かつて書店の棚を多く占めていた「精神世界」は、現在では縮小傾向にある。それにとってかわったのが、いわゆる「スピリチュアル」のコーナーである。
1970年前後の米国発の「ニューエイジ」や「トランスパーソナル心理学」がその中核をなしていた「精神世界」は、日本では1980年代から「教養主義」にとって代わる存在となり、サブカルチャーからメインカルチャーへと進化していった。
カウンターカルチャーとしての「意識変容」、私的空間での「自分探し」、そして自己の「スピリチュアリティ」を意識し、宗教にとって代わるものとして存在感を増大させる流れ。
日本において、「精神世界」にいったんストップをかけたのが、1995年の「オウム真理教事件」である。
それじたいが「精神世界」の申し子ともいうべき「オウム真理教」は、そのいびつな世界観と暴力的で反社会的な行動によって自滅の道を突き進むことになる。
この事件の発生とともに、「精神世界」も退潮していった。危険視され忌避されるようになったためだ。
その後、TVメディアを舞台に一般化した「スピリチュアル」のブームは、2020年代の現在にいたるまでつづいている。もともとその土壌のある日本独自の展開もあるが、「スピリチュアリティ文化」はグローバル化した世界における同時的現象でもある。
■1990年代後半から2020年にいたる「スピリチュアリティ文化」
『現代スピリチュアリティ文化論 ー ヨーガ、マインドフルネスからポジティブ心理学まで』(伊藤雅之、明石書店、2021)は、そんな同時代現象としての「スピリチュアリティ文化」について、1990年代後半から2020年にいたる四半世紀の動きについて、その展開の状況をトレースしたものだ。
宗教社会学の立場からの解説であり、フィールドワークにもとづく研究である。その前史となる『精神世界のゆくえー宗教・近代・霊性(スピリチュアリティ)』(島薗進、秋山書店、2007) を読んでおくと、より理解が深まるであろう。
全体で3部構成となっており、キーワードとしては、「スピリチュアリティ」「マインドフルネス」「ヨーガ」「ポジティブ心理学」「ネオ・アドヴァイタ」などが重要だ。目次には登場しないが「ハッピネス」や「ウェルビーイング」がキーワードである。
いずれもカタカナ語であるのは、それらがみな英語圏で成立した「現代スピリチュアリティ 文化」の構成要素であるからだ。
「目次」を紹介しておこう。
目 次はじめに第1部 現代スピリチュアリティ文化の理論と研究アプローチ第1章 現代スピリチュアリティ文化の歴史と現在 ― 対抗文化から主流文化へ第2章 21世紀西ヨーロッパでの世俗化と再聖化 ― イギリスのスピリチュアリティ論争の現在第3章 現代宗教研究の諸問題 ― オウム真理教とそれ以後第2部 現代幸福論とスピリチュアリティ文化の諸相第4章 マインドフルネスと現代幸福論の展開第5章 現代マインドフルネス・ムーブメントの功罪 ― 伝統仏教からの離脱とその評価をめぐって第6章 グローバル文化としてのヨーガとその歴史的展開第7章 「スピリチュアルな探求」としての現代体操ヨーガ第3部 スピリチュアリティ文化の開かれた地平第8章 ポジティブ心理学と現代スピリチュアリティ文化第9章 人間崇拝の宗教としてのヒューマニズム ― ヒューマニストUKの活動を手がかりとして第10章 「自己」論へのアプローチ ― エックハルト・トールとネオ・アドヴァイタ・ムーブメントおわりに初出一覧参考・引用文献一覧索引
宗教学、宗教社会学、宗教心理学の講義用の「教科書」として出版されたものであり、既出論文をまとめたものなので、かならずしも読みやすくない。寄せ集め感が払拭されていないからだ。
現代の「スピリチュアリティ文化」は英米中心であり、あるいは英語圏が中心になっているので、日本における現象を考える際には、日本との共通点や落差に注意して読む必要がある。この点の考察は、本書ではやや弱いという印象を受ける。
■グローバル文化としての「現代体操ヨーガ」と「ネオ・アドヴァイタ」
とはいえ、本書で興味を引かれるのは「グローバル文化としてのヨーガ」についてである。著者はヨーガの実践者でもあるようだ。
もともとインドで生まれた瞑想法と一体となっていたヨーガだが、英国の植民地時代に導入された北欧発のスウェーデン体操とミックスして心身鍛錬の体操化し、これが欧米社会に拡がることで、21世紀の「現代体操ヨーガ」に進化していく。
これがインドに「逆輸入」され、さらにインドのソフトパワーとしてグローバル化がさらに促進されるという東西往還。仏教の瞑想法が起源の「マインドフルネス」と同様、「脱宗教化」してグローバルに拡大していった経緯がよく似ているのである。
インドといえば、「ネオ・アドヴァイタ」についても触れなくてはなるまい。「アドヴァイタ」(Advaita)とは、古代インドのウパニシャッド由来の思想であり、日本語では「不二一元論」と訳される。梵我一如である。ブラフマンはアートマンであるという思想。自我を超えた存在との合一。
この思想の現代英語圏での展開が「ネオ・アドヴァイタ」なのである。その代表的な存在が、ドイツ出身で英語圏で著作活動を行っているエックハルト・トールである。
エックハルト・トールについては本書ではじめて知ったが、「スピリチュアリティにかんして世界的にもっとも影響力のある人物」のトップに位置づけられているらしい。
ここではその思想について説明しないが、「エックハルト」という名前をつかっていることからもわかるっように、ドイツ中世の神秘主義者マイスター・エックハルトをおおいに意識しているようだ。
前面には出さないが、やはり自分のバックグラウンドであるキリスト教が背景にあるようだ。マイスター・エックハルトの思想が禅仏教に似ていることは、鈴木大拙が指摘して以来、よく知られている。
東西のスピリチュアリティ文化の融合が、エックハルト・トールには体現されているのであろう。
■異文化としての東洋文化を受容した現代西欧の「スピリチュアリティ文化」
そんな西洋文化の人間にとって、スピリチュアリティにかんする東洋文化は「外来文化」であり「異文化」である。
西洋においては、東洋がまったく異質な文化であったらからこそ、最初は抵抗があったものの、サブカルチャーからメインカルチャー化していったのである。著者によるこの指摘はきわめて重要だ。
チベット人のダライラマや、ベトナム人のティック・ナット・ハンなど、現在でも著名な人たちのように、最初はアジア人の指導者が多かったが、現在の西洋社会では東洋のスピリチュアリティ文化を咀嚼して自分のものとした西洋人の指導者が中心になっている。
英語圏を中心とした「現代スピリチュアリティ」は、もはや東洋文化というよりも、西洋文化の一部となっているのである。「現代スピリチュアリティ」は、いっけん東洋文化と親和性が高いように見えても、ホンモノの東洋文化とは異なる存在なのである。
だからこそ、いっけん日本でも受容しやすいように見えながら、西洋化した「現代スピリチュアリティ」がスムーズに定着しているわけではない。
日本を含めた東洋では、かえって仏教などの伝統文化からの反発もある。なにも「マインドフルネス」なんて輸入品の必要はない、昔からある「座禅」でいいではないか、というやつだ。それは反発といってもいいし、違和感といってもいい。
近代日本では、キリスト教などの西洋文化を受容して、「無教会派」などの「日本的キリスト教」を生み出した歴史がある。「日本化」である。キリスト教がまったくの「異文化」であったからこそ、可能となった文化変容だ。
その逆の事態が西洋では「現代スピリチュアリティ文化」として成立したわけだが、はたして今後の日本では、逆輸入された「現代スピリチュアリティ文化」がどうなっていくのだろうか。定着するのか、そうではないのか。
とはいえ、「マインドフルネス」や「現代体操ヨーガ」が、本来のわたしたち自身の伝統である「東洋の伝統的スピリチュアリティ」に目覚めるキッカケとなるなら、大いに意味のあることだろいえるだろう。
そんなことを考えさせてくれる「教科書」である。
著者プロフィール伊藤雅之(いとう・まさゆき)愛知学院大学文学部宗教文化学科教授。1964年名古屋市生まれ。1998年、米国ペンシルバニア大学大学院社会学部博士課程修了(Ph.D)。専門は宗教社会学。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
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