2022年12月4日日曜日

書評『科学する詩人ゲーテ』(石原あえか、慶應義塾大学出版会、2010)ー 「18世紀科学」から「19世紀科学」への移行期を生きた知の巨人の格闘


『科学する詩人ゲーテ』(石原あえか、慶應義塾大学出版会、2010)という本がじつに面白い。ゲーテの文学作品の理解に、当時の自然科学をめぐる状況の知識が不可欠なことだけでなく、「18世紀科学」のエッセンスが手に取るようにわかるからだ。

ゲーテは、ヴァイマール公国の宰相でもあった。法学部で法律を学んだゲーテは、19世紀的意味の文学者ではない。当時のドイツは小国に分裂状態にあったが、ヴァイマール公国は小国とはいえ、国家であることには変わりない。

宰相として国家運営の重責を担っていたゲーテは、業務の必要上はもちろん、本人自身の旺盛な知識欲から、当時の最先端の自然科学(・・当時はまだ自然哲学とよばれていた)に多大な関心を抱いていた。

最先端の科学知識を貪欲に吸収し、みずから実験や観察を行っているだけでなく、研究成果を実務と文学の双方に存分に活用しているのである。
 
どういった分野にゲーテが関心を抱いていたかをしるために、ここでは「目次」を掲載しておこう。

序章 詩人ゲーテのもう一つの貌 《ポエジー》と《科学》 
第1章 始まりはイルム河畔の「庭の家」 ゲーテと植物学
第2章 種痘と解剖実験 ゲーテと医学
第3章 避雷針と望遠鏡 ゲーテと物理学
第4章 生命が充満する宇宙と天文台 ゲーテと天文学
第5章 地球の形状とプロイセン大尉 ゲーテと測地学
最終章 ゲーテの「世界文学」と物語詩『魔法使いの弟子』
註/謝辞/初出一覧 

この本では、ゲーテが関心を抱いていた「光学」や「地質学」は取り上げていないが、広範囲にわたったゲーテの関心がどこにあったか知ることができる。


■「種痘」と「避雷針」の普及は「啓蒙主義」のたまもの

わたしがとくに関心をもって読んだのは、「第3章 避雷針と望遠鏡 ゲーテと物理学」である。「Ⅰ. 避雷針の発明者フランクリンとドイツにおける普及」で、「現代のプロメテウス」と同時代ドイツの哲学者カントが讃えたフランクリンの発明が、全能な神への啓蒙主義的挑戦者としてのフランクリンが先駆的な役割を果たしたことが書かれている。

「第2章 種痘と解剖実験 ゲーテと医学」でとり上げられた「種痘」と、英国の北米植民地でフランクリンが発明した「避雷針」によって、キリスト教信仰への挑戦と転換によって、「啓蒙主義」による「脱魔術化」がもたらされたのである。
 
神の領域に属するとされていた落雷や天然痘が、人間が発明した避雷針や種痘によって克服することができるようになったのも18世紀科学の成果であった。キリスト教会からの大きな抵抗をはねのけたのである。その反論のロジックに注目したい。

ゲーテ自身も子ども時代に種痘にかかっているが、生き延びることができただけでなく、あばた面になるのも回避できたようだ。


■18世紀に始まった「あたらしい錬金術」

「最終章 ゲーテの「世界文学」と物語詩『魔法使いの弟子』」も面白い。

ゲーテの時代には錬金術(アルケミー)から化学(ケミストリー)への転換が進行していたが、錬金術は死滅したわけではなかったのである。

金や銀など有形の資産の裏付けをもたない「紙幣」(ペーパー・マネー)が、あらたな錬金術として登場したのである。スコットランド人のジョン・ローによるフランス政府の紙幣発行(1717年)がそれだ。

ジョン・ローの名前は、最終的に破綻した「ミシシッピー計画」(1720年)の中心人物として、英国の「南海泡沫事件」(1720年)ととも18世紀のバブル崩壊事件として記憶されることになった。
 
本書では言及はないが、紙幣発行の件でもフランクリンの名前は逸することはできない。カール・マルクスが『経済学批判』(1859年)が「労働価値説」とのからみで取り上げているが、フランクリンは熱心な紙幣発行論者であった。

先日(2022年11月11日)には、仮想通貨取引所 FTX が破綻しているが、18世紀以来この手の「錬金術」が登場しては破綻することを繰り返している。

話を元に戻すが、ゲーテが経済通であったことは、ヴァイマール公国の宰相で財政を扱っていたことから当然というべきであろう。たしかに、オランダの干拓事業などにかんする話は、『ファウスト第2部』に登場していたことが記憶にある。『ファウスト』を読んだのもずいぶん昔のことなので、あらためて読み直してみたい。

また、同時代の18世紀日本(=江戸時代後期)への目配りもすばらしい。日本人読者を意識しているだけでなく、ゲーテと18世紀科学のかかわりを世界史的視野のもとに位置づけることにもなっているからだ。

研究論文をベースにしたものだが、じつに面白い本だった。この本をベースにして、ふたたびゲーテを読んでいきたいと思う。


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著者プロフィール
石原あえか(いしはら・あえか)
東京大学大学院総合文化研究科教授。慶應義塾大学商学部教授を経て2017年より現職。慶應義塾大学大学院在学中にドイツ・ケルン大学に留学、同大でDr. Phil. を取得。学位論文 Makarie und das Weltall(1998)以来、一貫してゲーテと近代自然科学を研究テーマにしている。Jacob - und - Wilhelm - Grimm - Forderpreis 受賞。2005年刊行の Goethes Buch der Natur により、ドイツ学術交流会(DAAD)グリム兄弟奨励賞、第3回日本学術振興会賞および日本学士院学術奨励賞(FY2006)を受賞。本書『科学する詩人ゲーテ』(慶應義塾大学出版会、2020)によりサントリー学芸賞。2013年、ドイツ連邦政府より Philipp Franz von Siebold-Preis(シーボルト賞)受賞。『近代測量史への旅』(法政大学出版局、2015)刊行が縁で、2018年より国土地理院測量行政懇談会委員。(本データは著者の最新刊出版当時に掲載されていたものを再編集)


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・・科学者としてのゲーテに注目したのがシュタイナーである



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