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2023年11月16日木曜日

書評『ユダヤ人の起源』(シュロモー・サンド、高橋武智監訳、佐々木之/木村高子訳、ちくま学芸文庫、2017)ー 「ユダヤ人という発明」がいかに行われてきたか、批判を恐れぬユダヤ系イスラエル人の歴史家が挑んだ「イスラエル神話解体全書」

 
2023年10月7日の 「10・7」が起きなかったら、おそらくこの本は積ん読のまま、さらに何年も過ぎ去ることになっていただろう。

ガザのパレスチナ自治区から越境し、イスラエルに仕掛けてきた武装組織ハマスの凄惨なテロ事件。このテロ攻撃でイスラエル側には1,400人の死者、そして詳細はあからないが多数の負傷者が発生しただけでなく、拉致されていまだに人質になっている240名がいる。そのなかには外国人も含まれる。

最初は、無条件でイスラエルを支持する声が世界中で上がっていた。このテロ攻撃の衝撃の大きさを考えれば当然だろう。

だが、「ハマスを殲滅する」という声高な叫びのもと、ガザ側の巻き添え被害の民間人の死者はすでに1万人を超え、地上作戦も開始され、ハマスの地下トンネルに対する攻撃も行われている。

ガザ側の死者が増大し1万人を超え、イスラエル側の死者をはるかに超えただけでなく、戦争がさらにエスカレートするにつれ、パレスチナ支持のデモが世界各地で拡大している。当然といえば当然だろう。

米国ではユダヤ系の若者でさえ、イスラエル批判のデモを行っている人たちもいる。"Not in Our Name": 400 Arrested at Jewish-Led Sit-in at NYC's Grand Central Demanding Gaza Ceasefire(YouTube 2023年10月31日)などの動画を見るとよい。その事実を知ったとき、わたしのなかでもなにかが変わり始めた。

現在のイスラエルのやっていることはおかしいのではないかイスラエルとユダヤ人は不可分の存在ではなくなっている、いやそもそもユダヤ人が無条件でイスラエルを支持しているわけではないのではないか、と。そんな疑問がわいてきたのだ。

時代は変化しているのである。人びとの考えに変化がでてきても当然ではないか、と。

となると、イスラエルという「国家の起源」について考えなくてはならなくなる。「民族国家」(ネーション・ステート)であるイスラエルが規定しているユダヤ人とはそもそもいかなる存在かについて考えなくてはならなくなる。

さまざまな疑問があらためて湧き出てくるのを感じてきたのである。


■「ユダヤ人」は「発明」された概念である

ユダヤ人の起源が、パレスチナの地だけではないことは、すでに「常識」だといっていいだろう。

なぜなら、ユダヤ人として十把一絡げにくくることが不可能なほど、出身地の地域性を反映して大きく異なっている人たちの集団であることは自明だからだ。テュルク系の「ハザール王国」の話など、聞いたことのある人も少なくないはずだ。ユダヤ人は人種概念ではない。

というわけで、この機会を利用して、積ん読になって5年以上もたっていた『ユダヤ人の起源』(シュロモー・サンド、高橋武智監訳、佐々木之/木村高子訳、ちくま学芸文庫、2017)を読むことにした。なにごともタイミングというものが重要だ。どの本には、読むのに適した時期というものがある。

批判を恐れぬユダヤ系イスラエル人で、テルアビブ大学の歴史学の教授が挑んだ力作である。日本語版は文庫版で600ページを超える大冊なので、さすがに一気読みというわけにはいかない。

日本語版は「ユダヤ人の起源」となっているが、英語版のタイトル The Invention of the Jewish People にしたがえば、「ユダヤ人という発明」とするべきだろう。それは過去のある時点から始まった「発明」であるからだ。

この本はわたしなりに言い換えれば、「イスラエル神話解体全書」とでもいうべき内容の本である。もともとヘブライ語で書かれ、2008年にイスラエルで出版されたのだという。


(イスラエルで出版されたヘブライ語版 Wikipediaより


著者自身が2010年の単行本出版時に寄せた「日本語版への序文」によれば、イスラエルで出版された当時、電波メディアでも活字メディアでも積極的に取り上げられ、一般読者層からは強い関心をもって受け止められたという。

この事実から、ほかならぬユダヤ系イスラエル人自身が強い関心をもっているテーマだということがわかる。

ところが、専門家である歴史家たちからは、過剰なまでにネガティブな反応や著者に対する攻撃を引き起こしたのだという。「建国神話」という神聖なるタブー領域を侵犯しているからだ。

「ユダヤ人の起源は聖書の地」であるという前提が崩れると、民族離散(ディアスポラ)から2000年後に「父祖の地」に「帰還」したという「神話」が崩壊してしまう。「ユダヤ人国家」であるイスラエルの存立基盤が崩壊しかねないのだ。

リアクションの大きさから、この「歴史家」の立ち位置がわかる。あえて分類すれば「左派」というこのになるのだろう。神話を歴史とみなす「右派」と比較すれば、立ち位置はおのずから明らかである。

わたし自身は左派ではなく、政治的なリベラル派ではないが、著者のような歴史家こそ、本来の意味の歴史家だと思うのである。とはいえ、イスラエルもまた「御用学者」が幅をきかせているのだろう。過去を異なる視点で読み変えることこそ、歴史学の本来のミッションであるはずなのだが・・。

日本語版はフランス語版からの翻訳だが、著者自身フランスで学んだ歴史学者でフランス語にも堪能なことからフランス語版も監修しているはうだ。英語版よりフランス語版のほうが、論理展開が緻密だと監訳者が書いている。


(フランス語版 Comment le peuple juif fut invente


■ロシアで生まれた「シオニズム」というイデオロギー

そもそもユダヤ人は歴史的思考が希薄であった。この点はインド人とおなじである。旧約聖書のヘブルびとは古代文明の担い手であったが、ヘロトドスを生み出した古代ギリシア人や司馬遷を生み出した古代中国人とは違う。

そんなユダヤ人だが、知識階層が「ユダヤ人の歴史」に取り組みはじめたのは「近代」になってからのことだ。その動きは、まずドイツから始まり、その流れはロシアに拡がっていった。ここ2世紀の話に過ぎない。

中東欧からロシアにかけて居住していた、いわゆるアシュケナージ系のユダヤ人のなかから生まれてきたのが「シオニズム」という思想である。

ロシア帝国はユダヤ人に居住地域を定め、移動に制限をかけていた。英語では "Pale" という。アシュケナージ系ユダヤ人は限定された領域で人口爆発状態となっており、反ユダヤ主義が「ポグロム」という暴力的な形で激化したのがこの地域のことであった。現在のロシアやウクライナである。

中欧のハプスブルク帝国、すなわちオーストリア・ハンガリー帝国のブダペストで生まれたユダヤ系のジャーナリストのテオドール・ヘルツルが提唱したのが「シオニズム」の始まりだ。ヘルツルの夢は、「ユダヤ人国家」の樹立であった。

「シオニズム」は、「ユダヤ人国家」(Jewish state)という「ユートピア」を実現するために生み出されたイデオロギーである。

父祖の地である「シオン」(Zion)への帰還がその主張の根本にあるので、最終的に「シオニズム」と命名されたわけだ。そんなシオニストの夢が実現したのがイスラエルである。イスラエルが「イデオロギー国家」であるとは、そういうことだ。

ところが、その「シオニズム」は、「キャピタリズム」(=資本主義)や「コミュニズム」(=共産主義)と同様に、あくまでも「イズム」としての「主義」であり「イデオロギー」であって、ユダヤ人なら自動的に支持するイデオロギーではない

よくよく考えてみれば、これは当然の話である。おそらく、現在イスラエルに居住する一般のユダヤ系イスラエル人であっても状況はおなじだろう。「イズム」というものは、意識的に選択するものであって、生まれながらに身につけているものではない。教育を受けても主義者になるとは限らない

現在の日本に住む「日系日本人」の多くが、神社では柏手を打ち、皇室はリスペクトしながらも「天皇主義者」ではないのとおなじことだ。ビジネスパーソンだからといって「キャピタリスト」というわけではない。

つまり、日常生活に忙しい世俗的な一般人にとっては、「イズム」や「イデオロギー」にこだわる理由などまったくない。なんらかのイデオロギーを主張する右派も左派も、日本人のマジョリティではない。

ただし、シオニズムの担い手は、建国後から「労働シオニスト」とよばれた社会主義の左派であったが、オスロ合意に反発する右派によってラビン首相が暗殺された1995年以降は、「宗教シオニスト」とよばれる右派に移行している

現在のネタニヤフ首相の祖父は、当時はロシア帝国に属していたリトアニア生まれで、1920年代にパレスチナに移民してきた人である。ヘルツルの思想に共鳴した筋金入りのシオニストであった。


■「神話」を歴史とみなすことの問題性

日本で出版されている「ユダヤ史」にかんする本は、そのほぼすべてが絵に描いたようなナラティブで構成されている。

「旧約聖書」の時代から始まって、「ディアスポラ」という「民族離散」後の2000年を経て、イスラエル建国によって父祖の地に戻ったというストーリーが骨格になっている。

極端な場合は、ディアスポラ以降の歴史がまったく言及されないまま、旧約聖書時代からいきなり20世紀のナチスドイツによる絶滅収容所の話が登場し、ホロコーストから生き延びたユダヤ人たちは「民族として生き残るためには自分たちの国を持たねばならない」として、イスラエル建国に至ったというストーリー展開となる。

もちろん、これはあまりにも単純化されたナラティブであり、しかも正確さを欠いている。間違いも含んでいる。

もしかすると、旧約聖書とイスラエルがダイレクトに結びつけるのは、なにか意図的な仕掛けがあるのではないか? そういう疑問をもつことは重要だ。

だからこそ、「イスラエル建国」の「前史」を知らなくてはならないのだ。

「シオニズム」というイデオロギーが生まれてきた背景と、「民族」(=ネーション)としての「ユダヤ民族」という概念と「ユダヤ史」が生まれてきた経緯、そして「聖書の地」以外で生きてきたユダヤ人の実態とその歴史を知らなくてはいけないのである。


英語版


本書は、まず「はじめに」で、著者自身とその親族、関係者の多様で複雑なアイデンティティが事例として紹介される。一口に「ユダヤ人」といっても、いかに多様なバックグランドをもった人たちあるか、具体的に理解されることになる。

本書で精緻に検証される前提して、「第1章 ネイションをつくりあげる ー 主権と平等」では、「ネーション」と「ナショナリズム」についての理論的考察が行われる。これについては後述の「補論」を参考にされたい。

「第2章 「神話=史」ー はじめに、神がその民を創った」では、旧約聖書の「神話」が歴史とされてきた背景について、「第3章 追放の発明 ー 熱心な布教と改宗」と「第4章 沈黙の地 ー 失われた(ユダヤの)時を求めて」では、知られざるユダヤ史の実相についての解明が行われる。

最終章の「第5章 区別 ー イスラエルにおけるアイデンティティ政策」では、「ユダヤ人国家」としての「イスラエル建国」に先立って行われた、「ユダヤ人」の定義をめぐって行われた、ナチスドイツの人種理論を想起させるような「生物学的」、つまり「遺伝学的」な論争について検証が行われる。

この精緻な検証作業によって明らかにされたのが、ユダヤ民族の神話と起源は「近代」の創作物であるということだ。「ユダヤ人」という概念は、ここ2世紀の産物に過ぎないのである。「神話」といっても差し支えないだろう。

「第2章 「神話=史」ー はじめに、神がその民を創った」で重要なのは、「第3次中東戦争」(1967年)の結果、東エルサレムを領有するに至ったイスラエルだが、その後行われた考古学の調査によって「意図せざる結果」が生み出されてしまったことだ。

つまり、エルサレム周辺には、ユダヤ人が集住していたような痕跡、物的証拠は発見されなかったのである。「神話」は考古学によって否定されたのである。旧約聖書の神話を根拠としていたイスラエルの根拠が崩れ去ったのである。

「聖地」はあくまでも「聖地」であって、信者が尊崇する地であり巡礼の目的地ではあっても、集住する地域ではないのである。

これは考えてみれば当然のことだろう。キリスト教徒にとっても、イスラーム信者にとっても、聖地としてのエルサレムは、あくまでも巡礼地である。

このように考えていくと、「ガザに原爆を投下せよ」などという勇ましく響くが、非現実的で言語道断な放言をする国会議員の存在に端的に現れているように、「極右派」が必要以上に過激な主張をする理由もわかってくる。

「聖地」にユダヤ人が集住していたという「神話」が、考古学を初めとする学術研究によって史実ではないと否定されているからこそ、その主張にはムリがあるとうすうすと感じながらも「イデオロギー」にしがみつかざるを得ないのだ。「極右派」は、心理的に追い詰められているのである。

どうしても「アパルトヘイト」にしがみついていた、南アフリカの「白人至上主義」のことを想起してしまう。


■ユダヤ教はかつて熱心な「布教活動」を行っていた!

おそらく「ユダヤ人の起源」というテーマで関心が集中するのは、「第3章 追放の発明 ー 熱心な布教と改宗」と「第4章 沈黙の地 ー 失われた(ユダヤの)時を求めて」で詳細に検証されている事実についてであろう。

現在は「民族宗教」として積極的な布教活動など行わないユダヤ教だが、かつては熱心な「布教活動」が行われていたのだ。ユダヤ教から分離し、それを否定することで誕生したキリスト教に対抗して布教活動が行われたのである。

驚きの事実である。布教活動によって改宗した人たちの子孫が現在のユダヤ人の大半を占めているのであって、ディアスポラによって離散した人たちの子孫ではないのだ。これもまた「ユダヤ民族神話」の破壊以外のなにものでもない。

アーサ-・ケストラーの著作で有名になった「ハザール王国」だけではないのだ。アラビア半島南端のイエメンでも、紅海を挟んで対岸にあるエチオピアでも、アフリカ北部マグリブのベルベル人もみな、布教活動によって改宗してユダヤ教徒になったのである。

パレスチナの地を含むレバント(=東地中海)の周辺についても、移住者だけでなく改宗者も少なくないと考えるべきであろう。

7世紀のイスラームの誕生後には、中東を発信源にアフリカ北部、さらにはイベリア半島までイスラーム化されていったが、その地域にはユダヤ教の信仰を守り続けた人たちもいたわけだ。

それが「セファルディム」とは異なる、「ミズラヒ」とよばれるユダヤ教徒である。

1492年のイベリア半島から追放され、アフリカ北部やオスマン帝国に難民として移住したユダヤ人教徒がセファルディムとされるが、かれらと関係なく、そのはるか以前から中東からアフリカ北部に居住していたユダヤ教徒もいたのである。

セファルディムはラディーノとよばれるスペイン語系のことばを母語とししゃべり、ミズラヒは出身地の言語であるアラビア語やペルシア語を母語としてきた人たちだ。ア

ラビア語をつかって生きてきたミズラヒは、むしろアラブ系ユダヤ人、あるいはユダヤ系アラブ人というべきなのかもしれない。


■パレスチナ人も聖書時代のユダヤ人の末裔?

つまるところ、おなじユダヤ系イスラエル人といっても、肌の色も容貌も大きく異なるだけでなく、ユダヤ教を信仰してきたという1点を除けば、生活習慣もまったく異なる存在なのである。

もちろん、信仰の濃淡にも違いがあるだけでなく、信仰は形だけでまったく世俗的な生き方をしている人も多い。

さらにいえば、父祖の地とされる「シオン」は、ユダヤ教徒の専有物ではない。

パレスチナの地が7世紀以降にイスラーム化され、ユダヤ教からイスラームに改宗したのが現在のパレスチナ人である。その考え方にたつと、ユダヤ人とパレスチナ人は、宗教が異なるだけで祖先が共通ということになる。

イスラエル建国の父であるベン・グリオンなども、最初はそう考えていたようだ。だが、パレスチナの入植地で勃発した「アラブ人蜂起」(1929年)を機にその考えは放棄したらしい。ユダヤ人とパレスチナ人が共存する国家像は、イスラエル建国前に消滅してしまったのである。


■日本の先例を踏まえれば「神話」解体後の国家像再建は可能だ

本書は600ページを超える大冊であり、取り上げられた事項と文献はきわめて多岐にわたっている。

ある程度までユダヤ史につうじている人なら目にしたことも、耳にしたこともある固有名詞であっても、ユダヤ史の知識を欠いている大半の読者にとっては、読んでもまったく頭に残らないかもしれない。

この本に書いてあることがすべてただしいかどうかについては、部分的に揚げ足をとったり、否定することはそれほどむずかしいことではないだろう。だが、全編について再検証する作業は、けっして容易なことではない

とはいえ、全体としてみれば、大筋ではそのとおりだろうと納得するものがある。「ユダヤ民族」という概念は、近代に生み出されたものであり、旧約聖書の時代からつづいているものではないということだ。

日本だってその事情はおなじである。日本人という概念は、江戸時代中期以降の記紀神話の解読作業をつうじて国学を中心に形成されてきたものだ。

「平田国学」がその一端となって、天皇を統合のシンボルとした万世一系の天皇という「統合のシンボル」をもつ「建国神話」が作り上げられたわけだが、日本人が「ネーション」として確立されたのは、あくまでも日清戦争と日露戦争をつうじてのことであった。「外敵」の存在が「求心力」を生み出したわけである。

島国とはいえ、きわめて多様な自然環境によって育まれた、大いに異なる地域特性をもつ人びとが、共通語としての近代日本語、義務教育と徴兵制を体験することで、はじめてネーションとしての日本国民(あるいは日本民族)がつくりだされたのである。

「建国神話」もさることながら、具体的な制度と仕組みがそれを可能としたのである。

イスラエルにおいても、旧約聖書にもとづく「建国神話」がもちだされたが、中東欧をはじめ世界各地から集まってきた雑多なバックグランドをもつ人びとをまとめるための「統合のシンボル」が必要だったことは、明治維新時点の日本とおなじであった。

「外敵」の存在がイスラエルにおいて求心力を生み出したことは言うまでもない。4次にわたる中東戦争である。

共通語としての近代ヘブライ語と義務教育、徴兵制といった具体的な制度と仕組みをつうじて「イスラエル人としてのアイデンティティ」が形成されてきた。「建国神話」じたい色あせてきた現在でも、イスラエル国民はすでに確立したものとなっている。

******

問題は、「ユダヤ人国家」という理念が強調されて、少数派のパレスチナ人の存在が二等市民扱いとなっていることである。

『イスラエル神話解体全書』ともいうべき本書だが、2008年の出版から15年たって現在にいたるまで、イスラエルの国家像を見直す機運にまでは至っていないようだ。

状況としてはむしろユダヤ系の右傾化が進行している状況だが、「神話解体後」もイスラエルが国家として存続しつづけるためには、「神話抜きの国家像」を模索すべきであろう。今回の「2023年イスラエル・ハマス戦争」がそのきっかけとなることを願う。

日本人もまた、大東亜戦争の敗戦後に歴史から「神話」を追放することによって再生したのである。きわめて大きな代償を払うことになったが、明治維新から70年後のことであった。


『ユダヤ人の起源』のような本が発禁とならないだけ、イスラエル社会にはまだ自由が存在する余地があると言っていいのかもしれない。少なくとも占領地、すなわち植民地を除いた地域では。




目 次 
日本語版への序文
監訳者まえがき
文庫版への訳者まえがき
はじめに ー 記憶の堆積と向かい合って
 変動さなかのアイデンティティと約束の地
 受け継がれてきた記憶と「対抗歴史」 
第1章 ネイションをつくりあげる ー 主権と平等
 「用語の検討」ー プープル(民族)とエトニー(種族) 
 ネイション ー 閉じ込め、境界を定める
 イデオロギーからアイデンティティへ
 種族的な神話から市民的な想像域(イマジネール)へ
 ネイションの「君主」としての知識人 
第2章 「神話=史」ー はじめに、神がその民を創った
 ユダヤ人の時間の素描
 「神話=史」としての旧約聖書
 人種とネイション
 歴史学者間の論争
 原ネイション的な視線 ー「東洋」の見方
 種族主義的な段階 ー「西洋」の見方
 『シオン』誌における歴史記述のはじまり
 政治と考古学
 大地は反逆する
 隠喩としての聖書 
第3章 追放の発明 ー 熱心な布教と改宗
 紀元七〇年
 追放なき離郷 ー 不分明な地域における歴史
 わが意に反して移住した「ユダの民」
 「国の民のうち多くの人がユダヤ人になった」
 ハスモン朝は隣人たちにユダヤ教を押しつけた
 ヘレニズム世界からメソポタミアへ
 ローマ帝国におけるユダヤ教の布教活動
 "ラビのユダヤ教" の世界における改宗
 ユダの住民の「悲しき」運命について
 「その国の民」の記憶と忘却 
第4章 沈黙の地 ー 失われた(ユダヤの)時を求めて
 「幸福のアラビア」ー ヒムヤル王国のユダヤ教への改宗
 フェニキア人とベルベル人 ー 謎の女王カーヒナ
 ユダヤ教のカガンか? 奇妙な帝国が東方に興った
 ハザール人とユダヤ教 ー 一つの愛の物語 
 ハザール人の過去をめぐる近代の研究
 謎 ー 東欧のユダヤ人の起源
第5章 区別 ー イスラエルにおけるアイデンティティ政策
 シオニズムと遺伝
 「科学的な」あやつり人形と人種差別的な人形つかい
 「種族」国家の建設
 「ユダヤ人の民主主義国家」ー 撞着誤報か?
  グローバル化時代の種族主義
謝辞
原著注

著者プロフィール
シュロモー・サンド(Shlomo Sand)
1946年にオーストリアのリンツで生まれる。その後、両親とともにイスラエルに移住。テルアビブ大学とパリの社会科学高等研究院で歴史を学ぶ。1984年よりテルアビブ大学にて現代ヨーロッパ史を教える。現在、テルアビブ大学名誉教授。専門領域は、フランスのインテレクチュアル・ヒストリー、20世紀の政治史、映画と歴史、ネイションとナショナリズムなど。フランス語・英語・ヘブライ語で多数の著書と論文を発表している。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)

監訳者プロフィール
高橋武智(たかはし・たけとも)
1957年東京大学文学部仏文科卒。同大学院で18世紀フランスの啓蒙文学・思想を専攻。1965~67年、フランス政府給費留学生として、パリ大学(ソルボンヌ)に留学。大学闘争さなかの1970年に、立教大学助教授を依願退職。(本データはこの書籍の単行本が刊行された当時に掲載されていたもの)

訳者プロフィール
佐々木康之(ささき・やすゆき)
1935年生まれ。元立命館大学文学部教授、フランス語担当
(本データはこの書籍の単行本が刊行された当時に掲載されていたもの)

木村高子(きむら・たかこ)
仏語・英語翻訳家。フランス国ストラスブール大学歴史学部卒業。早稲田大学大学院文学研究科考古学専攻修士課程修了。(本データはこの書籍の単行本が刊行された当時に掲載されていたもの)



■補論 「ユダヤ民族」(ネーション)という「発明」

「ネーション・ステート」(nation state)という概念がある。英国やフランスを筆頭に、その後に誕生したドイツやイタリア、そして米国や日本もみな「ネーション・ステート」であるとされている。

このあとにつづいて生まれてきた韓国やベトナムも「ネーション・ステート」であるといっていいだろう。

「ネーション・ステート」は、一般的に「国民国家」と日本語訳されている。日本語では「国民」と「民族」は別のことばで表現された異なる概念だと理解されているが、英語でもフランス語でも nation は、国民と民族の両方の意味をもっており、ことさら区別されることはない。

イスラエルもまた「ネーション・ステート」として建国された国だ。実際は、イスラエルに国民はユダヤ系だけの国でないが、理念としては「ユダヤ人国家」なのである。その点は先住民や帰化した人たちを抱えている日本も、程度の違いはあってもおなじである。

イスラエルに即して考えてみると、「ネーション・ステート」を「国民国家」と訳すことに疑問がわいてくる。なぜななら、イスラエルはシオニズムというイデオロギーにもとづいて、「ユダヤ民族」の国家として建国されたからだ。つまり、国家が成立してはじめて「国民」が誕生するわけだが、イスラエルの場合は国民が成立する前に「民族」が前提とされていたのである。

したがって、「ネーション・ステート」は「民族国家」と訳したほうが適切ではないだろうか。「ネーション」(nation)の派生形が「ナショナリズム」(nationalism)である。ナショナリズムもまたイデオロギーである。

日本語版でも、この「ネーション」の取り扱いには苦慮したようで、「国民」とも「民族」ともせず、「ネーション」のまま通すことにしたとしている。本書を読んでいて違和感を感じるかもしれないが、その理由をしっておくべきだろう。

この「ネーション」と「ナショナリズム」についての理論的な考察が「第1章 ネイションをつくりあげる ー 主権と平等」で詳細に行われている。

「ネーションとナショナリズム」(Nations and Nationalism)というタイトルが代表作の文化人類学者アーネスト・ゲルナー(・・日本語訳のタイトルは『民族とナショナリズム』)や、「ネーション」とは「想像の共同体」(Imagined Community)であると喝破した政治学者のベネディクト・アンダーソンや、日本ではあまり知られていないが重要なリア・グリーンフェルトなどの議論を踏まえたものだ。

「ユダヤ人の起源」を早く知りたいと焦っている人は読まなくても問題はないが、読めば得るものは多いだろう。取り上げられている著者は、いずれもナショナリズムを論じるに当たっての「常識」とされているものである。 


<関連サイト>

・・Arab Jews (Arabic: اليهود العرب al-Yahūd al-ʿArab; Hebrew: יהודים ערבים Yehudim `Aravim) is a term for Jews living in or originating from the Arab world. The term is politically contested, often by Zionists or by Jews with roots in the Arab world who prefer to be identified as Mizrahi Jews. Many left or were expelled from Arab countries in the decades following the founding of Israel in 1948, and took up residence in Israel, Western Europe, the United States and Latin America.

・・Mizrahi Jews (Hebrew: יהודי המִזְרָח), also known as Mizrahim (מִזְרָחִים) or Mizrachi (מִזְרָחִי) and alternatively referred to as Oriental Jews or Edot HaMizrach (עֲדוֹת-הַמִּזְרָח, lit. 'Communities of the East'), are a grouping of Jewish communities comprising those who remained in the Land of Israel and those who existed in diaspora throughout and around the Middle East and North Africa (MENA) from biblical times into the modern era.



・・「私は歴史学者なので知っているが、困ったことに歴史は過去を変えたいという思いを掻き立てる。だが、それはしょせんかなわぬ夢だ。過去は救いようがない。未来に焦点を合わせよう。古傷は癒やし、新たな傷害の原因にさせてはならない」(ユヴァル・ノア・ハラリ)

ヨーロッパのユダヤ人は古代イスラエル人の子孫ではなく、トルコ系ハザール人?「ハザール人」とはいったい何者なのか?(橘玲、ダイヤモンド・オンライン、2023年12月14日)

(2023年11月21日、12月14日 情報追加)


<ブログ内関連記事>



・・未来社会にかんする想像力を鍛えるためにSFを読む必要がある


■ロシア帝国とアシュケナージ系ユダヤ人



・・帝政ロシア時代の末期の革命運動には、サヴィンコフの同志として多数のユダヤ人が男女を問わず積極的に参加していた。


■「ネーション」と「ナショナリズム」

・・ナショナリズムの起源について


・・●戦前・戦中:「神の国」そして「聖戦」、●戦後:(「戦前・戦中」を密教化した)「密教体制」としてとらえる歴史観。とはいえ、対外的な拡張主義を放棄した「戦後」は、「戦前・戦中」と異なるのもまた事実。歴史を連続と捉えるか、断絶と捉えるか議論がわかれるところ



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