『亜宗教ーオカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで』(中村圭志、集英社インターナショナル新書、2023)は、ことし4月にでた本だが、最近その存在をはじめて知ってさっそく読んでみた。
これがじつに面白い。どうもこの手の本には「引き寄せ」られてしまう。しかも、著者の中村氏が2019年にだした『無神論』という本が面白かったのでなおさらだ。
本書の最終章では、欧米を中心に若い世代に拡大しているという「無神論」についても、今後の見通しについて考察している。
■「亜宗教」というコンセプトに著者の対象への取り組み方が現れている
「亜宗教」とは著者の造語である。学術用語ではないが、「近現代に生まれた非科学的で宗教めいた信念や言説」というのが著者による定義だ。
この「亜宗教」というコンセプトで、19世紀から2020年代の現在までに生まれては消えていった「オカルト・スピリチュアル・疑似科学・陰謀論」を取り上げている。
具体的にいえば、妖精写真、コックリさん、動物磁気(アニマル・マグネティズム)、千里眼、念写、モンキー裁判、UFO、ニューエイジ、エスパー、臨死体験、シンクロニシティ、爬虫類人、Qアノン、反ワクチンなどなどだ。こう書いていくだけで、なんだかワクワクしてくる(?)ではないか。
ここで意味をもつのは「亜宗教」という著者が考案したコンセプトだ。「亜宗教」の「亜」とは、亜種とか亜流、亜大陸などの接頭語の「亜」だ。
英語でいえば sub-conscious などの "sub-" である。カテゴリー的に劣後するものをさしている。sub-conscious は日本語では「無意識」と訳しているが、それではニュアンスが伝わってこない。「意識」の下にあるものがサブコンシャスである。
著者があえて「疑似宗教」ではなく、「亜宗教」としていることに注目したい。「疑似科学」のように「宗教まがい」として切り捨ててしまうのではなく、「宗教めいたもの」つまり「宗教のようなものだが、宗教そのものではない」という位置づけなのであろう。
「オカルト・スピリチュアル・疑似科学・陰謀論」はいずれも、信じている人にとっては「真実」であっても、そうでない人にとっては、「妄想」以外のなにものでもない。
「科学」もまた「信仰」の対象となってしまいがちだ。いわゆる「科学信仰」であるが、環境問題や原発事故などによって「科学信仰」が揺らいでいることは、誰もが感じていることだろう。
こういう状態で「陰謀論」がはびこるのであるが、そもそも「科学」が「宗教」(とくにキリスト教)から生まれたことからわかるように、「科学」も「宗教」もともに人間の想像力が生み出したものであることは共通している。
19世紀以降に「近代科学」として確立する過程で、さまざまな「疑似科学」が登場しては消えていったのは、ある意味では当然なのだ。
とはいえ、積み上げ式の「科学的思考」と、一気に飛躍してしまう「疑似科学の発想」は、まったく異なる思考方法である。この区別はしっかりとつけなくてはならない。
「亜宗教」として著者がくくっているもろもろについても同様である。冷静に一歩引いて眺めてみることが必要だ。
■「日米比較サブカル論」として読んでも面白い
本書は大きくわけて2部構成になっている。「第1部 西洋と日本の心霊ブーム 19 → 20世紀」と「第2部 アメリカ発の覚醒ブーム 20 → 21世紀」である。
20世紀以降は米国が発信源となって、英語圏を中心に世界中に拡散してきた。英国その他の英語圏である。
もちろん、日本もサブカルにかんしても米国の圧倒的影響下にあったわけだが、おなじ「亜宗教」だといっても、発信源である米国とそれを受容してきた日本とでは、受取り方に違いが見られるという指摘が面白い。
「臨死体験」に現れるイメージの違いに、それが端的に表れている。地獄を否定し、天国だけを考えるという点でキリスト教に否定的でありながらも、キリスト教的なイメージが登場するのが米国の臨死体験である。これに対して、日本では「三途の川」など民衆仏教的なイメージがでてくる。
キリスト教文化と神仏習合的な日本文化との違いであろう。これは「爬虫類人間」という「妄想」で知ることもできる。
日本人的には「爬虫類人間」と言われても、「はあちゅうるい? はあ?」という反応しかでてこないだろう。「爬虫類系の顔」というのはあるが、「爬虫類人間」とはねえ?(笑)
ところが、著者によれば、英語圏で生まれた「爬虫類人間」の背景には、ヘビやドラゴンなど「爬虫類」には、キリスト教文化の影響が見えるのだという。
旧約聖書の『創世記』でイブをそそのかしてアダムを誘惑させたのがヘビであり、英語で爬虫類を意味する reptile(レプタイル)は「卑劣漢」などネガティブな意味をもっている。 日本ではヘビは畏怖すべきであり、古代から神として信仰の対象であった。この違いはきわめて大きい。
「ニューエイジ的」な「精神世界」と「スピリチュアル」が、米国では「左派的」な存在であるのに対し、日本ではもともとの土俗的な神道的世界観が融合して「右派的」になりやすい傾向がある。これもまた日米の文化の違いが反映した「ねじれ現象」である。
とはいえ、米国社会も右と左に分断されているように見えながら、オカルトという側面では混交し、融合しつつあるという指摘(P.271)は重要だ。
「ニューエイジ的」な「精神世界」と「スピリチュアル」は、そもそもメインストリームへの異議申し立てという側面があったが、「ニューエイジ」に対する反感と逆襲である「宗教保守」もまた、ともに陰謀論的な性格を帯びやすいという点で共通している。
日本でいえばオウム真理教など、まさに絵に描いたような展開をたどって自滅していったことを想起すべきであろう。
■「亜宗教」に対しては、柔軟な姿勢と同時に懐疑的な姿勢は失わないことが大事
好奇心全開で対象にアクセスするが、柔軟な姿勢と同時に懐疑的な姿勢は失わない。そんな微妙な立ち位置が本書を最後まで楽しく読ませる1冊にしている。
本文もさることながら、フキダシともいうべき( )内の著者の独白的なコメントが面白い。事実関係の説明からスタンスを取った著者自身の思いには、大いにうなづくものも多い。
われわれ読者もまた、そんな著者の姿勢を共有すべきであろう。「亜宗教」に分類されたもろもろについて、いちがいに頭ごなしに否定するのではなく、知的にアプローチするのである。「神秘主義」に対する著者の対応もまた反論が多いだろうが、そういう見方もあるだろうなと受け止めてみる。
知的にアプローチするとは、一呼吸おいてスタンスを取り、冷静に観察することである。一時的な熱狂や、ルサンチマン的な憎悪にとらわれてしまわないことが大事なのだ。
『亜宗教 ー オカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで』は、そんな絶妙な距離感の取り方を教えてくれる本でもある。なによりも豊富な事例で読みでのある本になっている。
目 次序章 宗教と科学の混ざりもの第1部 西洋と日本の心霊ブーム 19 → 20世紀第1章 19~20世紀初頭の心霊主義コラム① 心霊の使い手たち第2章 コックリさんと井上円了の『妖怪学講義』コラム② 井上円了と『妖怪学講義』第3章 動物磁気、骨相学、催眠術――19世紀の(疑似)科学コラム③ 動物磁気、骨相学、同種療法、水療法第4章 明治末の千里眼ブームと新宗教の動向コラム④ 大本とその周辺ー出口ナオ、出口王仁三郎、浅野和三郎、谷口雅春補章 伝統宗教のマジカル思考第2部 アメリカ発の覚醒ブーム 20 → 21世紀第5章 ファンダメンタリストとモンキー裁判コラム⑤ ファンダメンタリストとペンテコステ運動第6章 UFOの時代――空飛ぶ円盤から異星人による誘拐までコラム⑥ L.フェスティンガー『予言がはずれるとき』第7章 ニューエイジ、カスタネダ、オウム真理教事件コラム⑦ 真逆を行った2人のユダヤ人ーラム・ダスとウディ・アレン第8章 科学か疑似科学か?――ESP、共時性から臨死体験までコラム⑧ 神秘思想を比較する?ー井筒俊彦『コスモスとアンチコスモス』終章 陰謀論か無神論か? 宗教と亜宗教のゆくえ参考文献
著者プロフィール中村圭志(なかむら・けいし)宗教研究者。翻訳家。1958年、北海道生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学(宗教学・宗教史学)。昭和女子大学非常勤講師。単著に『信じない人のための〈宗教〉講義』(みすず書房)、『教養としての宗教入門』『聖書、コーラン、仏典』『宗教図像学入門』(いずれも中公新書)、『教養として学んでおきたい5大宗教』『教養として学んでおきたい聖書』(ともにマイナビ新書)ほか多数。
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