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2011年10月28日金曜日

銀杏と書いて「イチョウ」と読むか、「ギンナン」と読むか-強烈な匂いで知る日本の秋の風物詩


 良い香りで秋の到来を知らせてくれる代表がキンモクセイであれば、逆に強烈な匂いで秋を感じさせてくれるものはギンナンであろう。

 いまここで「ギンナン」と書いたが漢字で書けば「銀杏」。ひらがなで読めば「イチョウ」である。

 「ギンナン」と「イチョウ」。音の響きはまったく異なるが、ともに秋の風物誌といってよいだろう。

金色(こんじき)の小さき鳥の形して
  いてふ散るなり 夕日の丘に (与謝野晶子)


 倒置法を用いた珍しい形式の和歌である。近代歌人の作品であるから和歌というべきではなく短歌というべきか。「いてふ」とは「イチョウ」のこと。「てふてふ」と書いて「ちょうちょう」(蝶々)と読ませるよりは何土は低いだろう。

 イチョウは黄葉する。詩的にいえば金色(こんじき)である。金色の鳥のような形をして秋の空を舞うイチョウの枯葉。秋である。

 一方、強烈な匂いで地面に目を落とすと、そこら中にギンナンの実が落ちてつぶれているのを目にする。アスファルトの舗道であれば、一面に拡がる白い汚れがいやがおうでも目につくことになる。



 「う~む、臭い」と感じるとともに、「ギンナンか」とクチにしてみる。そして、鍋物にいれて食べる串刺しのギンナンの実を思い出す。

 臭いが旨い。臭いものは旨い。不思議な感覚である。

 ところで、イチョウは雄株と雌株にわかれている面白い植物だ。植物でありながら精子と卵子をもち、花粉からつくられた精子が卵子と受精する生殖活動を行う。そしてできるのがギンナンである。植物でありながら、限りなく動物に近い存在。

 そういえば英語では Ginkgo(ギンコ)というのも、音の響きがなんだか不思議な感じのする植物だ。

 何か気になることがあったら、まずは wikipedia で調べてみる。これは基本動作としたいものである。以下にイチョウの項目から一部引いておこう。

イチョウに関する最初の植物学的な記述は、ケンペルの『廻国奇観 (Amoenitatum exoticarum) 』(1712年)にある Ginkgo, Itsjo で、これは「銀杏」を「ぎんきょう」と読んだ上で、Ginkjo, Itsjo (ギンキョウ、イチョウ)と筆記したつもりのものが、製本時に誤植されてしまったのだとされる。
 しかしリンネは『Mantissa plantarum II』(1771年)にこのまま引用し、Ginkgo を属名とした。1819年には、ゲーテが『西東詩集』のなかで Ginkgo の名を用いている。Ginkgo は発音や筆記に戸惑う綴りでもあり、また植物命名規則73条に従うなら誤植などは訂正すべきだが、いまのところはそのまま用いられつづけている。

 なるほど、ケンペル(・・つづりは Kempfer なので正確にはケンプファー)の『・・』は、日本事情を書いた定番の書籍として欧州ではよく知られたものであったが、スウェーデンの分類学者リンネはケンペルからイチョウをしったわけだ。

 ついでだから、ゲーテの『西東詩集』(West-Osterlich Divan, )も見ておこうか。「いちょう葉」(Gingko Biloba:ギンコ・ビローバ)という学名をタイトルとした詩が収録されている。1815年の作である。

東の邦よりわが庭に移されし
この樹の葉こそは
秘めたる意味を味わわしめて
物識るひとを喜ばす

こは一つの生きたるもの
みずからのうちに分かれしか
二つのものの選び合いて
一つのものと見ゆるにや

かかる問いに答えんに
ふさえる想念(おもい)をわれ見いだせり
おんみ感ぜずや わが歌によりて
われの一つにてまた二つなるを

(出典):『西東詩集』(ゲーテ、小牧健夫訳、岩波文庫、1962)P.128


 イチョウの葉がふたつにわかれていることを詠み込んだ詩だが、「二つなのに一つ」というコンセプトは、プラトン的というか、錬金術的なニュアンスを感じる詩である。ゲーテが思いを寄せていたマリアンヌという人妻への愛を歌ったものでもあるらしい。ゲーテはこの詩を、二枚のイチョウの葉とともに自筆の書簡として贈っている(下の写真)。




 植物学者でもあった博物学のひとゲーテならではの愛の詩でもある。科学者としての側面を抜きにしてゲーテを語るのは片手落ちというものだ。まさにイチョウの葉のごとく、科学精神と文学はゲーテの両輪である。

 科学精神といえば、イチョウの精子を発見したのはなんと日本人である! よほどイチョウは日本人に縁が深い植物なのだな。イチョウの生殖は、高校の生物学の授業で習うことだ。

 種子植物であるイチョウにも精子があることを世界で初めて発見したのは、帝国大学理科大学(現・東京大学理学部)植物学教室に画工として勤務していた平瀬作五郎(1856~1925)で 1896年のことであった。そのことを記念した石碑が、現在は東大に所属する小石川植物園のなかにある。

 明治時代には、専門の教育を受けていない学者が大きな発見を行っている例が少なくない。この記念碑は、ぜひ一度たずねて見てほしいものだ。


 寒くなってきてそろそろ鍋の恋しい季節。ギンナンは鍋物で食べるか、あるいは焼いて塩をつけてビールとともに食べるか。

 「花より団子」ではないが、「枯葉よりギンナン」かな? 

 団子もギンナンも、串に刺すという点は共通しているしね。




<関連サイト>

ゲーテと植物 I 長田敏行 (小石川植物園後援会ニュースレター 第29号)
ゲーテと植物 II 長田敏行 (小石川植物園後援会ニュースレター 第30号)

(2014年5月10日 項目新設)







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・・今回のイチョウの記事では意図したわけではないが、奇しくも与謝野晶子とゲーテを一緒に扱ったが、この記事では配偶者であった与謝野鉄幹とゲーテを一緒に扱っている

市川文学散歩 ①-葛飾八幡宮と千本いちょう、そして晩年の永井荷風

(2014年5月10日 情報追加)






(2012年7月3日発売の拙著です)









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