2023年11月18日土曜日

書評『イスラエルとは何か』(ヤコブ・ラブキン、菅野賢治訳、平凡社新書、2012)ー 「正統派ユダヤ教徒」は伝統的なユダヤ教の立場から「シオニズム」がもつ暴力性を批判し、国家としてのイスラエルの存在そのものを否定する



「イスラエル神話」の解体は、イスラエル内外で「新・歴史家」とよばれる「左派」の歴史家たちだけが行っているのではない。

「ユダヤ教の正統派」は、宗教の立場から、イスラエルという国家の存在そのものを批判するラディカルな主張が行われてきた。


ユダヤ史の研究者でもある訳者によれば、日本語版もでている大著『トーラーの名において ー シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史』(平凡社、2010)の要約版で、かつ増補改訂版とのことだ。日本語版オリジナルの内容である。

その後、『イスラエルとは何か』はさらに改訂され、英語版 What is Modern Israel? として2016年に出版されている。ロシア語版もあるという。もちろん、2023年時点では著者の思索はさらに深まっていることだろう。




『イスラエルとは何か』もまた、購入したまま11年(!)も積ん読のまま文字通りほこりをかぶっていた。『ユダヤ人の起源』(シュロモー・サンド、高橋武智監訳、佐々木之/木村高子訳、ちくま学芸文庫、2017)を読み終えたあと、この本も読まなくてはと思ったのである。

実際、両者をあわせて読めば、「イスラエル神話」とその問題が複眼的に理解できることになる。


「シオニズム」は、ロシア生まれの思想であり、しかもプロテスタント系キリスト教の影響下に育まれたものである。著者の主張を大胆に要約してしまえば、そういうことになる。

イスラエルが、暴力に対してそれをはるかに上回る暴力で応酬し、植民地主義的な拡張主義を放棄することがないのはそのためだ。

シオニズムは、伝統的なユダヤ教徒とは無縁の「イデオロギー」なのである。それが、本書の結論であり、イスラエルという国家を論じる議論の前提となる。



■シオニズムは帝政末期のロシア生まれ

シオニズムがロシア生まれであること、しかも帝政末期のロシアで生まれたことは、破壊活動やテロなど暴力も辞さない姿勢を受け継いでいることを意味している。

シオニズムは、帝政ロシア時代の閉塞感を打ち破るためにおこったユダヤ人による思想運動の1つであり、社会民主党(エスエル)その他の「ソーシャリズム」(=社会主義)系統の過激な運動と類似した性格をもっている。

また、「ロシア革命」で最終的に覇権を握ったボルシェヴィキには、いわゆる「民主集中制」という「革命エリート」が一般大衆の上に立って指導するという組織構造を基本としていた。シオニストもまた同様である。

その主たる担い手は、スターリンやトロツキーの評伝で知られる、マルクス主義の歴史家であったアイザック・ドイッチャーの有名な表現をつかえば、ユダヤ教の宗教伝統から離脱した「非ユダヤ的ユダヤ人」(Non-Jewish Jews)、つまり世俗的なユダヤ人で知識階層の若者たちであった。

ロシア帝国の版図内で、近代化が始まった時代に生まれた彼らは、自分が受けた高等教育に見合った仕事がないという現状への不満と焦燥感が鬱積していた。

その状況を打破するため、さまざまな思想運動が生まれていたが、そのなかでも階級闘争を主眼においた「社会主義」よりも、「民族主義」を前面に打ち出したのが「シオニズム」なのである。

暴力を肯定するロシア生まれのシオニズム。ロシアのもつ暴力性と人命軽視の姿勢が、2021年に始まり、いまなおつづいている「ウクライナ戦争」でも存分に発揮されている現実と、重なって見えてくるのは、わたしだけだろうか。



■シオニズムは、キリスト教の影響下で生まれたイデオロギー

プロテスタント系キリスト教の影響下に生まれたとは、シオニズムは民族主義を前面に打ち出していながら、ユダヤ教の伝統とはことごとく真逆の立場に立っていることを意味している。

本来のユダヤ教には暴力的な要素などまったくない宗教的な少数派として生きる処世術を内在化したものとなっていた。シオニストたちは、それこそがユダヤ人を卑屈にしているのであり、暴力に対しては暴力で抵抗せよという姿勢を打ち出していった。ホロコーストも、そのような観点から見ていたのである。

そもそも「民族」という概念じたい、プロテスタント系のキリスト教から生まれてきたことは「常識」といっていい。カトリックと違って聖書を重視し、しかも旧約聖書を重視したプロテスタントは、旧約聖書のヘブルびとをその模範としたのであった。

この思想潮流は、まずは英国ではじまり、おなじくプロテスタント立国の米国へ、そして英国の影響下で始まった「フランス革命」を経てドイツに波及する。その思想は中東欧やロシアへと拡がっていった

シオニズムは、ユダヤ人だけのものではない。まずはキリスト教シオニズムが先行している。その先行者として英国の外交官であったローレンス・オリファントがいた。

本書では触れられていないが、オリファントは日本とは縁が深い。幕末の日本に一等書記官として赴任して英国公使館焼き討ちテロに遭遇しているが、帰国後には森有礼など薩摩藩出身の日本人留学生と密接な関係をもっている。

晩年はキリスト教シオニストとしてパレスチナに移住し、活発な言論活動を行っていたことは、逆に日本人の常識とはなっていないようだ。

さて、著者の主張をわたしなりに言い換えると、以下のようになる。

イスラエル建国にあたって、ベングリオンなどシオニストの指導者立ちは「旧約聖書」を持ち出してきたが、それはあくまでも多様なバックグランドをもつ「帰還者」を統合するためのシンボルとしてであり、国家への「求心力」をつくりだすために活用したのに過ぎないのである。

「ユダヤ人国家」を志向している以上、それが「民族国家」(ネーション・ステート)であるためには、プロテスタント国におけるキリスト教の代替となる「統合シンボル」が必要だ。

とはいえ、キリスト教をもってくるわけにはいかない。だから、「宗教性抜きの疑似宗教」として旧約聖書を前面にだしてきたのである。だが、それは伝統的なユダヤ教とはまったく違うのだ、と。

これは、明治維新後の日本が「民族国家」として「西欧近代化」を推進するため、キリスト教の代替物として、民族宗教から「国家神道」をつくりあげたのとおなじ構図であろう。明治政府は、「国家神道」は宗教ではないと強弁していた。

イスラエルは、明治維新から80年後の「復古革命」の装いによる、後発組の「民族国家」(ネーション・ステート)樹立の事業であった。日本人の目から見ると、建国から75年を経過したイスラエルが、戦前の日本とおなじ過ちを繰り返していることが見えてくる。

建国前から「正統派ユダヤ教徒」(ハレディーム)は、一貫してイスラエルという国家そのものを否定してきたのである。これはイスラエル国内でもそうであり、イスラエル国外においてもそうなのだ、と。

「新・歴史家」とよばれる「左派」の歴史家が、ある程度までイスラエルでは許容されているのに対し、「超正統派」の反イスラエルの立場はイスラエルでは抑圧されてきたという。それだけ根源的な批判であるからだろう。

「反イスラエル」を声高に主張していたイランのアフメディネジャード大統領(当時)の招きで、テヘランで開催されたホロコースト会議に出席した「超正統派」のラビたちが、大統領と抱き合って親しく接している。様子を見ると、「常識」が揺さぶられるのを感じることだろう。

この動画を視聴すると、イスラエル政府として許しがたいことは容易に想像がつく。超正統派のラビたちの行動は、イランという宿敵を利する行為とみなされているのである。





諸悪の根源はシオニズムにありとする「正統派ユダヤ教徒」

「正統派ユダヤ教徒」の立場からすれば、もともと平和的に共存していたパレスチナのユダヤ教徒とアラブ人を分断したのはシオニズムである。

西洋植民地主義の申し子であるシオニズムは、不安心理による安全確保という点から、無限にバッファーゾーンを確保し、結果として拡大することがプログラミングされている。拡張主義のワナにはまってしまった以上、そこから逃れることは容易なことではない。

戦前の日本が、朝鮮半島を領有したあとも、満洲へと拡大していった事情とよく似ている。占領地への入植活動が行われたことも似ている。その末路を知っている日本人からすれば、イスラエルについても同様の懸念を感じざるをえない。

また、ロシア生まれでキリスト教の影響下にあるイスラエルの支配階層は支配階層は、「白人至上主義」的姿勢のもと、パレスチナ人だけでなく、ユダヤ系アラブ人も見下してきた。

そんなイスラエルに対して、米国の福音派のキリスト教徒が熱烈に支持してきた。イスラエルは聖書の大地であるだけでなく、「前千年王国説」(Pre-Millennialism)をベースにした思想をがあるからだ。

福音派の「前千年王国説」とは、イスラエルの地にユダヤ人が集中し、その地でユダヤ人がキリスト教に改宗することで、キリストの「再臨」が加速化され、信者は救済されるという信仰である。

さらに2001年の「9・11」以降、米国が「イスラエル化」している。テロに対して、それをはるかに上回る暴力で応酬するという姿勢。国家全体が安全保障のハリネズミ状態となっている。

そんな米国の支配層が、福音派の熱烈な支持を受けるため、イスラエル支持に前のめりになる現状は止まることないことは、今回のイスラエルの「10・7」においても露骨に示されている。共和党であろうと民主党であろうと、米国の政財界の支配層にとってはイスラエル支持に違いはない。

だが、その結果、世界中でうねりのように巻きおこっている「パレスチナ支持」(=反イスラエル」)の運動が、そのまま「反ユダヤ主義」にダイレクトに結びついてしかねないのが問題なのである。

米国ではZ世代とよばれる若年層を中心に、ユダヤ人のあいだからも停戦を求める声が上がっているのだ。"Not in Our Name": 400 Arrested at Jewish-Led Sit-in at NYC's Grand Central Demanding Gaza Ceasefire(Democracy Now  2023年10月31日)。ユダヤ人だからといって、無条件にイスラエルを支持しているのではないことが可視化されている。

イスラエル軍による無慈悲なまでのパレスチナ人の殺戮行為が、かえってイスラエル国内外のユダヤ人の安全を脅かす結果をもたらしている不条理ともいうべき状況。このことにイスラエル人は気がつかなくてはならない。

繰り返しいうが、ユダヤ人だからといって、シオニストではない。その意味をよく熟知しておかなくてはならない。反シオニズムや反イスラエルが、そのまま反ユダヤ主義につながらないよう、大いに注意しなくてはならない。

そのためには、「超正統派」のユダヤ教徒のように、イスラエルという国家そのものを否定する必要はない。当然の話である。すでに建国されてから75年以上もたっている国家の存在を否定するのは、現実的ではない。この間のイスラエルの成果は、誰も否定できないはずだ。

とはいえ、ユダヤ人でもユダヤ教徒でもない日本人も、イスラエルという国家の「起源」について知っておく必要がある。

イスラエルには、「戦前日本」の誤りを繰り返してほしくない。そう思うのは、わたしだけではないと思っている。






目 次 
第1章 今日のイスラエル 
第2章 ヨーロッパのユダヤ教徒とユダヤ人 ― 平等と絶滅のはざまで 
第3章 シオニズムのキリスト教的起源 
第4章 シオニズムの企図 
第5章 シオニスト国家の形成と維持 
第6章 ユダヤ教の伝統にとって “イスラエルの地” が意味するもの 
第7章 ナチスによるジェノサイド、その記憶と教訓 
第8章 シオニズムに対するユダヤ世界内部からの抵抗 
第9章 変貌するイスラエル社会とユダヤ共同体 
第10章 国際的視点から 
訳者あとがき
用語集


著者プロフィール
ヤコヴ・M.ラブキン(Yakov M. Rabkin)
1945年、旧ソ連・レニングラード(現サンクト=ペテルブルグ)生まれ。レニングラード大学で化学を専攻、モスクワ科学アカデミーで科学史を学ぶ。1973年以来、カナダ・ケベック州モンレアル(モントリオール)大学で歴史学を講じる(現在、同大学教授)。科学史(とりわけSTS「社会における科学と技術」の観点から)、ロシア史、ユダヤ史を専門とする 

日本語訳者プロフィール
菅野賢治(かんの・けんじ) 
1962年、岩手県生まれ。パリ第10大学博士課程修了。一橋大学法学部助教授、東京都立大学人文学部准教授を経て、東京理科大学理工学部教授。専門はフランス語フランス語圏文学。『反ユダヤ主義の歴史 全5巻』(レオン・プリアコフ)など著訳書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)



■補論 「第3章 シオニズムのキリスト教的起源」 

「キリスト教シオニズム」のほうが先行していた件については、英米だけではなくオランダのそれについても見ておくべきであろう。

本書には言及はないが、南アフリカの支配者であるブール人(=ボーア人、アフリカーナー)もまたオランダ系であり、プロテスタント系のキリスト教徒であった。「白人至上主義」のかれらが「アパルトヘイト」政策を実行していたのである。

以下の記述を読んでみてほしい。

そして非ヨーロッパ世界にかんするかぎり、プロテスタンティズムの与えた影響はあまりないか、あっても望ましくないものであった。というのもプロテスタンティズムの予定説は、選民思想と結びついて、ヨーロッパ人以外を「人間」として認めない方向に向かったからである。・・(中略)・・北米大陸のインディアンの場合に明らかなように、プロテスタントは彼らを人間として認めず、殺戮、殲滅をもって恥じないどころか、それを神の摂理の名のもとに正当化したのである。地球上で最後まで公式にアパルトヘイト(人種隔離)政策を維持しつづけたのがオランダ系カルヴァン派の子孫の建国した南アフリカ共和国であったのは、偶然ではない。(『宗教改革とその時代(世界史リブレット)』(小泉徹、山川出版社、1996) P.85~86 より引用 太字ゴチックは引用者=さとう)


「白人至上主義」にもとづく「アパルトヘイト」は、なんと1991年(!)まで撤廃されなかったのである。



<関連サイト>



・・「反シオニスト」の超正統派は平和を呼びかける  

・・「アルジャジーラ」に登場していることに注目





<ブログ内関連記事>





■ロシア帝国とアシュケナージ系ユダヤ人

・・なぜユダヤ人はこの地域で「反ユダヤ主義」の暴力の発現である「ポグロム」の被害者になったのか

・・「ポグロム」について。ユダヤ人革命家について。

・・帝政ロシア時代の末期の革命運動には、社会革命党(エスエル)の武装部門である社会革命党戦闘団を率いる革命家サヴィンコフの同志として、多数のユダヤ人が男女を問わず積極的にテロに参加していた。


■宗教改革とプロテスタント。福音派の「前千年王国説」と熱烈なイスラエル支持

・・米国のベストセラー小説『レフト・ビハインド』の映画化。「前千年王国説」(Pre-Millennialism)をベースにした福音派の思想をベースにしたもの。聖書を文字通りに信仰する「終末論」の一種である。福音派の「前千年王国説」とは、イスラエルの地にユダヤ人が集中し、その地でユダヤ人がキリスト教に改宗することで、キリストの「再臨」が加速化され、信者は救済されるという信仰である。だからこそ、信者たちはイスラエルを熱烈に支持している。

・・聖書の大地である「イスラエルへの特別の思いを語るプロテスタント神学者」という立ち位置からのポジショントークカトリックとは違ってプロテスタントは、ローマではなくエルサレムを見ている
キリスト教徒でも、カルヴァン派でも、福音派のプロテスタントでもない一般読者は、佐藤優氏の発言は、その点を意識してポジション・トークとして読む必要がある。逆からみたら、なぜイスラエルは福音派プロテスタントを盲目的に引き寄せるかという証明にもなっている

・・プロテスタント系の過激宗教思想。ニューヨーク生まれでイスラエルに移植された極右派のユダヤ教原理主義である「カハネ主義」。


書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティグ」を考えるヒントに
・・イスラエルを熱烈に支持する日本のキリスト教団体である幕屋(まくや)についても「第6章 第二波の土着運動」のなかで「 3. 手島郁郎と原始福音運動」として取り上げられている

・・「アパルトヘイト政策」を1991年まで実行していた南アフリカは、オランダ人植民者であるブール人が開拓した国。その後ブール戦争で英国領となった。


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