(湯島聖堂内部に祀られた孔子像 筆者撮影)
上野の国立西洋美術館に「ルーベンス展」をに行って、そのあと初詣で「摩利支天徳大寺」をお参りしたあと、上野からそのまま歩いて南下してお茶の水方面に移動する。もちろん、スマホのナビに導かれて。
「湯島天神」ではなく「湯島聖堂」。よく混同しがちだが、おなじ「受験の神様」(?)といっても、天神様こと菅原道真を祀った湯島天神と、徳川幕府の学問所で孔子を祀った湯島聖堂はぜんぜん別物だ。共通するのは湯島にあるという点と、学問関係ということだけだ。
湯島聖堂のなかに入って参観しながら、ベトナムはハノイの文廟(=孔子聖堂)を想起していた。ハノイは漢字で「河内」と書くように、「越南」と漢字で表記するベトナム(ほんとうはヴィエト・ナムと表記すべきだろう)は中華文明圏に属する。儒教もまた、ベトナムは受け入れてきた。
湯島聖堂の内部では孔子像を祀っているほか、机と椅子が配置され、儒教関係の用具が机上に置かれている。ハノイの文廟も似たようなものだが、もっと濃密な空間である。温帯の日本とは異なり、東南アジアという熱帯世界であることも、そういう印象をもたらすのかもしれない。
あまり話題にならないが、ベトナムも儒教国である。しかも、儒教と道教、そして大乗仏教という「中華文明三点セット」をすべて備えているのは日本や朝鮮とおなじである。
ただし、日本の儒教とベトナムの儒教の違いは、江戸幕府という軍事政権は文治政策を採用したにもかかわらず、世襲の武士を文武両面にわたる官僚としたため「科挙」を行わなかった(・・いや、行えなかったともいえる)のに対して、中国の支配を受けた皇帝統治下の越南(ベトナム)では「科挙」が行われてきた点だろう。11世紀から1919年まで約800年以上にわたって実施されていた。文廟で科挙が実施されていた。
かつて中国文明圏に属していた周辺国の、儒教の受容のされ方を考えると面白い。日本とベトナム以外では、「小中華」を自称した朝鮮は科挙を行っている。
日本で科挙の影響が表れたのは、むしろ明治時代になってからだ。それも中国からの直接の影響ではなく、いったんフランスを経由して間接的な影響としてである。「近代化」の一環としての教育制度とそれにともなう試験選抜として影響が始まったのである。
18世紀フランスの啓蒙思想家たちは、科挙も含めて中国の諸制度を礼賛していたのである。身分によらず試験で平等に選抜する制度として。その名残が、フランス革命以降、現在までつづくグランゼコール(=大学校)によって生み出される「一握りのエリート」が官僚として支配する中央集権制として強固に生きている。近代日本は、そのフランスをモデルにすることによって、間接的にではあるが、儒教の理想を一部実現したことになるわけだ。
考えてみれば、不思議な話ではないか!
(側面から見た湯島聖堂内部 筆者撮影)
湯島聖堂のなかに入って参観しながら、ベトナムはハノイの文廟(=孔子聖堂)を想起していた。ハノイは漢字で「河内」と書くように、「越南」と漢字で表記するベトナム(ほんとうはヴィエト・ナムと表記すべきだろう)は中華文明圏に属する。儒教もまた、ベトナムは受け入れてきた。
湯島聖堂の内部では孔子像を祀っているほか、机と椅子が配置され、儒教関係の用具が机上に置かれている。ハノイの文廟も似たようなものだが、もっと濃密な空間である。温帯の日本とは異なり、東南アジアという熱帯世界であることも、そういう印象をもたらすのかもしれない。
あまり話題にならないが、ベトナムも儒教国である。しかも、儒教と道教、そして大乗仏教という「中華文明三点セット」をすべて備えているのは日本や朝鮮とおなじである。
(ハノイの文廟 筆者撮影)
(ハノイの文廟内部 筆者撮影)
かつて中国文明圏に属していた周辺国の、儒教の受容のされ方を考えると面白い。日本とベトナム以外では、「小中華」を自称した朝鮮は科挙を行っている。
日本で科挙の影響が表れたのは、むしろ明治時代になってからだ。それも中国からの直接の影響ではなく、いったんフランスを経由して間接的な影響としてである。「近代化」の一環としての教育制度とそれにともなう試験選抜として影響が始まったのである。
18世紀フランスの啓蒙思想家たちは、科挙も含めて中国の諸制度を礼賛していたのである。身分によらず試験で平等に選抜する制度として。その名残が、フランス革命以降、現在までつづくグランゼコール(=大学校)によって生み出される「一握りのエリート」が官僚として支配する中央集権制として強固に生きている。近代日本は、そのフランスをモデルにすることによって、間接的にではあるが、儒教の理想を一部実現したことになるわけだ。
考えてみれば、不思議な話ではないか!
<関連サイト>
Confucian court examination system in Vietnam(Wikipedia英語版)
・・ベトナムの科挙のシステムについて。「The Confucian court examination system in Vietnam (Chinese: 越南科舉制度, Vietnamese : Chế-độ khoa-cử Việt-nam ; 1075 – 1913) was a system for entry into the civil service modelled on the Imperial examination in China, based on knowledge of the classics and literary style.」
ベトナムにおける儒教と「二十四孝」(佐藤 トゥイウェン、「東アジア文化交渉研究」関西大学、2015)
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(2023年10月19日 情報追加)
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書評『朱子学入門』(垣内景子、ミネルヴァ書房、2015)ー 日本人の思考を見えないとことろで支配している「朱子学」のさわりに触れる
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書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・文化人類学者の泉靖一氏による比較文明論がある
書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)-「日本文明」は「中華文明」とは根本的に異なる文明である
書評 『「紙の本」はかく語りき』(古田博司、ちくま文庫、2013)-すでに「近代」が終わった時代に生きるわれわれは「近代」の遺産をどう活用するべきか
・・いわゆる「儒教圏」にありながら儒教の影響がもっとも少ないのが日本である
JBPress連載コラム第41回目は、「デモと暴動の国、露わになったフランスの本質-国を動かすのは「一握りのエリート」」(2018年12月18日)
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