による九十九里における蹶起は世直し的性格を帯びたものだったが、幕府が差し向けた佐倉藩などの藩兵によって鎮圧された。

じつはこの3つの蹶起は、おなじ日に同時多発で実行される計画だったらしい。オルグの中心にいたのが相楽総三だったのだ。

 失敗に終わった同時多発の「関東挙兵計画」をオルグしたのは相楽総三だが、その資金源は大富豪だった父親からもらった5,000両(!)だったようだ。成功に終わった「薩摩藩邸焼き討ち」の際の軍資金3,000両も、父親から言葉巧みに引き出したらしい。 

武器弾薬を調達し、浪人たちを喰わせるためには、カネが必要だからだ。自前の軍資金があったからこそ、民衆から掠奪することはなかったことは特筆に値する。しかも、「年貢半減」のスローガンを掲げて中山道を進軍した、相楽総三とその同志たちによる赤報隊は、先々で歓迎されたのである。

これは余談だが、「9・11テロ」の背後にいたウサーマ・ビンラディーンもそうだが、大義を掲げたテロ計画は大金持ちか、バックに大金持ちを抱えた者が多い。日本人が巻き込まれたバングラデシュのイスラーム過激派によるテロもそうだった。いずれも大金持ちの子弟で、しかも高学歴者。自前の資金によるテロであった。イスラーム過激派の思想も、ある意味では攘夷思想である。 

関東攘夷派においては、いわゆる豪農層がその中心になっている。相楽総三の父親は、下総相馬郡で物価高騰のなか困窮化していった旗本への貸し付けで巨富を築いたらしい。渋沢栄一の父親もまた豪農層であった。相楽総三も渋沢栄一も、いずれも利根川流域にかかわりがある。支配関係が入り組んでいたことが豪農を誕生させる地盤となったようだ。

なぜ豪農層が、攘夷というテロに荷担していくことになったのか? 

著者の説明を単純化すれば、貧農層と支配者のあいだにはさまれたミドルマン的立ち位置が、究極の二択を迫ったというもあったのだ。豪農としての「家」のポジションを維持するため、貧農層の側に立つか、支配者層の側に立つか、である。 前者は、攘夷という形の現状変革を選択したわけであり、後者は支配者の手先となって民衆を弾圧する側にまわった。

これまた余談だが、ロシア革命において大きな役割をはたしたユダヤ系のトロツキーが、黒海に面したオデッサの豪農出身であったことを想起する。 それ以外のユダヤ系の革命家は、豪商か金融業者の子弟か、ユダヤ律法学者ラビの子弟などの知識階層が多かった。


■「王政復古」後に「偽官軍」のレッテルを貼られたには赤報隊だけではなかった

相楽総三が「偽官軍」のレッテルを貼られて処刑され、その汚名が関係者の奔走によって名誉回復がされるまで60年もかかったわけだが、それでも名誉回復されただけマシなのである。 

著者の整理によれば、「王政復古」前後の「偽官軍事件」は、相楽総三とその同志たちだけではなかったらしい。列挙すると以下のようになる。 

●花山院一党(九州) 
●高野山隊(紀州高野山) 
●山国隊(丹波国山国郷) 
赤報隊(東山道進軍の相楽総三とその同志) 
●髙松隊(赤報隊と前後して東山道進軍) 
●遠州報国隊(東海道で神官を中心に組織) 
●駿州赤心隊(同上) 
●豆州伊吹隊(同上) 
●居之隊(豪農中心の北越草莽隊) 
●北辰隊(同上) 
●金革隊(同上) 
●生気隊(同上) 
●奇兵隊と諸隊(長州藩で正規軍再編の際に解隊) 

日本全国でこれだけ多くの「偽官軍」事件が発生していたわけなのだ。「相楽総三とその同志」についても、幅広いパースペクティブに位置づけて理解する必要があることを感じる。

相楽総三の右腕ともいうべき同志の金原忠蔵(=竹内廉太郎)が、攘夷派時代の渋沢栄一の同志でもあり、しかも下総国葛飾郡小金(現在の鎌ヶ谷市)の豪農の子弟だった。そんなこともあって興味は尽きない。 まだもう少し、調べを進めてみたいと思う今日この頃である。 




<関連サイト>

・・赤報隊に属して、相楽総三とともに下諏訪で捕縛され処刑された渋谷総司は、下総国佐津間村(現在の鎌ケ谷市)の名主の出身であった。

郷土の資料 ~赤報隊について~(鎌ケ谷市立図書館)

(2023年5月9日 項目新設)


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■相楽総三とその同志とのつながりのあった尊皇攘夷の志士であった渋沢栄一




■下総と平田国学



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